チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

富士山が見える日

2023年02月02日 | 

曇、8度、60%

 半月、お日様の差さなかった福岡から東京に向かったのは、先月の末でした。飛行機が着陸のために高度を下げ始めると、雲の下へ下へと向かいます。太平洋側は晴天です。機体の左には富士山が見えました。富士山を目にすると、日本を感じ、その日一日が上手く運びそうな気がします。

 日本海に面した福岡から東京に移り住んだ時、この太平洋側の冬の晴天に心が晴れました。そして空気の澄んだ日には多摩川越しに富士山を見ることができました。子供の手を引いて東京にはいくつもある「富士見坂」の一つからその姿を見るのが好きでした。主人を駅に送る時のこともありました。スイミングに通う息子を送る時のこともありました。

 この日の東京で向かう先は「渋谷」です。スクランブルの人の多さは50年前も大変な数でしたが、日曜日の午後、 人の波でした。「渋谷」はここ数年、新しいビルの建設が進んでいます。地下道は私にとって迷路になりました。地上に出るとやっと向かう方向がわかります。「スペイン坂」の上が目指す建物です。「スペイン坂」なんて名前が付いたのも私が東京にいた頃です。道玄坂の一番奥にある「東急デパート」本店がこの二日後に店を閉めると知ったのは、この日の夕方のニュースでした。まだまだ変わっていく「渋谷」から昔住み慣れた町に住む息子宅へ向かいました。

 翌日も晴天、羽田に向かうモノレールからも「富士山」が見て取れます。街は日に日に変化するのに、「富士山」は変わらぬ美しい姿で佇んでいます。

 ほんの一日の小さな旅でした。落語も楽しみました。私の65年を振り返る旅でもありました。「富士山」ありがとう。

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ボビーコールドウェル ミッドタウン

2018年08月06日 | 
晴れ、28度、93% 東京

昨日は主人の誕生日でした。その日に合わせて、ボビーコールドウェルのディナーショーを予約していた主人です。私と二人分。
雨の降らない福岡です。庭の水遣りが気になっていましたが、1泊ならと思い切って家を出ました。主人は前夜、香港から東京に入っています。

午前中はお互い別行動。一旦、ホテルで落ち合って、会場のミッドタウンに向かいました。

ボビーコールドウェル、1970年後半から活躍したミュージシャンです。今は60歳後半でしょうか。集まった人たちも私たち年代の方です。

生憎、ステージは撮影禁止でした。出てきたボビーコールドウェルは杖を突いていました。しかも、声もかすれ気味です。それをカバーするようにサックスやドラムが盛り上げてくれます。食べ物や飲み物が行き交う中、すっかり暮れてしまった六本木の夜を背景に楽しい時間でした。

アルジャロウが亡くなる少し前に香港でコンサートに行きました。彼もまた往年の声の艶をなくしていました。その頃から歌手も含めてパフォーマンスをする人たちは、命を削って見せてくれていると感じるようになりました。

私は午前中たくさんの絵を見ました。朝早くから夜遅くまで久々の高揚感です。画家たちもまた命を削って絵を描くものだと思います。

誕生日を迎えた主人、また香港に戻ります。この暑い中、バンコクやインドへも出張に出かけます。一年一年、元気に大事に過ごして欲しいと切に思った夜でした。

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新幹線に乗って京都へ

2018年07月04日 | 

曇、26度、京都

 昨日早朝、台風が近づく福岡を後にしました。新幹線に乗って京都に向かいます。新幹線に乗るのは、あの日以来です。のぞみが待つそのホームは、まさにあの日モモさんと息子一家と降り立ったホームでした。1年5ヶ月ぶりの新幹線です。モモさん、前日は5時間以上の飛行機に乗り、初めてホテルに泊まり、初めて電車に乗りました。東京から博多まで5時間、博多駅のこのホームに降りた時、私は大仕事を無事終えたと安堵したものです。

 今回は京都に向かいます。旅程は東京までの約半分。水田に青い稲がそよぐのを見ながら、東に向かいます。福岡から岩国までは小雨でした。次第に雨は止み、青空が広がって来ます。私は台風から逃げている格好です。

 車窓に広がる景色を見ながら、モモさんと新幹線に乗っていたあの日は外の景色など見ていなかったことに気づきます。季節は違って、田んぼには何もなく山には雪が見えていたはずです。何も記憶にありません。ただただ、キャリーバックにいるモモさんを気遣う5時間でした。

 早朝に家を出るので、ココさんは前日からお泊まりです。7月3日、この日に京都を訪ねたいと思っていました。やっとその願いを果たせました。私より若い友人の命日です。4年前、ちょうど福岡に戻っていた私に訃報が入りました。暑い午後でした。翌日には香港に帰りました。葬儀にも出られず、やっと昨日、友人に無沙汰を詫びることができました。

 友人が生まれ育った土地、空気の匂い。その人の面影が浮かびます。話し出したら止まらない、どこか男性的なきっぱりとした性格の人でした。時々、「真奈さん。」と言う低くくぐもった彼女の声が聞こえます。

 新幹線の中でも、京都に着いてからも私の手首の時計は、 福岡の雨風は非常に危険だと告げます。この3年間、気がかりだったことを一つ終わらせることができました。今日は台風が過ぎた後の福岡に戻ります。また来ますよ、会いに。

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充実した一日でした。

2018年04月12日 | 
曇り、14度、84% 東京

早朝の便で羽田に着いたのは9時少し前。鎌倉に20年来行きたかった美術館を訪ね、その足で上野に向かいました。ここでも美術展を一つ、東京駅に戻りこちらで美術展を2つ、当初の予定通り午後3時、数寄屋橋のペコちゃんの前で孫娘と3ヶ月ぶりの再会でした。
ゴールデンウィークに入る前に上京をと予々考えていました。義母も退院後、少し落ち着きました。とは言っても、長く福岡を空けることはできません。一泊がせいぜいです。

お正月以来の孫娘一家、その上主人も出張で東京に来ていました。主人と会うのは3週間ぶりです。生憎主人は昨日は浜松まで仕事で出向き、家族全員でのお夕飯は叶いませんでしたが、新幹線で東京駅に戻って来た主人を孫娘一家と一緒に出迎えました。
色々な意味で活力を得た1日でした。

今日はお昼過ぎの便で福岡に戻ります。ココさんお待ちかねです。そして、日常に戻ります。

お夕飯に向かった丸の内で息子一家と見た夕焼け。家族に感謝の一日でした。
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縞ホッケの開き

2017年10月17日 | 

曇、17度、95%

 二泊三日の札幌の旅で私は朝食を除けば、お寿司にお刺身ばかり食べました。初めて食べるお魚のお刺身もあります。どれもが美味しく北の土地のお魚たちにすっかり惚れてしまいました。

 ニシン、ホッケというお魚の初めての出会いは、高校を出て東京に行ってからのことです。昭和50年代当初、南の福岡に北お魚は運ばれて来ませんでした。今のような流通機構がまだ出来上がる前のことです。福岡は玄界灘の美味しい鯛などを食べることができます。鮭のおにぎりなど小さい頃は食べたこともありませんでした。ニシンやホッケを初めて食べた時は、北と南のお魚の違いに驚きました。

 福岡に戻るため新千歳空港に戻って来ました。新千歳空港は国内線と国際線が同じビル内にあるようです。おみやげ物売り場には北海道名物の海産物コーナーが広くありました。持ち帰りも宅配も引き受けてくれます。カニ、ウニ、イクラ、鮭、その加工品があります。自宅のお土産に、筋子とホッケの開き、サーモンの低温燻製を半身求めました。筋子とホッケは私に主人にサーモンです。「焼かずに食べれます。」と書かれた時鮭が丸のまま1本、これも欲しかったのですが自宅の冷凍庫を思い浮かべると入る余地がありません。

 ホッケは身がホロリとくずれ、身がしっかりついているところが魅力です。干物の中では大きな魚ですが、北海道で売られているホッケの開きは福岡の倍近い大きさです。縞ホッケと真ホッケと2種類ありました。試食させてもらうと縞ホッケは脂ノリがいいと思います。縞ホッケはロシアで獲れるホッケで輸送されてくるから頭がついていないそうです。真ホッケは帯広で水揚げされホッケの味が濃いとお店の人から教えてもらいました。縞ホッケは福岡ではみたことがありません。

 長さ25センチほどの大きな開きです。身が厚いのでゆっくりと火を入れました。お箸を入れると大きく身が取れます。口に入れるとホッケの香り。大きな1匹をお腹に収めて大満足です。ココさんはホッケ初体験です。ちょうどの塩加減、脂がよく回った縞ホッケの開きを食べながら、また北海道にと思います。

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2泊3日の北海道

2017年10月13日 | 

雨、19度、82%

 会いたい方に会うために出かけた北海道です。札幌の地理も観光名所も勉強しないまま飛行機に乗りました。ただ、お魚が食べたいと考えていました。

 朝ごはんを除いて、お刺身かお寿司をいただきました。北海道出身の友人が「北海道は回転寿司でもレベルが高いから是非に。」とメールで勧めてくれます。初めて一人で回転寿司に入ります。札幌駅近くのビル6階の「根室はなまる」。なんとなく選びました。11時少し前、行って見ると既に行列です。ナンバーの券を取らなくてはなりません。私は50番でした。11時開店で34番までお店に入りました。だんだんお腹がすいてきます。よっぽどやめようかと思えば、別の友人が「根室はなまるは美味しいし、安いよ。」とメールです。よく待ちました。30分足らずですが、お腹はもうグーグーです。席に着くや、いくらと、ウニを取ります。次もイクラとウニです。やっとこの辺りで、北海道ならではのニシンの握りを取りました。生憎ですがお腹が空きすぎていて、写真は全くありません。そして今度は筋子とウニ。8皿を瞬く間に食べました。シャリの暖かさ、のってる魚の新鮮さ、ご飯とネタの大きさのバランス、皆さんがお勧めなのがわかります。お値段は自分でお寿司屋さんで支払ったことがないので安いか高いかわかりません。2500円からお釣りがきました。

 北海道がこんなにお魚が美味しいとは、感激します。お刺身もいただきました。こちらも写真はありません。身の締まりが違います。福岡もお魚が美味しいと思っていましたが、北と南、お魚の種類が違います。帰りの飛行機に乗る前にお昼に食べたのは、これも絶対食べたかった、ウニとイクラの丼です。丼といってもすし飯の丼です。普通のウニ、イクラの倍量入れてもらいました。こちらはお寿司屋さんで食べました。まだ食べれそうでしたが、頼めばウニとイクラの握りになりそうなのでやめました。美味しかった。

 気温差10度以上のところを旅します。荷物が多いのは苦手です。家を出た時は半袖のポロシャツ、飛行機に乗ってダウンのベストを出しました。札幌についてダウンのパーカーを着ました。ダウンの2枚重ねです。 この2つはコンパクト、軽量、本当にお世話になります。帰りは、千歳空港に着いてからは半袖のポロシャツ一枚です。

 先日東京に行った時にも、電子マネーとスマホがあればどこにでもスムーズに移動できると感じました。 行きたいところが決まれば、GPSでスマホが移動手段を出してくれます。電車ならホーム番号も運賃もかかる時間まですぐにわかります。電子マネーのおかげで駅に着けば切符を買う必要もありません。指示通りのホームで電車に乗ります。スマホの検索は私は手首のアップルウォッチでも見ることができます。スマホはバックの中で写真を撮る時にだけ出します。身に付けるものにはじまって旅が便利になりました。もちろん最小限の現金とクレジットカードは持って行きました。

 会いたかった方達にお会いできました。会いたかった犬たちを抱きしめました。新しい出会いもありました。会いたかった方の妹さんです。美味しいものを食べました。寒さにも負けずに元気に戻ってきました。途中、心配の主人からは電話も入ります。皆さんのおかげで充実した3日間でした。

 次の旅、その次の旅まで行く先は決まっています。ココさんが元気いっぱいにうちに旅します。お迎えに行ったココさん、嬉しすぎてじっとしていません。お迎えの様子の写真もありません。今日から日常です。

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海を見たくて小樽に行きました。

2017年10月12日 | 

雨、9度、86%  札幌

 札幌は海がありません。飛行機は太平洋の上を飛び内陸の千歳空港に降り立ちました。札幌からほど近い小樽は日本海に面しています。

 旅の間でもいつもの時間に目が覚めます。洗濯も掃除もすることがありません。退屈です。そこでホテルを飛び出して、小樽に向かいました。札幌駅から電車に乗りました。ホームには小樽行きの電車が止まっています。中にはすでに乗客がいるのに電車のドアは閉まっています。 ドアの横にはこんなボタンがあります。自分でボタンを押してドアを開けて乗り込むようです。ドアの開け閉めが自動でない電車は2度目です。ロンドンのヒースロー空港からパディントン駅に向かう電車に開閉ボタンがついていました。押してみたかったのですが、その時は別の方が押してしまいました。ドアを開けるためにグッとボタンを押しました。ドアが開きます。中に入ると、 今度は開閉のボタンがついていて、閉める方を押します。シートに腰掛けて何故こんなボタンがついてるのか考えます。寒さの厳しい冬、折角の電車内の暖気を外に流さないためでしょうか。北の土地では寒さに対する備えを一番に考えると思います。

 各駅停車の電車は早い時間ガラガラでした。北海道らしい珍しい名前の駅を通りながら進みます。「銭函」という駅は無人、駅舎もありません。この駅を過ぎた途端右手に海が見えてきました。まもなく小樽です。

 小樽駅  を出ると緩やかな坂が海に向かっています。小学生の登校に混じって海に向かいます。10分も歩けば防堤に着きました。 石狩湾、この先は日本海です。福岡も日本海に面していますが、海の色が違います。海の匂いも違います。これが北の海だと空気をいっぱい吸いました。

 商いの港として栄えた小樽は集荷のための運河も有名です。運河の脇には独特な形の倉庫が並んでいます。この運河は駅から海に向かう途中にありました。私のように朝早い観光客のために「運河クルーズ」がすでに出たばかりでした。この運河が賑やかだった頃、北の国の開拓の歴史と一緒に心に描いてみます。

 古い建物は、石造で趣があります。 このお店は小樽のガラス細工のお店です。開店前ですから、格子のシャッターの間からお店を覗きました。お店の中は湿った古い空気が詰まっていそうです。

 お寿司を食べて帰りたかったのですが、こんな朝早く開いているお寿司屋さんはどうもと思い諦めました。午後には会いたかった方達にお目にかかります。気が逸ります。

 石狩湾の眺めは気持ちを調えてくれました。旅行の中の思いつきの小旅行です。小樽も行きたかった場所でした。海の色と海の匂いがお土産です。

 帰りの札幌行きの電車は通勤の人でいっぱいでした。「銭函」の駅を出る時、海に向かって思います。「また、来ますね。」

 

 

 

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初めての北海道

2017年10月11日 | 

曇、9度、66%  札幌

 28度の夏日の福岡から2時間の飛行、14度の札幌に着きました。初めての北海道です。小学校の時見た三浦綾子の「氷点」以来憧れた北海道です。やっと、この北の土地に足をつけることができました。南の九州生まれ、長いことそれより南の香港で生活、日本に帰ってきて8ヶ月です。

 空から見る北海道は紅葉が始まっていて色とりどりです。外に出てその空の大きさにびっくりしました。空が広い、丸く見えます。空を見上げているだけで、この土地が広大であるかのように感じます。しかもここは札幌の真ん中です。心がどんどん膨らんで行きました。

 今回の旅は、長いこと心に温めていた方とその方のワンちゃんにお会いするのが目的です。初めてお目にかかりますが、ずっとお会いしたいと思っていました。そんな気持ちが北海道に私を連れてきました。

 ココさんは、 こんなものを携えて「みつば動物病院」で預かっていただいています。人が好き、犬が好きなココさんです。今頃は自分のクレートで寝ていると思います。2泊の旅、今回は買い物バックではなくちゃんとボストンで出かけてきました。 

 札幌駅から中島公園に通じている大通りを歩いてみました。ゆったりした街です。道幅も広く碁盤の目のように道が走っているようです。 有名な「時計台」は思っていたより小さなものでした。見出し写真は大通り公園のものです。30年いた香港の空は高層ビルの間から見える小さなものでした。福岡に帰ってきて、空が大きく見えることに安らぎを覚えます。ところが札幌の空はそれ以上、大きいというより地球を包み込んでいるように感じます。

 日が昇ったら、ホテル横の中島公園を散歩して見るつもりです。「寒くなる前に行きなさい。」と主人が私の背中を押してくれました。北の土地を大きな空に包まれて感慨深く歩きます。

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軽井沢 ユニオンチャーチ

2016年03月16日 | 

雨、14度、88%

 先日の私の帰国前に日本の友人が香港にやって来ました。彼女は私がウィリアムヴォリーズの建物に興味があることを覚えていてくれてパンフレットを2冊携えて来てくれました。パラパラとめくると、近江はもちろん大阪、神戸に沢山ヴォリーズの建築物はありますが軽井沢にも多数あることを知りました。そういえば、ヴォリーズが結婚式を挙げたのも軽井沢だと随分前に読んだことがあります。

 軽井沢行きは、会いたい人たちと犬たちを訪ねるもので、お昼をご一緒に済ませてその足で東京に戻るつもりです。ならば落ち合う約束時間より早めに着いてヴォリーズの建物を見てみようと思います。つまり私のヴォリーズ見聞の第一歩は軽井沢から始まりです。駅に近いユニオンチャーチに行く事にしました。

 軽井沢は避暑地、晩秋から早春までは冬ごもりの季節ですから、お店がお休みの事ぐらいは承知しています。駅を降りても人がまばら、駅の案内所でバスの時間を尋ねましたが生憎出たばかりです。タクシーで旧軽井沢のシャッターが下りている大通りを北に向かいます。なんと5分もかからずに着きました。

 いいお天気ですが、流石に雪が残っています。 ヴォリーズの木造の建物にはやはり日本の物とは違った香りがします。この教会もあとひと月ほどは休館です。入り口のガラス窓から中を覗きます。質素な教会の作りです。プロテスタントの教会です。 

 手前の建物は宣教師の子弟の学校だったそうです。 見辛いのですが、浅間石を積み上げた煙突が印象的です。

 ヴォリーズの建物を見ることが出来ただけで大満足、帰りのタクシーなんて拾えませんから駅まで歩く事にしました。お店も開いていません。地元の人も歩いていません。来た時に見当をつけてあった道を戻ります。美味しい山間の冷えきった空気を胸一杯に吸い込みます。こんな香港に住んでいますから、この空気が身体へのご褒美です。

 大通りに出ると自転車で5人ほどのグループが横を抜けていいます。なんと中国人の観光客です。私など、何でこんなところでまで中国人に会わなくてはいけないのかとやや不満、でも、お金を落として行ってくれる方達ですから文句はいえません。彼らの興味の的は別荘の不動産のようです。

 浅間山を横に見ながら、約束の公園に向かいます。犬連れですから、公園で待ち合わせです。冬の寒さの厳しさを私は知りません。こんなに空気が美味しく、景観のいい場所に住めたらなどとつい思ってしまいます。

 友人達のおかげで私のヴォリーズの第一歩を刻みました。この軽井沢へと言ってくれた友人、パンフレットを運んで来てくれた友人。今回の私の帰国は、珍しく自分のために一杯時間を使いました。友人達、そして家で私を待ってくれていたモモさん、主人に感謝です。

 

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ホテルの朝刊入れ

2015年08月29日 | 

雨,26度、97%

 この11年間,小さな旅行を殆どしていません。モモさんが我が家にやって来てからです。出来るだけ,モモさんと一緒にいたい一心からです。船や電車で一時間もかからずに行く事が出来るお隣の深圳にすらとんとご無沙汰しています。ましてや,飛行機に乗って行く近くの東南アジアにも行きません。ですから,11年以上前の東南アジアでのホテルの事です。

 何処に行っても少々の時差があっても朝早く目が覚めます。ホテルですから,主人と同じ部屋で休んでいます。早く目が覚めたからといって,家にいる時とは違って,掃除も洗濯も出来ません。いえ、する必要がありません。仕方ないので,バスルームに行って本を読んでいることもあります。ベットの中でじっとしてるのは苦手です。それでも我慢してベットに潜っていると,まず朝一番に聞こえる音は,朝刊を配る音です。その音が聞こえなくなると,そっと廊下に出てみます。右見て左見て,ダッシュで廊下に出てそれぞれの部屋の前にある新聞を入れ換えに走ります。いろんな国の人がこの新聞をください、とフロントに言ってありますから,部屋の前に置かれている新聞はそれぞれ違います。新聞を入れ替えると,自分の部屋の前に置かれている新聞を持って急いで部屋に入ります。このフロアーの泊まり客,頼んだ新聞とは違う新聞が部屋の前にあるのを見つける訳です。30代から40代にかけての事です。いくら何もする事がないからとはいえ,よくないいたずらだったと今は思います。私が泊まったフローアーの責任者は上からお小言をもらったに違いありません。

 あの頃のホテルでは廊下の床に直接朝刊を置くのではなく、 こんな布袋に新聞を入れて,ドアノブにかけてくれていました。早朝廊下の左右を見ると,どの部屋のドアノブにもこんな新聞入れがかかっているのは,気持ちのいい眺めです。最近はどうでしょうね?まだこんな布て作られた新聞入れを使っているのかしらと思います。当時は,ランドリーバックも大きな布袋でした。今では不織り布か味気ないビニールのランドリーバックです。新聞入れにしてもランドリーバックにしても不織り布とほんとのコットンでは,全く感じが違います。コットンは手がかかります。洗濯してアイロンかけて,それに比べて不織り布は,使い捨て。こんな布の小袋にはもう出会えないのかもしれません。 10年一昔と言いますが,布で出来た物が紙や不織り布、ビニールに取って代わりました。紙が丈夫になった,不織り布は安価で作られる、ビニールは使い捨て,理由はごもっともです。こんな布袋がドアノブにかかっていた頃のホテルの朝を懐かしく思い出します。

 

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