この写真の人、お分かりですか。そうです、指揮者の大友直人さんです。若いときからハンサムでしたが、現在、50ちょっと前ですが、相変わらずの男前ですね。大宅壮一さんが「男の顔は履歴書である」という名言をつくりましたが、この顔写真にも彼の歴史が感じられます。
大友さんは高校生時代から指揮者を目指し、桐朋で小野崎さんというコントラバスの名手から英才教育を受けます。指揮者は、演奏している人から、あの人はどこか違う、雲の上の人だと思われるぐらいでなくてはいけない、そうでないとついていかない、と教えられ、いつもそう意識して修行してきたそうです。ですから、指揮者というのは、孤独な職業だそうです。演奏旅行でも、誰も一緒に食事をしようと言ってくれず、いつも一人だそうです。私も現役時代そうでした(それはただの仲間はずれだ、の声・・・(汗))
大友さんのお話によると、首都圏では、毎晩のように10以上のコンサートが開かれていて、ハイシーズンには20も30もの楽団が、どこかで演奏活動をしているそうです。世界的にもトップクラスだそうです。大友さんは、でも、ほんとうに、皆さんが音楽を楽しんでいるのか、疑問に思うことがしばしばあるそうです。
演奏する人たちと聴く人々との関係が、しっくりいっていないように感じるんだそうです。演奏会というのは、たとえて言うと、球場へ出向いて野球観戦するのと同じだというのです。ひいきのチーム、選手を、鐘や太鼓で応援する、ときには、大声をあげ激励する、相手のチームの選手には罵倒の野次を飛ばす、選手もそれに呼応して発憤し、いいプレイをする、そういう一体感をもった関係が演奏会にも必要だというのです。
楽団の人たちが舞台に上がってきても、しらっとしている、そして、どんなすばらしい演奏をしても、おざなりのパラパラ拍手であったり、逆にビッグネームの失敗演奏に盛大の拍手したりしているようでは、演奏者と観客のいい関係がいつまでも築かれないというのです。
これは、我々が音楽の理解度を上げる必要もあるのですが、もっと根本的なところに問題点があると、大友さんは指摘します。こういう関係は、実は日常生活の礼儀作法や倫理に深く関係している、ふだんろくに挨拶もしない、お年寄りを大事にしない、自分勝手なことばかりしている、そんな人が音楽会のときだけ、これから演奏をしようしている人たちの、ここにくるまでの血のにじむような努力、費やしたエネルギーに思いを寄せ、感謝する気持ちなどもてるはずがないというのです。心のこもった拍手をするはずがないというのです。
音楽家としてみても、最近の日本人はどうも根本的なところができていない、と感じているそうです。やはり、今の学校教育や家庭教育に問題があるのではと思われているようです。
日本人の心のレベルアップが必要なんですね。このままだと、ほんとうに世界からばかにされてしまいます。私自身も自戒したいと思います。そして、コンサートに行ったら、少なくとも、舞台にのぼられてくる、一人ひとりの演奏者の、それまでの汗と涙の努力に思いを馳せ、感謝して迎えたいと思います。音楽力の上昇はもう無理ですからね、演奏も、うまい、普通にうまい、へた ぐらいしか分類できませんので、それはご容赦くださいね。
・・・・
昨日、近くの鎌倉芸術館の「カフェ・ピアッツア」の「大友直人さんの楽しいお話と菊池洋子さんのミニコンサート添え」、イリー・エスプレッツ and ブラッドオレンジジュースのドリンク付き(鎌倉芸術館主催・かまくら文化講演会2006)に、ワイフと参加しました。
菊池洋子さんのピアノ演奏も良かったです。ショパンの子犬のワルツほか2曲、モーツアルトのトルコ行進曲、サロンのような小さな部屋で聴く演奏も、家庭的でいいですね。
菊池さんもすごい人です。自分が高校生の頃、イタリアのイモラ音楽院の楽団が来日したときに、全体でまとまっているのに、一人ひとりの演奏に個性が感じられ、こういうところで学びたいと思い、留学されたそうです。2001年ザルツブルグ第8回モーツアルト国際コンクールで日本人として初めて優勝というすごいキャリアをもっています。モーツアルトの曲は子供でも弾け簡単そうですが、実は奥が深い、毎日が発見だそうです、これでいいと思っても、演奏会ではその音がでない 音楽が逃げてしまうなんていうことが、よくあるそうです。シンプルだけど難しい。一生、モーツアルトを弾いていきたいと言っていました。
とても有意義な、楽しいトークとピアノ演奏でしたよ。
大友さんは高校生時代から指揮者を目指し、桐朋で小野崎さんというコントラバスの名手から英才教育を受けます。指揮者は、演奏している人から、あの人はどこか違う、雲の上の人だと思われるぐらいでなくてはいけない、そうでないとついていかない、と教えられ、いつもそう意識して修行してきたそうです。ですから、指揮者というのは、孤独な職業だそうです。演奏旅行でも、誰も一緒に食事をしようと言ってくれず、いつも一人だそうです。私も現役時代そうでした(それはただの仲間はずれだ、の声・・・(汗))
大友さんのお話によると、首都圏では、毎晩のように10以上のコンサートが開かれていて、ハイシーズンには20も30もの楽団が、どこかで演奏活動をしているそうです。世界的にもトップクラスだそうです。大友さんは、でも、ほんとうに、皆さんが音楽を楽しんでいるのか、疑問に思うことがしばしばあるそうです。
演奏する人たちと聴く人々との関係が、しっくりいっていないように感じるんだそうです。演奏会というのは、たとえて言うと、球場へ出向いて野球観戦するのと同じだというのです。ひいきのチーム、選手を、鐘や太鼓で応援する、ときには、大声をあげ激励する、相手のチームの選手には罵倒の野次を飛ばす、選手もそれに呼応して発憤し、いいプレイをする、そういう一体感をもった関係が演奏会にも必要だというのです。
楽団の人たちが舞台に上がってきても、しらっとしている、そして、どんなすばらしい演奏をしても、おざなりのパラパラ拍手であったり、逆にビッグネームの失敗演奏に盛大の拍手したりしているようでは、演奏者と観客のいい関係がいつまでも築かれないというのです。
これは、我々が音楽の理解度を上げる必要もあるのですが、もっと根本的なところに問題点があると、大友さんは指摘します。こういう関係は、実は日常生活の礼儀作法や倫理に深く関係している、ふだんろくに挨拶もしない、お年寄りを大事にしない、自分勝手なことばかりしている、そんな人が音楽会のときだけ、これから演奏をしようしている人たちの、ここにくるまでの血のにじむような努力、費やしたエネルギーに思いを寄せ、感謝する気持ちなどもてるはずがないというのです。心のこもった拍手をするはずがないというのです。
音楽家としてみても、最近の日本人はどうも根本的なところができていない、と感じているそうです。やはり、今の学校教育や家庭教育に問題があるのではと思われているようです。
日本人の心のレベルアップが必要なんですね。このままだと、ほんとうに世界からばかにされてしまいます。私自身も自戒したいと思います。そして、コンサートに行ったら、少なくとも、舞台にのぼられてくる、一人ひとりの演奏者の、それまでの汗と涙の努力に思いを馳せ、感謝して迎えたいと思います。音楽力の上昇はもう無理ですからね、演奏も、うまい、普通にうまい、へた ぐらいしか分類できませんので、それはご容赦くださいね。
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昨日、近くの鎌倉芸術館の「カフェ・ピアッツア」の「大友直人さんの楽しいお話と菊池洋子さんのミニコンサート添え」、イリー・エスプレッツ and ブラッドオレンジジュースのドリンク付き(鎌倉芸術館主催・かまくら文化講演会2006)に、ワイフと参加しました。
菊池洋子さんのピアノ演奏も良かったです。ショパンの子犬のワルツほか2曲、モーツアルトのトルコ行進曲、サロンのような小さな部屋で聴く演奏も、家庭的でいいですね。
菊池さんもすごい人です。自分が高校生の頃、イタリアのイモラ音楽院の楽団が来日したときに、全体でまとまっているのに、一人ひとりの演奏に個性が感じられ、こういうところで学びたいと思い、留学されたそうです。2001年ザルツブルグ第8回モーツアルト国際コンクールで日本人として初めて優勝というすごいキャリアをもっています。モーツアルトの曲は子供でも弾け簡単そうですが、実は奥が深い、毎日が発見だそうです、これでいいと思っても、演奏会ではその音がでない 音楽が逃げてしまうなんていうことが、よくあるそうです。シンプルだけど難しい。一生、モーツアルトを弾いていきたいと言っていました。
とても有意義な、楽しいトークとピアノ演奏でしたよ。