気ままに

大船での気ままな生活日誌

東慶寺の梅

2007-02-20 09:53:42 | Weblog
北鎌倉の東慶寺の梅を観に行きました。梅の見頃の時期には、どうしても行ってみたいお寺です。鎌倉の観光人力車、有風亭の青木登さんに言わせますと、ここ東慶寺と荏柄天神をご案内したら、もうそれで鎌倉の最高の梅をみていただいたことになります、だそうです。

山門をくぐると、前方の道の両側にずらりと梅の並木です。ちょうど見頃の白梅、紅梅が出迎えてくれました。お日様がちょうど真向かいの南西側の山の上で、山門前からは逆光の位置関係になります。それが、なかなかいい感じなのです。まぶしい日の光で背景が見えにくくなっています。そして、その消えた背景の中に無数の梅の花だけがひかり輝いて、まるで梅の花々が天に浮いてるようにみえるのです。しばらく呆然と立ちつくしてしまいました。

わー、すごい、大きい木ね、と言う女性の声に我に返り、その声の方向に目を向けました。左手の鐘楼の前に、梅の古木があふれるほどの花をつけて、堂々と鎮座していました。その中年の女性が、受付の方に、どれくらいの樹齢なんですかと、聞いていました。百年は越えてます、元住職の方が九十何歳で今もお元気ですが、その方が子供のころからあったそうですから、と答えていました。

その古木の脇に小さな歌碑がありました。そこには「女作者はいつも、おしろいをつけている。この女の書くものはたいがい、おしろいの中からうまれてくるのであろう」と刻んでありました。波乱の人生を送った作家、田村俊子さんが友人の智恵子さん(高村光太郎の奥さん)をモデルにして書いた「女作者」の中の文章です。

梅の古木の幹にはりついている、年期ものの白い苔が、まるでおしろいのようにみえました。この梅の木のくねくねした枝振りをみると、この梅も波乱のジン生を送ってきたように思えました。田村俊子さんが乗り移ったようでした。それで、この梅に「トシちゃん梅」と名前をつけました。瀬戸内晴美さんが「田村俊子-この女の一生」で第1回田村俊子賞を受賞しているそうです。一度読んでみたいですね。お墓も境内にあります。

一方、右側の書院の前の梅も、トシちゃん梅に負けないくらいでした。すぐ、ここにお墓のある、あの女流作家を思い出しました。そうです真杉静枝さんです、田村さんに負けず劣らず波乱の人生を送っています。あの実篤さんの愛人にもなりました。林真理子さんの「女文士」という本を読めば詳しく出ています。なかなか面白いですよ。それで、この梅に「シズちゃん梅」と名前をつけました。

松ヶ岡 男をみれば 犬がほえ という川柳がありますが、ここは駆け込み寺として有名でした。このお寺にちょうどいいですね、人生経験の豊富なおふたりが仁王様のように入り口に立っていて。でも、駆け込んできた女性に、「お寺なんかに逃げないで、他に、いい男をみつけなさいよ、いくらでもいるわよ」なんて言って追い返してしまいそうですね。

梅並木を通り抜ける間、赤いぼけの花、福寿草、まんさく、クリスマスローズなどの花々も楽しむことも出来ました。上に目をやると、東慶寺といえばこの花と、フアンの多い、書院の庭の白木蓮が今にも開きそうな大きな蕾をたわわにつけていました。そして松ヶ岡文庫入り口近くの岩場には、これまたファンの多いイワタバコの若い、ごわごわした葉がたくさん、でもちょっとだけよと、顔を出していました。

田村俊子さんと真杉静枝さんのお墓にお参りして、東慶寺をあとにしました。

コメント
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