チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

HYDRO-DOME

2014年04月30日 | 日々のこと

雨、21度、89%

 香港の野菜事情、生で食べる野菜は、果物や花同様輸入物が主流です。オランダ、アメリカ、ケニヤからやってきます。最近やっと新界や離島で水耕栽培の野菜が作られるようになりました。それでも、その野菜の品質にばらつきが多く見られます。出来るだけ近くで作られた野菜を食べたいものです。出来れば、おいしい野菜を。

 先日、九龍サイドの花市に行ったおりに、野菜の種を売っている店に水耕栽培用のキットのようなものが売られていました。 HYDRO-DOME、レタスの促成栽培が出来そうです。随分迷った挙げ句に買ってみました。

  こんなスチールウールのようなブロックに種を植え付けます。  種と肥料のようなものも入っています。 このようにポンプを使って下の水槽部分に空気を送り込むようになっています。一日に2度ほど、この空気を送り込む作業をします。

 こうやって用意しながらも、なんだかおもちゃ売り場にある「なんとかのお家」みたいだわねと思います。帰宅した主人、説明書やら箱書きを見ていました。しばらくしたら笑いながら手招きします。ここ見てご覧。 箱の裏書きの下の方、AGE+12。あー、やっぱりおもちゃでした。ちょっと大きい子供たちに野菜作りの面白さを広めようというのでしょうか、それにしても、このアメリカのおもちゃにまんまと乗って、真剣に野菜作りを考えていた自分がおかしくなります。私、確かにAGE+12です。

 小学校の頃の「科学」の付録よりはよく出来ています。月一回学校で買う「科学」。なんといってもあの付録を家に帰って早く作りたかったことを思い出しました。あの頃から、もしかしたら少しも変わっていないのかもしれません。ちょっと高い買い物をしてしまいましたが、ここしばらくこのHYDRO-DOMEで野菜を作ってみます。

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ボタンとクチナシ

2014年04月29日 | 

曇、23度、86%

 5月を目前になんとも爽やかな日が2日ほど続いた香港です。例年この時期になると、花市のどこの店にも顔見せする花があります。そんなに大事に扱われてはいません。花屋の正面の角にはこの花のバケツがそれとなく置かれています。その花はボタンとクチナシです。香港の花市ほとんどの花が、輸入されてきます。オランダ、アフリカ、日本、台湾、中国の昆明。ところがこの季節のボタンとクチナシ、正真正銘な香港育ちの花たちです。もちろんサーチャージなんてかかりませんから、お値段も普通の花の半分以下、なんとも嬉しい話です。

 ボタンはもっと濃い色のものもありますが、この薄ピンクのボタンは、 うっすらといい香りがします。このうっすらと香ることを「清香」と広東語では表します。お茶の香りにも使われる形容詞です。ボタンに香りがあることは、香港に来るまでは知りませんでした。まんまるな球状のつぼみが開き始めると、ゆるりゆるりと匂いはじめます。風にも乗らないほどの微かな匂いですので、鼻を寄せてやります。香りがあると知ってからは、この薄ピンクのボタンしか買わなくなってしまいました。

 「白蝉」と広東語では書く、クチナシ。 おそらくこのつぼみの形が、羽を閉じている時の蝉に似ているので付けられた名前ではないでしょうか。町中にはクチナシの木など見られませんが、きっと田舎に行くと薮の入り口などに自然に植わっているものと思われます。このクチナシの花束は、長さもまちまち、園芸などに携わっていない人が縛ったような乱雑さです。

  クチナシの花など、日本にいるときは買ったことなどありませんでした。はじめて買い求めた時、花は開かずにつぼみのまま茶色になって枯れてしまいました。次の年、花屋のおばさんに尋ねると、生ける前に花をバケツの水につけなさいと教えてくれました。要するにひっくり返して花だけを水につけるわけです。こうすると、間違いなく花開きます。アジサイによく霧を噴くように言われているのと同じ事のようです。雨の多い季節の花たちは、花も水を必要としているのかもしれません。

 湿度が低いこの2日、窓を開け放っています。風に吹かれて、クチナシの匂いが部屋を流れて行きます。

 クチナシを「白蝉」、ボタンの香りを「清香」、広東語のこうした言葉遣いに中国語の言葉の奥深さ、美しさを感じるのもこの季節です。

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CORDUROY MANSIONS Alexander Mccall Smith

2014年04月28日 | 

曇、24度、68%

 珍しく主人が私の本を見ながら、イギリスのアレクサンダーマッコールスミスという人の本はうちにない?と聞きます。マッコールスミスの本は、香港の本屋に新刊が並ぶ度にその表紙の絵に惹かれて手にとるのですが、奥付を見ると、何分にも多作な作家です。というのも、私の本読みはあくまでの趣味。しかも、読み始めると一人の作家の作品を縦系列に読み続けます。いまでさえ、新刊を待つ英米の作家が7人、これ以上追っかける作家を増やしたくはありません。主人は、マッコールスミスの「コージュロイマンションズ」という本を探しているようです。主人の話では、フェアトレードに関わる実在の小さな紅茶輸入業者「レアティーカンパニー」のことが書かれているといいます。フェアトレード、紅茶、共に私の関心事項です。

 そんなわけで、早速本屋へ。流石イギリスでも人気の作家だけあって、行きつけの本屋に頼むと直ぐに見つけてくれました。「コージュロイマンションズ」私のマッコールスミスの読み初めです。

 コージュロイマンションズは、ロンドンの一角に建つ、建築的に伝統のあるマンション。そこの各フロアーにすむ住民のエピソードです。普通のロンドン人の普通の生活をデイケンズの話のように書いたものです。その中で、唯一、実在の人物は主人が話していた「レアティーカンパニー」の女主人ヘンリエッタ。たった、数行にしか出てもないのですが、このマッコールスミスが本に書いてくれたことで、この小さな紅茶の輸入業者は有名になったそうです。このレアティーカンパニーのおかげでちょっとまた私の紅茶の考えが変わってきました。その辺はまた次回。

 私が現在追っかけているイギリスの作家は、みんな、私より若い人たちです。ところが、このマッコールスミスは、ひと回りほど年上。いやはや、彼の書く英語には、読みはじめ圧倒されました。あー、英語だわ。あー、ブリティシュ。重い英語です。流石に読み進めて行くうちに慣れますが、霧が立ち込めたロンドンを思わせる英語です。それでも、100章にわたるこの小説、すんなりと読めました。というのも、この小説はオンライン小説で、一日に一章ずつ発表されたものだそうです。おかげで、英語自体は重くても、話の切れがうまい具合に読み易く出来ています。

 すっかりマッコールスミスにはまってしまいました。コージュロイマンションズシリーズの第2弾、既に、 入手済み。彼の人気のある、ナンバーワン女性探偵社シリーズなんて読みはじめたら止まりそうにもありません。日本でも翻訳物が少し出ているようです。

 一体何がきっかけで本を読み始めるのか、今日もまた、ベットの上ごろりとなって読み続けます。

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アフリカンジャイアントスネール 香港

2014年04月27日 | 香港

晴れ、21度、84%

 香港が暑くなり始めると、私が待ち望んでいるもの、それは蝉の鳴き声と大きなでんでん虫です。蝉は遅ればせながら、4月に入ると鳴き始めました。でんでんさん、雨が降っても出てくる様子もありません。

 香港に来た時、息子は10歳でした。初めての高層のマンション住まい、外に出るのにエレベーターでの上り下りです。随分と土から離れてしまったなあと思ったものです。実際に外に出ても土どころかコンクリートばかり、土の匂いが懐かしくなります。そんなコンクリートだらけのところに早朝、列をなして動いていたのがアフリカンジャイアントスネールというでんでん虫です。日本のでんでん虫とは殻の形が違います。大きさも非常に大きくて、普通でも7、8センチはあります。一度だけ、殻だけのものを見ましたが、15センチほどもありました。でんでん虫が大好きな私は、早速、息子の飼育箱で飼いはじめました。

 でんでん虫が好きだなんて、おかしいでしょうか。それも小さい時に読んだお話のおかげです。まだ存命のベルギーのファビオラ王妃が書かれた童話です。確か、「ふたりのでんでん虫」と題されていたように記憶しています。兄弟のでんでん虫の話です。そのお話のおかげで、でんでん虫を触るのもなんのその。まるで友達気分です。私自身一人っ子だったので、家にいる犬猫はもとより、触れば動くおじぎ草やでんでん虫までが友達でした。少々大きかろうがでんでん虫には変わりがありません。掌にのせていると、慣れて来てあの目玉を2本出してきます。目玉はちゃんと私たちの方を見ているようです。

 この大きなでんでん虫、この10年めっきりと数を減らしました。トンボも少なくなりました。ホタルにいたっては、もう数年見ていません。小さな動物たちには、中国の華南地区から出される空気汚染の影響を受けはじめているのかもしれません。このでんでん虫は空気汚染以外に、人災にも遭いました。

 人災というにはおかしいのですが、香港のフランス料理のブームが起こった頃からです。例のエスカルゴです。早朝に走る私は、雨上がりにでんでん虫を捕獲しにやって来るおばあさんを見ました。捉えられたでんでん虫は市場でも売られていました。数が減る一方です。ところが近年、日本のような丸巻きのでんでん虫が見られるようになりました。大きさも小ぶり。さて、どこからやって来たでんでん虫でしょう。考えるにひとつだけ思い当たります。香港は地盤が岩盤ですから、土砂崩れが頻繁にあります。その為、政府は護岸工事に余念がありません。その護岸工事に使われる土が、どうも中国から運ばれて来ているようです。全く私の推測ですが、おそらくこの土と一緒に、小さな丸巻きでんでん虫が香港に入って来たのだと思います。

 それでも以前のような、数珠つなぎのでんでん虫の行列は見られなくなりました。大きなでんでん虫、よく人に踏まれます。見つけると、必ず道の横に避けてやります。 モモさんの気配で、目玉を引っ込めたでんでん虫です。手前に殻が見えています。

 食べ物に好き嫌いのない私ですが、エスカルゴだけは食べません。それを知っている主人は、周りの方の目につかぬようにそっと私の皿から外してくれます。

 雨上がりの早朝のジョギングは、でんでん虫救済と称して、でんでん虫を道の脇に避ける私の仕事のひとつです。

 

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セルジュルタンの香水

2014年04月26日 | 身の回りのもの

ガス、22度、99%

 自分で、基礎化粧品や香水を買わなくなって随分経ちます。このブログにもそのことを書くので、ご存知の方もあると思うのですが、主人が、出張の度にやれ、乳液だ、香水だといって求めて来てくれます。ありがたいことです。とは思っているのですが、自分の欲しいものであることは滅多にありません。それに、主人が買って来てくれるような高いものでなくても充分です。

 日本に出張の折は、必ずと言っていいほど資生堂のザ銀座のシリーズのものを買って来てくれます。これは、国内だけで販売されているシリーズです。昔から資生堂はデザイン製の優れたボトルを作って来ていましたが、このザ銀座シリーズは、全てを潔くぬぐい去ったようなスッキリとした白のボトルが基本です。化粧品のボトルに見られるような甘さが一切ありません。鏡の前に出し放しにしていても、ちっとも目障りにならないほどです。ただ、白の透明でない容器は残量がどのくらいかが目視できないのが難点です。

 昨年末ぐらいから、求めて来てくれる香水、オードパフュームですが、これまた、ザ銀座から出ているセルジュルタンのものばかりになりました。ご覧の通り、化粧品同様無駄のないボトルです。ジョーマローンの香水のボトルを見た時にも痛く感心した私ですが、このセルジュルタンのボトルはその上を行くと思われるデザインです。

 真ん中は水をイメージしたローフォアッド。右は間違えて同じものがあるのに買って来た2本目の、ニュイッドゥセロファン、セロファンの夜?何のことかな?左は香水の色を見た時から、資生堂の昔からある化粧水オイデルミンを思わせます。やはり蓋をとると、あのバラの香り。ラフィーユドゥベルラン、ベルリンの少女。しかも流石、どれもアトマイザーが別に付いています。

 ザ銀座シリーズの容器は、素晴らしく美しいと思います。さて、化粧品の効果は?実は、一度空港で値段を見て仰天。私自分の為にこんな高いものは決して買いません。香水も、ボトルは好きですが、肝心の香りは私が欲しいそれではありません。化粧品も、香水もまだまだストックがあります。

 いま、欲しい香水が2つほど。いつになったら買えるかな。いえ、主人には感謝しています。

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紅茶とビスケットそして修道院

2014年04月25日 | 日々のこと

雨、21度、98%

 ドアを開けると、笠を被った蛍光灯の明かりの下、テーブルの上に磁器の紅茶茶碗とビスケットが3組用意されています。つい最近、ふとしたことで思い出した光景です。この紅茶とビスケットがある景色は、50年以上も前のものです。

 私が幼稚園と小学の低学年を過ごした学校は、敷地内に幼稚園から高校までがありました。カソリック系の学校で、教会は道の向こうでしたが、学校の敷地には修道院もありました。幼稚園には僅かに男の子もいましたが、女の子ばかりの学校です。小学校は各学年ひとクラス、56人の大所帯でした。

 小学校に上がって間もなくした頃から、この56人のうち3人が放課後まで残ることになりました。3人ともクリスチャンの子弟です。聖書の勉強の為に残されています。3人の女の子の名前は、かなちゃん、ななちゃん、そしてまなちゃん、はい、私です。一番しっかりしていたかなちゃんが、時計を見て、時間だからと修道院に3人で向かいます。私が時計を読めるようになったのはずっと後のことです。

 硝子戸を開けて修道院の中に入ると、夏でもひんやりと感じました。薄暗くて、廊下にはいつも電灯がボーッと灯っていました。聖書の勉強は、クラスの担任のシスターシャールではなくて高学年のシスターに習いました。決められた部屋に入ると、いつでもそこには3組の紅茶とビスケットが用意されていました。

 子供用の聖書をそれぞれに持っています。今日は、このお話といった具合に聖書のお勉強というより物語の読み聞かせ会のようなものでした。私など、聖書のことより学校の中でいただけるおやつ、ビスケットと紅茶が何よりの楽しみでした。その3人のうちで私だけが、幼児洗礼を受けていました。まあいい加減な信者です。30分ほどのお話がすむと、誰もいない教室に3人で戻って、ランドセルを背負って、それぞれ違う方向のバスやチンチン電車で家に帰ります。

 修道院にはまだ前髪の見えるシスターもいます。当然、私たち3人ともすっかり髪が見えないシスターは坊主だろうかと、小声で話します。どうも、尼さんの剃髪のことが日本ですから連想されます。ある日、修道院の廊下で前を歩くシスターのベールをめくってみようということになりました。シスターの後ろでじゃんけんをして、負けたのは私。シスターのベールを後ろから大きくめくりました。ちゃんと髪はあるのです。そのとき、お叱りを受けたかどうかはもう忘れています。いや、楽しかったとしか記憶にありません。

 私の紅茶好きは、もしかしたらこの頃に根ざしているのかもしれません。もう半世紀です。

 ななちゃんにもかなちゃんにも、その後会ったことはありません。彼女たちも、あの修道院での紅茶とビスケットを覚えているでしょうか。

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泰昌餅家のチキンパイ   香港

2014年04月24日 | 香港

雨、21度、96%

 香港のローカルのお菓子、エッグタルト、タルト地にカスタードを入れて焼いたものです。マカオのエッグタルトはポルトガルのそれに倣って焼き目がついていますが、香港のものはきれいな黄色です。小さのこんなお菓子でも、どこのエッグタルトが美味しいと皆さんあの店この店の名前を挙げます。その中の一軒が泰昌餅家。セントラルに古くからあるパン屋です。そんな風にいうとなんだかおしゃれなパン屋のように聞こえますが、間口一間の縦長い小さなパン屋で、奥でパンを焼くおじさんたちは夏場は上半身裸でした。セントラルの市場のすぐ近く、バス停の前にあるこの店はパンのほかにエッグタルトを店の一番前に出していました。この店が有名になったのは、まだ中国返還前のことです。当時の最後のイギリス総督、クリストファー パッテン氏が、ふらりとこの店によってエッグタルトを店の前でガブリと食べたと報道が流れた後からです。パッテン氏らしいこの行動、お店のおじさんと握手するパッテン氏の写真も新聞に載りました。以来、エッグタルトの前に行列ができるようになりました。

 その後、とにかくセントラルの家賃は上がる一方です。何年前だか覚えていませんが、この泰昌餅家の前を通ると、家賃値上げのため店を閉める旨の貼り紙が出ていました。ところが、それを聞きつけたイギリス本国に既に帰っているパッテン氏、この店の救援の為に市民や至る所に募金を頼んだそうです。めでたしめでたし、この泰昌餅家は、元の店から200mほど先に新しく店をオープンしました。 こちらが、新しい店です。間口は元の店の4倍になってしゃれた作りになりました。こんな話、実はセントラル界隈にはまだあります。おいしい屋台のワンタンメン屋が市民の応援で店を構えたりとか。ところがこの、泰昌餅家はこれだけでは終わりませんでした。このほんの数年の間に、なんと香港中あちこちに支店を出したのです。あら、ここにも、あら、あそこにもといった具合です。

 そんな新しくできた店のひとつで、主人がオフィスのみんなの為におやつを買ったのは2日前。人数分のチキンパイを買って戻ったのだそうです。チキンパイ、これはイギリスの影響を受けた、やはり香港のローカルのスナックです。小食と書いてスナック、小腹が空いた時にちょっと食べるものです。ところが退社時にまだ5つも残っていたので、我が家に来る鳥にあげてくれと持ち帰ってきました。えっ、鳥に?いえ、私が食べます。というわけで、昨日の私のおやつはチキンパイでした。

  チキンパイなんていったって、チキンはかけら、ミックスベジタブルとお肉のかけらを香港人大好きなチキンパウダーで味付けしたものが中に入っています。だれが食べても、まるで中華の味です。しかも、外のパイ地は練りパイでマーガリンかショートニングが使われています。昔のチキンパイはブタの脂、ラードで作られていましたから、それはそれは美味しかったものです。もちろん健康に良くないと今ではラードは使われません。このパイ地、中がチキンなのに少し甘いところまでなんとも中華的です。ご覧のように生地が厚いので、私もおやつに2つで充分でした。

 なんだか泰昌餅家のことに詳しいので、私がここのエッグタルトのファンと思われるかもしれません。泰昌餅家は我が家から歩いて10分。市場に買い物の行き来に、観光客の人にエッグタルトの?と聞かれます。あそこ、と指差す私ですが、私が美味しいと思っているエッグタルトのお店は別のところです。

 エッグタルトをお土産にとお考えの方は、是非タッパウェアをご持参ください。なにぶんにも壊れ易いものですから。

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水滴

2014年04月23日 | 身の回りのもの

雨、23度、95%

 今向かっているPGのすぐ横に、染付けの水滴があります。毎日見るとはなしに目に入って来るもの、どんな好きなものでもあまりに身近にあると、観ているのではないことに気付きます。毎日の掃除の時に横に置き、机を拭きます。手にとっているのに、毎日のお決まりの動きの中で、私の意識は水滴を水滴として観ていません。

 昨年末は、賀状を書きませんでした。年が明けて、封状の表書きの時に1,2度硯を出して来たでしょうか。筆を持つといいっても、年に2度のご挨拶のとき、熨斗を書く時だけになりました。筆ペンなどという便利なものもありますが、どうも墨汁の色が好きでありません。色ばかりか、匂いも好きではありません。おかげで、ずっと硯と墨と水滴のお世話になっています。

 この染付けの水滴は、2年ほど前に実家の整理の時にもらって来たものです。母が施設に入ってから2年がかりで片付けた家です。達筆だった父と母、家には幾つかの水滴がありました。コレクションというほどのものではありませんが、実際に使わずに、ガラスの扉のついた本棚の中に飾られていたのがこの水滴です。小さい頃から見馴染んだ水滴もありました。きっと、母が随分後になって求めた水滴だと思います。名も入っていますが、どこの焼き物かもどこで買い求めたのかも知りません。

 実家の整理で、捨てるもの取っておくもの、この2つに整理した後、実際に手元に残したものは、ほんの僅かのものでした。時間をかけて判断することもなく、即時に決めて行きました。こんな時、兄弟のいないのが幸いです。兄弟でもいれば、いちいちお伺いを立てなくてはいけなかったでしょうから。残しておくものの中から、これまた幾つかのものを香港に持ち帰りました。以来PCのすぐ横に毎日鎮座しています。

 珍しくボーッと机に向かっているとき、目に留まった水滴を取り上げてみました。コロッと持ち重みのある水滴です。よく見ると、歪みがあります。少し左の肩が落ちてるといった風情です。手捻りで作られた水滴らしく歪んでいます。水を注ぐと、後引きします。まるで欠点だらけです。使う度にこの後引きに、舌打ちする自分がいます。でも、手の中でコロコロ転がすうちに、なんだかこの水滴が自分のように思えて来ました。

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地図帳

2014年04月22日 | 日々のこと

曇、22度、93%

 イースター4連休の最後の昨日、天気予報が外れて小雨にどんよりと曇った一日でした。そのうえ、主人まで予定変更で一日家にいることになりました。まあ、こういう日は一日ゴロゴロしているのが一番、と決め込みます。思ったより主人が早く起きてきました。リビングで何やらPCで仕事を始めます。いそいそと、主人のベットを整えて、流しも放ったまま、主人のベットの上にと上がります。

 主人のベットが我が家の中で一番広いスペースを占めています。この上なら小さなお供のモモさんが少々暴れても、私が何を散らかしても気になりません。お供を従えて、ベットの上でゴロリ。さて、今日は一日ここで本を読むことにします。いえ、私はよほどのことが無い限り、ソファーかベットでごろりとなって本を読みます。机に向かって本を読むなんて滅多にありません。小さい頃から寝て本を読むことは禁じられていました。18で実家を出てからずっと、ベットでごろりと本を読むようになりました。

 ベットへのお供は、モモさんばかりではありません。 読みかけの本だけでなく、辞書に辞書を見る為のめがね、地図帳を携えてベットによじ上ります。調べごとがある時、手元にめがねと辞書と地図帳がないと、起き上がらなくてはなりません。面倒です。時間どきには、おやつにお茶も持ってベットの上に。これで、2時間は安泰。

 私がずっと使っている地図帳は、高校の時のものです。昭和47年発行、二宮書店から出た地図帳をそろそろ40年近くも使っています。ロシアではなくソビエト連邦です。つまり旧世界地図です。世界地図が変わり始めた頃から、新しいものを買おうかおうと思ってきました。ドイツだって、この地図では西と東に分かれたままです。本屋で見る地図帳は、やたらに厚いものばかり、寝て見るには腕の力が必要です。結局、新しくしないまま今に至ります。辞書の方は革表紙にも関わらず、ページが抜けて来たので20年ほど前に買い替えました。

 この地図帳、中を見るとおかしくなります。高校の地理での書き込みが一杯です。木材の集散地だとか、綿工業だとか書かれています。40年前のことですからこの地図の書き込みにはIT産業の中心地なんていう記述はありません。古い地名、古い国名、確かに買い替えなくてはならないのですが、機を逸しています。実家を離れて以来、私とずっと一緒にいるのは4冊に辞書とこの地図帳です。沢山のことを教えてくれました。この40年、行った土地も随分増えました。高校の頃の私は、きっとこの地図帳を見ながら、いろいろな土地やそこに住む人のことを想像していたに違いありません。若い時の私の夢が一杯詰まった地図帳です。

 セロテープで補修されていますが、まだ使えますよ。それに、まだまだ私の夢が詰まっています。今しばらく、私のお供をしてください。

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アザミ

2014年04月21日 | 

曇、23度、90%

 昨年のことです、香港に戻る為に福岡の国際空港に向かっていました。空港敷地の柵際にたくさんのアザミが咲いているのを見つけました。紫の花といえば鉄線などよりも真っ先に思いつくのがアザミです。濃い緑のとげのある葉っぱの中に紫の花をつけます。

 先日、花市でバイモユリを求めましたが、もう少し別の花もと思い花市を一巡しました。そこで見つけたのがアザミです。たった一束だけ。アザミを香港の花市で見たのは今度で2度目です。お店の人にどこから来た花か尋ねますがご存知ありません。出身地不詳のアザミです。

 香港に来た当初は、経済が上向きの頃、まだ中国返還前の香港です。繁華街には洋食器を扱う店が沢山ありました。イギリスの窯元もドイツもイタリアも、北欧の食器だってあの当時の方が沢山ありました。イギリスの食器の店の片隅に、アザミとクローバーの模様のティーカップがそれぞれ1客ありました。古色蒼然としたその絵付けが気に入って、幾度となく手にとりました。お店のイギリス人のおばさんにクローバーとアザミの絵の由来を尋ねたところ、いとも簡単に返って来た答えは、クローバーはアイルランドの国花、アザミはスコットランドの国花だということです。それを知ったとき、イギリス連邦という言葉が頭をよぎりました。イギリスではないイギリスです。そしてここ香港も、イギリスでないイギリスでした。

 アザミを漢字で書くと、薊です。私はこのお名前を持つ方を存じ上げています。お年は私よりひと回り以上も上の方で、香港には既に50数年お住まいです。50数年前、横浜からこの香港に嫁いでみえました。家柄のある大家族、しきたり通りに男の子を授かるまで出産を重ねたと聞きます。沢山のお子さんに今では沢山のお孫さんまでおいでです。きっとたくさんのご苦労があったに違いありません。それなのに薊さん、ちっともそんな風には見えません。お会いするときはどんな場であろうと、ヒールの靴を履いていらっしゃいます。ヒールの線と背中が一直線。きちんとセットされた髪にその時その時に合った服装です。きっとお家の中では日本語を使われることがないでしょうのに、話される日本語も書かれる日本語もきれいな日本語です。そのうえ、こんな年下の私までが気安く薊さんと御呼びするのを許してくださいます。お許しがあればお写真を載せたいほどです。素敵な方と簡単な一言では言い表わせないほどの方です。つまり、私の憧れの人です。

 トゲトゲのある葉っぱ、 その中にしっかりとした紫の花をつけるアザミ。これからもアザミの花を見ると、薊さんを思い背筋を伸ばし、遠くスコットランドの野辺に咲き乱れるアザミに思いを馳せることでしょう。

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