豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

軽井沢に行ってきた(9月4日~7日)

2024年09月08日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 9月4日(水)。台風が去って、ようやく晴れの日がしばらく続きそうな予報だったので、軽井沢に行ってきた。
 朝10時半に出発して、上里SAで小休憩して、13時に軽井沢に到着。快晴、気温は南軽井沢交差点の道路標示で26℃となっていた。
 まずはツルヤに立ち寄って、数日分の食料を買い込む。さすがに8月中に比べれば駐車場はかなり空いている(下の写真)。
   

 東京ではコメ不足だが、ツルヤには大量の米が置いてあった。ただし、残っているのは3000円台後半の千葉県産の新米ばかりで、もっとお手頃価格(らしい)のコメの棚は空っぽで、「完売」の札が立っていた。わが家でいつも買っている長野県産の無洗米(4㎏)が残っていたので買っておくことにした。

 到着後ただちにすべての窓を全開にして空気を入れ、つづいて、この夏使った布団、枕やクッション類を一斉にテラスに運び出して、虫干しをする。
 寄る年波で、毎年夏の終わりの布団の虫干しがしんどくなってきたので、この夏の初めに、思い切ってこれまでの思い出が詰まった重い綿布団を処分し、新しい敷布団と掛け布団を買った。荷風なら「購う」と書くだろう。「あがなう」と読むのかと思っていたが、この夏読んだ「濹東綺譚」では「かう」と振り仮名が振ってあった。

 そう言えば、「断腸亭日乗」を読むと、荷風は、日々の庭掃除(掃葉)と、時おりの蔵書の虫干し(曝書)を趣味としていた様子が伺える。「曝書」とは、「大辞泉」(小学館)によれば、「書物を虫干しすること、蔵書を取り出し、広げて風に当てること」の意で、夏の季語だそうだ。
 ぼくの亡父も、趣味で集めていた江戸時代の和綴じ本を天気の良い日に、二階南側の廊下に並べ硝子戸を開けて虫干しすることがあった。時おり2、30頁くらいの薄い本が風で道路にまで飛ばされて失くなることもあった。夏の季語というが、わが家では秋の小春日和の頃の風物詩だったように思う。ちなみに、「布団干し」は季語なのだろうか。
   
 翌日、9月5日(木)も朝から快晴。
 この日も布団干しに追われる。気持ちよいくらいに乾いてくれる。
   
   

 昼から<ツルハ>と<ケーヨーD2>に行って、除湿剤とダニ避けシートその他を買う。家を閉めた後の冬、春、梅雨時の湿気対策のためである。昭和の昔ならナフタリンが定番だった。
 天気は良くて空は青空だが、なぜか浅間山には真っ白の雲がかかっていて山頂や中腹のハート形の窪地は見えなかった。残念。離山はしっかりと見えている(上の写真)。
 この日の夜、永井荷風「濹東綺譚」を読み終えた。昔買ったままで手元にある岩波文庫は文字が小さくて読みにくかったので、図書館で借りてきた岩波文庫ワイド版で読んだ。本文に違いはなかったが、挿絵の濃淡が多少違っていた。

 9月6日(金)も晴れ。布団干しと、部屋の風通しがつづく。
 昼食は、御代田の浅間サンライン沿いにあるそば屋「香りや」に行く。国道沿いの「追分そば茶屋」が閉店してしまって寂しい思いをしていたところ、叔母がこの夏この店に行ってみたところ値段も手ごろで美味しかったと言っていたので、出かけてみた。
 緑の田畑が広がる中に新しい木造の店舗が建っている。駐車場も草地でトンボが舞っていた。孫が喜びそうである(冒頭の写真と下の写真)。
   
   
     

 店の前にある駐車場が満車だったので奥の第2駐車場に止めた。30分くらい待たされるのではないかと恐るおそる入ってみたが、店内に10卓くらい、テラスに4、5卓くらいある客席には何卓か空きがあって、すぐに座ることができた。
 メニューはシンプル。定食の天ぷらそばは、普通の麺つゆ(+ゴマだれ)か、温かいつけ汁(きのこ入り)か、ぶっかけかの3種類。ぼくは普通の麺つゆ、家内は温かいつけ麺にしたが、どちらも美味しかった。とくにゴマだれが好かった。
 蕎麦は、同じ経営という発地市場内のそば屋の蕎麦と同じ。発地では数年前に一度だけ食べたことがあるが、お爺さんが一人で蕎麦打ちをしていて美味しかった。(発地店は)蕎麦がなくなり次第閉店とかで、その時は昼前に閉店してしまった。

 帰りに久しぶりに追分旧中山道沿いの「すみや」(看板は「寿美屋」)に立ち寄る。
   
   

 荒井輝允「軽井沢を青年が守った」だったか、橋本福夫「著作集」だったかによると、敗戦後に橋本らが追分を拠点に生活協同組合を立ち上げて、物品販売所を開いたのが追分の旅館「すみや」の軒先を借りてのことだったと書いてあった(一時は旧軽井沢にも進出した)。その「すみや」が現在の「すみや」だろうか。そうであってほしい。

 9月7日(土)、この日も天気が良くて帰るのはもったいなかったが、戸締りを済ませ、電気、ガス、水道の元栓を閉めて、午前10時すぎに軽井沢を出発する。
 帰りがけに門扉のチェーンを閉めていると、1軒お隣のご主人に声をかけられた。ぼくと同世代だろうか。お会いするのも、お話しするのも今回が初めてである。お聞きすると、奥様が亡父がかつて属した職場の元同僚だったという。世間は狭いものである。

 戻った東京はいまだ炎暑。持ち帰った大量の洗濯物があっという間に乾いた。

 2024年9月8日 記

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