チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

会いたい人

2024年06月30日 04時58分09秒 | 思い出

雨、25度、86%

 45年近く会わない人がいます。息子が幼稚園に上がる前の数年、とても仲良くしていた友人です。今で言う「ママ友」です。出会いは家の近くの公園でした。同じ歳の男の子が数人いました。子供同士より母同士の方が仲良くなりました。彼女は私と同じ歳だったからかもしれません。しっかりした人でした。同じ歳だけどいつもお姉さんみたいに私に接してくれました。主人の休み以外はほとんど毎日会いました。子供を連れて遠くの公園まで行ったりもしました。

 私は学生から母親になったばかり、しかも母が生活のことをしない人でしたから。主婦として知らないことばかりでした。テキパキ家事をこなす彼女の後ろ姿にたくさんのことを教えてもらいました。編み物もミシンがけも手を取って教えてくれました。幼稚園に入る少し前でした。「お金を貸してくれない?」と電話がありました。主人に相談すると「貸すならあげるつもりで貸しなさい。」と言われました。考えた挙句断りました。その後すぐ電車で2時間近くの街に越して行きました。お互いの子供が幼稚園に上がると疎遠にはなりましたが、たまに会うこともありました。私が香港に渡った後もしばらくは賀状のやり取りがありました。ぷっつり付き合いが途絶えたのはいつ頃からだったか?

 この彼女に会いたいとこの数年切に思います。編み棒を手にする時、ミシンの前に座った時。彼女がいなければ今の私はなかったと懐かしみます。ソーシャルネットワークの登録も調べましたが見つかりません。昔の住所は手元にあります。どうにかして探し出して会いたいと思っています。

 彼女が越した街に息子と訪ねて会ったのが最後でした。駅近くの「ガチャガチャ」に、我が家の近くにはない「ウルトラマン」のマグネットがありました。今も4つだけ残っています。この「ガチャガチャ」を持って改札口を抜ける私と息子を最後まで見送ってくれた彼女と息子さんたちの姿が記憶の奥底にあります。いつかきっと会いに行きます。

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坂本龍一さんがお亡くなりになりましたね。

2023年04月04日 05時05分40秒 | 思い出

曇、12度、70%

 坂本龍一さんが亡くなったのを知ったのは、朝一番に開けた主人からのメールでした。間も無く、息子からも同じ旨のメールが入りました。一家揃って好きだった音楽家でした。今年初めのテレビ出演で声も細く、痩せられた姿を見て胸が痛みました。昨日はBBCニュースでも一番に彼の亡くなったことを伝えていました。世界中のメディアが彼の死を悼んでいました。

 30年以上前、一度だけ坂本さん、奥さんの矢野さん、お嬢さんの美雨さんが歩いていらっしゃるのを香港で見かけました。思いの外の大柄な坂本さんでした。その時小学生の息子も一緒でした。息子に尋ねると、「覚えているよ。」と返事が返って来ました。よほど私が喜んだのだと思います。

 少し年齢が上な坂本さんですがほぼ同世代、YMOは息子が生まれた年にデビューです。そう思うと我が家の歴史と彼らの音楽が並行して思い出されます。レコード時代からの変遷、手元にあるのは2枚のCDだけです。息子はたくさんのレコードを持っているかもしれません。

 音作り、映像とのコラボレーション、新しいことに挑戦なさる度、時代が前に進んでいるのを教えてくれた方でした。ご冥福をお祈りします。

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インドのミルクティー

2020年07月31日 04時00分10秒 | 思い出

曇、26度、94%

 暑いのに「熱いミルクティー」を作ります。小鍋に水を入れ紅茶の葉をたっぷり沸かしミルクをたっぷり入れて沸騰直前まで煮ます。そっとカップに濾し入れます。夏はお茶の色も薄く薫りも爽やかなセイロンの茶っ葉を、冬は深い香りのアッサムの茶っ葉を使います。

 初めてインドに行ったのは20年以上前のことです。主人の会社関係のお祝いの席に夫婦連名でご招待を受けました。ニューデリーを経由して北の「チャンディガ」に向かいました。「チャンディガ」は「コルビジュエ」が街全体の構想を作った街です。田舎ながらそこかしこに作られた街の美しさがあります。

 着いてすぐに相手の会社に挨拶に行きました。応接間のような広い部屋の通されました。主人は仕事の打ち合わせとかで私一人その部屋の残して別の場所へと出て行きました。いつものことです。しばらくすると下働きかと思われる若い男性がお茶とお皿に乗った物を運んで来ました。その後から会社の上役と思われる男性が4人ほど部屋に入って来ました。紹介されても名前を覚えるのですらままなりません。インドの方は長い長いお名前です。お茶は私一人だけ、一人の方が砂糖壺から角砂糖を3つ私のカップに入れてくれました。「飲んでください」というお接待でしょう。男性たちが見守る中、スプーンでかき回しました。静かな部屋の中で砂糖の「ジャリジャリ」と溶ける音が大きく響きます。ミルクティーは熱いのに膜が張っています。膜も一緒にスプーンで「ジャリジャリ」。口に入れると香りがよくその甘さとミルクの濃さでいっぺんに旅の疲れが消えました。美味しいミルクティーでした。一緒に出されたのは生のカシューナッツを揚げたものです。この組み合わせは最高のお接待だと後に知りました。塩も振っていないカシューネッツの揚げ物はナッツそのものの甘さを感じます。男性たちもカシューナッツには次々に手を伸ばして食べていました。

 どんな話をしたのか覚えていません。小1時間も女は私一人でした。思い返せば「日本人の女性」など珍しかったのかもしれません。主人が部屋の戻って来た時は「やれやれ」とホッとしたのを覚えています。

 夏物のスーツが汗ばむ季節でした。暑い中で飲む「熱いミルクティー」のおいしさそして疲れを取ることを知ったのはこの時です。その後幾度かインドを訪れました。寒い季節でももちろん「熱いミルクティー」です。このミルクティーにガーダモン、シナモン、ナツメグなどを入れれば「チャイ」の出来上がり。

 長かった梅雨が昨日明けました。お昼過ぎには34度、おやつの時に熱くて甘い「ミルクティー」を入れました。この香り、砂糖の溶ける「ジャリジャリ」はあの日の思い出につながります。

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