チクチク テクテク 初めて日本に来たパグと30年ぶりに日本に帰ってきた私

大好きな刺繍と大好きなパグ
香港生活を30年で切り上げて、日本に戻りました。
モモさん初めての日本です。

ワイヤーの小物

2014年08月31日 | 身の回りのもの

曇、26度、84%

 ココナッツのクッキーをのせているワイヤーを見て、いいねと言ってくださった方がいました。 ワイヤーの小物に凝ったのは15年近く前のことです。香港にフランスのフローリスト、クリスチャントルティエのお店が出来ました。今までに見たことないようなフラワーデザイン。お店の中も素敵です。セントラルのプリンスビルの中、窓を一面に取った店の中を覗くのが楽しみでした。花器はシンプルな透明のガラスです。それなのにアレンジや花の組み合わせが、やはりフランスなのねと、思わせます。

 その店で、私が少しずつ買ったのは、お花ではなくワイヤーの小物でした。確か当時、日本でもワイヤの小物作りが流行り始めていましたが、ワイヤーが違います。針金という感じの日本のワイヤーとは違い、少し古っぽくみえるワイヤーです。しかも、かなりしっかりした編み方。

  時折お菓子をのせる手のひら大のスタンドです。細部の作りが凝っています。

  一時、ツタを入れていた吊のバスケット。手入れが悪く錆を付けてしまいました。

  燭台です。見出し写真は、カードを挟む壁掛けです。

  その頃買った「WIRE」。この本の中には我家のワイヤーの小物が全て載っています。大きな鳥のゲージ、アイロンを置くアイロン台。布団たたき!と私が思わず思った、絨毯たたき。この本を見ていると欲しいワイヤーが沢山あります。そうこうするうちに、このトルティエの花屋さんは仕舞ってしまいました。ある日行ったら、もうお店がなかったのです。

 その後、パリに行く機会がありました。その時、探し当ててトルティエの店に行ったのですが、残念なことにお店のオープンの時間より随分早く着いてしまいました。香港のお店同様にガラス張りのその店、ガラス越しに一番欲しかったワイヤーの果物バスケットが見えています。目の前にあるのに、結局、買えず仕舞い。欲しいものって、時にはタイミングを外してしまいます。今度見つけたら迷わずに買うつもりです。

 

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黒酢 黒ごま 黒七味

2014年08月30日 | 日々のこと

曇、27度、87%

 お豆腐が大好きです。色白でおとなしそうにしているのに、味わい深くて、芯はしっかりしてるのに何にでも合わせてくれる、最高ではありませんか。お腹にもすっと納まります。ここ香港で長く生活できたのも、お豆腐が普通に買えるからかもしれません。お豆腐の値段は、日本の安売りのお豆腐より高めです。ところが、湯葉にいたっては日本の何分の一の安さ。消費量が違います。甘いお汁粉に浮いているは何だ?湯葉です。お懐石の重箱の小さな湯葉をおちょぼ口で食べるような必要はありません。パクパクと、飲茶にでて来る湯葉の巻物をいただきます。

 乾湯葉、生湯葉、どちらも少し匂いがするといわれますが、最近、匂いの少ない湯葉を見つけました。そこで、この夏は生湯葉の和え物を2日に一度は作って食べました。キュウリや大根の千切りと湯葉を千切りにしたものを合わせるだけです。私は、山椒の実やゴマを振るだけで美味しいのですが、主人は、あまりお気に召しません。そこで、主人の大好きな万能調味料、マヨネーズが登場します。確かにマヨネーズで和えると、濃厚になってなんだって美味しくなります。でも折角の湯葉の味が台無しです。そこで、黒酢で和えてみました。黒酢の持つ奥深い甘みが、奥行きのある味にしてくれます。ところが色が色です。折角の湯葉も大根も黒く染まります。黒っぽくなるならと、黒ごまを摺っていれました。そこに、おまけでパンチを効かせるために、黒七味を混ぜてみました。 口の中で、それぞれが味の足し引きをしているようです。思わぬおいしさ。

 黒酢は日本でも人気のお酢になりました。香港に長くいるおばさん連中が集まっての食事、最後の炒麺がでて来ると、ボーイさんにお酢を頼みます。お酢をかけた炒麺は、さっぱりといくらでもお腹に入ります。

 黒七味は、京都の原了郭のものです。普通の七味よりピリッと来ます。焦がして練ったような深い香り。素っ気なさが持ち味の煮麺に、この黒七味を一振り、目が覚めるような変身ぶりです。

 色の近いものは合わせ易いと思っています。黒酢、黒ごま、黒七味。さて、今度は何をこのトリオで作ってみましょうか。

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ココナッツクッキー

2014年08月29日 | 菓子

晴れ、27度、87%

 東京の合羽橋から買って来たアメリカ製の木製のクッキー型にはまっていた私は、すっかり我家の定番クッキーを作るのを忘れていました。定番クッキーは2種類。ブレトンヌという、バターたっぷりの焼き菓子。もう一つが、サブレココ、ココナッツクッキーです。

 クッキーがあると何かと便利です。急に人がみえても、お腹がちょっとすいた時にも、アイスクリームのお供にも。ココナッツのクッキーを焼いてくれとおしゃったのは主人でした。

 ココナッツ、好き嫌いがあります。確か、泉屋のクッキーだったと思いますが、ココナッツのマカロン(今のマカロンのようなきれいなものでなく、卵白とお砂糖だけの焼き菓子)がクッキーの詰め合わせに入っていました。小さいときからあのココナッツのマカロンは大の苦手。それがココサブレになると美味しいく感じます。マカロンは甘過ぎるように思います。

 ココナッツ、 茶色の堅い殻のすぐ下にある白い部分を削ったパウダーを使います。ココナッツの香りが強く、脂肪も含んでいます。このまま食べても、味はしません。普通のサブレの生地に入れて焼くだけです。

 随分以前のこと、私の焼くココナッツクッキーが好きな女の子がいました。もう今は、女の子なんて呼んでは失礼です。写真を見ただけですが、お母さん似の大きな目のきれいな女性に成長しています。ところが、このココナッツクッキーをまだ覚えてくれているそうです。もっと涼しくなったら、ココナッツクッキーを焼いて送ろうと思っています。

 家中ココナッツの香り、もちろん。 お待ちかね。

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今年もまた、、、バジルペストを作りました。

2014年08月28日 | 日々のこと

曇、28度、86%

 どこに住んでいようが、4月の初めにはバジルの種を蒔きます。日当りの悪い家もありました。鉢を置くスペースが充分でない家もありました。それでも、バジルの種を蒔き、夏中、水遣りを欠かさず、柔らかな葉っぱはサラダで食べます。

 夏も終わりに近付くと、思い切ってバジルのジェノバソースを作ります。いえ、このジェノバペストを作るために、バジルを育てています。

 10代の終わりに食べたバジルのペストのスパゲティ、緑色のヌードゥルのきれいなこと、ほんのりと香るバジルの匂いに魅せられました。当時はバジルの輸入物も種もありませんでした。一昨年、このバジルを食べたお店は閉められました。開店当初からのオーナーシェフが、バジルのことを書いているのを読んだことがあります。入手に苦労したこと、種をイタリアから持ち帰って店の裏で育てていたそうです。ないときはシソの葉で代用したとか。もしかしたら、私が食べたのはシソの葉の代用だったのでしょうか?まだ、イタリアレストランなんてなかった頃の小さな雰囲気のある店でした。

 ブログを読んでくださる方達から、丁寧な生活をなさってますね、と言葉をいただきます。丁寧ではありません、ただ、食い意地が張っているだけです。

  材料はいたってシンプル。松の実とオリーブオイルとニンニクそしてバジル。いつも適当に合わせて作ります。 息子の離乳食用に求めたオースターのブレンダー、36歳とは思えないいい仕事をいつもしてくれます。変圧器につないで使い続けて来ました。

 出来上がると、酸化が進みきれいな緑が保てません。瓶詰めにするなら、オリーブオイルを最後にもう一度足して、オイルの蓋を作ってください。空気との接触面が無くなります。私は、すぐにラップに小分けして冷凍庫に入れます。半年以上持ちます。

 バジリコのスパゲッティばかりでなく、サラダのディップにも白身魚のソースに使っても美味しいものです。

 今年は、えさをついばみに来る鳥たちに踏まれていく株か台無しにしてしまいました。その分背の高い太い茎のバジルに育ちました。夏中、プランターを置いている窓辺はよく日が当たります。このバジルのおかげで、緑の衝立が出来て、目にも気持ちが良い夏を過ごせました。月末から家を空けます。留守を頼む人にも、水遣りの手間が省けるようにと少し早めのペスト作りです。

 来年もまた、種を蒔きバジルのペストが作れますように。毎年同じことを繰り返すことが出来るのは幸せです。

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マンゴスティンのパフ タイ土産

2014年08月27日 | 日々のこと

曇、28度、81%

 果物の王様はドリアン。果物の女王はマンゴスティン。そうはいっても、日本ではなかなかお目にかかれない果物です。高級果物屋の一番奥に鎮座しているのがドリアン。マンゴスティンにいたっては、みかん程の大きさで見た目も地味ですから、売っているのを見たことがありません。ここ香港でも、もちろんタイからの輸入物です。しかも、一年中同じ果物が並ぶ香港の果物屋、このドリアン、マンゴスティンに限っては、きちんと季節通りにやって来ます。

 この  パッケージの帯の中にマンゴスティンが写っています。みかん程の大きさ、赤茶色の堅い皮に包まれています。この堅い皮にグット指を入れると、中は柔らかなルビー色の(実?)に包まれ、その中に真っ白なつるんと白いものが見えます。この白いところを食べるのです。ジューシーで甘みとやや酸味が合わさって、熱帯ならではの果物です。ドリアンも、マンゴスティンも出廻るのは短い間、あっという間に姿を消します。香港に来た頃は、毎夏、嬉しくて随分食べました。そう言えばドリアンもマンゴスティンも最近食べていません。

 我家のお手伝いさんは、タイ人です。香港のお手伝いさんは、フィリッピン人とインドネシア人がほぼ半分ずつ、タイ人や中国人のお手伝いさんはごく少数です。主人と私二人揃って家を空ける時、モモさんの世話をしてもらうために来てもらっています。タイ人は熱心な仏教徒が多く動物を大切にしてくれます。ちょっとものの扱いが乱暴ですが、モモを可愛がってくれるお手伝いさんです。彼女が、ドイツ人のボーイフレンドとバンコクに遊びに帰っていました。彼女のお里はチェンマイです。よく日焼けして戻って来た彼女が持って来てくれたのが、このマンゴスティンのパフ。私が食べたことがないだろうと、探してくれたそうです。

 タイは農業国、有機栽培での農作物の製品も以前から充実しています。タイのお菓子、ローカルのデザートのようなものは、すごく甘くてちょっぴり塩っぱいのですが、こうしたスナックは、塩気も甘みも控えめです。きれいなバラのように巻かれたコーン状。 久しぶりにマンゴスティンの甘酸っぱさを思い出しました。

 もし、マンゴスティンを見つけたら食べてみてください。ただ、堅い皮にグット親指を入れた後、ひとしばらくは親指の爪が真っ赤に染まります。要注意。

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ピアノの練習とお手洗い

2014年08月26日 | 日々のこと

晴れ、27度、87%

  小学校に上がった頃から一週間全てお稽古ごとが入っていました。昭和30年代後半のことです。お絵描き、お習字、ピアノに水泳、日曜日は乗馬でした。一番早くから始めたのは、ピアノです。おそらく3歳過ぎ。最初のピアノの先生はおじいさんでした。その先生、うまく弾けない子供の手の甲に、チクンと針を刺すのです。私は3歳ですから免れましたが、小学生の生徒がチクンとやられるのを見ていました。お稽古に通いはじめてどのくらい経ったか覚えていませんが、確か右手の練習が終わって、左手に入る頃だったと思います。母の車で先生の家まで送ってもらうのですが、車を降りたところで、自転車に敷かれました。自動車ではありません。自転車です。振り返った母が見たのは、私の上を自転車が通り過ぎるところだったそうです。起き上がった私の右手を母が引っ張りました。痛いと大声を上げたそうです。右鎖骨がきれいに折れていたそうです。手を吊って3か月、それで、ピアノのお稽古は休みました。

 ピアノのお稽古のみならず、自分から行きたいなんていったものはひとつもありません。地元の学校に行っていなかったので、学校から帰っても遊ぶ相手はいません。ならばとお稽古に行かせたのだと思います。自転車に敷かれたものですから、先生の家に行くのではなく、ピアノの先生に家に来てもらう事にしました。確か、福岡教育大学の音楽専攻の学生さんでした。卒業しますので、3人代わりました。

 この3人の先生の名前もお顔もほとんど覚えていません。家にいるのは私とお手伝いさんだけでした。そこへ、先生がやって来ます。すると、私はお手洗いに駆け込みます。今改築中の私の実家です。お手洗いがその頃は、裏にありお手洗いを出ると手水といってつくばいの石が池の横にありました。

 お手洗いの広さはゆうに畳み一枚分、もちろん汲み取りタイプのお手洗いです。便器の前には小さな床の間まであります。お手洗いに駆け込んだ私は、その床の間に腰をかけます。お手伝いさんが、外から「真奈さん、先生が見えてますよ。」と声をかけてくれますが、私は「おてあらーい。」と応えるだけです。45分のお稽古の時間、30分程お手洗いに入っています。3人の先生もお手伝いさんも誰もその事を母に告げ口しませんでした。実にラッキーです。ところが3人目の先生が辞める時、母に全部話してしまいました。母が怒ったかどうか、これまた全然記憶にありません。

 小学校に上がると、下校時に真っ直ぐピアノの先生のところに通うようになりました。普段は乗り換える電車をずっと乗ったまま、いつもは一緒に帰れない友達と一緒です。最初のうちは楽しんで行きました。この先生は九州交響楽団の指揮者の奥様です。随分有名なピアノの先生らしく、後から後から生徒がやって来ます。いつも花柄のガウンを着た派手な先生でした。段々、嫌気がさして来ると、またしても抜け道を考えます。遅れると次の生徒を先に始めます、遅れて来た子が来ると一緒にレッスンです。そこで、毎回、遅刻しました。

 全てのお稽古を小学5年ぐらいまで続けました。どれもちっとも好きではありませんでした。好きでないのでどれも身に付きませんでした。一番身に付かなかったのが、ピアノです。全部一度に辞めました。母に勉強をしたいから辞めたい。と言いました。ひと言の反発もなく、すっきり全部のお稽古を辞めさせてもらいました。あの時の、爽快だったこと。

 昨日の版画のブログに、ピアノのことを書きました。私がピアノを上手だと思われそうなので、10年近くもお稽古したのに、からっきしダメですと、申し上げたくて。それにしても、広いお手洗いには随分お世話になりました。

 40歳を過ぎて、実はピアノをきちんと練習しなかったことを悔いました。50歳を過ぎたら、ピアノを始めようと思いながら7年が過ぎました。日本に帰ったら、どなたか私にピアノの手ほどきをしてください。

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ふし木  版画

2014年08月25日 | 身の回りのもの

晴れ、26度、87%

 狭い我家の壁には、どこもかしこも私が刺した刺繍の額がかかっています。刺繍以外は、ほんの数枚の版画にポスター、地図だけです。

 その版画の一枚が、黒木郁朝の「ふし木」です。1982年に50枚摺られたうちの一枚。東京の二子玉川の個展の際に買い求めました。木版画です。夕方の景色でしょうか、なだらかな丘の上に、人が二人向き合って腹這いに寝ています。その間には黒い犬が一匹。なだらかな丘の両側から中央に向かって、種が次第に花をつける様子が描かれています。

 この額は、ずっと私たちと一緒です。この絵を求めた時、我家が住んでいた家は、家具デザイナー岩倉栄利さん一家が住んだ後に借りたものでした。玄関を入ると、やや広い洋間が2つありました。おそらく岩倉さんが改築なさったのか、一番広い壁は一面、床から天井までの棚が備え付けられていました。もう一方の壁側に私の実家からピアノを持ち込みました。真っ白なペンキ塗りの部屋で、ピアノの上が寂しく感じます。その空間にこの額を買い求めました。版画自体は、横51センチ縦38センチ程のものです。

 今は、主人のベットの上にかけています。例のごとく、時間のあるときは、この主人のベットに本を持ってゴロリ。もちろん、モモさんも一緒です。毎日毎日、見るとはなく見ています。じっと見ることも、考えてみることもしていません。そこにあるのが当たり前のこの額です。

 ボーッと見るにはなんともいい額です。少し色が褪めて来たので、空の色が暗く見えますが、金色です。その中に雲と鳥も飛んでいます。左の人は、きれいな青い裾模様が入った服、右の人はサーモンピンクです。その服に描かれているのは星とらくだ。この星とらくだを見ると、思わず「月の砂漠」のうたが口をついて出て来ます。

 この作家、黒木郁朝さんは、生まれ故郷の宮崎でえほんの郷のえほん館の館長をなさっているそうです。「ふし木」と題された版画は、この数年後にも作られています。花がポピーのような花に代わって、腹這いになっている人は一人で、犬もいなくなっています。それでも、その人の服には、やはり星とらくだが描かれています。

 この星とらくだ、「月の砂漠」の歌を題材にしたものかどうか、もし、黒木さんにお会いすることが出来たら聞いてみたいと思っています。この額、ずっと私たちと一緒です。

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LINEが乗っ取られました。

2014年08月24日 | 日々のこと

晴れ、25度、84%

  昨晩の夕食は会員制のクラブでした。香港こうしたクラブの中では、携帯電話は使えません。消音にしていました。食事中、話の接ぎ穂で写真をと思い、携帯をバックから出しました。開けた途端、私の目はまん丸。メール、メッセージ、メッセンジャー、電話。すごい数が入っています。皆さんからのヘッドラインを読んだだけで、LINEが乗っ取られたと分かりました。食事の切れ目にロビーに出て、まずは電話の主たちに電話を入れます。結局、ゆっくりとLINEの画面に向かったのは初めのメールをもらって2時間程立っていました。

 LINEにアクセスしますが、すでにLINE側からアカウントは閉じられていました。パスワードの変更をすることは出来ません。そこで、片っ端からメールやメッセージの返事をうちました。メールの中には、LINEからは、乗っ取り、フィッシングの可能性があるというお知らせはありません。ところが、おそらく同じパスワードのAmazonから、すぐにパスワードを変更するようにと、メールが入っています。この作業の後に、今一度LINEにアクセス。今までの情報は全て消えているので、新しく設定してくださいと出ました。

 このまま、LINEをやめようかなとふと思いました。海外に住む私にとって、LINEの無料電話はとても助かります。ヒョイと国内の家族や遠くに住む友人の声を聞くことが出来ます。やはり、LINEを続行することに。最初は、Facebookから連携させてアカントを作りました。同じことをすると、少し心配です。そこで今回は、メールのアドレスも別のものを使い、アイコンも替えました。大した作業ではありません。

 さて、私とLINEでつながっていた方達に届いたメッセージは、見出し写真のように、内容はコンビニでiTunesを買ってもらえないかという趣旨のものだったそうです。おまけに孫の写真まで張ってあるという手の込み方。その上、ニュージーランド、アメリカにまで送られていました。ご迷惑ご心配をおかけしました。最近LINEの乗っ取りの話をよく耳にします。まさか自分が?と思いました。

 Facebookもよく不都合が起こります。同じ記事が30も入っていたことがありました。私がした覚えのない、他の人の写真の書き込みもありました。TwitterもFacebookもやめようと思います、それでも続けてアカントを持っているのは、3年前の地震の時のことからです。東京に住む息子とは電話、メールでの連絡がつきません。そんな時Twitterに息子のつぶやきが入って来ました。この時の、安堵感は今でも忘れられません。非常時のために、Facebook、Twitter を続けています。

 便利さと表裏一体になって、こうした危険性もあります。まず、乗っ取られた場合は、パスワードを変更してください。

 それにしても、パスワードの管理も一仕事です。一覧表を作り、PCのあちこちに鍵をかけてしまってあります。今日も忘れないうちに書き換えしなくてはなりません。

 昨晩、ご迷惑をかけた皆さん済みませんでした。私にアドバイスをくださった皆さん、ありがとうございました。

 

 

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嫁の立場 姑の立場

2014年08月23日 | 日々のこと

晴れ、26度、87%

  いく組かの結婚なさった娘さんとそのお母様にお会いする機会が続きました。小さなお子さんが一緒の方もいます。話が弾むにつれどの方たちも、なぜか話の話題がお姑さんのことになります。しかも、いい話ではありません。こんなことを言われた、こんなことをされた、その話題のお姑さんに面識のない私は、その方がまるで鬼でもあるような気がして来ます。母娘でお姑さんの話をして、すっきりした様子で帰られました。

 私も嫁になって、37年。おかげさまで、姑の悪口を言うことなく生きて来ました。義母は結婚当初、舅姑と暮らして随分辛い思いをしたと話します。自分は嫁にそんなことはしないようにと思っていたという通り、きついことを言われたり、嫌なことを私はされたことがありません。主人は、この私で手を焼くことはあっても、嫁姑の問題で悩んだことは一度もないと言っていい程です。ひとえに姑の人柄です。きっと、私の至らないところが見えても目をつむってくれていたのだと思います。明るくよくしゃべる人ですが、言いたいことの半分も私には言わずにいてくれたのではないでしょうか。

 そんな私が、昨年は姑になりました。私自身は、37年姑の姿を見て、この人のような姑になりたいと思い続けて来ました。いいお手本が、側にいます。きっと義母ならこうするだろう、こう言うだろうと真似をしようと思っています。お嫁さんとは、これから長く続く付き合いです。出来るだけ素のままの私を見て欲しいと思います。怒りますし、泣きますし、マイペースな私です。

 息子とお嫁さんは長い付き合いでした。ある朝、PCを開けて見ると、息子がプロポーズしてそれを受けました。と彼女からのメールです。結婚のことを息子より早く私に知らせてくれたのは、お嫁さんからでした。その時、私ぐらい幸せな姑はいないなあ、と思いました。これからの時間、どんなことが起こるか分かりません。それでも、この時のメールと義母が私を見守ってくれた思いとが、私のお守りです。

 どうかこんな私ですが、いい姑になれますように。

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ザワザワした空気

2014年08月22日 | 日々のこと

曇、26度、92%

 人って、黙って立っているだけでもその人なりの空気が周りに出来ています。まして、歩いたり走っていると、その歩き方や走り方にまで為人が滲んでいます。

 私が早朝走りに行く道は、香港島の北側の中腹を東西に抜ける道です。片道4キロのその道は西側1キロまでしか車は入れません。早朝にもかかわらず、散歩に来る人、走りに来る人、太極拳をする人と三々五々です。香港人は声が大きいのですが、大声で話す人すらいません。水の流れる音、下草の虫の鳴き声、ヘタクソなカッコウの声が聞こえるばかりです。日の出る前のこの道に来る人は、この静けさや空気の匂いを嗅ぎにやって来るのだと思います。

 だいたい、毎朝会う人は決まっています。しかも、どの辺で会うかも決まっています。そうでなくても、歩き方や走り方で、ああ、あの人だ、と分かります。朝の挨拶をするだけの人、立ち止まって近況は話す人、名前を知っている人は僅かですが、朝一番に会う人たちです。気持ちよくすれ違いたいと思います。

 この道に2年程前からやって来るおじさんがいます。おじさんといっても、私より歳が下かもしれません。歩きに来ています。健康のためでしょう、のんびり歩くのではなく早足です。競歩とは違います。ところが、その人の歩く姿を目にしただけで、私の胸の中にザワッと波が起きます。すれ違う時、「チョウサン。」と気持ちよく挨拶を交わすのに、歩く姿を見ると、ザワッと来るのです。なぜかな?と思います。8月の初旬、暑さが厳しい頃、しばらくこのおじさんの姿が見えませんでした。申し訳なのですが、爽快に走って帰って来ていました。この一週間、またおじさん登場です。そして、おじさんの姿を見ると、ザワッと胸に来るものがあります。

 歩く姿です。早く歩こうとするので、どこかに無理があるような、ギュウギュウな感じで歩いています。昼間、香港の町中ではこんな感じで歩いている人は一杯です。それなのに、静かな、朝の道では勢いそのザワザワとしたものが目に付いてしまいます。

 その時思いました、私の走って来る姿を見た人が、ざわついた空気や忙しない空気を私の周りに見ていないかな?と。そんな空気を身につけているのは、女として恥ずかしいなとも思います。

 昼間の喧噪と人の多さの中では、消えてしまう人の持つ空気が、明けやらぬ静かな空の下では、如実に見えてしまいます。

 このザワザワおじさん、今朝も、気持ちのいい声で、「ちょうさん!」と挨拶してくれました。

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