チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

クリスマスのアドベントカレンダー

2023年11月30日 | クリスマス

小雨、12度、78%

 「アドベントカレンダー」、日本でも一般的になって来ました。スーパーマーケットでも売っています。クリスマスを待ちわびて1日1日を日めくるカレンダーです。私が小さい頃もらった「アドベントカレンダー」は絵に描かれたツリーの数字をめくるだけのものでした。そのうちキャンデーやチョコがつくようになりました。

 私は毎年、友人から「アドベントカレンダー」をもらいます。届くと「ああ、師走だなぁ。」と気忙しさを感じます。今年は紅茶の「アドベントカレンダー」です。「初めて!」と喜びました。1日一杯の紅茶でクリスマスを待ちます。大好きなセイロンティーのバラエティーがずらりと並んでいます。孫娘には毎年「アドベントカレンダー」を送っています。先日、義母の葬儀で我が家の来ていた孫娘と二人で買い物に出かけました。目ざとく「アドベントカレンダー」を見つけました。チョコ入りの「アドベントカレンダー」を帰りの荷物に入れました。

 昨日のアメリカの雑誌の電子版の特集は「アドベントカレンダー」でした。西洋圏のクリスマスは華やかです。宗教的な意味合いもあり歴史が長いクリスマス、「アドベントカレンダー」の種類の多さに驚きました。 壁に掛けるだけではありません。 お茶に添えられているのはウィスキーボンボンです。 ボンヌママの「アドベントカレンダー」は日替わりのジャムがついているそうです。 紅茶があるならコーヒーの「アドベントカレンダー」。驚きは、 ワインの「アドベントカレンダー」です。日替わりでお試しサイズ、洒落てるなぁ。 暖炉の上にでも置くぐらいの大きさのミニチュアハウスのような高級チョコ、工夫されています。紹介されているのは贅沢な品の一部だと思います。進化系「アドベントカレンダー」です。

 私の紅茶の「アドベントカレンダー」は24日分です。明日から一杯一杯とクリスマスを待ちます。毎年「アドベントカレンダー」を飾りながら私が歌う歌は「もういくつ寝るとお正月」です。大きな行事を迎える楽しさは洋の東西変わりないですね。

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ひいらぎの花

2023年11月29日 | 

曇、10度、68%

 赤い実をつけた「ひいらぎ」は西洋では聖なる木としてクリスマスに飾られます。かと思うと、日本では節分にイワシの目を刺して玄関に飾り魔除けにします。あのトゲトゲのある緑深い葉が悪を避けてくれると思うからでしょうか。

 「ひいらぎ」に2種類あることを知ったのは日本に帰国してからのことです。赤い実のつくのは「西洋ひいらぎ」、実がつかないのは「ひいらぎ」です。葉っぱを見ただけではまだ私は区別がつきません。実がなれば違いがわかります。そして、この季節白い花を咲かせるのは「ひいらぎ」です。小さな花です。 高い木ならば人目にも付きません。何かの花に似ていると思いませんか?「銀木犀」です。そしてこの「ひいらぎ」の白い花も「銀木犀」同様に香ります。「金木犀」のように強い香りではありません。ふっと鼻先をかすめたらそれでおしまい、の香りです。「ひいらぎ」と「木犀」は同じ「モクセイ科」の植物です。

 「ひいらぎ」が2種類あることを知ったのもこの香りのおかげです。朝走っていると、ふっと甘い香りがしました。見回しても花らしきものはありません。次の朝もそうでした。そこで昼間、香りのするあたりまで歩いて行きました。高い木が一本、見上げるほどです。葉っぱの形から「ひいらぎ」だと知りました。長くても一週間香ればお終いです。そこも「銀木犀」と同じです。長く住んだ香港には「金木犀」はなく「銀木犀」が香りました。亜熱帯気候ですから一年に2度咲きました。

 「ひいらぎ」の白い花の香りはそろそろ終わりです。香港の「銀木犀」の時も思いました。「この花が香るって知ってる人が幾人いるのかな?」それほど微かな甘い香りです。トゲトゲの「ひいらぎ」の葉っぱを見たら、白い花を探してみてください。香りのおまけが付いてきますよ。

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「紀ノ国屋」が福岡にオープンしました。

2023年11月28日 | 私見

晴、15度、69%

 福岡の繁華街のデパートに「紀ノ国屋」が出来ました。オープンしたのは10日ほど前のことです。デパートからの知らせに、どんなスペース作りになるのかと、想像していました。

 40年以上前の東京での主婦としての生活、青山の「紀ノ国屋」は良い食材の宝庫でした。周りには各国の大使館がありますから、世界中のスパイス、ハーブが揃い、当時では先駆けのインストアーベイカリーでは各国のパンが焼かれていました。アップルパイが箱入りでアメリカンチックだったことは今も変わりません。「チコリ」や親指ほどのアボガドを初めて買ったのも「紀ノ国屋」でした。お金がないので見るだけのこともありました。そして世の中が急に贅沢な時代に突入して西武や伊勢丹のデパ地下が良い食品を揃えるようになりました。デリを備えたり、インストアーベイカリーがガラス張りになったり、チーズも世界中からの物が並んでいました。それでも「紀ノ国屋」の品揃えには及ばなかったように思います。

 30年日本を離れていました。その間にこうした高級スーパーはあちこちに出来て、「紀ノ国屋」も支店がたくさん出来ました。その上、「紀ノ国屋」ロゴのショッピングバックの到来です。帰国の度にあのバックを持ち歩いている人が増殖しているのに驚きました。

 昨日はフランスパン用の全粒粉とフランスの塩を「富澤商店」に買いに行きました。「紀ノ国屋」のおかげで「富澤商店」の販売スペースは半減したそうです。ついでに、「紀ノ国屋」を覗きました。何か目新しい物、珍しいものがあればと店を回りました。 チーズだって個装の小さなポーションでしか売られていません。パンは毎日運ばれてくるそうですが種類も少ない。「こんなものなのね。」と何も買いませんでした。一番がっかりしたのは、店の奥に例の「紀ノ国屋」ロゴの入ったグッズのコーナーがあったことでした。バック以外にたくさんお商品が並んでいました。興醒めしました。

 昔の「紀ノ国屋」の輝きはものが少なかった時代だからだけではありませんでした。「紀ノ国屋」のトイレを覚えていらっしゃる方も多いと思います。女性トイレは「パウダールーム」と「トイレ」とに分かれていて十分な広さで赤い絨毯が敷き詰められていました。ホテル並みのトイレでした。

 今やポチんとスマホで世界中のものが手に入ります。私も大層お世話になています。出向いて買い物に行くのは生鮮食品ぐらいです。あれだけ好きだった本屋さんですら行きません。高級ではなくみんなの「紀ノ国屋」に変わろうとしているのでしょうね。私には眩かった青山の「紀ノ国屋」の記憶が鮮明です。

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義母と孫娘

2023年11月27日 | 家族

晴、8度、79%

 義母が亡くなった朝、孫娘はその知らせと学校を休み福岡に来るためにいつもより早く起こされたそうです。知らせを聞いて泣いたと聞きました。「曽」の字のつく4人のうち孫が接したのは義父と義母だけです。義父に会ったのはまだ赤ちゃんの時、記憶にはないと思います。福岡に来るたびに義母と一緒に食事をしました。足元がおぼつかなくなった義母の手を引いて家まで帰ったこともありました。孫娘なりに義母への想いがあるはずです。

 通夜では納棺される前の義母を家族が取り囲み、一人ずつ挨拶をしました。白い床に寝ている義母に嗚咽しながら取り縋る主人、孫娘はそっと頬や額を撫でました。床に寝ている義母の横に添い寝までしました。9歳で人の死は初めての経験です。葬儀での焼香も前の人の見様見真似でやりました。お骨を拾う時も周りの大人を見ながら大きな箸を使って拾いました。その様子にこの子の記憶に義母の死がどんな思い出になるのかと、感慨深く見守りました。

 葬儀では黒いワンピースを着ましたが、外は結構な寒さでした。上に羽織るものが黒でなかったので、急ぎ私のマントを着せました。 少し丈が長いけど十分私の服が着られるほどに成長しています。日曜日に東京に戻る予定です。葬儀の後の二日間、庭の「蜜柑」を切ったり、 「レモン」を切っり、 ココと遊んだり。レモンの木を見上げていた孫娘が手を伸ばして「レモン」を摘みました。

 老いたものが逝き家族が少なくなりましたが、いずれはこの孫に子供が出来ます。命のバトンは代々繋がります。ここ数日、ふと気が滅入ることがありますが、その時孫娘の存在を思うと続いていくもののありがたさを感じずにはいられません。

 義母と孫娘、私にはワンクッション置いた血の繋がりです。小さい頃義母の手を引いたことを覚えています。二人が手を繋いだ様子は私は記憶に鮮明です。手と手の繋がり、血の繋がり。私は義母からもらったものをこの孫娘に残すのが役目です。

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ブランデーケーキ とっておきのおやつ

2023年11月26日 | おやつ

晴、6度、74%

 一昨日、義母が入院した病院のお支払いとお礼に行きました。病院を出て駐車場の車に戻った時のことです。体がシートに沈み込むような、重心に引かれるような重い感覚を覚えました。「疲れた。」と自然に言葉が出ました。あっ、疲れてるんだと初めて気付きました。

 家に帰って、もそもそとベットに潜り込みました。30分後目が覚めました。ぐっすり眠ったようです。30分で目が覚める時は病気ではありません。ヨシヨシと起きました。ちょうどおやつの時間です。長いこと寝かせておいた「ブランデーケーキ」を出してくることにしました。「ブランデーケーキ」は賞味期限が長いものですが、その賞味期限を数ヶ月置くとまた美味しさが倍増します。あの高温多湿の香港ですら自分で焼いた「ブランデーケーキ」を一年置いて食べていました。常温保存です。

 東京奥沢のロアールの「ブランデーケーキ」も毎年友人からいただくものの一つです。ケーキの生地が細かくてしっかりブランデーが沁みて重いケーキです。 クラシックな包みを開ける時、待ちに待ちましたよ、と心で思います。薄い銀紙に包まれた「ブランデーケーキ」賞味期限を過ぎてもアルコールのおかげで、 元気です。ブランデーの香りが深い落ち着きに変わります。

 とっておきのおやつです。一切れ大事に切りました。たっぷりのお紅茶と一緒にいただきます。

 このロアールは息子一家も好きなお店で、孫娘のお誕生日には特別なエクレアを作ってくださるそうです。お店のご夫婦に可愛がっていただいている孫娘です。私はまだ訪れたことがありません。変わらぬ味を作り続けるお店は好きです。

 慌ただしい十日が過ぎました。「疲れた」などと口にすることが普段ない私も疲れが出てきました。まだしなくてはならないことが山積みですが、今日の日曜日ものんびりと過ごすつもりです。

 「ブランデーケーキ」の一切れが元気をくれました。実はもう残っていません。一本を二日で食べてしまいました。とっておきのおやつです。

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お墓の鍵

2023年11月25日 | 日々のこと

晴、9度、65% 

 主人の実家のお墓には納骨のドアに南京錠がついています。簡単に開け閉めできない石のドアですが、生前義母は「よく考えただろう。」と自慢げに南京錠を指差していました。小さな南京錠です。義母の四十九日は年明けです。まだ先ですがふと不安が頭をよぎりました。家の解体に伴う整理をしている時、「お墓の鍵」と書かれた紙袋を主人の実家の金庫に見つけました。 もちろん大事とってありました。

 何が不安かと言うとその金庫を開ける鍵も「金庫の鍵」と書かれてあったのですが、金庫に合いません。古い大型の家庭金庫でした。結局、鍵屋さんを呼んで開けてもらいました。開けてもらったと言うより壊してもらいました。「お墓の鍵」、合うかしら?と不安に思ったのです。

 お彼岸以来、「イノシシ注意」の看板が出た霊園に向かいました。もみじの紅葉が今が盛りです。鍵一つ手にしてお墓に向かいました。サイズ的にはピッタリですが、鍵穴に入りません。「ああ、やっぱり。」

 義父の納骨にわたしは立ち会っていません。主人に聞いてもわかるはずはなし。小さな南京錠ですから、力ある人なら壊せます。年内に新しい鍵をつけることになるでしょう。

 「金庫の鍵」、「お墓の鍵」、そう書いてあってもそれとは違うものでした。「ふふふ、お母さんらしいわ。」

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秋の柿の葉寿司

2023年11月24日 | 頂き物

曇、15度、85%

 義母が逝った日のことです。葬儀の手配のために家にいました。すると宅急便が届きました。開けると毎年いただく「柿の葉寿司」です。送り主の友人はもちろん義母が亡くなったことは知りません。家族の者たちが集まることも知りません。私が好きな「秋の柿の葉寿司」です。大箱を送ってくださいました。届いた日はお通夜でした。明けの日の午前中には火葬が決まっていました。

 火葬を済ませてひと段落、義母を連れて帰宅しました。この日のお夕飯、たくさんの「柿の葉寿司」が彩りを添えました。「緑の柿の葉寿司」は知っている主人や息子ですが、秋の紅葉した柿の葉を使ったものは初めて見たと言います。みんなの前で自慢げに私が蓋を取りました。 孫までもが歓声を上げました。絶妙な色合いです。鮨飯に「鮭」と「鯖」が巻かれています。「鮭」だとか「鯖」だとか当てっこしながら口に入ります。「私は毎年いただくからみんなで食べてね。」と言ってテーブルを外した間にお皿は空っぽになっていました。

 気心の置けない友人にお礼と共にその話をしたら、二日前、小ぶりな箱の「柿の葉寿司」が届きました。わたし用です。ちょうど役所の手続きに出る前でした。 10個の「柿の葉寿司」をしっかりとお腹に入れて出かけました。

 「秋の柿の葉寿司」は沈みがちな家族の心にパッと灯りを添えてくれました。いつもありがとう。

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延命措置

2023年11月23日 | 義母とのこと

晴、15度、88%

 義母は亡くなる前の午後、緊急で入院しました。午前中、肺炎が疑われていると電話を受けました。点滴、酸素吸入の必要性からの入院です。病院に運ばれて来た義母はすでにストレッチャーの上で酸素マスクをしていました。私の言葉に微かに頷きますが、息遣いが荒く感じました。目は閉じたまま、緊急室に入って行きました。その後、医師から「延命措置」の説明を受けます。香港にいる主人に相談せず、私の独断で「延命措置」は受けないと決めました。帰宅後、主人にすぐに帰国して欲しい旨伝えました。医師の話、母の様子からまだ数日は大丈夫だと思っていました。

 翌早朝、4時を回ったとき電話が鳴りました。息を止めて電話を受けました。義母が危ないので「延命処置」はどうしましょう?と看護婦からでした。主人はお昼過ぎには福岡に着くことになっていました。この時も「延命措置」を断りました。真っ暗な中、車を病院に飛ばしました。

 私の到着を待っていたかのように義母は息を引き取りました。私は義母と約束をしていました。「何かの時は必ず私がそばにいるからね、心配しないでいいよ。」酸素マスクを外された義母は安らかな顔をしていました。いつものように義母の額と頭を撫でながら、主人に会わせる事が出来なかったことが一番悔やまれました。一旦家に戻り、息を整えて主人に電話を入れました。

 入院時にはどんな時も「延命措置」について問われます。本人の意思が一番ですが、高齢となると周りの者が意思決定をします。義母の体を傷がつくような形で命を持たせることは私には許せませんでした。穏やかに痛みを伴わずに逝かせてやりたかったのです。帰国した主人に「延命処置を断ったのは私です。」と謝りました。「それで良かったよ。」と言ってくれたのですが、今でも会わせてやれなかった事を悔やみます。

 半日足らずの入院でした。義母は何を思いその時間を過ごしたのでしょう?楽しい夢でも見てくれたのならいいのにと、病室で点滴のチューブ、酸素マスクをつけた義母を思い浮かべます。緊急処置室なので付き添いが出来ませんでした。「お母さん、まだ逝かないでよ。」と車の中で声を上げて病院へ向かった朝を思い出します。

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義母が逝きました。

2023年11月22日 | 義母とのこと

晴、12度、87%

 義母が逝きました。十一月十五日午前4時35分、息を引き取りました。満96歳、6人兄弟の中でも一番長く生きました。穏やかな最期でした。最後を看取ったのは私一人です。

 義母との46年の長い付き合いを思い出します。私が帰国してからのこの7年、病院の入院は私が手続きを取りました。骨折が続き、数えると6回入院がありました。この7年、徐々に老いが深まるのを義母は身をもって教えてくれました。同居したことはありません。しかしこの7年間は濃密な関係を持てたと思っています。ありがとうお母さん。

 昨日、初七日を済ませて、主人は香港に戻りました。悲しみを抱えて仕事に戻ります。亡くなった日から家族が家で寝泊まり、一人一人、日常に戻って行きました。義母のことはゆっくりと書いて行きたいと思います。

 ブログを一週間近くお休みいたしました。長く私をご存知の方はブログの更新がないので私の健康をご心配くださってメールをいただきました。ご心配ありがとうございました。確かに13年近くブログを書いて来て母が逝った時ですら、二日しかお休みしませんでした。気持ちは沈んでいますが、私は元気です。

 諸手続きを今日から始めます。一人でいると自分の心の動きが具に掴めます。義母とのことをゆっくりと更新させていただきます。義母の生前お世話になった方、ありごとうございました。私のことを心配してくださった友人に感謝いたします。

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手袋

2023年11月14日 | 身の回りのもの

晴、7度、71%

 昨日は全国的に気温がぐっと下がったと聞きます。福岡では風もあり寒い一日でした。今朝もまた昨日より一段と冷え込んでいます。天気予報で防寒具、暖房器具の用意を呼びかけているので日曜日にはストーブも出して来ました。半袖のものは全て片付け、厚手の下着も出しました。冬は身に付ける物が多くなり、着替えに時間がかかります。そして出来上がった私はコロリと着膨れしています。

 もちろん手袋も出して来ました。実は手袋はこの2週間すでに使っていました。朝走る時、指先が冷たく感じます。風がある日は特にかじかみます。薄手のフリースの手袋でこの時期はまだ十分です。 「ミトン」タイプの手袋がいくつもあります。小さなフリースの黒い「ミトン」をモモの散歩用に買いました。5本指の手袋より着脱がしやすく感じます。走る時、ココの散歩時には「ミトン」をはめます。寒さによって厚さの違うものを用意しています。真冬には山用のパッド入りのものをつけて走ります。毛糸のものも裏地に発熱作用のある布が使われていて、暖かです。それでも福岡の冬の北風が冷たく感じます。ヤギの毛のついたもの、ムートンの「ミント」は外出用です。ヤギの毛のついたものは手のひらは毛糸で編まれています。暖かそうですがちっとも暖かくない「ミトン」です。

 帰国する前は手袋を使う機会は、日本に冬帰国する時、主人の出張について中国の北に旅するときに限られていました。その頃は、全部5本指の皮の手袋でした。数だけは持っていましたが、「ミトン」を使うことの方が多く、一番好きな四つだけを残しました。右端の橙色の手首にファーがついているのは、私が母に贈ったものです。中にはカシミアのライナーがついていて温かですが、母はファーが嫌いで使っていませんでした。外ステッチのデザインも私の好みです。自分用に残しました。5本指の右端にいらっしゃる方は、自主参加です。5本指の手袋を撮ろうとするとベットに駆け上り横になりました。この方が一番温かな私の暖房器具です。寒くなると一晩中、お布団の中で一緒です。

 今朝はまた一段と冷え込んでいます。今日はフリースではなく厚手の毛糸の「ミトン」で走ります。

 

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