チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

動物虐待の記事

2014年07月31日 | 日々のこと

晴れ、27度、82%

 Facebookで、よく動物虐待の記事がシェアされて流れて来ます。どういう虐待なのか、写真やビデオが付いているものもありますが、恥ずかしいことにこの手の記事を真っ向から見る勇気がありません。目を伏せてその記事を見ないようにします、読んでもないので、いいね、は押しません。

 私が小学の3、4年頃ですから、昭和の40年代の初めのことです。我家の犬が、家出をしました。庭に放し飼いで門も閉まっていたのですが、発情期にはこうしたことが時々起こりました。ものの10日ほどで戻って来るのに、その時は戻って来ませんでした。両親が、保健所に捕まっているかもしれないと話しています。当時は犬捕りといっていました。夜中や早朝に犬捕りは街を廻るので、子供の私は話を聞くだけで見たことはありませんでした。保健所に我家の花子という犬がいるかどうか見に行くという両親に無理無理言って、一緒に連れて行ってもらいました。

 福岡市の西のはずれ、今では立派なヨットハーバーになっているところにポツンと立っていた白い平屋の2棟の建物が保健所でした。周りに何にもありません。父はやっとそこへたどり着く道を探し当てたようです。車を降りると、大きい方の建物からは絶え間なく犬の鳴く声が聞こえて来ます。鳴き声と言っても遠吠えや嬉しい声とは違います。前もって連絡をしてあったのか、白衣を着た所長さんが犬たちにいる棟を案内してくれました。確か、ドアを開ける前にほんとに10歳そこらの私も一緒でいいかと、両親に尋ねていました。行きますと言ったのは、私です。

 檻が通路をはさんで2列、どのくらいあったでしょうか、犬達がぎっしりと入っていました。どの犬も、こちらを見て寂しそうな諦め切った目をしていました。一番奥の檻には赤ん坊を産んだばかりの親犬が、乳を与えていました。花子はそこにはいませんでした。帰り道、車の後ろの座席で花子のことを心配するのではなく、今見て来た光景に心がぐったりと萎えていたのを覚えています。花子はそれから間もなく家に戻って来ました。そして、ひと月後には子供を産みました。

 私の息子が幼稚園のときですから、昭和50年代の半ばのことです。東京に住んでいました。静かな住宅街に一匹、中型犬よりやや大きい野良犬がいました。あちこちの家の御勝手口で美味しいものをもらって、毛艶のいい野良犬でした。我家の夕飯時にもやって来ます。私が梅の木の下にかき集めた落ち葉の上で、夕日が当たる頃昼寝をしていました。息子と同じ幼稚園のお母さんが、その犬のことを保健所に通報したようです。そこのお嬢さんは小柄で、中型犬より大きいその犬を怖がったからだそうです。それから間もなく、静かな街に犬捕りの車が来るようになりました。追いかけられる犬は日に日に目が険しくなりました、いつも来る夕飯時には来なくなり、夜遅くやって来ます。気配で分かるので飛び起きて、ご飯をあげました。もう何年もこの街に住んでいる犬です。人間より抜け道をよく知っています。それでも、犬捕りの車が廻り始めると、私は後を追いました。もし捕まったら、私の犬だというつもりでした。どれくらいそんなことが続いたか、ある日雪が降りました。夜にやって来たその犬を家の玄関に入れました。その日から、我家の犬になったのが、写真右の「てつ」です。

 「てつ」は追われている間、怯えたきつい目をしていました。少しずつ、元の目に戻りました。東京から福岡に連れて行き、香港に行く私たちは私の実家に「てつ」を預けました。写真は主人と息子が拾って来た「けん」と一緒に平戸にキャンプに行くために車に乗っているところです。「てつ」は、今も実家の庭に眠っています。

 小さい時に見た保健所の犬たちの目、犬捕りに追われていた頃の「てつ」の目、虐待された動物たちに共通するあの物悲しい目、虐待も飼育放棄もなくなって欲しいと切に希望します。

 Facebookの動物虐待の記事を見ることが出来ないのは、私の心にこうした弱いところがあるためです。

 

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山椒の実とケッパー

2014年07月30日 | 日々のこと

晴れ、26度、86%

 山椒の青い実はピリッとして、なんとも好きなもののひとつです。お土産にいただくちりめん山椒、ぷつっと口に山椒の実があたるとき、山椒の実が入ってなければつまらないなあとまで思います。同じお店のちりめん山椒でもお値段が違うものがあります。ちりめんの種類の違いかと思っていると、これは、山椒の等級で値段に違いが出ると聞き、驚いたものでした。鞍馬の山椒が日本では一番高値が付くそうです。そう言えば、京都の七味唐辛子は、東京の七味唐辛子より山椒を強く感じます。京都の方は余程山椒がお好きと見えます。

 ここ香港、山椒を使った料理はあまりありません。山椒の辛さを生かしたのは四川料理です。売っている山椒の実は乾燥されて、 私などたまに中華風ピクルスに使うぐらいです。

 山椒の水煮の瓶詰めも時には手に入りますが、結構いいお値段です。日本から持ち帰った山椒の実は、大事に大事に食べます。大事にたくさん食べるので、すぐになくなってしまいます。そこで思いついたのが、ケッパーで代用することでした。

 ケッパー、スモークサーモンなんかにポロポロとのってる緑色の粒です。ケッパーの花のつぼみを酢漬けにしたもので、ピンクのサーモンと彩りよく臭みも消してくれるいい相棒です。香りやピリピリ感はケッパーと山椒の実は似ていません。でも、口に含んだときに一緒の食べ物の味をぐっと引き立ててくれます。右は山椒の実、左がケッパーです。大きさもほぼ同じくらい。ケッパーは刻んでドレッシングに入れたり、先日食べたギリシャ料理のイカのグリルには、バルサミコソースと一緒にたくさんのっていました。近くのスーパーで300円も出せば手に入ります。

 イタリアの食材の専門てに行くと、オリーブの実ほどもあるケッパーが売られていました。あんな大きなケッパーはごめんです。小さくて時々口に当たるから美味しく感じるのが、山椒の実やケッパーだと思います。脇役には脇役の持ち味があります。

 海外にいると、時として思いもかけない代用品を見つけては、日本の味を懐かしんでいます。

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人と歩く

2014年07月29日 | 日々のこと

晴れ、26度、82%

 人と歩いてどこかに行った、そんな記憶が他の方と比べたら少ないかもしれません。兄弟がいないので、一緒に歩いた記憶で一番多いのは母とです。レンゲ畑の向こうに夕日が沈むの見ながら歩いた、春の夕暮れ。夏の暑い中を、いやいや歩いた京都の御所脇の道、白壁と白い玉砂利がどこまでも続いているようで、ほんとに辟易した覚えがあります。

 学校も遠くでしたから電車やバスに乗りました。近くの友達と歩いての登下校の記憶もありません。その上、歩くのが速いときています。私みたいな人と歩く方も大変でしょう。時間的に一緒に長く歩いたのは、それはもちろん37年一緒の主人です。山歩きの好きな人ですから、お供に私が付いて行きます。暑くても、寒くてもよく山に入ったものです。寒いのはいいのですが、暑い夏の山歩きは過酷です。主人のポトポト落ちる汗を見ながら付いて歩きました。

 主人、母と同じくらい一緒に、いえ、手をつないだことを考えるともっと密接に一緒に歩いたのは、一人息子です。歩きはじめて、小学校に入る頃までは、手をつないでどこへも一緒でした。考えると母親としては、一番幸せなときだったかもしれません。

 思い立ったら、一人でスタスタ歩いて行きたいところに行く。まだ、歩けるしっかりした足があるうちに歩いておこうと思います。身勝手にみえるかもしれません。一人で歩いていると、人と一緒のときとは違って、道端の小さな花や塀の上の猫や脇道や見落としそうなものまでが、目に飛び込んできてくれます。何処からともなく吹いて来る風の匂いを、一人なら立ち止まって胸一杯吸い込むことも出来ます。どこまでも抜けるような空の色に見惚れて、ああ、きれい、と声を上げてもお構いなしです。

 こんな私ですが、ここ数年は、亡くなった母と歩くとき、今では義母と一緒に歩くとき、普段の何倍もゆっくりと付き添います。少しもどかしくもありますが、ゆっくりペースに母たちの足の動きを見たり、小さな話を聞きながら歩くのも、楽しみになって来ました。いつかは、私もこのスローなペースになるのだなと、実感します。そして、人と一緒に歩くということは、相手を思いやることだと、恥ずかしいことながら、この歳で気が付きました。

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パイナップル

2014年07月28日 | 映画

晴れ、26度、87%

 暑くなると、冷蔵庫にパイナップルが入るようになりました。ジューシーで甘いけどくどくなく、ポイポイお口に入ります。

 香港には一年中、スイカやメロンがあります。スイカはインドネシアや台湾から入って来ます。大きさもまちまち、ラグビーボールのようなものから小さなものまで。甘みは日本のスイカに敵いません。微かな甘みと水分補給の恰好な果物です。しかも、大きな中華料理店では、御得意さんの食後にサービスでこのスイカを出してくれます。冬に日本からみえた方達は大喜びなさいますが、私などスイカはもういいわと思います。そんなわけで、夏になるとパイナップル。

 パイナップルは、主にフィリッピンから入って来ます。実は、夏にしか興味のないパイナップルですから一年中入って来ているのか分かりません。このパイナップル、$20くらいですから、300円以下という安さです。こんなに安い値段で、パイナップルのプランテーションで働く人たちは食べて行けるのかと心配になります。バナナを刈り取る子供たちはバナナを食べたことがないとも聞きます。どんな所で、どんな人が作っているのかな、と思いつつスーパーのかごに入れてレジに並びました。私の前には、モモさんの散歩でよく会うフィリピンからのお手伝いさんがいました。香港のお手伝いさんの約半分はフィリッピンからの出稼ぎの人です。彼女の目がパイナップルに止まりました。「パイナップルは好き?」と聞きます。「我家はみんな好きよ。」と答えると、妹がパイナップルの農園で働いていること、パイナップルを冷凍にして食べると美味しいことなど、次から次に話してくれました。彼女の目はふるさとを思う目です。

 あと一つ、中国の南の島、海南島からやって来るパイナップルがあります。小ぶりなパイナップルです。このパイナップル、なぜか、果物屋でなく八百屋で売られています。 芋の山の中にビニールに入っているのが、海南島からのパイナップルです。なぜか、こうして皮がむかれて売られています。どんな包丁で剥かれたのか分からないので、どうも買う気になれません。どこかでご馳走になったこの海南島にパイナップル、それはそれは甘いものでした。

 夏の暑い時には南の国の果物がいいと言われます。水分補給、ミネラル補給。自然の甘みは体にやさしい。そうそう、いよいよ地元のライチが店先を飾りはじめます。今日も暑い昼下がり、冷やしたパイナップルをおやつにと思っています。

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ある日の夕飯

2014年07月27日 | 料理

雨、26度、86%   雷注意報

 夕飯の支度をしていました。特別な夕飯でなく、普通の主人と二人の夕飯です。前の晩、遅くまでお付き合いがあった主人ですから、少し我家にしては軽めの夕飯になりました。なにげに用意していたにもかかわらずふと気付くと、これは凄い!と。

  生のイチジクが、出始めました。イチジクが生で香港に入って来るようになったのは、最近のことです。これは、トルコ産。ミックスのサラダの葉っぱは、アメリカ産。甘いチェリートマトは、イスラエル産。

  こちらは、ホースラディッシュがはいったハバティ、ハバティはデンマークのチーズですが、こちらはアメリカ産。

  ガルーパのソテーです。香港では、このガルーパを丸ごと蒸した有名な料理があります。美味しい魚です。生のときは少し匂いがあります。匂い消しに、お酒で洗って主人が買って来てくれたプロバンスのハーブをまぶしておきます。たっぷりのオリーブオイルで焼くと、身がフワッと持ち上がっていい香りがします。フィリッピンで捕れた魚です。付け合わせの新ジャガは、オーストラリア産。上にのっているイタリアンパセリは、我家で出来た種はオーストラリア産。その横のみどりの塊は、バジルで作ったペストです。バジルは、我家で出来た種はオーストラリア産。中の松の実は、中国産。

 これに、私が焼いたパンを添えました。くるみは、中国産。強力粉は日本産。それと、マヨネーズが好きな主人に、日本の味の素のマヨネーズを。

 なにが凄いって、こんなに多国籍な食卓は、日本では考えられないかもしれません。香港産は、我家のバジルとイタリアンパセリだけ。

 出来るだけ、地元の野菜、魚を食べたいと思っています。それなのに、こんな食卓になってしまいます。地元の魚、庶民の魚だったイトヨリダイ、ちょっと高級なイシモチ。そんな魚が、魚屋の店先から姿を消しています。そして、不思議なことに輸入物のサーモンが丸のまま売られています。トマトやサラダの葉っぱは、香港のものも美味しくなりました。地元の果物は、今はライチがありますが、季節によっては輸入ものばかりです。香港の人は、きっとそんなことに慣れ切って、疑問にも思わないのでしょう。かくいう私も、毎日のことですから当たり前になっています。多国籍な夕飯でした。

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MacBook パワー切れ

2014年07月26日 | 日々のこと

曇、27度、88%

 この前の日曜日のことでした。昼間、PCに向かって写真の整理をしていました。フィルム代がかからないと、やたらに撮ります。たまには整理をしないと、PCも重たくなってしまいます。そしたら、バッテリーが間もなく切れます、とお知らせが出ました。あれ?とバッテリーのコードをみている間に画面が消えて、自動シャットダウンしてしまいました。コンセントを替えてみても、通電している様子がありません。いつも、バッテリーのコードはつないだままです。どこを押しても、パワーが切れているので復活する気配はありません。こうなったら、アプルショップへ直行です。

 最寄りのアップルショップは、歩いて20分ほどのIFCにビクトリア湾を望むガラス張りの素敵な作りです。普段はセントラルまでは歩きます。近いばかりか駐車料金が半端なく高い地区です。決して車を使いません。それなのに、PCと財布と、なんと車の鍵を握りしめて家を出ました。頭の中は「PCの故障」がグルグル廻っています。車で坂を下り始めると、いつもの昼下がりと様子が違います、ああ、今日は日曜日だ。日曜の昼過ぎ、IFCの駐車場はいつも満車です。まあいい、路上駐車でも何でもするわと意気込む私です。

 駐車場にはすんなりはいったのですが、この地下の駐車場、下りるのにぐるぐる回って目眩がしそうで気分が悪くなります。それでも、血相を変えていますから、一目散に小走りでアップルショップへ。

  事情を話すと、さっさっとコードにつないで、点検してくれました。本体には異常がない、と言われたときの私はどんなに安心したか。バッテリーのチャージ用のコードが傷んでいました。考えれば、PCとこのチャージ用のコードは、この3年、ひと月に一度は私の旅行の荷物にはいります。日本も、ベトナムも、インドもヨーロッパも一緒でした。酷使とまでは行きませんが、このPCとiPhoneがあればなぜか安心です。仕事を辞めて以来、PCとの付き合い方も変わりました。仕事の書類を全部消したときは、悲しくもありましたが、踏ん切りも付きました。

 PCがなくても、生活できたらな、とよく思います。たった、20年ほど前の生活です。それほど、依存度が高くなっています。だって、駐車料金も顧みず車を飛ばした私です。

 安心した私は、チャージ用のコードが出て来るまで応対してくれたお兄さんと話しました。私の保証期間は切れたばかりでコードを買うことになりましたが、PCのシリアルナンバーひとつで全て情報を把握します。私が、血相を変えてこの店に走り込んで、安心してアップルショップを立ち去るまで、ものの15分ほどでした。いつ行ってもアップルショップの人の対応は、迅速です。このアップルショップは常時300名のスタッフが動いているそうです。しかも、中国語、英語、広東語、どれにも対応してくれます。

 まだしばらくは、このかじりかけのリンゴのお世話になります。

 

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モモさんがいるところが、私が帰るところ

2014年07月25日 | もも

曇、28度、81%

 モモさん一人を置いて家を出る時、すぐそこの買い物でも、4日ほど家を空けるときでも、モモさんに声をかけます。「必ず帰って来るからね。」それからドアを閉め、鍵を回します。鍵の音、エレベーターのドアの閉まる音、部屋の中で、モモさんはどんな気持ちで聞いているのかな。長めに家を空ける時は、家で着ていた服をモモさんが休みそうなところ、夏は涼しいところ、冬は暖かそうなところに置いておきます。必ず、その上で寝て待っています。

 昨日の話の続きになります。2日前、たった12枚の絵を観たいばかりに、マカオに行く事にしました。その前の晩からモモさん、トイレが少しゆるくなっています。元気で、ご飯もいつものように食べます。マカオまで、往復を考えると最低でも6時間はモモさん家に一人です。仕事をしていた頃は、平気で8時間近くも家を空けました。仕事を辞めてからは、長く一緒にいます。それに、モモさん少しずつ歳をとって来ています。私にしては珍しく心配し過ぎです。

 マカオに行くのは実に10数年ぶりです。たくさんのホテル、ビルが出来て海から見るマカオの姿もすっかり変わっています。それでも、一時はよく通ったマカオです。バス乗り場にも自然に体が動きます。バスを乗り違えたものの、朝早くの美術館での時間を心行くまで楽しみました。懐かしいマカオの下町や橋を渡ってタイパや黒沙湾まで行ってみたい気もします。そこまで行っても夕方には家に着きますからね。でも、すでにフェリー乗り場へのバス停に向かっています。2時間近くターボジェットの便を前倒しにして香港に帰りました。

  香港島を南から見た景色です。あー、帰って来た。たった5時間の留守でした。この景色が見えたら、30分後にはモモさんに会えます。もう、胸はワクワクしています。ドアを開けると、私が置いて行った短パンの上で寝ていました。「ただいま。」お昼も食べずに帰ってきました。お腹もペコペコ。「さあ、モモさん、お昼は何にしようか?」

 モモさんがいるところが、私の帰るところです。

 

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12枚の絵を観にマカオへ。

2014年07月24日 | 旅行

曇、29度、84%

 もう20年以上、5月から香港では五月法国といって、フランスの様々な文化を紹介するフェスティバルがあります。フイルム、演劇、音楽、食文化に至るまで、しかも3か月近くも続きます。年々、内容も充実して来ました。会場が香港のみならずマカオも含まれるようになりました。今年の絵画の展覧は、中国フランス国交50周年を記念してマカオの美術館で行われています。パリの幾つかの美術館から出展された12枚の絵がかかっています。規模にしては香港より遥かに小さいものです。その12枚の中の一枚、どうしても見たい絵がありました。それで、マカオまで行く事にしました。

 香港からマカオまではホバークラフトで1時間ばかりです。なんだか国内旅行のようですが、香港もマカオも中国の特別行政区です。国境を超えなくては行けません。要するにパスポートは必要です。香港マカオは行き来の多い地区ですので、それぞれのIDカードを持っていれば、カード一枚で出入りできます。その上、香港ドルはマカオで通用するので換金の必要もありません。

 そう何年ぶりのマカオでしょうか、今のようにカジノがたくさん出来てからは一度も行っていません。20年ほど前は月に一度は訪れたものです。香港と違って、当時のマカオはのんびりとした空気が流れていました。建物も低く、時間の流れまでもがまるでポルトガルのようです。それに、ポルトガルから冷凍ではいって来るイワシを買って帰る楽しみもありました。

 フェリー乗り場の周りも様変わりしています。美術館までバスで行くつもりです。うっかりしていました、マカオは広東語、ポルトガル語が公用語で、ついで北京語、英語が通じます。バスの運転手さんに私の下手な広東語で確かめて乗ったにもかかわらず、バスを乗り換えることになりました。それでも10時少しすぎには美術館に。やれやれ。

 まだ10年ぐらいの新しい建物です。入館料はたったの5パタカ。 香港よりも安い、70円ぐらいです。常設展も、フランスからの絵もみることが出来ます。静かな美術館です、絵をみている人は私を含めてたったの3人。

  ブ−シェ。 ルノアール。 レジェー。

  ピカソ。 ボナール。 モネ。

  マリーアントワネット。 ルイ14世。 フラゴナール。

   クルーエ。 トゥルー。写真撮影は許可されています。

 ルーブル美術館、ベルサイユ宮殿、オルセー美術館、ポンピドーセンターからの出展です。私が見たかったのは、 マチスの椿のある景色です。いつみても、マチスの赤には元気をもらいます。ポンピドーセンターからのこの絵は初めてみるものです。

 モネやルノアールは、もう何度かお目にかかっています。たった12枚の絵、静かな美術館、いい時間です。私と入れ違いに入って来たのは、10人ほどの幼稚園児、続いて、中学生の一団。静かな美術館が俄に活気づいて来ました。

 絵を観るだけで、香港に帰ります。家にはちょっとお腹を壊した人が、いえ、モモさんが待っていますから。小さな旅でした。

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プール

2014年07月23日 | 日々のこと

曇、28度、88%

  今年は、マンションのプール開きがひと月遅れました。虫が出るとかで、プール周りの木が取り除かれ、低木が植えられました。暑い日が続いています。日中は、休みになった子供たちの声が聞こえて来ます。時には、小さな泳ぎ方教室みたいなものもやっています。救命のためのお兄さんが、毎年プールの期間だけ2名雇われます。このお兄さんが教える資格を持っている年は、この泳ぎ方教室が開かれています。朝の7時から夜の9時まで、何かとにぎやかなプールサイドです。

 昨日は午後から急な雷、しかも大雨まで降り出しました。亜熱帯独特な空模様の急変です。2時間ほどそれは荒れ狂ったような空が、すっと納まりました。雨上がり、夕方のモモさんのお散歩は好調です。散歩から帰ってプールを見ると、誰も人がいません。急いで、水着に着替えてプールに向かいます。巻きスカートにバスタオルを持って、エレベーターで誰かと一緒になってもまあ、同じ住人です。とおばさん丸出し。

 6時を過ぎると、水の中もライトアップされます。これが、上から見ても、中に潜ってもきれいです。雨上がり、思ったより水は冷たく感じます。でも人がいないので思う存分好き勝手に泳ぎます。昔は一夏毎に水着を買うほど泳いでいました。それがここ10年、ちっとも泳がなくなりました。プールから見た香港島のピークです。 今年はもっと泳ごう!

 帰りのエスカレーターの中はお勤め帰りの人ばかり、すいませんと御頭を下げていますが、髪からも水着からもしずくがポトポト。迷惑至極なおばさんです。

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マーブルケーキ

2014年07月22日 | 菓子

曇、26度、87%

 チョコレートケーキが食べたい。チョコレートとバターが合わさったあの感覚。しかもチョコレートはどちらかといえばビターで。などと食べたいもののことが頭をグルグル駆け巡ります。このチョコレートケーキ願望は、かなり長く続いています。それもそのはず、我家にいるモモさんはチョコレートを食べてはいけません。モモさんばかりか、犬やねこはチョコレートを食べると最悪は死に至るそうです。チョコレートを我慢しはじめてかれこれ10年。家で食べるものは、私とモモさんほとんど一緒です。頂き物のいいチョコレートは台所で口に放り込みます。美味しいも何もあったものではありません。

 チョコレートケーキを我慢しているもので、食べるときは口一杯に食べてみたい。品良くフォークで一口なんてもの足りません。食べたい気持ちは、この小さな頭を働かせます。そこで、マーブルケーキを焼くことにしました。白いところとチョコレートのところがグニュグニュとマーブル模様のあのケーキです。でも、グニュグニュと混ざってはモモさんと私とで分けることが出来ません。くっきりはっきりと別れたマーブルケーキを作ることにしました。 普通はチョコレート部分が4分の1ほどですが、白い部分を4分の1に置き換えてチョコレートを方が多く作ります。これで、モモさんと仲良くおやつをすることが出来ます。

 チョコレートが犬猫によくないといわれるようになったのは、いつごろからでしょうか。私は小さい頃、家にいた犬といつも一緒にチョコレートを食べていました。1940年代初刊の本には、パグのウイリアムにチョコレートを2ポンド買う話が出ています。あの頃の犬たちはチョコレートが食べれて幸せだったなと思います。だって、チョコレートはおいしいですからね。

 今朝は朝からマーブルケーキです。

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