気ままに

大船での気ままな生活日誌

熱海の大寒桜

2012-03-16 21:31:12 | Weblog
熱海のMOAで岩佐又兵衛の山中常盤絵巻を観てきた。すばらしい全12巻だった。これについては、のちほど記事にしたい。そのあと、湯河原の梅園にでも、と思っていたが、MOAの梅園が、なかなか良かったので、梅はもういいと、湯河原行はやめて、熱海の温泉町をぐるりと一周することにした。今年の二月末にみた糸川沿いの熱海桜がその後どうなったか、それと、あのとき街中でみつけた大寒桜はもう咲いただろうか、ちょっと気になっていたのだ。

駅前通りのお寿司屋さんで、お酒をいただいて(汗)、いい気持ちになり、ぶらりぶらりと坂道を下りていった。しばらく歩くと、その大寒桜はあった。もう満開だった、あのときはまだ固い蕾だったのに。”坂町の寺桜”と呼ばれる由緒ある桜だそうである。このあたりにあったお寺の桜で、二度の大火を潜り抜け、約130年の命をつないだ。そして今年も、見事な花を咲かせた。

そこから、少し先に糸川が流れている。もう遠目にも、そこの熱海桜は葉桜になっているのがわかった。いつも、河津桜より早く咲き、早く散るのだ。そして熱海銀座通りを海岸に向かって降りて行く。ヨットハーバーのある浜辺まで来ると、ピンク色が突然、目に飛び込んできた。河津桜かなと思ったが、これも大寒桜だった。十数本も並んでいる。予想外に、熱海で満開の大寒桜をいくつも観ることができ、とても満足した。

熱海の海岸では、寛一に足蹴にされる、かわいそうなお宮さんがいた。その横の、お宮の松は二代目だそうだ。お宮の松の向こうには、熱海を代表するホテル、つるやがあったが、つぶれてしまい、これも二代目になっていた。でもホテルではなさそうだった。海岸まで降りてきたのは、もう7,8年ぶりのような気がする。ずいぶんと風景も変わっていた。

MOAの梅園




坂町の寺桜


葉桜になっていた糸川の熱海桜


熱海の海岸の大寒桜





大寒桜の前はヨットハーバー



”寛一とお宮の像”と”お宮の松”



かわいそうなお宮 こんな男と一緒にならなくて正解だった(爆)


。。。。。

稀勢、3勝目。あと9連勝で優勝だ。
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宝戒寺の枝垂れ梅、そして東慶寺の梅は

2012-03-16 08:26:18 | Weblog
残念でした、宝戒寺の枝垂れ梅は、まだ、二分咲きくらいです。でもね、しだれない梅は見頃でちゅ。深紅色、紅色、ピンク色、白色と、人生いろいろ、梅の花もいろいろ咲き乱れるの、と島倉千代子の歌みたいに咲き乱れていた。入口近くの、”思いのまま”という品種も、同じ木なのに白とピンクの花を咲かせていた。

本堂に入って、毘沙門さまの前でお参りした。ふと横に目をやると高倉健さんのお供物(代)が。健さんはここのお寺と縁がある、この地は元北条執権の屋敷跡。健さんの先祖は、最後の執権、北条高時の一番の家来、北条篤時だった。新田義貞に攻められ、すぐ近くの”腹切りやぐら”で自害するが、子供は岡山から北九州へと逃したのだ。ついでながら、江戸時代”東路日記”という、史上初の主婦の旅日記を残した小松屋の主婦、小田宅子さんも子孫のひとりである。

枝垂れ梅はこれからだった。楽しみはまだ残された。来週辺りかな。


いろいろ咲き乱れる、しだれない、普通の梅。







気ままに咲いている梅



宝戒寺を出てから、八幡さまへ。ここでは美術鑑賞を。国宝館では、”ひな人形展”。神奈川近代美術館(鎌倉)では、”藤牧義夫展”。鎌倉街道沿いの別館では”日本画ザベストコレクション後期展。そして、さらに歩き、東慶寺。ここの梅も十分、開いていた。





東慶寺の梅は輝いていた




はげおやじも輝いていた


サンシュユ (山茱萸)も輝いていた。


曲線美も直線美も輝いていた


今日は又兵衛さんの山中常盤絵巻を観に行くつもり。ついでにどこの梅林に行こうか。湯河原か曽我か。はたまた、足を延ばして、河津桜というのもいい。今晩のブログで明らかになります。では行ってまいります。


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