豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

虎に翼(その8)--戦後民法改正と内藤頼博

2024年06月07日 | テレビ&ポップス
 
 NHK朝の連ドラ「虎に翼」の舞台は戦後となり、未亡人となった主人公が司法省の事務官に採用され、民法家族法の改正作業に参加する展開となっている。
 このドラマの展開は、実際の戦後民法改正作業の史実をどのくらい反映しているのだろうか。

 戦後の民法(家族法)改正経過に関する最も一般的な解説書は、我妻栄編「戦後における民法改正の経過」(日本評論社、1956年、1988年復刊)だろう。実はこの本の復刊を提案したのはぼくである。最近では各出版社で復刊リクエストとかオンデマンド復刊が盛んだが、まだそのような機運がなかった1980年代に、ぼくは、日本評論社の本では、本書のほかにも我妻栄「事務管理・不当利得・不法行為」とアダム・スミス/水田洋訳「グラスゴウ大学講義」の復刊を提案した。古本屋では、我妻編「経過」が2、3万円、スミスなどは4万円以上の値がつけられていることを古書目録を示して提案したところ、採用されて復刊が実現した。復刊された本はいずれも完売したばかりか、復刊が重版になったこともあったはずである。他にも青林書院の中川善之助「新訂・親族法」の復刊も希望したが、こちらはいまだに実現しない。
 この我妻編「改正」によって、ドラマに登場する人物のモデルと思しき人物を探索してみよう。

 時代が戦後になってドラマに新たに登場した人物のうち、お殿様の末裔にしてアメリカ帰りのエリート裁判官(司法官僚)で、民法改正に参画した人物(沢村一樹演ずる久藤何某)といえば、モデルは内藤頼博さんだろう。内藤さんは、現在の新宿御苑を含む内藤新宿一帯を領有した内藤家の末裔だという話だった。
 ぼくは編集者時代にお目にかかったことがあるが、面長で中高の整った顔立ち、髪をきちんと分けて、穏やかな表情と物腰はいかにも家柄の良い老紳士という印象だった。沢村演ずる久藤某とは似ても似つかぬ方だったが、内藤さんにはあのような一面があったのだろうか。それとも、内藤さん以外に、あのようなアメリカ帰りでチャラくて気障な司法官僚のモデルが他に誰かいたのだろうか。

    

 我妻編「経過」を見ると、司法法制審議会(昭和21年)の幹事のなかに内藤頼博の名前が見える(209頁、上の写真)。肩書きは「司法事務官」となっている。和田嘉子(寅子のモデル)も同じ司法事務官だが、和田(後に三淵)は審議会メンバーの中に名前はない。それどころか、100名近い委員と幹事の中で、女性はわずかに衆議院議員3名(武田キヨ、村島喜代、榊原千代)と一般人2名(村岡花子、河崎なつ)の計5名が委員に名を連ねているだけで、その他の裁判官、司法官僚、検事、弁護士、学者はすべて男である。昭和21、2年頃というのはそんな時代だったのだ。

       

 審議会で、頑迷に家族制度の存続を主張する老人が登場するが、あれはおそらく牧野英一だろう。法制審議会の委員名簿を見ると、学者の欄には宮澤俊義、我妻栄、中川善之助、兼子一ら10名ほどが並んでいるが、牧野の名前はなく、貴族院・衆議院議員グループと弁護士グループの間に、唐突に牧野(東大名誉教授)と草野豹一郎(中大教授)の2人だけが挟まっている(「経過」208頁)。彼はどういう経緯から、どういう資格で法制審議会の委員になったのだろうか。
 彼は同じ主張を何度も蒸し返し、敗戦も新憲法の制定も彼にはまるで何の影響も与えなかったようである。我妻、中川らがよくぞ牧野の繰り言につきあったと、その忍耐に感心する。新しい家族法の制定という目的一点を目ざして自重したのだろう。ただし、そのような守旧派は牧野1人だけでなく、審議会委員の何人かも牧野と同趣旨の発言をしている(牧野らの発言は「経過」276頁以下や、「臨時法制調査会総会議事速記録」などを参照。上の写真)。
 ドラマでは、穂高教授(穂積重遠)が牧野らに対抗して改正案の原案を支持しているが、実際には穂積は民法改正作業に加わっていない。弟子の中川、我妻らが主導したのだが、ドラマに中川、我妻らしき人物は登場しなかった(と思う)。
       
   

 6月6日の放送では、民主団体の代表(全員女性だった)が司法省に対して家族法改正に対する要望書を提出し、受け取る側だった寅子も賛同者になるというシーンがあった。
 我妻編「経過」343頁以下にその記録が残っている。この団体は「家族法民主化期成同盟」といい、封建的家族制度を廃止し、民主的家族法の成立を目ざすことを目的とした団体で、進行中の民法改正案にはなお不十分な点が多いとして、具体的な修正案を提案している。
 神近市子、平林たい子、山川菊栄、大濱英子、村岡花子らの著名人、川島武宜、野村平爾、立石芳枝(明大教授!)、田辺繁子らの学者、弁護士とともに、「司法事務官」の肩書で和田嘉子(後の三淵嘉子)の名前が署名人の最末尾にみられる(上の写真)。和田が最末尾なのは、五十音順なのか(和田の前は渡辺である)、上記のような経緯の故かは分からない(おそらく後者だろう)。
 司法事務官として起草作業の裏方を務めながら、このような要望書に署名できたのは、さすが戦後初期の法曹界の開放的な雰囲気を反映しているのだろう。現在では考えられないことである。あるいは「寅子」の個性かも知れない。

 いずれにしても、朝の連ドラの数回分で戦後の民法(家族法)改正を扱うのは無理だろう。もしやるなら、かつてNHKテレビ「土曜ドラマ」で放映されたジェームズ・三木脚本の「憲法はまだか(第1部・象徴天皇)、第2部(戦争放棄)」(各90分)くらいの分量は必要だろう。

 2024年6月6日 記

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