豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

家永真幸『台湾のアイデンティティ』

2023年11月24日 | 本と雑誌
 
 家永真幸『台湾のアイデンティティ--「中国」との相克の戦後史』(文春新書、2023年)を読んだ。

 台湾で生まれたぼくの祖父は、幼少時に台風で増水した川を見物に行って溺れたところを現地人の大工に救われて一命を取りとめた。下手をしたら子孫のぼくらもこの世に存在しなかったのだから、この台湾人大工さんにはいくら感謝しても足りない。
 もう一つ、ぼくは学生だった1960年代末から1970年代前半にかけて(本書の著者の言葉によれば)「左翼的な」台湾観を抱いていた一人だった。あの頃台湾を支配していた蔣介石・蔣経国親子の国民党政権と、その後の台湾の変遷に対する認識を整理して、現在の台湾を見る視角を得たいという思いがある。
 ※下の写真は総督府が発行した台湾総督府庁舎の絵葉書。
  

 本書は、「はじめに」から第1章「多様性を尊重する社会」までの数十ページで、古代から同性婚も認める多様性社会となった現在の台湾に至るまでの歴史の概略が語られる。そして第2章「一党支配下の政治的抑圧」、第3章「人権問題の争点化」、第4章「大陸中国との交流拡大と民主化」、第5章「アイデンティティをめぐる摩擦」においては、多くの先行研究の成果を要領よく紹介しながら、著者の視点から再構成することによって、人物に焦点を当てた戦後台湾の発展が語られる。本書によって戦後日本における台湾研究の到達点を知ることができる。 

 蔣介石の国民党政権のもとでは、反体制派を逮捕、拷問、銃殺する恐怖政治(「白色テロ」)が行われていた(64頁以下)。その蔣介石政権をアメリカ帝国主義と日本政府が支援する。日本政府は、反体制派の在日台湾人を蔣政権下の台湾に次々と強制送還する。こうして米国、蔣政権(および韓国の軍事政権)、日本が反共の防波堤として「人民中国」と敵対するというのが、当時のぼくが描いていた図式だった。
 そんな台湾が、どうして今日のような多様性を尊重する自由で、選挙によって政権交代が起きる民主的な国家になったのか。蔣介石、蔣経国亡き後の台湾の動向をきちんとフォローしていなかったので、蔣政権下の恐怖政治国家と、現在は蔡英文率いる民主国家との間の missing link に居心地の悪い思いを抱いてきた。

 特に気になっていたのは、日本にいた反体制派活動家たちの台湾への強制送還をめぐる一連の事件である。日本政府は、政治犯1人を台湾に強制送還するごとに麻薬密輸犯30人を台湾に引き取らせる密約まで結んでいたという(113頁)。
 本書で紹介される陳智雄、陳玉璽、柳文卿その他、1960年代以降に蔣政権下の台湾に強制送還された活動家の名前の多くは(70頁、109頁以下)ぼくの記憶から消えていたのだが、1970年前後に起った林景明さん強制送還事件だけは、はっきりと記憶にある。ただし林さんは強制送還されたと思っていたが実はそうではなかったから(126頁~)、柳さんの報道と混同していたのかもしれない。

 ぼくは江青ら「四人組」が失脚する頃までは、「人民中国」に淡い希望を抱いていた。蔣政権の恐怖政治に抵抗する反体制派の人たちに同情はしていたが、最終的に台湾は「人民中国」と一体になるべきだとも考えていたと思う。だから国民党政権の敵ではあるが、「人民中国」の敵でもある「台湾独立」派の人たちに強い共感がもてなかったのだと思う。
 その意味で、ぼくは代田智明さんがいう「滑稽な親中派教条主義者」の側の1人だっただろう(134頁)。本書で、べ平連から出発してその後は在日外国人の人権を守る活動をつづけた谷たみさんという方の存在を知ったが(136頁)、彼女のような生き方こそべ平連シンパだったぼくが選択しなければいけないその後の道だった。
 ※ 下の写真はぼくが予備校、大学生の頃にいつも胸につけていたべ平連の「殺すな」のバッジ。誰だったか有名なデザイナーのデザインだった。先日別件で物置を探していたら出てきた。
     

 若干の弁明をするならば、ぼくは林さんらの台湾独立運動家に対する人権弾圧にまったく無関心だったわけではない。林景明さんは「知られざる台湾」という著書を出版しているが(三省堂、1970年)、本書によれば同書は「三省堂新書編集部の『任侠的支援』を得て」出版されたという。
 三省堂新書はユニークなラインアップを誇った、装丁もお洒落な新書だったが、むのたけじ「たいまつ」、羽仁五郎「ヨオロッパの大学を行く」、井上幸治=江口朴郎「危機としての現代」、堀越智「アイルランドの反乱」、宮崎繁樹「出入国管理」などとともに、林景明「知られざる台湾」もぼくの記憶に残っている。
 林景明は、楊伝広(東京オリンピック十種競技の「台湾」代表で、当時の世界記録保持者)、翁倩玉(ジュディ・オング)とともに、当時のぼくにとって台湾を代表する名前だった。さらに、大陸側に帰還した劉彩品という名前にも確たる記憶はなかったのだが、学生時代にキャンパスで渡されたビラ類を保存してある段ボール箱の中に、なぜか劉さんを支援するガリ版刷のビラも残されていた。
 いずれにしても、本書を読んだ目的の一つは台湾戦後史における林景明さんの位置づけを確認することだったのだが、ぼんやりとした記憶の彼方にあった林景明さんの像が鮮明に結ばれた。
 林さんを支援した宮崎繁樹さんにも編集者時代に原稿をお願いしたことがあったが、当時の彼の立ち位置にも合点がいった。

 台湾の人びとの「日本人」観について。
 日本統治期に、一方では「日本人になれ」といわれながら(皇民化政策)、学校では日本人から蔑称で呼ばれたという台湾人の経験が語られている(39頁)。台湾旅行の際に、ぼくは明らかに日本人に反感をもつタクシー運転手に乗り合わせたことがあった。彼の反日感情が、日本統治時代の日本人への反感に由来するのか、抗日戦争を戦った国民党兵士の子孫が抱く反日感情だったのか、あるいは近年の日本人観光客への反感によるものだったのかは分からないが、今日でもすべての台湾人が「親日」派というわけではないことを体感した。
 八田與一に対する台湾の人たちの敬意と、日本人の八田評価の齟齬などもなるほどと思った(216~7頁)。八田の技術者的な真面目さ、勤勉さ、正直な人柄こそが台湾の人たちの尊敬を得たのであって、日本統治や日本人全般が尊敬されているわけでは決してない。

 本書の縦糸になっているのは「恐怖」だろう、とぼくは読んだ。本書の帯には「スリリングな台湾現代史!」という惹句があるが、その意味ではまさに「スリリング」といえよう。
 台湾で数年前に大ヒットした「返校」という(ゲームを原作とする)ホラー映画にみられる恐怖、蔣政権による「白色テロ」時代の恐怖(とくに強制送還の危機にさらされた在日台湾人の恐怖)、そして大陸中国による軍事的併合に対する台湾の人びとの恐怖である。
 映画「返校」は見ていないが(89頁~)、蔣介石の恐怖政治が支配した1960年代台湾の高校が舞台で、密告者を恐れる反体制派高校生が主人公らしい。独裁政権の下で、周囲の人間がすべて権力側の共犯者である可能性のある密告社会ほど恐ろしい、ホラーな社会はないだろう。
 蔣政権の白色テロの記憶が今日の台湾アイデンティティの根幹にあり、さらに政権に批判的な言論を弾圧する強権的政治を行なう習近平政権に台湾が組み込まれ、第二の香港になることへの恐怖と反発が今日の台湾の人たちの中国観の根っ子にあるのだろう。 

 「台湾有事は日本の有事」などといった声高な発言を蔡英文は歓迎したようだが(240頁)、台湾市民の多数は「現状維持」を願っている(144頁)。ぼくも、さし当りは「現状維持」、最終的には大陸中国と台湾の平和的統一、それも現在の台湾における自由と民主主義の水準での統一を願うものであるが(200頁で紹介される劉暁波の意見に賛同する)、そのようなことは “impossible dream” なのだろうか。
 いずれにせよ、台湾の帰趨は台湾の人びとが自ら決定することである。
 
 2023年11月23日 記

 ※「週刊ポスト」2024年1月1・5日号の「2024年を占う1冊」というコーナーで、川本三郎さんが本書の書評を書いていた。
 川本さんは本書で紹介された1960年代に起きた台湾人留学生の強制送還事件を「恥しいことに知らなかった」と書いている。これは驚きであった。彼はぼくより少し年長だが、東大法学部の卒業で、朝日新聞の記者を務めた人物である。東大法学部の芦部信喜ゼミに所属した留学生が強制送還されたり、(ぼくの記憶では)朝日ジャーナルにも強制送還に抗議する側の論稿が掲載されたのに、知らなかったとは。
 ぼくは彼の「同時代を生きる気分」を読んだ頃から、「同時代」を生きていないなという感懐をもった。ただし、その当時は「左翼知識人のあいだで親中派が多かったため、台湾に関心を持つだけで疎んじられた」という本書の記述に対して、「私などの世代にはこの空気はよく分かる」と川本さんが書いているのにはまったく同感で、ぼくもあの当時の「空気」がよく分かる。ということは彼と「同時代」を生きた部分もあるのだろう。
(2024年1月23日 追記)

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