チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

「お芋の天ぷら」義父の命日

2024年02月21日 | 家族

雨、12度、95%

 義父の命日でした。92歳まで生きました。亡くなって8年が経ちました。義母もこの一月にはお墓で義父の横に並びました。

 昨日は義父へのお供物に「お芋の天ぷら」を揚げました。義父の好物でした。そして私の父の好物でもあります。義父と父は誕生日が同じです。義父は父より一年あとに生まれています。そして亡くなったのも同じ二月です。大きく違うのは父は47歳で逝きました。生まれ育った場所も違うのにこの二人食べ物の好みが似ていました。戦争に行った年代です。義父は中国大陸、父は南方です。食糧難も経験しています。「お芋の天ぷら」を揚げながら、二人の父のことを思い出していました。

 お酒が好き、甘いものもよく食べました。厚揚げ、豆類、酒の当てはお刺身、お肉も好きな義父と父でした。そしてよく食べました。父の食べ物の好みを受け継いだ私は、義父とも気が合いました。

 油の中で泡を立てて揚がる「お芋の天ぷら」熱々を揚げながら口に入れました。切ったお芋の数だけ揚げるつもりです。揚げたお芋をカゴに盛り、残りは私のおやつです。「お芋の天ぷら」に布巾を被せて、庭のラベンダーの大枝を切り供花にします。朝から霧雨です。義父義母が眠る霊園は小高いところにあります。山間は遠くから見ても霞んでいました。霞の中を車で上がります。晴れていれば福岡市の沿岸部がすっぽり見えるのに昨日は何も見えません。花とお芋のカゴを抱えてお墓に急ぎます。先月、義母の納骨のとき供えた花がまだ薄ら色が残っていました。

 「お芋の天ぷら」は猪の餌になってはいけないので、持ち帰ります。 寒くなると出る「猪注意」の標識です。

 家に帰ると、「お芋の天ぷら」の匂いがします。雨を見ながら、パクパク。よく食べました。義父と父、この二月は父二人に思いを馳せます。大正の男性、二人とも関白でした。そうそう、昭和生まれの主人も関白です。今の男性はふにょふにょに思えます。雨の午後、「お芋の天ぷら」が取り留めない思いを呼び起こしました。

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義母と孫娘

2023年11月27日 | 家族

晴、8度、79%

 義母が亡くなった朝、孫娘はその知らせと学校を休み福岡に来るためにいつもより早く起こされたそうです。知らせを聞いて泣いたと聞きました。「曽」の字のつく4人のうち孫が接したのは義父と義母だけです。義父に会ったのはまだ赤ちゃんの時、記憶にはないと思います。福岡に来るたびに義母と一緒に食事をしました。足元がおぼつかなくなった義母の手を引いて家まで帰ったこともありました。孫娘なりに義母への想いがあるはずです。

 通夜では納棺される前の義母を家族が取り囲み、一人ずつ挨拶をしました。白い床に寝ている義母に嗚咽しながら取り縋る主人、孫娘はそっと頬や額を撫でました。床に寝ている義母の横に添い寝までしました。9歳で人の死は初めての経験です。葬儀での焼香も前の人の見様見真似でやりました。お骨を拾う時も周りの大人を見ながら大きな箸を使って拾いました。その様子にこの子の記憶に義母の死がどんな思い出になるのかと、感慨深く見守りました。

 葬儀では黒いワンピースを着ましたが、外は結構な寒さでした。上に羽織るものが黒でなかったので、急ぎ私のマントを着せました。 少し丈が長いけど十分私の服が着られるほどに成長しています。日曜日に東京に戻る予定です。葬儀の後の二日間、庭の「蜜柑」を切ったり、 「レモン」を切っり、 ココと遊んだり。レモンの木を見上げていた孫娘が手を伸ばして「レモン」を摘みました。

 老いたものが逝き家族が少なくなりましたが、いずれはこの孫に子供が出来ます。命のバトンは代々繋がります。ここ数日、ふと気が滅入ることがありますが、その時孫娘の存在を思うと続いていくもののありがたさを感じずにはいられません。

 義母と孫娘、私にはワンクッション置いた血の繋がりです。小さい頃義母の手を引いたことを覚えています。二人が手を繋いだ様子は私は記憶に鮮明です。手と手の繋がり、血の繋がり。私は義母からもらったものをこの孫娘に残すのが役目です。

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連休で孫娘がやって来ました。

2023年09月23日 | 家族

晴れ、24度、80%

 孫娘がやって来ました。今回は一人ではありません。家族と一緒です。雨が降り続いた福岡は秋の気温になりました。ひと月と10日ぶりの再会です。

 会う度に大きくなったなぁと感じます。同年齢平均値の真ん中だそうですが、身長はあと10数センチ、体重は数キロで私は追い越されます。香港にいる主人からLINE電話が入りました。二人並んで背の違いを見せました。

 夕方に着きましたから早速ココのお散歩です。 涼しいので遠くまで散歩しました。ココも大喜びです。散歩の行き帰り、ココのリードは孫娘が持ちました。

 散歩に出る前に「カタツムリ」発見。我が家ですら最近見なくなった「カタツムリ」ですが、きっと「ようこそ」と挨拶に出て来たのだと思います。見出し写真は「カタツムリ」を見る孫娘です。

 音楽に合わせてよく踊ります。ココを怖がっていたまだ3歳ごろのことを思い出します。遠くに住んでいるので成長の速さに驚きます。お夕飯は大きなステーキを食べました。驚いたことに「へしこのリエット」を私が焼いたフランスパンにつけて「美味しい!」とパンのお代わりまでしました。

 明日の昼過ぎの便で東京に戻ります。今日はお天気が持ち直しそうです。どこかに出かけましょう。

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主人の誕生日のチョコレートスフレケーキ

2023年08月06日 | 家族

晴、30度、78%

 昨日は主人の67歳の誕生日でした。主人の誕生日に家族全員が揃うのは初めてです。主人の帰国予定、孫娘一家の福岡に来る予定が決まった時、電話で孫娘に言いました。「8月5日はジャジャの誕生日だから、一緒にケーキを焼かない?」「わ〜!チョコレートケーキがいい。」と孫娘。小学4年生の孫娘が一人でも作れるようなチョコレートケーキ、材料を次々に足していくだけの「チョコレートスフレケーキ」にしようと決めました。

 誕生日前日、いい具合に主人が外出しました。帰宅時刻は不明です。「さあ、急いで作ろう!」チョコレートは3種類、板状を潰す作業から始めます。肉叩きを片手に紙袋に入ったチョコレートを叩きます。いいストレス発散です。このチョコレートを湯煎で溶かすのですが、最近の私は電子レンジでチン。それを根気よく艶が出るまで練ります。 艶が出始めると、粉を加えて、次はメレンゲを作ります。 チョコレートの生地とメレンゲを合わせて、オーブンで湯煎しながら焼きます。1時間焼くので、主人が帰宅しないかと心配で、孫娘は幾度も台所の窓から外を伺っていました。

 家中、チョコレートのいい香りです。 出来ました。

 大丈夫、まだ主人は帰ってきません。さて明日までどこにケーキを隠そうか?孫娘と私は考えます。夏ですのでの飲み物を取りに台所の出入りが多くなります。熱の取れたケーキをフォイルに包んで冷蔵庫の上に置きました。

 当日、デコレーションをゆっくりできる時間がありません。簡単に粉砂糖で「狩人」のシルエットを作る予定です。午前中、主人の実家のお墓詣りでした。主人は帰宅途中、「お昼はお外にしよう。」と幾度も言いますが、「おうちにしよう。」と私。まだ飾り付けが終わっていません。

 友人から「みなさんでどうぞ。」といただいたおうどんを湯がきながら孫娘は初めての粉砂糖デコレーションを不器用にしました。おうどんを食卓に運んで、最後に孫娘がケーキを主人に差し出しました。「お誕生日おめでとう!」

 食後に切り分けて食べました。柔らかで、チョコレートの香りが豊かなスフレケーキです。 

 孫娘のケーキ作りは今回が初めてでした。チョコレートを叩いて細かくしている最中、二人で幾度もチョコレートをつまみ食い、レシピ以上のチョコレートを使いました。みんな満足ですが、息子が一言「僕、まだ誕生日ケーキを作ってもらっていない。」ご不満な様子です。

 ケーキ作りは一つ一つの過程の積み重ね、幾度か同じケーキを作るうちにそのコツがつかめると思います。お菓子作りの楽しさを知って欲しい、そして食べる人の笑顔が一番の嬉しさにつながります。

 

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母の日

2023年05月14日 | 家族

曇、16度、94%

 母の日ですね。花屋さんにはカーネーション、紫陽花、小薔薇などの鉢植えが並んでいます。今日は切り花のカーネーションを持ち帰る子供の姿を見るでしょう。

 一昨日、東京の息子宅に泊まりました。美術展、お会いしたい方、孫をハグするための一泊の旅でした。ワイワイと食べた夕飯後、息子が小さな紙袋を持ってきました。「明後日は母の日だから。」

 私は常々、息子一家に「主人、私の誕生祝い、クリスマスなどプレゼントはいらないよ。そのお金を自分たちの為に使いなさい。」と言ってきました。若い頃は家計は大きくありません。友人も多ければクリスマスなどは大きな出費です。私も大変でした。同じ思いはさせたくありません。

 何十年ぶりにもらう息子からの「母の日」のプレゼントです。小さい頃はお小遣いで小さな物を買って、手書きのカードを添えてくれました。一昨日の晩、小さな袋から出てきたのは、 「七味ガラムマサラ」です。信州善光寺の「七味唐辛子」は有名です。その七味唐辛子ベースのガラムマサラ、しっかり封がされているのに、クミンの香りが袋から顔を出しました。早速一振りお味見です。赤唐辛子が前面に出る「善光寺の七味唐辛子」そのままにクミンやコリアンダーが香る「マサラ」です。味は赤唐辛子が基調です。この黄色い小袋は詰め替え用です。見慣れた善光寺の小さな缶に「ガネーシャ」、象の姿をしたインドの神様の一つが描かれています。

 旅行中、身軽に動きたいので荷物は増やしません。お土産もほとんど買いません。一人旅の時の私のスタイルをよく知っている家族です。嵩張らず、私が喜びそうなものを見つけてくれました。もちろん、自分たちも愛用の「七味ガラムマサラ」です。甘みのあるカレーに一振り、そういう「ガラムマサラ」ではないようです。七味の辛味が欲しい、カレーの香りが欲しい、この二つを同時に体験したい時がオススメです。

 今日は私が母の日のプレゼントを届ける番です。施設にいる義母に庭の薔薇を切って、甘い物と一緒に届けます。

 息子からのプレゼント、やはり嬉しい!「ありがとう。」

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孫娘の置き土産

2022年08月12日 | 家族

曇、30度、78%

 夏休みで我が家に来ていた孫娘が帰りました。いつもより数日長い滞在でした。海に2日続けて行きました。2つのお墓参りにも、義母を施設に訪ねるのにも嫌がらずついて来てくれました。連日庭でバーベキュー、最後の晩は花火をしました。

 帰る時は来た時より荷物が多くなっています。救命胴衣や浮き輪は荷物を作って送り出しました。夕方、家の前で「またね。」と別れました。小さい頃は、別れ際涙を浮かべていた孫娘ですが、さっぱりと手を振って帰って行きました。

 家に入るとテーブルの上に、「水風船」やり残した「線香花火」が数本ありました。機内に持ち込めないものや割れるのが心配で置いて行ったのでしょう。置き土産の色合いがいかにも女の子です。「水風船」はしばらくすると縮みます。「線香花火」はババが一人で遊ぶつもりです。

 目につくことは厳しく注意しました。楽しいことは抱き合って喜びました。ババも楽しい数日間でした。今年中に今度はババが会いに行くつもりです。あと何年でしょう?こうして孫娘と一緒に過ごせるのは。そのうち友人たちとの時間が増えるはずです。

 昨晩、ババはゆっくりと睡眠をとることができました。「楽しい時間をありがとう」

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孫娘と義母

2022年08月08日 | 家族

晴、29度、86%

 義母に息子一家を合わせたいとずっと考えていました。もう数年顔を合わせていません。そんな矢先、また感染者の拡大で施設での面会が厳しくなりました。抗原検査を受けた人だけが一名、10分ほど実際に会うことができます。ガラス越しなら何名でも構いませんとのこと、みんなで行って来ました。

 私ですら数ヶ月ぶりです。義母を病院に連れて行くのも今まだ思うようにはなりません。ただ、予防接種の時だけは私が連れて行きます。義母の体に触れることの出来る唯一の機会です。昨日は朝食後の義母が車椅子で玄関脇で私たちを待っていてくれました。

 以前フッと私が誰か分からなくなることがありました。今回みんなの顔を認識してくれるか、不安でした。職員の方から誰が来るかは聞いているはずです。ガラス越しに向かい合った途端、義母の目がしっかりと私の孫娘つまり義母のひ孫を捉えています。次々に顔を家族の方に向けました。「今日は大丈夫だ。」と一安心。昔の義母はよく笑いました。笑顔がだんだん少なくなっています。笑顔はないものの、ガラス越しに「大きくなったね、」というような手振りをします。こちらもあちらもマスクをしているので、口の動きもわかりません。孫にあたる息子が一生懸命会話の仲介をしています。短い時間でしたが、義母は喜んでくれただろうと思います。

 義母を喜ばせたいとの思いでしたが、孫娘がこの時のことを覚えていて欲しいとも願います。孫娘はまだ小さい頃、足の弱った義母の手を引いたこともありました。記憶のどこかに義母の姿が残ってくれるでしょう。その記憶は孫娘が歳をとってどこからかヒョイと顔を出すはずです。「この人誰だったっけ?」暫く考えて「あっ、チヤ子おばあちゃんだ。」と。

 義母は髪を切り11月に病院に連れて行った時より、身仕舞い良く見えました。「まだまだ長生きしてくださいね。」

 

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孫娘がやって来ました。

2022年08月07日 | 家族

晴、29度、88%

 早めのお盆休みをとった孫娘一家がやって来ました。我が家に来るのは1年半ぶり、と言ってもつい2ヶ月前に私が会いに行っています。たった2ヶ月ですが、孫娘が女の子らしくなっています。活発ですが仕草の中に女の子らしさが見られます、ババとしては嬉しい。

 ココさん大興奮でお出迎えしました。ココが我が家で一番好きなのは息子です。ココがいるペットショップに見に来てくれたことを覚えているのかもしれません。孫娘ももう怖がりません。 我が家の犬らしく、トランクに乗っています。

 夕方前、買い物に出たついでに本屋に寄りました。孫娘はお目当ての本があるかないか、お店の人に一人で尋ねていました。子供の成長の早さに目を見張ります。口を出さず手も貸さず、見守る親の姿勢を見た思いです。

 夕方は蚊も多い蒸し暑い中で久しぶりのバーベキューです。 鰻を焼きました。ハンバーグも焼きました。焼くつもりのトウモロコシはそのままかじって食べました。遠くにいる主人、「ビールは冷えてるか?」「トウモロコシは下茹でしたか?」とぼーっとした私にメッセージが入ります。気にかけてくれています。

 数日間滞在します。福岡の海に海水浴に行くのを楽しみにしています。予定をいっぱい入れずにゆっくりと私と過ごしてくれるようです。小さな家族の我が家です。小さいながら幸せをたくさんもらっています。

 

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主人の誕生日

2022年08月06日 | 家族

晴、30度、84%

 主人が健康に誕生日を迎えました。丸3年、会っていません。みなさん、「お寂しいでしょう。」と気遣った言葉をかけてくださいます。

 まだ20代の頃、主人は単身赴任でバーレンにいたことがありました。当時はインターネットなどありません。電話も交換師を通してかけるような時代でした。国際電話はびっくりする請求書が後でやって来ました。あの頃とは違います。LINEなどで顔を見ながら電話で話せます。メッセージでやり取りすることも出来ます。遠くに離れている感覚はありません。

 コロナ禍、家族と思うように会えない方が多いと思います。会うことは、テレビ電話とは全く違います。でも寂しいとは思いません。亡くなった両親、遠くにいる主人や息子、いつも身近に感じます。この感覚はこの1年ほどのことです。父母に見守られている。主人や息子が離れていても常に私のことを気遣ってくれていると感じます。そして家族を身近に感じることが幸せだとしみじみ思います。この歳になって気付く幸せです。

 主人や息子は必ず毎日何らかの形で連絡をくれます。離れているからわかる温もりがあります。そして会える時、喜びは何倍もになるはずです。

 主人の66歳の誕生日、庭に咲いた夏のバラを切って祝いました。「おめでとう、今まで長い間ありがとう。」

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