私が茅ヶ崎の高砂緑地の松籟庵庭園の梅林が見頃だったという話しをしたら、最近ちょっと足を痛めて、外出を控えていたワイフが、ぜひ行きたいというので、こんどは、ふたりで行ってきました。
じつは、一と月前に、ふたりでここに来て、同じ敷地内の市立美術館前の庭園で早咲きの一本の白梅をみているのですが、そのとき、ワイフは美術館の掲示板の、萬鐵五郎展開催(1/20~2/25)のポスターもしっかりみていて、是非これは観なくちゃと言っていたのです。というわけで、今回は、むしろワイフが主の、そして展覧会が主の、お出かけになったというわけです。
先日紹介しました、松籟庵庭園内の梅林も美術館前のも(写真)、数日前の訪問時より一層見頃となっており、十分楽しめました。そして、おどろいたことに、あのときの早咲きの白梅がまだ残っていました。えらい、まだまだがんばってね。
萬鐵五郎さんは、茅ヶ崎が終焉の地ということで、今年、没後80年になるのを記念して、今回の展覧会が企画されました。東京時代(1903ー1914)、土沢(現花巻市)時代(1914ー1919)そして茅ヶ崎時代(1919ー1927)と、順を追って、主要な作品が展示されていました。
萬鐵五郎さんの代表作で、ポスターの絵にも選ばれていた「裸体美人」が、やはり目を惹きつけます。もえるような緑の草むらに横たわるひとりの若い女性、真っ赤なズボンをだらしなく(ラフに?)履いて、上半身はおへそまで出した裸です。左腕をまくらにして、右腕は曲げて、おなかの上にのせています。顔はこちらを向けて、眉毛、目、鼻、唇、みな単純な大胆な線で描かれていますが、自信にみちた表情がよく出ています。いのちの息吹を感じさせる、私も気に入った作品でした。この作品は、東京美術学校の卒業制作のものだそうです。説明によると、この東京時代は、フランスのフォーヴ風の強烈な色彩が特徴だそうです。萬さんは美校時代に結婚し、私生活でもとてもはりきっていた頃です。力強さが感じられる絵が多かったのは、萬さんの、希望に満ちた心の反映でしょうか。
一転、土沢時代の作品になると、色調がぐっと暗くなり、私には、あまりいい絵とは思いませんでした。キュビスムの方向に向かったという、説明がありました。萬さんはこのときは、家族を離れ、ひとりで故郷の土沢に帰っていたのです。ノイローゼにもなったようです。そういう心の、暗い風景が絵にそのまま出てしまったようです。
そして、茅ヶ崎時代になると、明るさを取り戻し、茅ヶ崎の、のどかな海岸風景などを描くようになります。「裸婦(頬杖の人)」なんかも、中高年(?)裸婦を大胆な線でわくどりした、明るい色彩のいい絵でしたよ。そしてその頃、同時に、日本の伝統絵画の南画をも描くようになります。たくさんの南画の掛け軸が展示されていました。気候も温暖で太陽がいっぱいの、湘南、茅ヶ崎に転居し、すっかり元気を取り戻しましたことが、画風によっても分かります。でも、この地で結核に罹かり、41才の若さでこの世を去ります。
これまで、萬鐵五郎さんは、私にとってあまり馴染みのない画家でしたが、これで大分理解が進みました。それと、美術とは全然関係のないところなのですが、彼に親近感をもったことがありました。萬さんは、美校に入る前に、宗活禅師一行の布教活動をしていて、その一環として、アメリカに半年ほど滞在します。その場所がサンフランシスコにほど近い、バークレーという町で、私もその町に住んだことがあるのです。冬は暖かく、夏は海風で涼しく、年間を通して穏やかな気候で天国みたいなところです。茅ヶ崎もよく似た気候ですので、萬さんは、きっと、若き日のバークレー時代を思い出し、ここ茅ヶ崎を終の棲家に決めたのだと思いました。
少し遅いランチを近くの、イタリアンレストラン「ilpasso」でとりました。おいしいスパゲッティでした。そして、何よりも、グラスワインの量が、普通のお店の、1.5倍ぐらいあり、飲みでがあり、とても嬉しかったです。また来たいと思いました。
じつは、一と月前に、ふたりでここに来て、同じ敷地内の市立美術館前の庭園で早咲きの一本の白梅をみているのですが、そのとき、ワイフは美術館の掲示板の、萬鐵五郎展開催(1/20~2/25)のポスターもしっかりみていて、是非これは観なくちゃと言っていたのです。というわけで、今回は、むしろワイフが主の、そして展覧会が主の、お出かけになったというわけです。
先日紹介しました、松籟庵庭園内の梅林も美術館前のも(写真)、数日前の訪問時より一層見頃となっており、十分楽しめました。そして、おどろいたことに、あのときの早咲きの白梅がまだ残っていました。えらい、まだまだがんばってね。
萬鐵五郎さんは、茅ヶ崎が終焉の地ということで、今年、没後80年になるのを記念して、今回の展覧会が企画されました。東京時代(1903ー1914)、土沢(現花巻市)時代(1914ー1919)そして茅ヶ崎時代(1919ー1927)と、順を追って、主要な作品が展示されていました。
萬鐵五郎さんの代表作で、ポスターの絵にも選ばれていた「裸体美人」が、やはり目を惹きつけます。もえるような緑の草むらに横たわるひとりの若い女性、真っ赤なズボンをだらしなく(ラフに?)履いて、上半身はおへそまで出した裸です。左腕をまくらにして、右腕は曲げて、おなかの上にのせています。顔はこちらを向けて、眉毛、目、鼻、唇、みな単純な大胆な線で描かれていますが、自信にみちた表情がよく出ています。いのちの息吹を感じさせる、私も気に入った作品でした。この作品は、東京美術学校の卒業制作のものだそうです。説明によると、この東京時代は、フランスのフォーヴ風の強烈な色彩が特徴だそうです。萬さんは美校時代に結婚し、私生活でもとてもはりきっていた頃です。力強さが感じられる絵が多かったのは、萬さんの、希望に満ちた心の反映でしょうか。
一転、土沢時代の作品になると、色調がぐっと暗くなり、私には、あまりいい絵とは思いませんでした。キュビスムの方向に向かったという、説明がありました。萬さんはこのときは、家族を離れ、ひとりで故郷の土沢に帰っていたのです。ノイローゼにもなったようです。そういう心の、暗い風景が絵にそのまま出てしまったようです。
そして、茅ヶ崎時代になると、明るさを取り戻し、茅ヶ崎の、のどかな海岸風景などを描くようになります。「裸婦(頬杖の人)」なんかも、中高年(?)裸婦を大胆な線でわくどりした、明るい色彩のいい絵でしたよ。そしてその頃、同時に、日本の伝統絵画の南画をも描くようになります。たくさんの南画の掛け軸が展示されていました。気候も温暖で太陽がいっぱいの、湘南、茅ヶ崎に転居し、すっかり元気を取り戻しましたことが、画風によっても分かります。でも、この地で結核に罹かり、41才の若さでこの世を去ります。
これまで、萬鐵五郎さんは、私にとってあまり馴染みのない画家でしたが、これで大分理解が進みました。それと、美術とは全然関係のないところなのですが、彼に親近感をもったことがありました。萬さんは、美校に入る前に、宗活禅師一行の布教活動をしていて、その一環として、アメリカに半年ほど滞在します。その場所がサンフランシスコにほど近い、バークレーという町で、私もその町に住んだことがあるのです。冬は暖かく、夏は海風で涼しく、年間を通して穏やかな気候で天国みたいなところです。茅ヶ崎もよく似た気候ですので、萬さんは、きっと、若き日のバークレー時代を思い出し、ここ茅ヶ崎を終の棲家に決めたのだと思いました。
少し遅いランチを近くの、イタリアンレストラン「ilpasso」でとりました。おいしいスパゲッティでした。そして、何よりも、グラスワインの量が、普通のお店の、1.5倍ぐらいあり、飲みでがあり、とても嬉しかったです。また来たいと思いました。