茨城県日立市の、かねみ公園の丘の上に、吉田正音楽記念館があります。吉田さんのふるさとの地です。私が茨城に勤務していたときに、桜が満開の頃、ここを訪れたことがあります。先日、北茨城五浦の天心記念美術館に行く途中、常磐自動車道を走るバスの中から、その辺りを眺めることができ、なつかしく思っていました。その吉田正さんの、NHK蔵出しビッグショーが先日再放送され、堪能しました。
「異国の丘から30年」という、サブタイトルでしたから、昭和50年前後に放送したものでしょうか。そうすると、私たちもまだ新婚の頃で、杉並の、「神田川」にほど近い、安アパートでふたり仲良く(?)暮らしていたころです。銭湯にもいきました。赤い手拭い マフラーにして 二人で行った 横丁の風呂屋です(汗)。
その頃の放送のものですから、当然ですが、出演者の皆さんのお若いこと。鶴田浩二さんなんか、顔もつやつやしていて、今のキムタクよりかっこいいですね、「赤と黒のブルース」や「傷だらけの人生」しびれてしまいますね。そして、フランク永井さんの低音の魅力で「夜霧の第二国道」、三浦光一さんの透き通るような高声で「街灯」、マヒナスターズの魅惑のハーモニーで「泣かないで」、松尾和子さんの妖艶ボイスで「再会」、私と同世代の橋幸夫さんの「いつでも夢を」や三田明さんの「美しい十代」等、次々とお馴染みの唄が流れてきます。一気に、あの時代に戻っていきます。
ほんとに、あの頃は、どんな世代の方も皆、同じ歌を口ずさんでいましたね。今は、人それぞれですね。紅白なんかでも知らない歌ばかりです。いい時代でした。吉田正さんも、そういう意味で、いい時代に生きた作曲家といえるでしょう。ひとつ曲がり角、ひとつ間違えて、ひとつ遅れて(笑)、生まれてきたら、こうは、うまくいかなかったでしょうね。どの分野でも、「時」が大スターをつくります。
戦争でシベリアで抑留されているときに、吉田さんが作曲した「昨日も今日も」が現地ではやっていました。その歌を、戦後、NHKのど自慢大会でどなたかが歌ったのがきっかけとなり、「異国の丘」として再デビューし、大ヒットすることになります。そして、その後、吉田さんは、作詞家、佐伯孝夫さんと組み、数々の名曲を、そして大スターを生むことになるのです。
フランク永井さんの上手な司会で、吉田正さんの作曲活動のポイント、ポイントが分りやすく紹介されました。私も意外だったのですが、吉田さんご自身の評価では、最高傑作は松尾和子さんの「再会」だそうです。これをつくったあと、これから先どうしようかと思ったそうです。燃え尽き症候群みたいなものでしょうか(笑)。そのとき、橋君がきてくれて助かったと言っています。これまでのと、がらりと雰囲気の違う「潮来笠」が大ヒットし、その後、吉永小百合さん、三田明さんと、吉田青春歌謡の一時代を築くことになります。
今回、吉田学校の生徒のほとんどの方が出席されています。ただひとつ残念だったのは、吉永小百合さんが出演されていなかったことです。是非、「寒い朝」を歌ってほしかったです。でも、これだけの豪華メンバーをそろえた歌番組はめったにみられません。「蔵出し」する価値のある、すばらしい番組でした。
最後に、吉田さんは、シベリアの収容所時代の、カーシャの会の人たちと共に「異国の丘」を歌いました。零下30℃の極寒の中での作業、必死に命をつないできた仲間たちです。この時代、吉田さんは、皆を勇気づけようと、セメント袋の裏をつかって、明日の希望のみえる唄を30曲も作曲したそうです。今日も 昨日も 異国の丘で・・・と万感の思いで唱和されている皆さんの顔は、こみあげる涙でくしゃくしゃになっていました。
・・・・・・
異国の丘
作詞:増田 幸治
補詞:佐伯 孝夫
作曲:吉田 正
今日も暮れゆく異国の丘に
友よ辛かろ切なかろ
我慢だ待っていろ嵐が過ぎりゃ
帰る日も来る春も来る
今日も更けゆく異国の丘に
夢も寒かろ冷たかろ
泣いて笑うて歌って耐えりゃ
望む日が来る朝が来る
今日も昨日も異国の丘に
重い雪空日がうすい
倒れちゃならない祖国の土に
たどりつくまでその日まで
「異国の丘から30年」という、サブタイトルでしたから、昭和50年前後に放送したものでしょうか。そうすると、私たちもまだ新婚の頃で、杉並の、「神田川」にほど近い、安アパートでふたり仲良く(?)暮らしていたころです。銭湯にもいきました。赤い手拭い マフラーにして 二人で行った 横丁の風呂屋です(汗)。
その頃の放送のものですから、当然ですが、出演者の皆さんのお若いこと。鶴田浩二さんなんか、顔もつやつやしていて、今のキムタクよりかっこいいですね、「赤と黒のブルース」や「傷だらけの人生」しびれてしまいますね。そして、フランク永井さんの低音の魅力で「夜霧の第二国道」、三浦光一さんの透き通るような高声で「街灯」、マヒナスターズの魅惑のハーモニーで「泣かないで」、松尾和子さんの妖艶ボイスで「再会」、私と同世代の橋幸夫さんの「いつでも夢を」や三田明さんの「美しい十代」等、次々とお馴染みの唄が流れてきます。一気に、あの時代に戻っていきます。
ほんとに、あの頃は、どんな世代の方も皆、同じ歌を口ずさんでいましたね。今は、人それぞれですね。紅白なんかでも知らない歌ばかりです。いい時代でした。吉田正さんも、そういう意味で、いい時代に生きた作曲家といえるでしょう。ひとつ曲がり角、ひとつ間違えて、ひとつ遅れて(笑)、生まれてきたら、こうは、うまくいかなかったでしょうね。どの分野でも、「時」が大スターをつくります。
戦争でシベリアで抑留されているときに、吉田さんが作曲した「昨日も今日も」が現地ではやっていました。その歌を、戦後、NHKのど自慢大会でどなたかが歌ったのがきっかけとなり、「異国の丘」として再デビューし、大ヒットすることになります。そして、その後、吉田さんは、作詞家、佐伯孝夫さんと組み、数々の名曲を、そして大スターを生むことになるのです。
フランク永井さんの上手な司会で、吉田正さんの作曲活動のポイント、ポイントが分りやすく紹介されました。私も意外だったのですが、吉田さんご自身の評価では、最高傑作は松尾和子さんの「再会」だそうです。これをつくったあと、これから先どうしようかと思ったそうです。燃え尽き症候群みたいなものでしょうか(笑)。そのとき、橋君がきてくれて助かったと言っています。これまでのと、がらりと雰囲気の違う「潮来笠」が大ヒットし、その後、吉永小百合さん、三田明さんと、吉田青春歌謡の一時代を築くことになります。
今回、吉田学校の生徒のほとんどの方が出席されています。ただひとつ残念だったのは、吉永小百合さんが出演されていなかったことです。是非、「寒い朝」を歌ってほしかったです。でも、これだけの豪華メンバーをそろえた歌番組はめったにみられません。「蔵出し」する価値のある、すばらしい番組でした。
最後に、吉田さんは、シベリアの収容所時代の、カーシャの会の人たちと共に「異国の丘」を歌いました。零下30℃の極寒の中での作業、必死に命をつないできた仲間たちです。この時代、吉田さんは、皆を勇気づけようと、セメント袋の裏をつかって、明日の希望のみえる唄を30曲も作曲したそうです。今日も 昨日も 異国の丘で・・・と万感の思いで唱和されている皆さんの顔は、こみあげる涙でくしゃくしゃになっていました。
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異国の丘
作詞:増田 幸治
補詞:佐伯 孝夫
作曲:吉田 正
今日も暮れゆく異国の丘に
友よ辛かろ切なかろ
我慢だ待っていろ嵐が過ぎりゃ
帰る日も来る春も来る
今日も更けゆく異国の丘に
夢も寒かろ冷たかろ
泣いて笑うて歌って耐えりゃ
望む日が来る朝が来る
今日も昨日も異国の丘に
重い雪空日がうすい
倒れちゃならない祖国の土に
たどりつくまでその日まで