気ままに

大船での気ままな生活日誌

春彼岸 三溪園の臥龍梅が満開

2012-03-20 18:16:23 | Weblog
ふたりで、お彼岸のお墓参りを済ませ、帰路、根岸の三溪園に寄った。入口の三溪園観梅会ポスターに”期間は2/11~3/4”とあったが、関東では梅の開花がひと月近くも遅れ、今頃が見頃になっている。ここの観梅会も今日まで延長の貼り紙があった。

現在、約600本の梅の木があるが、およそ百年前の、開園当初は2000本もあったということだ。江戸時代から梅の名所として知られた小向(川崎)、杉田(横浜)、蒲田(東京)から3年あまりかけて移植したらしい。その後、横浜大空襲などで被害を受け、激減してしまった。でも生きながらえた古木もある。臥龍梅(がりょうばい)もそのひとつである。まるで龍のように、くねくね幹を這わせ、今年も見事な花を咲かせていた。


東博所蔵の重文、下村観山の六曲一双の屏風絵”弱法師(よろぼし)”は、ここの臥龍梅を観て、着想を得たそうだ。謡曲”弱法師”に取材した絵で、父を求めて摂津の天王寺にさまよう俊徳丸が,臥龍梅の彼方の赤い日輪を拝している場面だ。

ここへ来る電車の中で読んでいた、隆慶一郎の”吉原御免状”(宮本武蔵に育てられた青年剣士、松永誠一郎の物語)で”弱法師”のことが載っていた。誠一郎はまるで弱法師のように、よろめくような、一見、頼りなげな歩き方をする。この歩き方は”ずし走り”に現れる禹歩(うほ)の型である。今日でも東大寺二月堂のお水取りに行われていて、古くは中国の遁甲(とんこう)兵術からきている。遁甲、すなわち忍術だそうである。ふーん、そうのなんだ。

臥龍梅だけではなく、白馬、紅梅、緑萼梅などが妍を競っていた。








ソレゾレが妍を競っていた三溪園
キンクロハジロ


イネムリニャンコ


コケノミドリ


春の七草



コメント
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