気ままに

大船での気ままな生活日誌

名探偵ホームズ君の捜査は・・

2007-02-04 22:12:51 | Weblog
大宅壮一さんの「男の顔は履歴書である」の石碑が、瑞泉寺境内にありますが、大宅さんと瑞泉寺がどういう関係にあるのだろうか、私め、名探偵ホームズ君が、その捜査を始めたのであります。

瑞泉寺に大宅さんのお墓があることを確認した私は、その足で鎌倉中央図書館に向かったのでした。大宅さんの著書をみれば、もう少し詳しい情報が得られるかもしれない、とくに、途中で気づいた、川端康成さんとの関係が明確になるかもしれない、と思いました。

しかし、図書館の本棚には、どこを探しても、大宅壮一さんの著書は1冊も見つかりませんでした。捜し方が悪いのかと思って、PC検索をしてみました。そうしましたら、10冊ほど、画面上に大宅壮一著の本が現れてきました。しかし、すべてが、地下倉庫に眠っていました。みつからないはずです。その中で、大宅壮一エッセンスのシリーズの「男の顔は履歴書」というのがありましたので、それを取り出してもらいました。

拾い読み程度のことを考えていたのですが、面白くて全部読んでしまいました。ご自分が大阪出身なので、大阪人を思い切り、けなしたり(でも半分は誉めている)する文章が多く、笑ってしまいました。大阪商人は現役中はけちで貯めこむが、引退後は、はでに使い人生を楽しむ、それが甲州商人とは違う、とか、婦人記者の部では、山崎豊子さん(キムタクの「華麗なる一族」の原作者)は、大阪毎日で井上靖さん(NHK「風林火山」の原作者)の下で婦人記者をしていたが、大阪の昆布の老舗「小倉屋」の娘さんなので、自分のお店をモデルにした小説「暖簾」が当たり、小説家になった、とか、大阪読売の鴨居羊子さんは、商才もあり、自分で下着のデザインをして、七色パンテーを売り出して有名になったとか、実に細かいことまで調べ上げ、おもしろ可笑しく紹介しているのです。

大宅さんは、大阪と京都の中間あたりの、摂津富田(とんだ)の醤油屋さんの息子さんとして生まれました。商人に教育はいらないと、お父さんは、息子を高等小学校で済まそうとしました。しかし、大宅さんは、親に内緒で受験し、地元の茨木中学に好成績で合格するのです。

この辺りの文章は注意深く読み進みました。ようやくみつけました。「二級上に川端康成がいた」という文章がありました。やはり、同窓でした。でも、ふたつ上でした、同級生だと思っていたのですが、これでは、学生時代に友人関係を結ぶのは難しいでしょう。ちょっとがっかりしました。その後、川端さんは一高に、大宅さんは京都の三高に進学し、離ればなれになります。ますます、見通しは暗くなりました。

しかし、さらに、読み進んでいくうちに、ひとつの光明を見つけました。大学を出たあとのことです。なんと、偶然に大宅さんは、川端さんの隣りに住むようになるのです。阿佐ヶ谷の(私も新婚時代、近くに住んだことがあります)、間取りも家賃も家主も同じ家に住むことになったのです。

大宅さん、驚いたでしょうね。でもあまりいい印象は持たなかったようです。むしろ貸しをつくったような関係のようです(笑)。自分もあまりだらしのいいほうではなかったが、川端さんには少々あきれた、と書いています。川端さんは貧乏していたらしく、醤油を借りにきたり、自分の新本を古本屋さんに売ったりして、ようやっと暮らしていたらしいです。(川端さんのために弁明しておきますが、川端さんはもともと金銭感覚が常人と違っていて、お金持ちになって鎌倉にきてからも、何百万円もする骨董品をあとで払うからと言って、平気で買う人なのです。)

とにかく、大宅さんと川端さんは、中学の同窓というだけではなく、貧乏していた新婚時代に隣同士だったのです。これほど強い結びつきはありませんね。

これで決まりだと、思いました。後年、小説家として大成された川端さんが、やはり大評論家として一家をなした大宅さんと、鎌倉の長谷の自宅によび、こんな話しをしたのではないでしょうか、・・鎌倉はいいぜ、こちらに来ないか、住まないまでも、お墓は静かな鎌倉がいいぞ、東慶寺が一番いいが、あそかは今、空きがない、最近、瑞泉寺が墓地を売り出している、おれは和尚と親しいので頼んであげてもいいが・・

こんな台詞の場面が出てくるかと、読み進めました。しかし、何もありません。おわりの方に、奥さんの大宅昌さんの、亡き夫の思い出をつづった「あなた、私はしあわせです」のエッセイがありました。大宅壮一さんは、家では、世間で言われていた、豪放一点張り、無神経、無原則とは全く違う、血も涙もある、家族思いの、やさしい夫であり、父であったと述べています。このエッセイの中にも、瑞泉寺関係はなにも出てこなかったのです。

さあ、どうしようか、とホームズ君は、腕を組み、深い失望のためいきをつき、目を閉じ、今後の方策を思案していたのでした。

(つづく)

・・・・・
次回が完結編となります。娘さんのジャーナリスト大宅映子さんの登場で一気に解決します。

・・・・・
神田川

作詞 喜多条忠
作曲 南こうせつ

貴方は もう忘れたかしら
赤い手拭い マフラーにして
二人で行った 横丁の風呂屋
一緒に出ようねって
言ったのに
いつも私が 待たされた
洗い髪が 芯まで冷えて
小さな石鹸 カタカタ鳴った
貴方は 私の身体を抱いて
冷たいねって 言ったのよ
若かったあの頃
何も怖くなかった
ただ 貴方のやさしさが
怖かった

貴方は もう捨てたのかしら
二十四色の クレパス買って
貴方がかいた 私の似顔絵
巧(うま)くかいてねって
言ったのに
いつもちっとも 似てないの
窓の下には 神田川
三畳一間の 小さな下宿
貴方は 私の指先見つめ
悲しいかいって きいたのよ
若かったあの頃
何も怖くなかった
ただ 貴方のやさしさが
怖かった

(若かった、大宅さんと川端さんが阿佐ヶ谷の安アパートに住んでいたことで・・)


コメント
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