サライの今月号に落語特集が載っていました。私は、年に一、二度、寄席に行く程度ですが、落語には結構関心があります。サライの、どの記事も面白かったですが、ちょいといい話しだなと思ったものを2,3紹介しますね。
私も好きな、新作落語の大御所、桂米丸師匠の話。師匠は、三代続く浜っこで、戦後すぐ、21才のとき、古今亭今輔師匠に弟子入りしました。師匠に落語で食べていくのは骨ですよ、と言われましたが、その当時、みんな食うや食わずの状態だったので、そう言われてもピンとこなかったそうです。
そして、あんたは江戸弁ができないが、浜っこのあか抜けした喋りがあるので、古典よりむしろ新作に向いている、そちらに進みなさいといわれ、前代未聞の、古典は一切せず、新作ばかりで修行したそうです。大変不安だったそうですが、これがぴたりと当り、異例のスピード出世をして、3年目にはもう真打ちになったそうです。
初高座では「バスガール」をやりました。どうにかしゃべり終えたとき、大きな拍手がひとつだけ聞こえました。あとで分ったのですが、その拍手は、師匠だったんだそうです。弟子の初高座を心配してみにきてくれただけではなく、大きな拍手までしてくれた、なんてありがたい師匠だろうって帰りの電車の中で涙が止らなかったそうです。(これにもオチがあって)いつか弟子ができたら、私も同じことをしてあげようと・・そしてそのときがきました・・ところが、うちの弟子は感動してくれないで、なんと「もっと大きな拍手をしてください」だって。
名人五代目古今亭志ん生師匠の話。師匠の酒好きは有名です。大正12年、関東大震災があった日のことです。「酒が地べたに呑まれちまうんじゃ、もったいねえ」と近所の酒屋に飛び込みます。「酒え売ってください」「ゼニなどようがす、私ら逃げますので自由にお呑みなさい」師匠は4斗樽の栓をぬき、1升5合ほどいただき、へべれけになって、帰宅しました。その手にはなお一升瓶を大事そうに抱えていたそうです。
志ん生夫婦の生活は、赤貧洗うがごとくでした。師匠の、呑む・うつ・買うのせいだったらしいですが、夫婦仲むつまじく、喧嘩をしたのをみたことがないと、長女の方は言っています。師匠が得意とする噺「替り目」の中に、”ほんとうの貧乏を味わったものでなけりゃ、ほんとうの喜びも、面白さも、ひとの情けもわからない”というせりふが出てきますが、実生活を彷彿させるようです。こういう貧乏生活の中から、ご子息の、馬生と志ん朝という名人も育ちました。
鎌倉にお住まいの養老孟司さんも落語好きで、すでに故人ですが、枝雀と志ん朝のフアンだったそうです。脳科学者の立場から、笑いの効用をこう説明しています。笑いは、秩序と論理で固まった脳を積み木をくずすように、混乱、無秩序状態に陥れる作用をもつそうです。人は、秩序だけでは、神経がおかしくなり長持ちしないそうです、今の教育現場の問題もここにあると指摘しています。今こそ、日本人は落語をおおいに聴いて笑うべきでしょう、と結んでいます。
笑う門には福来たる、ということわざもありますし、最近の研究で、笑うことによって、免疫力も増強するなんてこともあるそうですね。何だか、またそろそろ、上野か浅草の寄席に行ってみたくなってしまいました。
私も好きな、新作落語の大御所、桂米丸師匠の話。師匠は、三代続く浜っこで、戦後すぐ、21才のとき、古今亭今輔師匠に弟子入りしました。師匠に落語で食べていくのは骨ですよ、と言われましたが、その当時、みんな食うや食わずの状態だったので、そう言われてもピンとこなかったそうです。
そして、あんたは江戸弁ができないが、浜っこのあか抜けした喋りがあるので、古典よりむしろ新作に向いている、そちらに進みなさいといわれ、前代未聞の、古典は一切せず、新作ばかりで修行したそうです。大変不安だったそうですが、これがぴたりと当り、異例のスピード出世をして、3年目にはもう真打ちになったそうです。
初高座では「バスガール」をやりました。どうにかしゃべり終えたとき、大きな拍手がひとつだけ聞こえました。あとで分ったのですが、その拍手は、師匠だったんだそうです。弟子の初高座を心配してみにきてくれただけではなく、大きな拍手までしてくれた、なんてありがたい師匠だろうって帰りの電車の中で涙が止らなかったそうです。(これにもオチがあって)いつか弟子ができたら、私も同じことをしてあげようと・・そしてそのときがきました・・ところが、うちの弟子は感動してくれないで、なんと「もっと大きな拍手をしてください」だって。
名人五代目古今亭志ん生師匠の話。師匠の酒好きは有名です。大正12年、関東大震災があった日のことです。「酒が地べたに呑まれちまうんじゃ、もったいねえ」と近所の酒屋に飛び込みます。「酒え売ってください」「ゼニなどようがす、私ら逃げますので自由にお呑みなさい」師匠は4斗樽の栓をぬき、1升5合ほどいただき、へべれけになって、帰宅しました。その手にはなお一升瓶を大事そうに抱えていたそうです。
志ん生夫婦の生活は、赤貧洗うがごとくでした。師匠の、呑む・うつ・買うのせいだったらしいですが、夫婦仲むつまじく、喧嘩をしたのをみたことがないと、長女の方は言っています。師匠が得意とする噺「替り目」の中に、”ほんとうの貧乏を味わったものでなけりゃ、ほんとうの喜びも、面白さも、ひとの情けもわからない”というせりふが出てきますが、実生活を彷彿させるようです。こういう貧乏生活の中から、ご子息の、馬生と志ん朝という名人も育ちました。
鎌倉にお住まいの養老孟司さんも落語好きで、すでに故人ですが、枝雀と志ん朝のフアンだったそうです。脳科学者の立場から、笑いの効用をこう説明しています。笑いは、秩序と論理で固まった脳を積み木をくずすように、混乱、無秩序状態に陥れる作用をもつそうです。人は、秩序だけでは、神経がおかしくなり長持ちしないそうです、今の教育現場の問題もここにあると指摘しています。今こそ、日本人は落語をおおいに聴いて笑うべきでしょう、と結んでいます。
笑う門には福来たる、ということわざもありますし、最近の研究で、笑うことによって、免疫力も増強するなんてこともあるそうですね。何だか、またそろそろ、上野か浅草の寄席に行ってみたくなってしまいました。