チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

エルバンのすみれ色のインク

2014年06月30日 | 身の回りのもの

雨、28度、92%

 万年筆のインクがきれました。古いスポイドタイプの万年筆です。万年筆のインクは黒、ここ数年はパーカーのものを使っていました。香港島セントラルのいつもの本屋にインクを買いに行きました。随分以前はモンブランのインクの横長のボトルが好きでよく買ったものですが、今ではボトルの形は似たり寄ったり、インクの色も黒なら、青と違ってメーカーによってさして変わりばえしません。インクの棚は、カートリッジも含めて三段、パット目に入ったのが見出し写真の小さな入れ物でした。

 見本なんて置いてません、しっかりと封がされています。振るとカラコロ音がするのでカートリッジと思います。花の絵からして、すみれ色かと思います。このすみれ色以外に2色ばかりありました。どうも、こんなものに弱い私です。横を見ると、同じエルバンと書かれたボトルのインクがあります。そうそう、今日は万年筆用のインクを買いに来たのです。忘れないうちに、 ひとつ。その横には、5つの小さなボトルのインクが入った容器があります。エルバンという名前からしても、書かれている説明からしてもフランスのもののようです。その5つのインク、 外から見ると同じ色に見えますが、5色でしかも香りが付いていると書かれています。容器の外から、クンクン。確かに微かにいい香りです。こういうものに、ひじょうに弱い私です。これもひとつ。

 家に帰って早速、まずは5色の香り付き、 こちらは付けペン専用のインクのようです。付けペンのインクを万年筆に入れると、万年筆が詰まることがあると聞きました。それで、久々に付けペンを取り出してきました。緑、青、茶に近い赤、薄緑、黄土色のような黄色の5色です。蓋をとる度に、いい香りがします。

 カートリッジはカリグラフィー用の万年筆に入れてみました。この小さな容器に小さめのカートリッジが6本はいっています。こちらは匂いはしません。書いてすぐは、薄いすみれ色ですが、しばらくして見るととても落ち着いたいい色に変わっています。白い紙に書いても、茶色がかった紙に書いても、しっくりと収まりの良い色です。

 万年筆はパーカーのインクが残らないようにきれいに洗って、補充しました。パーカーの色に比べるとぐっと漆黒に近い色合いが出ています。あー、インクもメーカーによってこんなに違うのかと改めて思い知ります。

 カラフルな色は好みではありませんが、このすみれ色のインクがこのひと月、私の毎日の筆記具です。落ち着いた色のせいか、嫌みがありません。流石に、手紙は黒のインクを使います。

 エルバンはフランスの古いインクメーカーだそうです。香港では、このエルバンのインクは外のメーカーのものとほぼ同じ値段で売られています。一番好きな筆記具は、鉛筆。二番目がインクを使った筆記具です。インクひとつで、ちょっとした楽しみが増えました。

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サマーピクルス

2014年06月29日 | 料理

曇、28度、85%

 たった3日家を空けました。旅行中は台所に立つことがありません。帰って来るや、翌朝一番に市場へと出かけます。香港の市場の空気は、どうも私の元気の素のひとつのようです。30年見慣れた市場なのに、ワクワク感が消えません。以前は、夏の野菜、冬の野菜と区別があったのに、世界中が集まったような香港の市場、季節感が全く無くなりました。

 何か夏らしいものと思います。さっぱりと食べれるものがいいですね。サマーピクルスを作ることにしました。甘みの少ない、サラダ代わりにもなるピクルスです。 シルバ−オニオン、キュウリ、プチトマト、小さなイエローベル、手前はディルの葉っぱです。黄いスカッシュを探しますが、いいものが見つかりません。そこで、イエローベルに。ピクルスを作る時は、日本の米酢は使いません。少し匂いがきつく思います。透明の蒸留されたお酢を使います。甘みをあまりきつくしたくないので、蜂蜜とやはり透明なグレープジュースとで漬け酢を作ります。香り付けは、ディルにローリエ、瓶の真ん中にある八角、少しのニンニクです。

 野菜は、トマトを除いて軽く蒸します。蒸すとシルバ−オニオンの皮がむき易くなります。瓶に詰めて、お酢を入れるだけ。いたって簡単にできるピクルスです。透明な輸入物の蒸留酢が手元に無い時は、日本の米酢を同量の白ワインで割って使います。八角やディルの香りが爽やかなピクルスです。冷蔵庫のドアを開けたとき、このピクルスの瓶は庫内をパッと明るく見せてくれるのも、楽しみのひとつです。

 野菜を選んでいるとき、新しょうがも目につきました。白いやさしい新しょうがです。 こちらはしっかりと甘めの米酢で漬けました。香港でも、このしょうがの甘酢付けをこの時期仕込みます。八百屋の店先でしょうがの薄切りを作っているのを見かけます。時期はやや違いますが、らっきょもやはり甘酢で漬けます。ただ中国のお酢は、日本のもののように深みがありません。ツンと鼻を刺す匂いです。大量に作るわけではありません。我家の分だけですから、自家製で。

 サマーピクルス、私が名付けました。冬のピクルスは、少し甘めに漬け込みます。

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家の改築 その後

2014年06月28日 | 日々のこと

晴れ、27度、85%

  私の実家の改築を決めたのは、昨年の年明けでした。取り壊して売却するつもりでいた私に主人は改築を薦めます。古い家ですので、寒さや使い勝手の悪さを考えると、改築は億劫になります。私のそんな気持ちを覆したのは、いい仕事をなさっている工務店との出会いでした。

 実際に工事にかかってもらってからは、すでに1年2ヶ月が経ちます。皆さんエッと思われるでしょうが、一時期、我家は屋根と柱のみになっていました。まあ、すぐに移り住む家ではありませんが、やっと形になって来て少し先が見えてきました。

 一番広い座敷の梁など、私は見たこともありませんでした。だって、天井板が張られていました。主人は、天井板を外し吹き抜けにしたいと言います。でも、冬の光熱費を心配する主婦の私は、反対でした。ところが天井板が外され、その梁の姿を見たら、なんとまあ素敵なことか、 一番高いところは4.5メーターあるそうです。 今、そう書いた途端、掃除はどうしよう?と頭をよぎりました。いくらの私でも、この高さよじ上れません。まあ、ゆっくり策を練りましょう。この座敷は、廻り縁になっています。縁側の外には小さな蟹がいる池がありました。お手洗いから出てすぐの池でしたから、蹲いが置かれています。手水を使うための石です。この蹲いも場所を移して使われることになっています。

 いよいよ、建具の段取りに入りました。ありがたいことに我家の古い建具を工務店の方は取って下さっています。基本は、この古い建具を使いたいと思っています。夏障子なんて、今はあまり見られないものもあります。 この板の引き戸、くり抜かれたところには磨りガラスが入っています。手洗い、風呂場に使われていた板戸です。こんな板戸、他所でも見たことがありません。

  天井との境の長押にもこうしてガラス戸が入っています。こうした作りも、見れば見るほど良く出来ています。主人が取り払いたかった床の間横の欄間は、残してもらいました。 手彫りの松に鶴の欄間です。実は玄関脇の松の木が、昨夏急に枯れました。切り株だけを残してもらうつもりですが、徒長する前のその松はうつくしい形をしていました。この欄間の松は、きっとあの松の木の写し絵だと思います。

 どこにはどんな建具を入れるそんなことを思いながら、家を外から見ると、サッシの部分はいささか見劣りがするものです。それでも外回りだからと割り切ってみます。

 今一番の懸念が、玄関の引き戸です。母が、モダンにと作り変えた真四角なガラス戸もいいのですが、まだ私が子供だった頃の引き戸は、千本格子といわれるものでした、その千本格子を誂えてもらおうか、なんといっても玄関は顔ですから、考えます。

 庭周りも造作が終わり、預けてある家具がこの家に納まるのは、秋口になるかもしれません。

 家を扱いはじめて、母が逝きました。その母を追うように松の木が枯れました。でも、新しくこの家にもう一度命を吹き込んでやるつもりです。

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義母と携帯電話

2014年06月27日 | 日々のこと

晴れ、28度、89%

 義母は、この十月で87歳になります。いつも髪をフンワリした栗色の染めて、指には少なくとも3つの指輪、ネックレスだって欠かしません。風邪をこじらせて喉を痛めてからは、日替わりで小さなチーフを首に巻いています。ちょっと外に出る時も、ヒールの靴を履きます。こう書くと、まるで私と正反対、この義母が、こんな私をこの37年大事にしてくれました。口喧嘩すら一度もありません。叱られたことは一度だけ。自分で言うのもなんですが、仲がいい嫁姑だと思います。

 先月帰国したとき、ふと目に留った義母の携帯電話、随分古い機種です。持っているのは知っていましたが、実際使っているところなど見たこともありません。こういう機械ものは、苦手な義母です。それに、この携帯、キーも小さく、よく見ると蓋のところが落としでもしたのでしょうか、あまくなっています。今回の帰国で買い替えることにしました。

 あまり使わないといっても、出先で何が起こるか分からない歳になりました。しかも、義母は2階で義父とは別に休んでいます。夜中何か不安な時は、枕元に携帯があると便利です。キーも文字も大きなシニア用の機種を選びました。明るいに越したことはありません。色もシルバ−ピンクです。

 買い替えれば終わりではありません。可哀想なことに、私の携帯使い方教室の詰め込みレッスンです。香港に戻るまでの数時間、充電の仕方に始まって、普通のダイヤル、電話帳の電話、緊急電話のかけ方、朝早くからのレッスンですから、かける相手は私です。「このボタンでいいかね?」私は、答えません。意地悪な先生です。電話をかけ易くするために買い替えた携帯です。使えなくては意味がありません。2時間ぐらいすると、考えながらでも、電話がかけれるようになりました。しめしめ。そこで、急に「私の息子に電話をして。」と私。見てると、真剣にキーに向かっています。数分後、久しぶりに義母は孫の声を聞きました。

 さあ、私が飛行場に向かうまで残り時間、一時間少々。次のレッスンは、写真を撮る、母の初めてのトライです。前の携帯も、写真機能が付いていましたが、一度も使わなかったそうです。これは電話よりやや難解、もう止めたそうな義母ですが、携帯に興味を持って欲しく、これから先、何かと義母の時間潰しのお供になってくれるといいと私は思います。

 花を活けることも、花を育てることも大好きな義母です。花を撮ることからはじめました。まずはテーブルの上の花、次は庭の花。画面を見る義母の顔が微笑んでいます。しめしめ。

 庭のブーゲンビリアの花を画面に設定しました。そして、次回私が帰国するまでに、宿題をひとつ。毎日一枚写真を撮ることです。義母は律儀です。必ず、この約束を果たしてくれると思います。

 日本から戻って、一晩明けた昨日の朝、義母に電話をしました。義父を施設に訪ねると言います。「それなら、船の上から写真を撮ってみて。お父さんの写真もね。」まあ注文の多い先生です。

 母は写真を撮りながら、私に、「プリントは?」と尋ねました。やっぱりプリントされた写真を望んでいます。まだ、内緒ですが、次回の帰国の時は小さな写真用のプリンターを買ってあげようと思っています。これでまた、義母の時間潰しのお供がひとつ増えます。しめしめ。

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主人の育った町

2014年06月26日 | 日々のこと

小雨、28度、83%

 主人が育った町は福岡の西、姪の浜というところです。玄海灘に面して、小さなな漁港があり、いつも海風が感じられる町です。この家に嫁いで来て37年、今では大きく息を吸い込んでも磯の香りがしなくなりました。地下鉄が出来て、以前は田んぼだった駅の南はマンションが建ち、人の流れもすっかり変わってしまいました。

 義父を玄界灘に浮かぶ能古島の施設に訪ねての帰り道、船着き場から歩いて主人の家まで帰ることにしました。いつも家族の誰かと歩くこの町、はっきりと道を知っているわけではありません。大方の目安を付けて、歩きはじめました。漁船のたまり場には漁業組合のしゃれた建物が建っていす。昔は朝のこんな時間には、網の繕いをする人の姿が見られたものです。それに、戸や窓を開け放った家家からは、人の話す声、赤ん坊の泣き声、食事の匂いが流れていた細い道も静まりかえっています。

 海から歩くこと20分ほど、きちんと区画整理されたこぎれいな家の向こうに古い町並みがみえてきました。あまりの人の少なさに、実は内心不安になりはじめていました。家に通じる道も人の通りが無く、初夏の明るい日差しの中真っ直ぐに伸びています。この町を歩く時は、義母か主人といつも一緒です。顔の広い義母と歩けば、会う人会う人ごとの挨拶をします。私はその後ろで嫁として頭を下げます。主人は主人で、あの家はどこそこの誰々、あの店はという具合に、懐かしさも手伝って話してくれます。今日は初めて一人です。街がいつもとは違って見えてきました。

 この道は旧唐津街道。北九州から佐賀の唐津に通じる道です。 道の脇には、昔の商家の家がポツポツと残っています。海風を防ぐためかやや低めの屋根作り、 白い漆喰の壁、細かい格子の窓が印象的です。 お地蔵さんを祀る小さな家、残念なことにお地蔵さんの前には小さな柵がされています。お地蔵さんを盗む人がいるのかもしれません。

 その昔、この道は黒田藩と鍋島藩を結ぶ道として人も物も行き来の多い道だったはずです。人は離れても、家はこうして残っています。街にも家にも道にもそれぞれの歴史があります。

 恥ずかしいことに、こんな思いでこの街を見たのは初めてです。一人で歩くとは、こういうことなのだと思います。自分の目で街を見る、自分の目で物を見る、37年にして初めて出会った主人が育った街です。

 見出し写真は海辺にほど近くにある社です。船の安全を祈る人の思いが伝わってきます。

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義父を能古の島に訪ねる

2014年06月25日 | 日々のこと

曇、21度   福岡

 義父は90歳を越しました。義母は87歳になります。もともと足腰が弱かった義父は、ここ数年、リビングのいつもの場所にずっと座ったまま、外に出ることもほとんど無く生活をしていました。耳も遠くなってきました。同じことを繰り返し言うようにもなってきました。義母はそんな義父の世話を一日しています。ところが元気な義母もひどい風邪を引く、足を痛めると続きました。遠くに住む私たちは、義母の元気ばかりを頼りにしてきました。義母も歳を考えると随分疲れているはずです。そこで、ここ数ヶ月、月に10日ほど義父を施設に預かってもらうことにしました。ショートステイです。

 主人の実家に行くと、義父がいつも座っているところには読まれない新聞が開かれもせず積まれています。義母一人、広い家でラッキウを漬けています。時間を無駄にしない義母です。「ゆっくりしてればいいのに。」といっても、義父がいずともセッセと体を動かしています。それでも、「朝は遅くまで寝ているのよ。」と笑う義母です。

 父を預かっていただいている施設は、玄界灘に浮かぶ小さな島、能古の島にあります。対岸の姪の浜からフェリーでたった10分の船旅です。 作家檀一雄が「火宅の人」を書いたといわれる島です。秋になるとコスモスが島を埋め尽くします。海開きのあとは、たくさんの海水浴客がやって来ます。朝早く姪の浜の埠頭で待っていると、島に住む学生さんやお勤めの人がたくさん下りてきました。こちらから島に向かうのは、ほんの数人です。

 船のデッキに座って、海風に吹かれます。家で今頃、掃除でをしてるだろう義母、私が来ることを知らない義父、30年前はこの義父義母、私たち家族でこの船に乗ったものです。時間が経つのがはやいと思います。

 義父は、海の見渡せる2階のリビングルームで、皆さんと朝ご飯を食べた後でした。私の顔を見ると、びっくりがゆっくり笑顔に変わりました。「よく来たねえ。」いつもの義父の言葉です。

 私の孫、義父にとってはひ孫の写真を見ながら、私が持って行った大好きなケーキを食べています。ひ孫の顔が、義父の息子、つまり私の主人に似ていると目を細めています。義父は主人のことを思い続けているのです。仕事で忙しい主人です。なかなか、会いに来れません。私が代わりでは、義父にとっては意味が無いのです。会う度に少しずつ小さくなるように思います。白いひんやりした手をゆっくり握って、「また来るよ。」と帰ってきました。実家でいつもしてくれるように、小さく手を振ってくれます。

 ショートステイですから、あと一週間もすれば家に戻ります。けど、いつかはこの施設にずっとお世話になる日が近付いています。明日は義母が義父を訪ねるはずです。義父が喜ぶ顔が目に浮かびます。

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びわの木

2014年06月24日 | 日々のこと

曇、21度 福岡

 ひと月ぶりに、実家の改築現場に戻りました。家の工事は、来月まで続きます。ここまで1年と2か月かかりました。来月半ばからは、家周り、母が永年手を入れていなかったうっそうと茂った庭木の剪定、伐採、手水の石を動かして池を作り変えます。8月中には、預けてある家具を戻すことが出来るはずです。やっと先が見えてきました。

 主人の意見で二階の裏庭に面したところをベランダに作り変えました。ベランダに出ると、目の前は高く伸び切っている木が、目の前に迫ってきます。ベランダの右隅には蔦が絡まってしまったびわの木が、陽が注さないにもかかわらず小ぶりの実を付けています。私が小さい頃は、木の高さも低く、充分な日差しで大きな実を付けていたびわの木です。鳥が実をついばんだ後が見られます。

 外回りの設計図を見ると、裏庭部分は徒長した木は取り除かれ、私が、花や野菜でも育てることが出来るスペースが予定されています。その設計よく見ると、びわの木は取り除かれる木のひとつに入っています。びわが花をつけるのは、まだ寒い最中、1月から2月です。しかもその花は、白いといっても地味な地味な小さな花です。葉は硬く深い緑です。この木が優しい表情を見せてくれるのは、黄色い実をつけた時だけ、緑の実が段々黄色く色付くのを、この木の下の部屋から眺めていました。びわの木は木姿が好い木ではありません。庭の設計の方が、伐採しようというのも頷けます。

 私が高校の頃、我家にいた「オノコ」という名前の犬は、このびわの実が大好きでした。犬なのに塀に飛び乗り、木からびわの実を取り食べました。しかも、あの大きな種は全部吐き出すという小技付きでした。「オノコ」が塀に乗ってびわの実を取っていると教えてくれたのは、隣の家の人でした。塀の上を猫のように犬が歩いているのですから、見た人はびっくりだったのだと思います。

 庭周りの工事は来月から始まります。庭をお願いする方に、びわの撤去をしばらく考えさせて、とお願いしました。びわのことが頭から離れません。実は、この裏庭、我家の歴代の犬たちがあちらこちらに眠っています。どの木の下にはどの犬がと覚えていた母はもういません。さあ、何匹眠っているでしょうか?10匹以上です。最後に母がこの庭に葬った犬は、私たち家族が東京から連れて来た「てつ」という犬です。庭を扱って下さる方にはすでに犬たちのことはお話ししてあります。もう土に戻ってしまったことを祈ります。「てつ」ですら十年以上前に逝きましたから。びわの下には、もちろん「オノコ」が眠っています。

 びわのことが気になる私は、仕事で忙しい香港にいる主人に電話しました。残したいと伝えると、出来るだけ木は残しなさい、と言ってくれました。今日は一番に、びわを残して下さいと、庭をお願いしている方にメールします。来年の今頃は、鳥たちと私がびわの実の争奪戦をするはずです。

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セミの抜け殻

2014年06月23日 | 日々のこと

曇、21度   福岡

 香港の日の出は、5時半ごろですが、まだ真っ暗な4時すぎからセミたちは鳴きはじめます。もちろん、雨の日は鳴きません。不思議なことに雨が降り始める前になると鳴き止みます。鳥より早くに鳴き止みます。今の時期のようにいつ雨が降り出すか分からない時は、このセミの声に耳を澄まして走ります。セミの声がピタッと止むと、雨が来るので家に向かいます。三月の終わりごろから九月の終わりまで、たくさんのセミが鳴いてくれます。

 セミが好きです。長い年月地中にいて、地上にでて来るとたった一週間の短い命です。その一週間を鳴き続け、次の世代を残して息絶えます。生き様が潔いと思います。

 先日は、セントラルの町中で、真っ昼間に蝉の声が聞こえます。ビルの壁にしがみついて鳴いているに違いありません。上を見上げても蝉の姿を見つけることなんて出来ません。それなのに、蝉の声のする方に目を向けてしまいます。

 これだけセミが鳴いているのに、セミの抜け殻を見ることは滅多にありません。そのわけが分かったのはここ4年ほどのことです。このセミの抜け殻、漢方薬として使われています。「蝉退」と書いて、はと麦や麦穂の乾かしたものなどと一緒に煎じて飲むのだそうです。解熱、特に子供のために処方されると聞きました。セミの抜け殻、そのままを使うそうです。きっと、セミの抜け殻を専門に集めて売っている人がいるのでしょう。抜け殻にお会いできないはずです。

 モモさんの散歩の時に見つけたセミの抜け殻です。 次の日も、同じ道の別のところで見つけました。探しているわけではないのに目に付きます。背中の割れ目を見ていると、健気な奴だなと思います。

 私の実家は、昔からたくさんのセミがいました。夏の間は、そこかしこにセミの抜け殻だらけです。 母を施設に預けたのは4年前、次の夏、人の住まなくなった実家に戻ると、玄関の柱に見つけたセミの抜け殻です。実家の改築も進んでいます。家の次は、庭周りを作り替えてもらいます。すでに、見上げるほどの大きな金木犀が移転されたと聞きました。今から、実家に向かいます。今年もまた、セミの抜け殻が私を待っててくれるはずです。

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ニューファミリー

2014年06月22日 | 日々のこと

大雨、25度、95%  雷注意報、赤雲

 「ニューファミリー」という言葉、いつごろはやった言葉でしょうか?1970年代後半、確か、雑誌「クロワッサン」などが謳いはじめた言葉です。戦後のベビーブーマーたちの少し後に産まれた世代が、家庭を持ちはじめた頃でしょうか、ちょうどその頃私も家庭を持ちました。その「ニューファミリー」なる言葉が、どんな意味を持つかはよく考えませんでしたが、日本の持つ家族、家庭のやや重苦しいイメージを払拭する明るい言葉に聞こえました。両親たちとは離れて家を持ち、マイホーム主義で子供を中心として団らんを取る、マイカーもある、そんな暮らしをイメージします。もちろん、現実そんな生活を送っていた人はごく一部、でも確かに世の中の流れがそういう傾向に傾いていた時代です。親子でお揃いのものを着たり、たまには輸入物のお菓子でお茶をしたり、生活自体も高度成長期の頂点に上り詰めている頃ですから、豊かな家庭作りを目指していました。

 実際の生活といったら、女性は家にいて子供を育てる、外で働く人の数はさして多くなかったはずです。家計を支えるのは主人である男性の役目。役割分担はやはり旧態然としていたように思います。我が家など、キチキチの生活をしていたにもかかわらず、私は仕事に出ることも無く、家で子供との時間を過ごすことが出来ました。もちろん、主人は家での仕事、掃除や洗濯、要するに家事、育児に付いては何一つしませんでした。そして、それが当たり前だと思っていました。

 先日新聞で現代の育児は、夫の手助けが無いと出来ない、と書かれていました。こんなに、電化が進み、家事も楽になった時代です。食べ物だって手間いらずで用意できますし、おしめの洗濯なんて、そんな気の重い仕事もありません。奥さんが外で仕事を持つ人なら、夫の助けが必要なのは理解できます。専業主婦といわれている人ですら、夫の手助けを必要としているのだそうです。

 我が家は、今年に入って孫が誕生しました。息子夫婦の家庭を見ていると、奥さんは出産間際まで仕事をしていましたし、実にうまく役割分担をしているように見えます。子供が産まれても、夫である息子が、赤ん坊を抱いている時間が、昔の主人に比べると長く感じます。奥さんが台所に立つ、ご飯をゆっくり食べさせたい、自然に赤ん坊のバトンタッチが出来ています。思わず、私、「ワー、羨ましい。」と思いました。

 お近くに住む若いご夫婦もいつ見ても、ご主人が赤ちゃんを抱いてあやしています。おむつを取り替えるのも、何でもやってくれるそうです。見ていて微笑ましくなります。

 時代は変わっています。「ニューファミリー」といわれた私たち年代ですが、私からすると、今の家族は「超ニューファミリー」。子供を連れての外食だって、遠出だって、自分たちのしたいことをちゃんと優先しています。変な我慢が見えません。いいことですね。

 私自身を振り返れば、昔ながらの家庭生活を引きずった主人は主人、主婦は主婦でよかったように思います。家庭のあり方は変化して行きますが、家族の繋がりとはまた別のものです。今の子育て真っ最中の若い家族を心から応援します。

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青いシジュウカラのティーポット

2014年06月21日 | 身の回りのもの

曇、29度、84%  雷注意報

 最近はイギリスでも、紅茶はティーバックで入れることが多くなったそうです。紅茶のベンダーマシンまであるいうのにはがっかりです。ティーレディーといって、紅茶を美味しく入れる人がそれぞれの会社にいたと聞いたこともあります。アガサクリスティーのミスメープルシリーズに出て来る紅茶の場面は、私の紅茶を入れる原点です。つまり、このティーバックの時代でも、ルーズリーフでポットを使って紅茶を入れます。それにしても、香港の紅茶売り場の棚の5分の4はティーバックです。イギリスのM&Sやウェイトローズの紅茶だって、ほとんどティーバック。ルーズリーフを探すのに一苦労します。

 ポットでお茶を入れるのは、待つ時間が楽しみのひとつです。ポットの中で、膨らんで開いて行く紅茶を想像しながら待ちます。ティーセットは3種類持っています。でも、そのどれものティーポットは、6人分入れることが出来る大きなポットです。そんなことを言い訳に小ぶりなポットを幾つか持っています。そのひとつが、青いシジュウカラの形をしたポットです。 イギリスのスタンフォードシャーのセラミック製です。1985年から1995年までの十年間製造されていたものです。中国返還前の香港は、こうしたイギリスのものが、沢山ありました。イギリス人のおばさんがお店のオーナーで、自分の好きなイギリスの焼き物ばかりを置いている店もありました。そんなお店で買ったシジュウカラのポットです。

 イギリスのスタンフォードの一帯にこのシジュウカラは多く生息しているそうです。スタンフォード、シジュウカラで検索すると、その生態の動画がたくさん出てきます。大きさをはっきりとはつかめないのですが、この青い羽の色がイギリスの緑にとけ込むような鳥です。スタンフォードシャーはセラミックを中心に窯業も盛んですから、このポット以外にもシジュウカラを象った焼き物がたくさん見られます。

 外出先ではどんなに紅茶が美味しいという店でも、紅茶は飲みません。満足したためしがないのです。薄かったり、香りが無かったり。家に帰れば好きなカップに、好きなポットがあります。お外で紅茶を飲むことを考えれば、少々高い紅茶の葉っぱを買ったとしても、安いもの、とこれまた言い訳です。

 全部で6つあるティーポット、それぞれ形も大きさも違います。同じように入れる紅茶ですが、ポットのよってこれまた味が変わって来るから不思議です。このシジュウカラの丸いポットで入れる紅茶は、柔らかく感じます。

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