チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

ラベンダーが咲き始めました。

2020年11月30日 | 

曇、8度、76%

 表の道に面してラベンダーばかりを植えている一角があります。 全部で5種類、それぞれが花をつける時期が違います。ラベンダーは寒い地方に育つものだと思っていましたが、この福岡でも大きく育てることが出来ました。品種改良で暖地にも向くものが開発されているそうです。

 5種類のうち花も葉も香りのいいものもあれば、全く香りのない花を咲かせるものもあります。葉の形、花の色もそれぞれ違います。3年前帰国してご近所の庭にちょうど今の我が家くらいに育ったラベンダーを見たときは、羨ましいやら自分に庭でも育つだろうかと危ぶんだものです。3年経ち高さ60センチほど、見事に大きさは望みを叶えてくれました。それぞれの色の違いが緑のグラーションを作っていて一年中緑が絶えない一角です。

 家の軒下、西日の当たる一角ですが手もかけずに育てています。西日の強さは、ときには草花をダメにしてしまいます。ラベンダーは丈夫な植物です。小さな苗を買ってきて植え付けました。今では茎は木質化して根の張りも見事です。塀がない我が家の表道沿いにこの緑のベルトはアクセントを与えてくれています。

 帰国した当時、大きな株だったご近所のラベンダーが一昨年急に枯れてしまいました。ラベンダーにも寿命があるのかもしれません。このラベンダーの一角を維持するために、来年は挿し木で苗を作ろうと考えています。

 寒さに向かう中、緑の豊かさはありがたいものです。梅雨前にはバッサリと切り込まれて、今の時期の半分ほどになります。「次はどれが咲くかしら?」欲を言えば、5種類全部が一度に咲いて欲しいと思います。「全部が咲くとさぞ見事だろうなあ。」と夢見ます。

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カーテンをつけようか?迷っています。

2020年11月29日 | 日々のこと

晴、8度、68% 

 新建築の家やマンションの並んだ窓にカーテンがかかっている様子は美しいなあと思います。カーテン越しに見る外の景色も風に揺れるカーテンも趣があります。外観上、人目につくカーテンです。建物との調和が肝心です。

 3年目のこの夏、この家のことで気付いたことがありました。夏の盛りから秋口にかけて座敷に朝の10時過ぎまで強い日差しが差し込みます。以前は気にならなかったのに、この夏は座敷の縁側で毎日刺繍をしていました。クーラーをつけても日差しの強さで、一向に涼しくなりません。しかも、絨毯や家具にまで日は差しています。窓の外に「よしず」を建てようか考えました。「よしず」を見に行ったものの作りが良くありません。「簾」をかけようかと思いましたが、これまたお手軽な作りのものばかりです。

 座敷と呼んでいますが、改築で板張りになり、「回り縁」は一部が閉ざされ、縁側から一歩入ったところにあったガラス戸は取り外されています。 空間的な広がりを求めた結果です。

 改築前は冬は「ガラス障子」、夏になると竹簾を使った「夏障子」が入っていました。日本らしい季節感を大事にした空間でした。

 迷っっているうちに秋になり、寒さがやって来ました。縁側のガラス窓は2重ガラスです。夜には今式の雨戸を閉めます。それでも広い空間は寒々としています。夏の日差しと防寒のために「カーテンをつけようかな?」と思い始めました。

 散歩の時は同じ年代の日本家屋にどのようにカーテンが施されているかを見て回ります。回り縁の家でもレースのカーテン付きの2重カーテンが大半です。カーテンが当たり前の世の中です。私は今だにこの「以前の座敷」にカーテンは似つかわしくないのではと思います。下の道行く人からもこれだけの窓のカーテンは目につくはずです。

 ロールカーテンも考えましたがあまり防寒性はなさそうです。家は住んでみて少しずつ不備を改善して行くものです。このままを保ちたいのが本音ですが、日除け、防寒の対策を考え中です。ここ数ヶ月、私の頭の中を行ったり来たりの悩み事です。

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インドの木型染め

2020年11月28日 | 身の回りのもの

晴、11度、68%

 机の引き出しから小さな木型が出てきました。ちょうど日本のハンコと同じ大きさです。彫られているのは文様、ペイズリーもあります。この木型を買った時のことを思い出しまた。

 20年前のニューデリーの駅前です。当時はインド一の雑踏と言われていた場所の一角に無造作に木型は売られていました。大きな布染め用の木型もありましたが、荷物を重くしたくありません。小さなものだけを買い求めました。スリが多いと言われていた場所です。主人がそばで「気を付けなさいよ。」と見張ってくれていましたっけ。

 布が好きです。実際に私が身に付けるものは無地ばかりですが、テーブルクロスやべットカバーなどには色鮮やかな模様のものを選びます。インドに行く度に帰りは重たい布を抱えて帰って来ました。サリーのような絹物は日本の和服を見慣れている目には違和感があります。お土産で頂戴したサリーやパンジャブスーツは日本帰国時に始末しました。

 木型を使った染付は日本のそれと変わりありませんが、文様が違います。色遣いも違います。布を売る店に行くとどれもこれも欲しくて目移りしました。 香港でもインドから布が入ってくる店がありましたが、値段がインドに比べたら倍近くにもなります。 まさかインドに度々行くことになろうとは思わなかった頃は、そうした高い布を買い求めていました。 これはスカーフのインコです。柔らかな木綿の布に染められた花や模様がとても心に馴染みます。 ペイズリーはインド発祥の文様です。日本でも人気があるフランスの「ソレイヤード」の布はマルセイユに荷揚げされたインドの布を真似て作られ始めたと聞きました。「ソレイヤード」も木型を使った染付です。「ソレイヤード」も好きで布を数持っています。同じ模様でもフランスらしい色合いと布地が違いフランスらしさが出ています。インドの布はどちらかというとザックリと重いものです。

 木型の染付は布ばかりか紙にも施されます。 カードや便箋に使われています。 

 手彫りの木型です。木型染めはパターンの繰り返しですが、 この布のように細かい模様、幾つもの木型を使った布もあります。

 インド「ジャイプール」の郊外には染付を見学できる場所があるそうです。できることなら今一度訪れてみたいインドです。小さな木型からインドを思う一日になりました。

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「おはようございます。」

2020年11月27日 | 日々のこと

曇、13度、86%

 30年近く朝の挨拶は「チョウサン」「グッドモーニング」のいずれかの生活でした。家の中では主人に「おはよう」ですが一歩外に出ると、広東語か英語での挨拶です。朝、挨拶を交わすのは世界中言葉は違っても同じです。「おはようございます。」一辺倒に戻ってそろそろ4年になります。

 朝一番に誰に「おはよう。」と声をかけますか?私は鏡の中の自分に向かって「おはよう、真奈さん」からスタートします。寝起きで頭の中がモヤモヤしている時でも、「おはよう、真奈さん。」とニッと鏡に向かって笑ってみます。声に出す「おはよう」で頭も体も目覚めます。

 早朝に走りに出ます。ほぼ同じ道を走りますので、3年間で顔見知りの方たちが出来ました。「おはようございます。寒くなりましたね。」とか「おはようございます。今日は星が綺麗ですね。」とか。同じ方向に向かっている方には追い抜きざまに声をかけます。お顔は見えませんが「おはようございます。」と返ってくるお声で今日もお元気そうだとわかります。すれ違う方は表情も見えます。初めての方でもおそらく私より年配の方だと思うと必ず「おはようございます。」と声を掛けることにしています。

 自分が声を出すことで走りながらリズムをとることが出来ます。それ以上に相手の方から返ってくる「おはよう。」の言葉に急に体が軽くなる、高揚感を覚えます。つまり速度が上がるのです。香港時代はこれを名付けて「チョウサンパワー」と呼んでいました。今は「おはようパワー」です。お声をかけても返ってこない人もいます。気にしません。大事なのは自分が「おはようございます。」と声を掛けることです。

 昨日は幼稚園に向かう知らない男の子から「おはようございます。」と声をかけられました。幼い子供からの「おはようございます」は殊更に嬉しいものです。手をつないでいるお母さんはムッとしたまま無表情、無言でした。「おはよう。」と男の子に言葉を返し、お母さんに向かって「いいお子さんですね。」と声をかけました。急にお母さん、満面の笑みに変わりました。

 「おはようございます。」は一日のスタートの挨拶ですからほかの挨拶より気持ちよく、明るくを心がけます。「おはようございます」「チョウサン」「グッドモーニング」朝の挨拶に励まされながらの毎日です。

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ガスオーブン

2020年11月26日 | 身の回りのもの

晴、11度、84%

 毎朝小さなフランスパンを焼くようになって3年が経ちました。帰国が決まった時に一番最初に頭に浮かんだのが「ガスオーブン」でした。香港生活30年間、台所のスペースで「ガスオーブン」を入れることが出来ませんでした。高温まで上がらないと思うようなフランスパンは焼けません。「電気オーブン」で我慢した30年間でした。

 家の改築で台所の什器だけは私が選ぶことが出来ました。システムキッチンの展示場に赴くと、係りの人たちはシステムキッチンに「食器洗浄器」をつけるのが当たり前だと言わんばかりです。「食器洗浄器のスペースにビルトインのガスオーブンを入れてください。」と希望を言いました。実はあと一つ、この「ガスオーブン」の横に横型の洗濯機もビルトインして欲しかったのですが、その手の洗濯機が日本にないので諦めました。

 システムキッチン選びより「ガスオーブン」選びに精を出しました。用途、使う頻度によって機種も様々です。業務用のパン焼き専用のオーブンも視野に入れましたが、肉を焼いたり魚をグリルすることは出来ません。そこで家庭用の高温まで上がるタイプを選びました。その時のガス会社の人の一言が忘れられません。「水蒸気を充満して使用すると頻度が多い場合には、一年でオーブンに故障が出ます。」フランスパンはオーブン庫内に蒸気を注入した焼きます。「一年ね。」と心に刻みました。

 毎朝、オーブンの温度をセットして火を入れます。その度に「今日も順調に働いてください。」と祈るような気持ちです。3年間故障なし。パンを焼き、お菓子も焼き、お肉を焼き、その余熱で洗濯物も乾かします。この「ガスオーブン」なしでは私の生活は回りません。

 暑い夏でもパンが焼けるまでココさんは「ガスオーブン」の前で待ちます。寒くなると、パンが出されて火を落とした後も座り続けます。冬場は台所の暖房代わりです。

 「電気オーブン」も含めると私の人生で6代目に当たるこの「ガスオーブン」、いつまで元気に働いてくれるかな?今日もまた、「ぼっ」と音を立て火が入りました。「ご苦労様」

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さつまいも 「紅小町」

2020年11月25日 | 自分ごと

曇、12度、84%

 秋になると芋掘りがあり、「さつまいも」が美味しくなります。焼いたり、蒸したりそのままの甘さが好きです。「さつまいも」にはたくさんの思い出があります。

 

 中学の頃、私はお小遣いをもらえませんでした。秋も深まると校門の外にリヤカーの焼芋売りがやって来ます。一緒に下校している友人たちは焼き芋売りのリヤカーで「これ。」と指差し、量り売りで焼きもを買っていました。私はその後ろで友人を待ちました。そんなある日、焼き芋売りのおばさんが大きな焼き芋を一つ新聞に包んで私の手に握らせてくれたことがありました。「いいから、食べなさい。」北風が吹く福岡の冬は寒く、その焼き芋の温かさとおばさんの顔を今でも覚えています。

 30数年前に香港に渡りました。市場に売られている「さつまいも」は見た目は日本の「さつまいも」と同じでした。ところが筋ばっかり、水っぽく、ちっとも甘くありませんでした。冬になると焼き芋売りがやって来ます。その芋は市場では見慣れない「さつまいも」でした。白い皮に中の身はオレンジ色、ほっくりとはしていませんでしたが甘さは十分でした。美味しい「さつまいも」に出会えないので、主人は出張で日本に帰る度に「さつまいも」を私への土産にしてくれました。その主人の様子を見て、会社の方達が出張で香港にみえる時には私へ「さつまいも」を持って来てくださいました。重い重いお土産でした。「さつまいも」の重さが嬉しさにつながりました。

 一番の思い出は、一山100円の「紅小町」という「さつまいも」が買えなかったことです。お腹には息子がいました。当時は本当にお金がなくて、最小限のものしか買えませんでした。八百屋に並ぶ一山100円の「紅小町」と書かれた「さつまいも」は通りすがりに見るだけでした。「紅小町」は色鮮やかな細めのさつまいもです。今でもざるに盛られた「紅小町」を思い出します。

 おそらくこの「紅小町」の思い出のせいか私が手にとって買う「さつまいも」は細身で小さなものばかりです。関東近辺で「紅小町」は今でも栽培されていると聞きます。当時に比べると姿が大きくなっているそうです。

 食べ物に思い出は付き物です。嬉しかった思い出、辛かった思い出も、手のひらに感じる「さつまいも」の温かさが呼び起こしてくれます。

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歯医者の建物

2020年11月24日 | 日々のこと

曇、10度、76%

 3年前帰国早々、モモさんと散歩をしていて「あら、素敵!」と目を引いた建物がありました。道に面した広い駐車場があります。「何かな?」と思い看板を見上げると「デンタルクリニック」と書かれています。歯医者です。町中、「〇〇医院」ではなく「クリニック」と書かれるようになったことにも驚きでした。

 2年前、この素敵な建物の歯医者に私もお世話になりました。歩いて3分のところにあります。中に入ってまたびっくり、日本の歯医者にかかるのは30年ぶりのことですから当然です。機械が最新のものであるばかりかデジタル化が進んでいます。香港の歯医者は機械は新しくてもビルの1室、いつも重苦しい感じがしました。

 中は採光で明るく、不安感を抱かせない音楽が流れており、建物全体が快適でした。一番驚いたのが、あの嫌な診察台が5台も並んでいます。5台の間にはパーティションがあります。視線は遮られていますが、隣での会話は聞き取れます。座ると目の前の駐車場が見えます。写真でいうと、向かって右側の部分です。外が見えると、私などは嫌な気分が紛れます。2回通っただけですが、先生の腕もいいのか賑わいのある歯医者でした。

 以来、新築の「いいな!」と思う建物はなぜか「歯医者」です。概ね、我が家近くの「歯医者」の建物に似ています。「子供の歯医者」など駐車場部分からまるで「テーマパーク」です。これなら喜んで子供が歯医者に通うでしょう。

 おそらく福岡に限ったことでなく、全国的に「デンタルクリニック」の建物が昔とは画期的に違っているのだと思います。今や病院に足を踏み入れて「クレゾール臭い」と思うことなどなくなりました。

 不思議なことに素敵な建物で働く人たちは明るい顔でテキパキと見えます。日本に帰って来てよかったと思うことの一つです。

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レモン

2020年11月23日 | 日々のこと

曇、15度、74%

 20年ほど前、初めてポルトガルを旅した時のことでした。リスボンから郊外に向かう電車に乗っていました。ヨーロッパの石造りの小さな家々の庭には、遠目からもわかるレモンの木が黄色い実を付けていました。 ポルトガルのレモンは大きくて握りこぶし2つほどの大きさ、酸味の少ないレモンでした。庭にレモンの木があることに憧れたのはこの時です。

 帰国が決まって、厚かましい私は友人の家にあるレモンの木を分けてくださいと頼みました。帰国後まもなく、寒い中、挿し木されたレモンの苗木を受け取りました。日当たりもわからないまま植え付けてもうすぐ4年目を迎えます。小さな苗木は見上げるほどに大きくなりました。春になると白い花をつけ、その甘い香りは蜂でなくても誘われます。この春もたくさんの花を付けました。蜜蜂のおかげで実もたくさん結びました。あまりに多いので20個ほど摘果しました。この夏の残暑の厳しさから、レモンが葉を落としました。葉数が少ないとたくさんのレモンを育てるだけの木の体力がありません。そこで、思い切り30個ほど摘果しました。摘果した青レモンで「チャツネ」を作りました。庭からの贈り物は無駄にできません。

 気候が落ち着いて、レモンが一つ一つが大きくなり、今年は早々と黄色く色付き始めました。昨日、残したレモンの数を数えると30個ほどです。若木の細い枝はレモンの重さで撓んでいます。 我が家の庭にも憧れのレモンがなりました。

 レモン木は裏庭にあります。古い木を数本切り倒しましたが、古木の大きな「モチノキ」や「マキの木」が残る裏庭です。この庭の塀に手を入れた時、ボルトガルの「アズレージョ」のタイルをはめました。裏庭は、3箇所全て「レモン」と「かたつむり」です。 小さい頃遊び友達がいなかった私の遊び相手は家の犬たちと「カタツムリ」でした。そして念願のレモンの木をこの庭に植えることが出来ました。この「アズレージョ」を選んでくれたのは、私の思いを知る主人です。

 大きな木が残る裏庭ですが、日当たりが十分です。晴れた日にはココさんが特等席でうつらうつら。 

 もうすぐ収穫です。さあ、レモンで何を作りましょうか。

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干し柿とチキンのマリネ

2020年11月22日 | 昨日のお昼ご飯

曇、13度、84%

 初めて「干し柿」を作りました。友人の庭で採れた渋柿は遠路やって来ました。「干し柿」が軒先に吊らされている様子にずっと憧れて来ました。2週間ほど、ずいぶんと小さくなった干し柿です。そのまま食べても独特な甘さと香りです。「干し柿」を使ったお菓子が店屋に並んでいます。お菓子もいいけど「柿なます」に使われる「干し柿」です。お酢と合わせると旨みが増します。

 チキンと「干し柿」をマリネにしてみました。チキンは茹でても、焼いてもお好みで。私は皮目をこんがりと焼き、まだ温かなうちに「干し柿」と合わせました。いただく前に数分、お酢でマリネします。米酢よりまろやかな「ワインビネガー」を使いました。 ツンとくる臭いがありません。チキンの脂っぽさが抜けます。「干し柿」のねっとりもさっぱりします。しめじも入れたので一皿でボリュームがあります。

 お菓子に入れるために、数個「ラム酒」に漬けました。お酢を使わずに、庭のレモンを絞ろうと思っていたのですが、真っ黄色になるまであと一息です。 残りわずかな「干し柿」を愛おしく眺めています。

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アナログ時計の不調

2020年11月21日 | 身の回りのもの

晴、15度、72%

 寒さを感じるようになると、家中の電池で動くアナログ時計が遅れ始めます。気温と時計の遅れの関係に気付いたのは40年ほど前です。香港時代は年明けて旧正月の頃、寒いなと思い始めるとアナログ時計はのんびりした動きに変わりました。

 先日、枕元にある時計を暗がりで見ると、 いつも起きる時間にまだ1時間ほどもあります。目覚まし時計ですがアラームを使ったことがありません。いつも決まってほぼ同じ時間に目が覚めます。もう一眠りと思って目を閉じました。ウトウト。しばらくして時計を見ると、さっきとほとんど時間が変わっていません。「あっ!止まってる。」と慌てて飛び起きました。電気をつけて見ると、秒針が同じところでボチボチと動いています。

 一つのアナログ時計が遅れ始めると、伝染するのかどれもが止まったり遅れたりします。伝染病ではなく、乾電池と気温との因果関係でしょう。そこで新しい乾電池を持って、点検に回ります。正常に動いていてもその後1週間以内に遅れが生じます。

 古い時計は40年は使っています。 古ければ理解できますが、新しい時計ですら気温が下がり始めるとノンビリとした動きに変わります。

 手首には腕時計を朝起きてすぐにつけますが、家にいる時は置き時計や壁掛け時計にまず目が行きます。 この時計は半世紀以上前のものです。古い時計が多いのでムーブメントの音が静かに響きます。音無し時計に慣れている世代には小うるさく聞こえるかもしれません。

 時計が正確に動いていると、一日が順調に流れていると思います。 昨日、最後の一つの電池を入れ替えました。 時計の針先に鳥のオブジェが付いています。他のものより大きな電池を使います。「針を動かすのに力が必要なのかな?」

 寒くなり始めると、「燃料補給してください。」とアナログ時計は言っているのかもしれません。時間の動きを感じるアナログ時計は静かな音を立て動き続けます。 

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