豆豆先生の研究室

ぼくの気ままなnostalgic journeyです。

軽井沢に行ってきた(2024年7月20日~21日)

2024年07月25日 | 軽井沢・千ヶ滝
 
 軽井沢 2日目の7月20日は土曜日。この日も晴れて、軽井沢にしては暑い。

 午前中から、不要になった粗大ごみを塵芥処理場に持ち込む。数十年来使ってきた綿布団などを処分した。秋冬用の布団などがけっこう置いてあったのだが、もう冬場に来ることはないだろう。もし首都直下地震で東京の家が崩壊した時に備えて、最小限の毛布などは残しておくことにした。
 その後、国道18号沿いの<カインズ>に向かう。
 土曜の午前10時ともなれば、いつもであればもっと混雑しているはずなのに、道路はガラガラと言ってもいいほど空いていた。暑さのせいでみんな出歩くのを控えているのだろうか。渋滞を覚悟していたのに、対向車も後続車もなかったので、<カインズ>への右折も簡単だった。

     
   

 <カインズ>の次は、軽井沢バイパスに出て、<ケーヨーD2>で新しい布団類を買う。荷風なら「購う」か。
 駐車場から眺める浅間山の頂上には真っ白な夏雲がかかっていた。浅間山の反対方向(東側)に見える離山の上空にも夏の雲がたなびいている(上の写真)。

        
        
 
 この日の夜は、小津安二郎の「麦秋」(1951年、昭和26年)を見た(コスモ、DVD、上の写真)。
 昭和28年の「東京物語」では68歳の東山千栄子の夫を演じた笠智衆が、わずか2年前の「麦秋」では東山の息子役を演じている。「麦秋」の笠のほうが実年齢に近いのだろうが、改めて笠の役作りに凄みを感じた。「東京物語」の笠のキャスティングは誰の発案だったのか。
 「麦秋」は「東京物語」にもまして子役の演技が煩わしい。子どもが出てくるたびに早送りする。小津と共同で脚本を書いた野田高悟にも子どもがいなかったのだろうか。
 最後に原節子と結婚することになる二本柳寛は、北鎌倉駅のホームでマルタン・デュ・ガールの「チボー家の人々」を読んでいたり、ぼくの好きな役者の1人である。原の選択にも共感できる。公開された昭和26年当時、この映画に共感して子持ちの四十男と結婚した女性もいたのではないだろうか。
  
 翌7月21日(日)、本当は帰京する予定だったのだが、粗大ごみの片づけで疲れてしまったので、1日延期することにした。
 朝いち番で、久しぶりに中軽井沢駅踏切脇の<佐久農協軽井沢販売所>に行ってみた。
 発地市場ができてからはご無沙汰していたが、発地は混雑しているうえに、最近では東京に比べて格安というわけでもなくなってしまった。農協販売所も、20年以上前の、まだ「知る人ぞ知る」だったころは品数も豊富でお買い得の値段だったけれど、久しぶりに訪ねてみると並べられた野菜も少なく寂しくなってしまっていた。
 駐車場に車をとめている時に、しなの鉄道の踏切警報機が鳴り始めたので、スマホを構えて待っていると、小諸方面から電車がやって来た。六文銭列車というのだろうか、えんじ色の4両編成の電車が通過していった(上の写真)。
 何か「縁起物」でも拝んだような気持になった。

 2024年7月24日 記
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