気ままに

大船での気ままな生活日誌

”芝 増上寺”展

2012-03-31 11:21:46 | Weblog
江戸東京博物館で”芝 増上寺/秀忠とお江の寺”の企画展が開かれている。芝の増上寺は、ぼくの朝散歩のコースにある、大長寺と縁があるので、親しみをもっている。どんな縁かというと、大長寺の創立者は感誉存貞であって(1548創立)、1563年、増上寺に移り法主となっている。その後、法主を1567年に大長寺二代目住職雲誉円也に譲り、地方を放浪した。大長寺時代の存貞の元で修業したのが、増上寺の12世法主、源誉存応(慈昌)である。展覧会では、家康の関東入部に伴い、菩提寺になったときの法主、存応の座像が展示されている。

広重、豊国らの、増上寺を描いた、いくつもの浮世絵のプロローグから始まり、第1章(創建)では、重要文化財、紙本着色の絵巻”法然上人伝”と冷泉為恭作の”法然上人絵伝”が迎えてくれる。また、法然上人像や聖徳太子像も。第2章(芝へ/江戸の建設)では、前述の存応の座像が最初に現れる。そして、家康像も。さらに、重要文化財7点(一部後期)の大蔵経(宋版・元版・高麗版)と収納箱も。第3章(徳川家と増上寺)、第4章(霊廟と法会)とつづく。四天王立像。そして、”空蝉の袈裟”が和宮内親王の十三筝と共に涙を誘う。夫の家茂が土産に用意していた西陣の織物。しかし、家茂は21歳の若さで、大坂城で亡くなり、江戸に帰りついたのは、織物だけだった。”空蝉の唐織り衣なにかせん綾も錦も君ありてこそ”美しい織り物もあなたがいてこそ。和歌を添え、夫の形見を寺に奉納し、のちに夫の供養のために袈裟に仕立てた。14代将軍家茂夫妻の墓所はもちろん増上寺にある。二代将軍徳川秀忠とお江をはじめとし、六代家宣・七代家継、九代家重・12代家慶もそうで、霊廟が建立された。お江の霊屋は移され、鎌倉の建長寺の仏殿になっている。その霊屋唐門も修復され、往時の輝きをみせている。

エピローグには、雪の増上寺等、川瀬巴水の新版画がいくつも飾られ、僕をうれしがらせてくれた。

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昨日の死闘はすごかったですね。愛ちゃんが韓国のエースに勝ったときはもう、メダル確実かと思いましたが。


2対2ともつれ、さらに若きエース、石川の最終戦も2:2ともつれ、一旦、最終ゲーム、リードしたにもかかわらず、惜しくも敗退。


残念だったけど、オリンピックで仕返しだ。がんばれ日本!でも男子はメダル確定。今日もフィギアもあるし、プロ野球や大リーグもあるし、ああ忙しい(汗)。

コメント
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