チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

今日から香港に帰ってきます。

2025年03月18日 | 香港

晴、3度、69%

 昨日はたくさんのお祝いの言葉や品物、ありがとうございました。こんな年齢になっても、自分の誕生日を嬉しく思います。一年に一度っきりの日です。頂戴した品を食べたり、今日からの香港に持ち帰るものにを集めるので一日が過ぎました。

 ココがいますので、いつものように2泊3日の香港です。主人に会うのは一月半ぶり、持ち帰るものの準備はこの二週間かけました。「クロワッサン」「クッキー」を焼き、日々焼く「バゲット」を主人用に取り分けて冷凍しました。主人は健康を気遣いながら、自分で食べるものは自分で調えています。若い頃には考えられなかったことです。お付き合いでの外食も制限しています。自分の会社を香港と深圳に持っているので、社員の方たちのことを考え、健康を大切にしています。コロナ以来ゴルフには行かなくなりました。もともと山岳部ですので、香港の山歩きを楽しんでいます。高い山ではありませんが、毎週必ず出かけます。その時のお供が私が焼いた「クッキー」です。47年目の結婚記念日を今月7日に迎えました。よくもまあ、こんなわがまま、自己中心的な私に我慢してくださっているものです。

 荷物の準備をしていると、ココはトランクが出てきたのでおそらく私の旅行を感じています。ココはいつもお世話になる「動物病院」に預かっていただきます。ただ、ココの様子が今ひとつです。寂しげで昨晩は寒いのに布団に入らず、ベットの上を行き来して寝付けなかった様子です。こうしてキーを打つ私の横で荷物の脇に座っています。 

 見出し写真は昨日頂戴した「野菜のブーケ」です。新鮮なお野菜、綺麗なブーケを解くのは勇気が入りましたが、主人と食べようと袋に入れ替えました。「平飼い」の卵もたくさんいただきました。新鮮なうちに主人に届けます。

 ココが心配です。今年9歳になります。モモを亡くした後、ずっと私の支えになってくれました。やっと今いつもの場所で寝息を立てています。私がいつものことをしているので安心なのでしょう。皆さんのご厚意も一緒に香港に飛びます。ありがとうございます。

 主人の家のネット環境が私の機器と相性が良くないので、3日ほどブログのアップはおやすみします。

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68歳誕生日

2025年03月17日 | 自分ごと

晴、4度、52%

 68歳の誕生日です。一年を振り返って、毎年同じことですが病気、怪我もなく過ごすことができました。もう10年近く、風邪ひとつひきません。いつか大きな病気に罹るのではとかえって心配します。でも68歳、体力の衰えは確実に進んでいます。記憶も衰えてきてますが、昔のことを懐かしく思い出すことがしばしばです。それも嫌な思い出ではなく、いいことばかり。

 朝自然に目が覚める、お腹が空いて美味しくご飯を食べれる。この2つが幸せの基準です。ぐっすり寝て、「さて今日は何を食べようかな?」卵ひとつにしても、口に入れて味わいます。目を閉じてその味を噛み締めます。うんとお腹が空いていると、ガツガツとみっともなく食べますが、「よしよし、元気な証拠。」と自分を甘やかします。

 主人は香港で仕事、2、3ヶ月に一度の帰宅です。気軽な一人暮らしです。親たちもみんな見送りました。ということは今度は見送られる番が私に回ってきたということです。順繰り、順繰り。私の育った家で生活しています。10年ほど前この家を改築すると主人が言い出した時、とても嫌でした。この家から出たくて18歳から上京しました。香港から帰国してこの家に戻り8年です。今は、主人に感謝しています。生まれ育った家、土地。

 庭造りもこの8年間で落ち着きました。60歳前半は衰え知らずの元気さでした。たった8年、四十代との8年間とは意味も重さも違います。同じ年の主人です。どちらが先に逝くか、誰もわかりません。

 いつものように自分にケーキを作りました。先日読み終えた「ライフ・アフター・ライフ」の最後にりんごの「シャルロット」を食べるシーンがありました。「シャルロット!!」久しく「シャルロット」を作っていません。「いちごのシャルロット」を小さく作りました。いちごのババロアが詰まった「シャルロット」です。

 今朝起きてベットから出る時、大きな声で歌いました。「ハッピーバースデー、真奈さん」ココが驚いて見上げていました。

 来年のこの日を迎えられますように。家族、友人たちの顔を思い浮かべ感謝します。「ありがとう!」

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ジャパンデザインエアー 「清」

2025年03月16日 | 身の回りのもの

雨、7度、93%

 先日、展示会場を訪れました。館内に入るとフッと身体が目覚めるような感覚を覚えました。「香り」です。深い森に足を踏み入れた時に味わうあの感覚です。その感覚は静かに目、脳、手足の先にまで広がりました。館内どこにいてもその「香り」がします。おそらく空調に「香り」を乗せているのでしょう。受付に戻り、案内の女性に「この香りの名前わかります?」と尋ねました。ご丁寧に空調室にまで行って調べてきてくださいました。

 アロマオイルを炊くようになって30年近くなりました。三十代の私は仕事も忙しく、心に抱えることも多かった時期でした。少しでも心を落ち着かせたいと、香港ウェイリントン通りにあるアロマの店を訪れました。今では簡単に手に入るアロマですが、当時の香港は店の数も少なかったと記憶しています。イギリス人の女性が一つ一つの「アロマ」の説明をしてくれました。天然由来のブレンドされていない「アロマ」でした。陶器の入れ物に「アロマ」を落とし蝋燭で香りを立てました。乱れていた心が「香り」で揺らぎが少なくなりました。以来自己流で「アロマオイル」を欠かしません。不安な心が動き出すと「アロマオイル」の瓶を鼻先に持っていきます。目を瞑って「香り」を嗅ぐだけで、心が落ち着きます。

 展示場に流れていたのは@aromaのジャパニーズデザインエアーシリーズの「清」という香りです。会場では「檜」かしら?「ひば」かしら?とウッディな素材を想像していました。檜科の「ブルーサイプレス」「アニス」「ユーカリ」「レモン」などのブレンドオイルです。品切れとのことでしばらく待ちました。届きました!早速、 「ディフューザー」で「香り」を立てました。

 この半月、心配事がありました。心臓の音が聞こえるような感覚で案じ続けることもありました。「ラベンダー」を炊いては平常を保ってきました。「清」は今の私に強い味方になってくれそうです。

 ピユアな「アロマオイル」は少量でもお安いものではありません。大量に使うものではないので、長持ちします。以前、頂き物の「ブレンドオイル」を使ったら頭痛が出ました。「香り」には合う、合わないがあります。目を閉じて「香り」を吸って身体や心の反応を見極めて「アロマオイル」を選んでください。

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「ライフ・アフター・ライフ」ケイト・アトキンソン

2025年03月15日 | 

雨、13度、60%

 「ライフ・アフター・ライフ」、昨年から読み始めたので数ヶ月もかかりました。500ページほどですが時代が前後し、一人の女性が生まれては死にまた生まれるという現実離れした構想を読み取るのにも時間がかかりました。 この本はすでに和訳が出ています。イギリス人作家、ケイト・アトキンソンの作品です。イギリス人独特な英語表現は慣れるのに苦労します。同じ英語なのに私にはアメリカ英語の方がスムーズに入ってくると本を手にした時から及び腰でした。案の定、かなりの時間悪戦苦闘の毎日でした。

 1910年から1945年の間の時代背景、アーシュラという名の女性が生き死にを繰り返しさまざまな人生を歩みます。「人生をなん度もやり直す、正しく生きられるようになるまで何度も繰り返す。素敵じゃない?」と最後に作者からの言葉があります。この一言が書きたかったのだと、入り組んだ話を振り返りました。

 「輪廻転生」という仏教用語の英訳がいく箇所か出てきます。でも私が思うに「輪廻転生」には当てはまらない。「デジャヴ」という「実際には経験したことのないのに、過去に経験したように感じる。」この言葉も幾度も出てきますが、「デジャヴ」にも当てはまらない。アーシュラは過去の記憶を引きずってはいませんが、同じ母親同じ家庭に幾度も生まれます。ある人生ではフランスを旅し、ある人生ではナチ支配下のドイツでヒットラーの暗殺を考えたり。読みながらどこに話が向かうのか予測できません。結論のない話です。それなのにここまで話を膨らませるのは作者の技量の高さでしょう。

 「正しく生きる」?という作者の言葉の意味が掴めない。エンディングのこの言葉に至っても望洋としたままです。人生何度でも生き直す、と考えるとそれだけでも大変そうです。いえ、この本を読み終えるのに私は大変な思いをしました。

 イギリス人の英語表現苦手がまた一歩進みます。イギリス人は物事を論理的構築する人種なのかもしれません。よく最後まで読んだと、安堵しています。

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椿のお菓子「糊こぼし」

2025年03月14日 | おやつ

曇、8度、81%

 奈良東大寺の行事「お水取り」の期間前後、奈良で売られる和菓子があります。「糊こぼし」と名のある「椿」を模したお菓子です。「良弁椿」という僧の名をとった「椿」です。

 「お水取り」はニュースでしか見たことがありません。昼の茶宴、夜の松明を上げる僧たち、映像では流れませんが僧たちにとって大事な準備の一つが紙で作った「椿」を飾ることです。紅白の椿、由来は「良弁椿」です。

 「糊こぼし」というお菓子があることを知ったのは8年前のこと、以来毎年このお菓子を頂戴します。遠方のお菓子でもネットで買うことができる時代ですが、季節を違わず手元に届けられる包みを開けるたび、感謝の気持ちが広がります。

 姿可愛い「糊こぼし」 紅白の花弁の中、蕊は「黄身餡」です。甘さが抑えられた「糊こぼし」の蕊の部分を頬張るとほんのりと黄身の香りが広がります。

 「椿」が好きです。庭の「椿」も少しづつ開いています。その椿を座敷の縁側で愛でながら「糊こぼし」をいただきました。

 東大寺に飾られる紙で作った「椿」、この紙は、赤は「紅花」黄色は「ウコン」で染められているそうです.この紙を染めて東大寺に収めていたのは、染色家の吉岡幸雄さんでした。日本古来の染めを受け継いでこられた吉岡さんが急逝なさったのは数年前のことです。「糊こぼし」を見ると「日本の色」に想いを馳せます。家業を受け継がれたお嬢さんがおそらく今もこの「椿」の紙を染めていらっしゃるのではと想像します。

 緩み始めた寒さの中、好きな椿を見、美味しいお菓子をいただき、日本の色の持つ奥深さをぼんやり思います。

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映画館の絵看板

2025年03月13日 | 思い出

曇、11度、87%

 私が育った街には映画館が3軒ありました。「松竹」「東宝」「東映」。「洋画」は繁華街の「スカラ座」や「シネマ座」に行きました。今と違って昭和の時代には日本の俳優は其々の映画会社に所属していて他社の映画には出られませんでした。映画館の入り口の両側にはその専属俳優の手描きの「顔絵」がかかっていました。そして入り口の上にはその時上映されている映画の「絵看板」がかかっていました。

 何歳の頃でしたか?「絵看板」を高いハシゴにのって描いているおじさんを見ました。「すごい!」と子供心に飽きずにその様子を見ていました。外国の俳優だって上手く描きます。絵を描くおじさんをとても偉く思いました。

 最近は映画館は商業ビルの中にあり、バーがあったりします。場内の空気は清浄、シートも広く楽ちんです。一つの映画館スペースで幾本もの映画を上映しています。この数年、新聞に地元の映画館情報が載らなくなりました。大きな看板もありません。ウェッブで上映情報を確認して、ウェッブでチケットを予め買って観に出かけます。

 大きな「絵看板」がかかっていた頃の映画館は街の花でした。「赤ひげ」や「ゴジラ」「若大将シリーズ」を観たのは地元の映画館。入れ替え制でなかったので一日中映画館にいることもありました。銀幕の前にどこかのおじさんが吸っているタバコの煙がボワーンと漂っていることもありました。映画の上映前には白黒の「ニュース」フィルムが流れます。棒読みのような男性アナウンサーの声が耳に残っています。

 絵看板を描いていたのは「看板屋さん」だと知ったのはつい最近です。映画館だけでなくどこの看板も人の手描きでした。今なら差し詰めシール状のフィルムを貼り付けて看板の出来上がり。

 映画館の絵看板を最後に見たのは昭和の終わり頃だったように思います。映画「ET」だったでしょうか?「ET」を見たのは数寄屋橋の新しくオープンしたビルの階上でしたが、ビルの入り口に自転車に乗って月のある夜空を飛ぶ「ET」の大きな絵看板がかかっていました。地方や東京でも場末の「リバイバル映画館」ではその後も「絵看板」を見かけました。

 小さかった私が見上げた「絵看板」いっぱいの夢が詰まっていました。

 

 

 

 

 

 

1」

 

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クリスマスローズ自慢

2025年03月12日 | 

曇、10度、94%

 「クリスマスローズ」を知ったのは50年近く前のことです。「デンマークのクロスステッチ」の図案に見たことのない花がありました。俯きかげんに咲くその花の刺繍を2つ刺しました。初めて「クリスマスローズ」を見たのは10数年前、冬のアムステルダムでした。雪の降る中クリスマスの花市でその花を見ました。遠くからでも「クリスマスローズ」だとわかりました。「いつか自分で育てたい。」

 30年住んだ香港には「クリスマスローズ」はありませんでした。8年前に日本に帰国、もちろんすぐにふた株、庭に植えました。 花の品種改良は年々勢いを増しています。色、花の形、葉の色。この8年間、新しい花を求めて庭の「クリスマスローズ」は数が増えました。昨年の猛暑で4株枯らしてしまいました。残った株が花を咲かせてくれています。 深い紫、奥の蕊の色が赤い種類です。蕊の色が黄色一色ではなく、アクセントのように色を帯びる種類です。2日前に開いたこの花も、 こちらも  蕊の数本が濃い赤や紫です。

 全体の花姿を見るのも楽しみですが、一つ一つの花を地面に顔を近づけて覗き込む毎日です。「綺麗だ。」

 品種改良も進み愛好家も増えるので株の値段が上がっています。失った分、新しく欲しいと思ってもすぐには手が出ません。実はある知らせを待っていました。園芸店から私の誕生月の今月、毎年割引のハガキをいただきます。やってきました!昨日、20%オフのハガキを握って園芸店に向かいました。

 新しく庭に迎えた2株を紹介します。  ちゃんと名前を持っていますが、私は全部「クリスマスローズ」です。一つ一つの名前は覚えられません。八重咲は豪華ですが一重のカップ咲きの花に強く惹かれています。「クリスマスローズ」は発芽から開花まで2年3年時間がかかります。株が充実すると花の数も増えます。気長く花を見守ります。秋には大きくなった株を株分けします。真夏をどう乗り切るか、今から気持ちが張っています。

 「クリスマスローズ」の自慢話でした。

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「湯葉」でおやつ

2025年03月11日 | おやつ

雨、10度、84%

 「汲み湯葉」を買いました。持って帰るやすぐにおやつに「湯葉」を食べました。被せ茶と一緒です。贅沢なおやつです。「汲み湯葉」に何もつけずに口に運びます。大豆そのものの香りが口一杯に広がり柔らかな大豆の甘みが喉を下ります。目をつぶってその味を味わいました。「美味しい!」丁寧に「湯葉」を引き上げている様子まで目を閉じているので想像します。 小さなパックにこれだけです。久々の「汲み湯葉」に満足しました。

 一緒に買い求めた「木綿豆腐」にも期待が高まります。水気を取り、程よい大きさのダイスに切って皿に盛りました。「奴」も何もつけずにまずはお味見です。口に入れてもお豆腐の香りがしません。噛めばボロボロと口にあたります。もう一口、もっさりした「木綿豆腐」です。「絹豆腐」より硬いのは承知ですが、モソモソ、ボロボロ。噛み締めても大豆の香りがありません。そこでお醤油をたらり、お醤油の塩分で「木綿豆腐」にやや甘味が出ました。でも美味しいとは感じません。最後は「胡麻油」をかけて誤魔化して食べました。

 「汲み湯葉」と同じ店の「木綿豆腐」です。「汲み湯葉」が美味しかったの期待したのですが、残念なお豆腐でした。普通のお豆腐の2倍近いお値段です。手頃な値段の美味しい大豆を感じる「お豆腐探し」はまだ続きます。

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椿

2025年03月10日 | 

晴、5度、54%

 若い友人に「椿」が好きな人がいます。その方の影響を受けて、私もすっかり「椿」が好きになりました。帰国以来、庭に持ち込んだ「椿」の数は5本、まだ欲しいくらいです。最近では香りのある「椿」もあります。5本もあるのに、それぞれが咲く時期が違います。

  「有明」と名のある、久留米で作られた紅白斑らの「椿」が年明けから咲き始めます。小さな苗でした。今では私の胸までも成長しました。早い年にはお正月の飾り花に使います。

 そして、次に咲くのが、 このひと重の赤です。座敷の窓に映るこの花を見ると、言いようのない嬉しさを感じます。筒状一重ですから、大輪ではありません。みっしりと雄蕊が集まった様、その黄色と赤のバランスに品を感じます。

 あと3本の「椿」はまだ開く様子も見えず、硬いまんまるな蕾をつけています。艶のある濃い緑の葉もまた「椿」の魅力の一つです。「茶梅」のゆるい可愛さとはまた趣が違う「椿」です。

 咲き揃うことがない5本の「椿」、時間をかけて楽しみます。

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お豆腐売り場でのこと

2025年03月09日 | 日々のこと

晴、4度、67%

 滅多に行かないスーパーでは必ず「お豆腐売り場」をチェックします。お値段、お味ともに納得いくお豆腐に出会えません。昨日のスーパーには京都からのお豆腐も売られていました。地元のお豆腐屋さんで「汲み湯葉」と書かれた小さな冷蔵トラックで早朝から和食屋さんやスーパーにお豆腐を配送している店のお豆腐、揚げ、湯葉も並んでいました。お豆腐屋さんやパン屋さん、昔は早くから起きて仕事をし、早くに店を開けていたのに、10時に店を開けるところが多くなりました。「汲み湯葉」にも惹かれますが、早朝から仕事をする店のお豆腐ならといつも思ってきました。湯葉の小さな入れ物、木綿豆腐を手にしたところ、横から声がかかりました。

 私の肩ほどもない小柄なお婆さんです。「そこの黒大豆の納豆をとってくれませんか?」人気商品なのか、残り一つで棚の奥にあります。おばあさんでは手が届きません。「はい」と手渡すと「ありがとう」と言ってレジに向かわれました。お婆さんの毎日を支える納豆なのでしょう。

 おばあさんの後ろ姿を見ながら思いました。私は背が高くありません。家族の者に「もっと年取ったら私、小さくなるね。」とよく話します。小さくなると「そうか!棚のものが取れなくなるんだ。」と初めて気付きました。でもいい、おばあさんのように周りの人に助けて貰えばいいのよ!ほんの短い時間のことですが、小さなお婆さんになった私がお豆腐の棚の前で若い方に「取ってください。」と言ってる姿が浮かびました。

 数秒の短いおばあさんとの会話に胸に灯りがともりました。気になっていたお豆腐屋さんのお豆腐と湯葉を大事に家に持ち帰りました。助ける側から助けていただく側になる日もそう遠くではありません。小さなおばあさんに教えられた昨日でした。

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