雨、20度、82%
毎月末、床の間のお軸を架け替えます。季節を考え、その時の心に馴染むものを選びます。たくさんは持ちませんが、一年の月の数より多く持っています。ほとんど私が求めたもの、大したものはありません。我が家の床間は三幅横並びに、長さ2メートル以上のものも掛けることができる、私にはもったいない床間です。絵の軸をかけるときは床の間に窓が開いたように感じます。字の軸をかけるとき、心の窓が開いたように感じます。手持ちのお軸、物によっては一年以上蓋を取らないこともあります。架けようとお軸の蓋を取ると、見苦しく収まっていることがあります。お軸を扱うのはこの私、最後に仕舞ったときに杜撰な巻き方をしてしまったのでしょう。恥ずかしくなります。
硬めにしかも硬すぎずに巻くのは難しい、気が急ぐと手元が雑になります。蓋を取ったとき、素直に収まるお軸を見るのは、自分の行動の跡を見る思いです。月末に掛け替えるはずが、私の健康や不意の事故で出来なくなったらと考えました。家族が手放してしまったお軸を知らない人が蓋を取る、想像します。粗末に扱われた箱のお軸を見た人は、最後に箱に仕舞った人を心無い人だと思うでしょう。
昨日は気持ちを込めて今月のお軸を仕舞いました。 時間がかかることではありません。ちょっとしたお軸への心遣いです。次の月の架けるお軸を出して来ました。蓋を取ると、気持ちよく並んでいました。
「ああ、よかった。」
自分の後に残すものを考える年齢になりました。物の仕舞い方一つ、私の心映えです。私の手が成す私自身です。雨が降り、時間があるときに全部のお軸の箱を覗いてみるつもりです。乱れていたら行儀良く、巻き直してやるつもりです。いつか、私以外の人の目に晒される日があることを意識して。