チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

花屋の名前

2014年02月28日 | 日々のこと

曇り、17度、89%

 先日、日本の雑誌を見ていると、東京の有名なのか人気なのか、花屋さんが10数店取り上げられていました。味も素っ気もない、ニコリともしない香港の花市の花屋さん、そんな花屋さんから大束の花を求める私です。日本の花屋さん、ディスプレイも素敵、コックリした色の花束が店先に飾ってあったり、その特集を食いいいるように見ていました。その店のフラワーデザイナーの人まで写真で紹介されています。やはり、素晴らしい花屋です。香港のセントラルの花屋さん、市場とは違いますが、日本の花屋さんのような華やかさはありません。

 ふと気付くと、花屋さんの名前がほとんど横文字です。しかも、一時期のような何々フローリストではなく、フランス語。カタカナ表記ではありません。気になって、所在地も確かめると、ほとんどがファッションのメッカといわれる一帯に集中しています。この雑誌、東京のタウン誌ではありません。東京のことを書けば見る人も多く、地方の花屋さんも刺激を受けるかもしれないけれど、何でまた、花屋さんの名前が横文字ばかりなのでしょう?たった1軒、老舗の漢字で屋号のある花屋さんが紹介されていました。

 東京は、フランスでも有名な花屋が支店も出しています。横文字の花屋のデザイナーの人も、そういう店やフランス、イギリスで学んだ経歴のある人のようです。その屋号ひとつとっても、思い入れのある言葉のようです。華やかな街の1本裏に入った辺に、フランス語の名前を掲げている花屋を想像します。確かに、なんだかいい感じです。そのいい感じが好きな人は、そうした花屋で、お値段にいろいろな付加価値を付けた花を買って行くのです。

  花も生きています。横文字やどこでアレンジを学んだとか、そんなこと関係なく、花を人に届ける、花の命を人に届ける、しかも、手頃な値段で。そんな花屋があるといいなと思います。

 花を売り歩くおばあさんがいる日本海に面した街のことを、以前テレビで見たことがあります。若い時からずっと、おばあさんになるまで花を家々に運んで来たおばあさん。このおばあさんが逝ってしまったら、この街の花はどうなるのかな?と思いました。

 金銭的に豊かな人は、花ひとつにでも何か付加価値を付けてお金を払うことが出来るでしょうが、ほんとの豊かさって、そんなものかなあ?

 私が花屋を始めたら、屋号は、「花屋 下川」です。どうぞ宜しく。

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モネ、風景をみる眼  国立西洋美術館

2014年02月27日 | 日々のこと

曇り、19度、92%

 何故、絵画を観に人は集まるのでしょうね。香港では絵画の展示は稀です。そんな理由もあって、帰京するときは、どこかに必ず絵を観に行きます。東京の大きな美術館は、いつ行っても人が行列です。東京ばかりかアムステルダムに行ったときのゴッホ美術館も、雪混じりのみぞれの中をあらゆる人種が行列して入館しました。東京の南から、いくら交通の便が良くなったといっても、北の上野を目指す私は、どうして絵など見に行くのか、自分でもはっきりと解らないまま、国立西洋美術館に入りました。

 モネと題打たれているこの展示は、西洋美術館所蔵の松方コレクションからのものとポーラ美術館から出展されているものから構成されていました。実際は、100点あまりの展示物のうちモネのものは30数点、他は同時代の画家の作品です。たとえば、セザンヌ、ピサロ、ゴッホ、ゴーギャン。、シスレー。並べると確かに豪華な顔ぶれです。

 モネというとやはり「睡蓮」を思い浮かべます。ちょうど日本ブームがパリの画家たちの間で起こっていた頃、モネは自分の家の睡蓮の池に日本風の橋を架けて、睡蓮の絵を描いたというあの睡蓮です。この睡蓮のシリーズだけでも200点以上の絵があると聞きます。今回も、ポーラ美術館、西洋美術館双方から出展されています。ひとつの題材を、ここまで、幾通りもの光や視点を代えて描いた画家は、やはり珍しいでしょう。今回の2点の睡蓮も季節も違えば、タッチまで違います。あちこちの展覧会で、睡蓮を見ました。恥ずかしい話、どこの美術館のものかは、未だに解りません。私にとって、あの有名な睡蓮のシリーズは青の色の違いだけを強く残しています。モネの絵で一番好きな絵は、と聞かれても即座に答えられません。どうしてでしょう?

 今回、「積み藁」が彩色とデッサンで出展されています。私には、「積み藁」のデッサンが印象に残りました。光のモネといわれる画家のデッサンが、辺の色を振り払ったように私の目には映りました。

 筆記具を持っていると注意されることもあるので、最近は、iPhoneのメモに好きな絵や思いつくことを書き留めておきます。今回も、ゴッホの「バラ」を初めて見たとか、ピサロの「立ち話」はいつ見ても、身近に感じるとか書かれています。

 ポーラ美術館のものと思いますが、エミールガレのガラス細工が数点でていました。実に興味深い作品です。

 さて、何で、私は絵を観にでかけるのでしょう?まだ、自分でも解りません。単純に好きだからでしょうか、絵の深い知識もない私です。この色が好きとか、そんなたわいもないことかも知れません。大きな絵を見あげる私、小さな絵に見入る私、そんな自分の姿を想像すると、声を上げて笑ってしまいました。

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香港マラソン その前 その後

2014年02月26日 | 香港

ガス、18度、95%

 今月の16日日曜日、第18回の香港マラソンが行われました。年々参加者が増え、7万人を優に超えているそうです。フルマラソンばかりか、10キロマラソン、ハーフマラソンのプログラムもあります。残念なことに、まだ一度も参加したことがありません。2003年に一度エントリーしましたが、ゼッケンをもらいに行く日に、母が足を骨折して、急遽日本に帰りました。以来一度も、エントリーすらしないままです。香港このマラソン以外にも近年、トレールマラソンも含めて幾つかのレースが行われています。そのどれも、日本からの参加者がいると聞きます。

 私がほぼ毎朝走る、ボーエンロードは、香港島では有名なジョギングコースです。香港島の北の中腹を東西に走る4キロの道は、3キロは車は入らず、こんもりと茂った木々に囲まれています。私のように早朝から、夜も遅くまで、走る人、歩く人が絶えません。近隣に住む人はもちろん、わざわざ、車やタクシーで走りにやって来る程の道です。500mごとに表示も出ています。

 毎年2月の中旬に行われる香港マラソンです。12月のクリスマスを過ぎた頃から、走る人の数が徐々に増えて行きます。早朝ですら通常走っている人の倍くらいに人数です。狭い香港で行われるマラソン、長時間に渡って交通規制をするわけには行きません。10キロマラソンはスタートが、例年朝の5時を少し回った頃です。それに体調を合わせるべく、早朝のランナーが増えます。10キロだからと侮れません、急に体調を崩して亡くなる危険性もあります。香港では一番寒いこの時期に、走る人が一番多くなります。そして、香港マラソンが終わると、この俄に増えたランナーたちは、姿を見せなくなります。やっと、普通のボーエンロードに戻ったかといえば、そうではありません。

 香港マラソンが終わった翌日から、なんとそれまでとは違った顔のランナーがやって来ます。毎年同じ現象です。尋ねたわけではありませんが、香港マラソン後にやって来るランナーは、マラソンを見て、来年は自分も参加しようと思う人か、実際参加して思ったような結果が出せずに、来年こそはと思う人たちではないかと推察しています。今年はマラソン明けの17日から日本に帰っていました。戻って来て、ボーエンロードに走りに出ると、やはり新しい顔がちらほら見れます。

 初めて会うランナーにも、必ず、「Good Morning.」とか「チョウサン」と朝の挨拶をします。出来るだけ続けて来て欲しいと思うからです。ところが、この香港マラソンが終わって走りにくる人たちも、直ぐに姿を消してしまいます。そして、10年以上も毎朝会う同じ顔ぶれだけが残るのです。

 あとひと月もすると、これまたほんの少しですがランナーの数が増える頃があります。暖かくなり始めると、薄着になります。早ければ来月には海で泳ぐことも出来ます。そうです、冬の間太ってしまった女性たち、痩せるためにやって来ます。ところが彼女たちも、ほんの1週間も続くことなく来なくなってしまいます。早朝のランニングは、走ること以外に、朝早く起きるという負荷がおまけに付くので、なかなか難しいのだと思います。

 そろそろ、いつものランナーだけのボーエンロードに戻ります。これで、ハクビシンも、ハリネズミも安心してうろつくことが出来ますよ。ああ、いけません、私の苦手な蛇もお目覚めの時期になりました。

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木製のクッキー型

2014年02月25日 | 身の回りのもの

曇り、17度、83%

 子供たちにお菓子作りを教えるとしたら、やっぱり初めは、クッキーかな?しかも、クッキー型で抜くクッキー。粘土細工の延長みたいだし、生地がだれないように、バターを少なくすると失敗がないお菓子作りです。型抜きのクッキーは、手軽に出来るけど、タルト地が余った時に作るぐらいですっかりご無沙汰しています。

 抜き型ではありません。クッキーの生地に模様を付ける、木で出来たローリングピンを見つけました。 縦に3模様、4列、つまり12の違った模様が彫られています。アメリカのものです。延ばしたクッキーの生地の上を、もう一度このピンをおして模様を付けます。最後は切り分けて焼くだけです。

 動物や花、十字架に昔の遮断機やゴーストバスターズに出てくるゴーストのような模様が額と一緒に彫られています。アメリカのものですが、すごく細かく丁寧に彫られた型です。このロールピンは飾っているだけでも楽しめそうです。ワクワクと家に持ち帰りました。

 さて、クッキーの生地の配合です。バターがたっぷりのクッキー、サブレが好きなのでだいたいの配合はそらで覚えています。バーターの量を減らして作ってみました。1回目、模様は生地の段階では付くのですが、焼くとあれあれ、膨れて模様が薄れます。2回目、もっとバターを減らしました。それでも焼き上げると、細かく彫られた部分がやはりぼんやりとしか出てきません。3回目、まだバターを減らします。やっと、細かい模様が残る程になりました。  この動物の目もちゃんと付いています。周りの額も、細かい模様が入っています。ところが焼く度にクッキーは軽くなり、触れ合うとカラカラ音がします。硬めのクッキーです。私の好きなしっとりクッキーではありません。それでも、この模様の可愛さは殊更です。

 いやあ、3回も焼きましたから、毎日クッキーばかり食べてます。お抹茶だってクッキーと一緒です。

 和菓子の打ち型の精巧さが好きで、あんな型を使ってお菓子が作れたらと思い続けてきました。クッキーなら簡単かと思えば、うーん、甘く見てはいけません。型を彫るのも職人芸なら、型を使って菓子を作るのもまた職人の技かもしれません。職人技にはなりませんが、しばらくクッキーと格闘です。

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ゆめちからブレンド(国産小麦粉)を使ってプルマンローフを焼きました

2014年02月24日 | パン

曇り、15度、88%

 パンを買っていた頃には、考えも付かなかったのですが、パンを焼き始めると、気になるのが粉です。パンですから、概ね強力粉。しかも、日本なら何でも揃うところが、ここ香港では、パンを家庭で焼くなんて、20年以上前には珍しかったので、強力粉の入手には、ほとほと手を焼きました。日系のパン屋さんに知人がいた頃は、お願いして粉を分けていただいていました。近年は、世界中から粉が集まって来ています。タイや韓国の粉まで試してみました。それがここにきて、ホームベーカリーの流行です。お高い日本の強力粉まで店頭に常時並びます。ありがたい話です。

 2、3年前から、日本国産の小麦粉が気になり始めていました。パンの延びやこしや引きの強さはどんなふうだろう?そんなことを考えていると、昨年、銀座にオープンした食パンだけのパン屋さん、3種類しかない食パンのひとつを国産小麦粉で作っていることを知りました。その強力粉の名前は、「ゆめちから」。北海道の小麦から作られています。

 「ゆめちから」、どうにかこの粉を手に入れたいと切に望んでいると、昨年香港にもオープンした富澤商店で扱っています。我が家にあったストックの粉を使い切って、大事に抱えて帰って来た「ゆめちから」です。ただし、このゆめちからはブレンドものです。100%「ゆめちから」ではなく、他の中力粉を混ぜてあります。

 我が家の2斤型には粉を650g使います。 粉によって加減するのは、水の量です。スタンド型のミキサーでこねて、最後は手でこねます。ここで、生地の柔らかさ、弾力などを確かめます。一時発酵を終えると、縦延びも横延びもする生地でした。この確認をしていないと二時発酵の時間が読めません。

 焼き色ばかりは初めて使う粉では、皆目分からないので、スタンダードな焼成温度、時間を設定します。プルマンの蓋を開けると、 いい色に仕上がっています。 型から出してみました。やや持ち重みのある柔らかなプルマンローフです。柔らかいせいか、角がきちんと立っていません。

 ゆめちからのパンの評判は、モッチリとしたきめの細やかさ、耳まで柔らかい、とあります。完全に冷めたパンを一切れ切ってみました。 この切り口を見ただけで、思わずわーっと言ってしまいました。通常、21枚に切り分けるのですが、柔らかいので、18枚にしか切り分けられません。

 さて、お味の方は。確かにモッチリとしています。お餅のようではありません。モッチリというよりしっとりとしています。そして、評判通り、耳も柔らかい。粉の旨味も感じられます。残念なことに、粉のというか、小麦の香りが薄いように思います。

 大手のPASCOでも、ゆめちからというパンが出ているそうです。こちらは米粉もブレンドして作っているそうです。

 初めての国産小麦粉のパン、ここまで、粉作り、小麦造りにこだわるのはやはり日本人です。そして、このパンも日本人が喜ぶ食感だと思います。ゆめちから100%の粉で、パンを焼いてみたいと思っています。カナダ産の小麦で日本で製粉された小麦粉の香り、オーブンから立ち上がってくるあの香りを、ゆめちからにも持ってもらいたいものです。

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オランダのアネモネ

2014年02月23日 | 

曇り、14度、82%

 先日、お嫁さんと孫のいる病院を訪ねる時、小さなブーケを持って行きました。たった5日の入院と聞いています。残りは2日だけ。都心の大きなターミナルの中に小さな露店の花屋さんがあります。手頃な値段で買える小さな出来合いのブーケが店先を飾っています。もしかしたらお花は、病室には止められているかもしれません。そんなことも考えて小さなブーケを買いました。

  黄色いバラ、ガーベラにスイートピー、アネモネのブーケです。アネモネを見たのも、スートピーを見たのもほんとに久しぶり。優しい柔らかそうなスイートーピーは、なんだか我が家のお嫁さんのようです。無事に病室に入れてもらえた小さなブーケ、看護婦さんがコップを持って来てくれました。大袈裟な花瓶なんていらない小さなブーケは、ちょっと嬉しい時、ちょっと寂しい時、手土産代わりにと重宝なものだと思います。

 私が留守中は、切り花の世話をしてくれる人がいません。水を替える、枯れた花柄を取り除く、小さなことですが、お手伝いさんにはどうでもいいことのようで、すっかり枯れてしまった花が私の帰りを待っていたことがありました。以来、切り花は全て始末して旅に出ます。香港に戻った翌朝一番に、九龍サイドの花市に向かいました。

 旧正月、バレンタインデーと花市にとって書入れ時が過ぎて、いつもの花市の朝の光景です。お店の人たちの荷下ろしも、心なしかのんびりしています。先日紹介した昆明からのチューリップが、色も様々に入って来ています。やはり春はチューリップね、と思わせる程です。ムスカリ、ヒヤシンスなどの球根の花がオランダからはいって来ています。ラナンキュラスも昆明のもオランダからも色取り取り。でも、心の片隅であの小さなブーケのスイートピーやアネモネを探しています。記憶をたどっても、スイートピーだけはこの花市で出会ったことがありません。

 数件しかないオランダからのものを扱う花屋の一軒の一番奥に、たった2束だけアネモネを見つけました。この店は、ほんにごく稀にクリスマスローズも入れてくれます。アネモネの色は赤と白。迷って赤を買い求めました。まだ堅いつぼみです。病院に持って行ったブーケーのアネモネもつぼみだったのに、水に浸けるや花開いたことを思い出します。赤いアネモネ、真っ赤かと思えば少し黄色ががった赤やピンクっぽい赤まであります。ゆるゆると開いたアネモネ。他の花なら葉を落とすところですが、まるで、襟巻きのようにギザギザの葉が花を囲んでいます。枝先を少し落として、ほとんど手を入れないで活けてみました。

 例年より少し寒い香港です。一足早く、我が家には春が来たようです。

 

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マリアージュフレール カヌレの紅茶

2014年02月22日 | お茶

曇り、13度、78%

 家を数日空けて戻って来て、一番に、ああ、我が家だなと落ち着いた気分になるんはどんな時でしょう?お風呂にゆっくりとはいった時、座り慣れた自分の椅子の体を沈めた時、自分の匂いがする寝床にすっぽりと納まった時、奥さんが煎れてくれるお茶を一口、口に含んだ時。みんな様々でしょう。この私は、自分のために紅茶を用意するときです。

 一歩家から出ると、紅茶は頂きません。友人宅で紅茶を出してくださるときは、お願いして最後の最後、出がらしでいいと言います。紅茶が美味しいという有名なお店でも、なんだか物足りなく思う紅茶です。だから、一歩家から出ると、完全にコーヒー党に変身します。

 コーヒーだってそうですが、熱々でなくてはまず美味しくありません。日本茶ではありませんから。紅茶だとその次が香りです。そして、やはりタンニンが出るひとつ手前の濃さが私には必要不可欠です。紅茶の色は、葉っぱの産地によって違いますから、好みはセイロンの澄んだ赤、いえ、オレンジといった方がいいでしょうか。美味しいお店の紅茶は、温度もきちんとして、葉っぱの量も抽出時間もマニュアル通り、カップも熱々です。それでも、お金を出して外で紅茶を飲むのは控えます。

 今回も香港に戻って、一晩明けた次の朝、ゆっくりと自分のための紅茶を煎れました。 葉っぱの量が紅茶によって加減出来るので、やはりルーズリーフの方が好きです。葉っぱの量は、紅茶の種類ばかりか自分の体調、季節によって変えて煎れます。全部トレーにのせて、何も考えずにボーッと葉っぱが開くのを待ちます。砂時計も時計も使いません。軽くポットを揺すって、ストレーナーを通って汲み出された紅茶の最初の色目で飲み時か、そうでないかを判断します。カップを口元に運ぶと、大きく香りを吸い込みます。折角の熱々です。時間をかけてゆっくりなんかしていたら、冷めてしまいます。胸元を落ちて行く紅茶がまだ熱く感じる内に飲み上げます。

 昨日は、出かける前に買い求めておいたマリアージュフレールのカヌレの紅茶を入れました。カヌレ、あの真っ黒こげの小さなフランス菓子です。この紅茶はフランス菓子シリーズのひとつ、タルトタタンやマカロンの名前のものもあります。タルトタタンは、ルイボス。マカロンは緑茶でしたか?、紅茶は、カヌレとチョコレートスフレだけしかありません。缶に書かれている文章がまたなんともいい、子供の頃を懐かしむお菓子の数々、ふと懐かしさを呼び起こすお茶だと書かれています。私は日本人ですから、カヌレやマカロンに懐かしさはありません。私だったら、どんなお菓子の香りがいいかなと思いながら、紅茶を飲みました。不思議なことに何故だか懐かしい香りに感じます。

  こんな葉っぱです。香港では、TWGの大きなお店はありますが、マリアージュの紅茶は、扱っているお店が限られていますし、種類もほんのわずかです。それでも、ずっとマリアージュのファンです。この紅茶も、飲み終えると、ああ、マリアージュの紅茶だわ、と後に残る深い香りが好きです。

 一人で煎れるお茶は、どれも葉っぱの量をケチりません。そして、ゆっくりと待ちます。やっぱり、我が家です。

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モモさん

2014年02月21日 | もも

曇り、13度、83%

 いつもより少しだけ長く家を空けました。日本に向かうときは、孫の誕生で気もそぞろでした。そして、香港に帰るときはいつものことですが、モモさんのことを思って、これまた落ち着かない機中での時間をすごします。

 昨晩は、私が戻ってくるのと入れ違いに、主人は既に出張に出かけています。私の帰宅より少し早くお手伝いさんに帰ってもらっていましたので、私が戻ったときはモモさん一人。ドアを開けるや、私のベットから飛び降りてきました。実は、日常では私の帰宅では、モモさん起きてくることなどありません。あー、帰ったの、ってな具合です。長い留守の後は、抱いてやろうにも、抱けない程きりきり舞い。悲鳴に近いなき声と体全部で私を迎えてくれました。

 お風呂にお湯を溜めながらゆっくりと荷を解いていました。いつもはモモさんにお土産などはありません。でも、お嫁さんのお里からモモさんへのお土産を頂いていましたので、2粒だけご褒美にあげました。行ったり来たりしてふと振り返ると、あらあら、トランクの中に座り込んでいます。

 トランクを使うまでは、大きなボストンバックでした。その頃も、私が帰って来ると、ボストンバッグの上に乗って動きませんでした。 この写真、3歳の頃のモモさんです。一番太っていた頃です。単に、私の邪魔をしているのではないように思います。

 今度の帰国の一日前、孫の出産の知らせを待つ主人と私、何となく落ち着かない日曜日を過ごしました。そんな時も、 こうして、いつも側にいてくれるモモさんです。はい、今も狭い私の膝の上で丸くなっています。

 私が留守にすると、いつも太ってしまいます。今日から少しダイエットです。 お留守番ありがとう、モモさん。

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桜坂

2014年02月20日 | 日々のこと

晴れ、2度、79%

 新しい家族の誕生を待つ息子夫婦は、昨年の末、新しい家にと引っ越しをしました。移った家は、我が家が東京を離れるまで住んでいた所にほど近いところです。つまり、息子が産まれてから小学校の2年までいたところです。戸籍の用事があるときは、時々やって来る街です。少し歩くと、多摩川に出ます。多摩川の河川敷から、下流を見れば新幹線も見えます。川向こうの川崎も背の高いビルが増えました。そう、もう30年近くも前ですから、当たり前のことです。当時は光化学スモッグ注意報が発令されると、高台の公園のスピーカーで家に帰るようにと知らされていました。

 私鉄の鉄橋の上流には、巨人軍の練習場がありました。川沿いに建つスイミングスクールもちっとも変わっていません。息子に最初に水泳を教えたのはこの私です。まだ、スイミングスクールに入る前のこと、必ず浮かぶと信じている私は、水の中に放り込みました。この3日間、ゆっくりとこの街を歩きました。永く離れているのに、自然と体が道を覚えています。息子は自転車に乗り、てつという名の犬を連れて多摩川沿いによく散歩をしたものです。雪がまだ残る土手を歩きながら、もうすぐこの土手にも、ヨモギやツクシが出て来るだろうと思います。硬く地に張った雑草の所々には、土饅頭が出来るのもその頃です。土まんじゅうを作るのはモグラです。暖かくなると確か以前は、ボート屋さんまでありました。沢山のハトがいたのに、今では一羽も見かけません。主人を駅に送ったその足で、小さな息子を乳母車に乗せ、あるいは手を引いて、毎日通った多摩川です。その息子が父親になりました。

 高台の公園の桜は見事です。息子の家の近くには桜坂があります。近頃、歌にも歌われて桜見に来る人が増えたそうです。坂にかかる陸橋の上から眺める桜は、また、違った趣があるのかもしれません。

 ひと月後、お嫁さんと孫は、お嫁さんのご実家から戻ってきます。そろそろ桜が咲き始める頃です。うっすらと香る桜が、お嫁さんと孫を私の代わりに迎えてくれるはずです。

 この3日間、少し昔を振り返りすぎました。雪の予報が出ていたにもかかわらず、昨日から、雪予報は姿を消してしまいました。今日も、雲が多いながらも晴れそうです。気持ちを入れ替えて、香港に帰ります。

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あこちゃん、Wellcome to the world.

2014年02月19日 | 日々のこと

晴れ、2度、72%

 東京は、14日、15日の雪の名残が、まだここかしこにあります。北向きの屋根には、真っ白く残ったままの厚ぼったい雪すら見られます。昨日などは気温も上がりお天気がいいにも関わらず、道端に搔き上げられた雪は溶ける様子もありません。日本各地ですらこんな大雪は何年ぶりとのこと、まして、香港生活が長いこの私は、こんなに雪を見たのは30年ぶりくらいのことです。

 晴れ渡る関東の空の下、そんな雪の残る景色を見ながら多摩川を超え、多摩丘陵の街へと向かいました。17日の午後、36時間の後にやっと産まれた初孫に会いに行くためです。

 幾度かの陣痛を経験し、明け方の大雪が積もる中を病院に向かったこともあったそうです。お嫁さんのお父様、息子は、車を出すために雪かきをしたのだと聞きます。笑って、あの時は大変だったね、と言っていただけるのも、赤ちゃんの無事な出産のおかげです。

 孫に会う、実のところまだ、お婆ちゃんになった実感などありません。お嫁さんのふっくらした笑顔に迎えられました。36時間の出産は、やはり、随分と堪えた様子です。一日目の新米のお母さんの彼女は、それでも、しっかり母親の顔に変わっています。彼女がおして部屋から出て来たコットの中の小さな赤ちゃん。初めまして、あこちゃん。

 授乳の後でまだ目が覚めています。コッとを覗き込んだ私に、ホッと目元が笑っているようです。あこちゃん、ようこそ。

 赤ちゃんお存在がこんなにも暖かなものだとは、恥ずかしい話、今さらのような感じです。36年前息子を産みました。8ヶ月の早産でした。息子は出産後すぐに救急車で、未熟児室のある広尾の日赤病院に運ばれました。息子に初めて会ったのは出産後4日目、私が入院している病院の先生にやっと外出許可をもらって、出かけたにも関わらず、ガラス越しにコットに眠る自分の子供を見ることしか許されませんでした。

 私の出産後1週間の入院中、病室を尋ねて来てくれたのは主人だけでした。私たちは、両方の両親の反対を押し切っての結婚です。覚悟なんて、そんな立派なものも持ち合わせていません。ただ、この子を守るのは自分しかいないと、心に決めていたように覚えています。沢山の人に祝福されての出産ではありませんでした。まだ、息子が結婚する以前から、彼のお嫁さんには私が味わったような思いはさせてくない、そう思い続けてきました。

 おかげさまで、お嫁さんの暖かなご家族にも囲まれています。仕事で香港を離れられない主人も、こうしてみんなが集まっている時に電話を入れてくれます。きっと、これが普通のこと、当たり前のことです。よかった、ほんとにこの一言だけが私の本音です。

 お嫁さんが、そっとあこちゃんを私に渡してくれます。この重み、この暖かさ。

 あこちゃん、お嫁さん、息子、お嫁さんのご家族、そして、主人に、ありがとう。この、36年間、私の心のどっかにあった硬いものが、やっと解きほぐされたようです。

 高台の病院の窓から見えるのは、雑木林に残る雪景色です。あこちゃんを囲むその部屋は、不思議な温かさに包まれていました。あこちゃん、ようこそ。

 息子夫婦の許可を得て写真を載せます。

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