曇り、22度、82%
香港の建造物、近代的なビルに興味がある方も、古い建物に興味がある方も楽しめる街だと思います。高い高いビルに中心部の古い建物はやはりイギリスの影響を強く受けています。ところが一歩田舎に入り込むと、中国様式のしかも南の暖かい地方の建物がポツポツ見られます。田舎に行けば行くほど、土地の開発が進み古い物は取り壊されることもしばしばです。
まさか香港にこんなに長居するとは思っていませんでしたので、20年ほど前は、フイルムカメラの一眼レフ片手に、そうした田舎屋を撮りに出かけていました。空調も付いていないバスに乗り、舗装もされていない道をガタゴトと出向くわけです。今のようにバイパスもありません、時間もかかりました。香港も結構広いものだと、感じたものです。後一息で中國シンセンに近いところで撮った写真です。 道路からポツンとこの建物が見えました。春先の写真だと思います。この写真を手にとると、この時の空気の美味しかったことが思い出されます。さて、この建物まだあるかしら?そう思うものの、この建物の場所が今ひとつ思い出せません。というのも、香港のバス停に名前がついたのは、ほんのこの10年ほどのことです。車で何度かこの辺りを通ってみるうちに、道沿いに出来た新しい建物の陰に、この古い建物を見つけたときは、思わずニヤッとしました。
20年前は、この建物だけしかありませんでしたが、周りに小さな家が建て込んでいます。曲がりくねった道が有り、建物に近づけません。遠巻きに見ていると、建物の左奥に、 何やら社のようなものが見えます。昔はこんなもの無かったのに、と思いながら、細い路地伝いに奥へ入ってみました。
社のように見えた「植桂書室」。何を祀ってあるのかと中に入りました。 神様の像はありませんがたくさんの位牌が飾られています。中は典型的な香港の社で、吹き抜けの2階屋です。 写真を撮っていると、きゅうに声をかけられました。かなり年配のおじいさんですが、きれいな英語を話します。この社は、現在法定古蹟に指定されている建物だそうです。1800代末に建てられて、この地域の学校だったそうです、1990年代初めまで幼稚園として使われていたのが、その後放逐されたままになっていたとのこと。2010年に政府の援助で修復されたそうです。つまり、私が20年前に来たときは、荒れ果てていて目に留まらなかったのかもしれません。今は古蹟として解放され、このおじいさんが管理をしているのだそうです。位牌のことを尋ねると、奥の大きな家を指し、黎家の位牌だと教えてくれました。
私が目指して来た建物は、黎さん一家の建物でした。 今でも、黎さん一家はこの建物に住んでいるそうです。 建物の横を通る時、窓から階段の手すりが見えました。なんと艶々の木の手すりです。 庭には黒山羊の子供が、バナナの葉っぱを食べています。香港の冬の食生活には黒山羊は欠かせません。お鍋にするのです。心が痛みますが、食文化の違いです。
これは、書室の屋根の飾りです。この黎家、一体どれくらいの財力を当時持っていたのでしょうか?施された装飾にも、 当時を物語るものがあります。
現在は20軒ほどの家族がこの村に住んでいるそうです。村の名前は、黎屋村。
バス停で、帰りのバスを待っていました。目の前には、 来年の旧正月用の桃の木が栽培されています。ブーゲンビリアのピンクの色も、街で見るより遥かに鮮やかです。 バス停の柱に貼られた「探しオウム」のポスター、賞金付きです。舗装された道を向こうから2階建てバスがやって来ました。田舎の足ですから、10分間隔ぐらいで運行しているようです。