チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

2023年04月24日 05時03分51秒 | 日々のこと

曇、15度、70%

 帰国してこの6年間、私の手持ちのバックには3つの「鍵」が入っていました。家の「鍵」、車の「鍵」そして主人の実家の「鍵」です。義母の入退院、施設への入居と主人の実家は人が住んでいない状態でした。この年明け、3年ぶりに帰国していた主人が急に実家の土地を手放すと決めました。義母はまだ施設で生活しているのに、主人の中で踏ん切りをつける心が動いたのだと思っています。

 売却の話があっという間に進みました。こんなに早く話が進むとは私は思ってもいませんでした。地元にいる私は解体に向けての実家の荷物整理に追われました。家財道具の整理が終わったかと思う間もなく、解体が始まりました。壊されていく家を見るのは心が痛みます。

 家が建ち並ぶ中の解体です。初めは小さなブルトーザーが入って空き地を作りました。足場を作り、屋根や2階部分を取り壊しました。2日に一度は見に行きました。雨の日でも工事は進んでいました。 この数日で更地になるそうです。

 足場が建てられた時から道に面した木戸の「鍵」は不要になりました。翌日には玄関の「鍵」も不要になりました。義母が骨折した時、意識がなく倒れているらしいと警察から電話があった時、幾度この「鍵」を持ってこの家に駆けつけたでしょうか。警官が待ってた時は、「鍵」を開けても最初に家に入るのは警官でした。事件の可能性があるからだと後で知りました。心が細くなるような思い出です。

 義母が元気な時は、チャイムを鳴らせば「いらっしゃい。」と木戸を開けてくれました。思い起こせば、私が「鍵」を使うようになったのは義母の入退院からのことです。そしてこの4年近く、主人の実家に一番多く出入りをしたのは私です。

 使う必要がなくなった「鍵」を昨日バックから出しました。手のひらの上の「鍵」が重たく感じました。更地になった土地を見るのと同じくらいに不要になった「鍵」を見るのは辛いと感じます。義父母の写真の入った箱に大事にしまいます。


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