気ままに

大船での気ままな生活日誌

嵐の前の静けさ 北鎌倉のお寺

2012-04-03 18:28:11 | Weblog
今日の午後、春の大嵐が来るというので、降らないうちにと、北鎌倉のお寺に行ってきました。とくに期待していたのは、東慶寺。ハクモクレンと彼岸桜、お見事でした。それだけではありません。いつも軽んじられているボケやこけにされているコケ類の花や緑もうるわしかった。それに、貝母(ばいも)の花も咲き始めました。嵐の前の静かなときを狙っての、花散歩でした。

東慶寺

ハクモクレン





彼岸桜 満開でした


粋な黒塀に映えるボケの花


貝母。数株みつけました。恥ずかしそうにうつむいているので、無理やり顔をあげさせました。地味ながら、好感のもてる花です。




地味ながらコケの緑も大好きです。真杉静江さんのお墓のコケは東慶寺一うつくしいです。さすが実篤の愛人だけありますね(笑)。


”花”を咲かせるコケ類


桜塚もある東慶寺


新緑のもみじ


円覚寺

きぶしがお行儀よく咲いていました。楽しみにしていた、松嶺院のカタクリはまだ蕾でした。


土佐みずきはふさふさと見事な花をつけていました。


外人の女性も、ふさふさと見事な髪の毛をつけていました。


傘の桜の花は満開でした。ソメイヨシノは二分咲きくらいかな。


浄智寺

大きな椿の花をみてきました。普通の椿の倍くらいあります。


ここでも土佐みずきがわが世の春を謳歌していました。


たぬき家族もわが世の春を謳歌していました。風もないのにぶらぶらしていませんでしたが、暴風がくるとぶらぶらするかもしれません(爆)。










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春風亭小朝の演目から

2012-04-03 10:26:50 | Weblog
先日、鎌倉芸術館で春風亭小朝独演会があった。演目は三つだったが、いずれも、地元、神奈川に関係があるものだった。ちゃんと演じる場所を考えてのことだろう。

はじめの演目は、”ぼやき酒屋”。
桂三枝の創作落語のひとつ。バリエーションがいろいろあって、小朝流の”ぼやき酒屋”になっている。噺の舞台は居酒屋。変な客がふらりと入ってきて、いろいろ、ふざけた冗談やわがままを言って、居酒屋の主人を困らせる。そして、終盤に、”大将、居酒屋で(おれのような)わがままをいう客がいてストレスが溜まるだろう。発散しなきゃもたないよ、と忠告する。主人は”でも、こういう商売をしていると、なかなか発散する暇もない。ところで、お客さんはどんな商売をしているんですか”と尋ねると、”おれは居酒屋をやっているんだ”

この演目と、神奈川とどういう関係があるのって? 鎌倉芸術館のある大船は居酒屋天国です。 それに、みな大船に乗ったような気になり、ぼやきの客も多いです。

そして、次の演目は、お菊の皿
あの有名な番町皿屋敷関連の話。美しいお菊さんの幽霊が出るというので、みんなで、こわごわ井戸の回りで待っていると、丑三つ時に、ぬーうっと、お菊さんが出てくる。そして”1枚~、2まあい~・・”とお皿を数えはじめる。”おい、見ろよ、松井冬子みたいな、いい女だぜ(一部脚色があります)、でも6枚までだよ、それ以上、覗いてると、あっちに連れていかれちゃうよ”そして、6枚目で逃げ帰る。それがつづく。美女幽霊がみれるというので、評判が評判を呼び、見物客が群がるようになる。次第にお客もずうずうしくなって、9枚まですべて見物するようになる。ある日、お菊の幽霊は、9枚の倍の18枚まで数えた。”何故、今日は18枚なんだ?””何枚数えたって私の勝手だろ、明日は休むんだよ”

この演目と、神奈川とどういう関係があるの?お菊さんは、平塚の出身なんです。証拠に写真を撮ってきました。平塚駅前に紅谷町という盛り場がありますが、その街中の紅谷町公園に菊塚があります。お菊さんは、平塚宿役人真壁源右衛門の娘さんだったのです。行儀作法見習のため江戸の旗本青山主膳方へ奉公中に、家宝のお皿が一枚、紛失したというので斬り殺されたのです。詳しくは案内板をどうぞ。





おわりは”抜け雀

これは、初めに答えがでます。舞台は神奈川県、小田原の宿。薄汚れた旅人が毎日、酒を飲み(汗)、何もせず寝てばかりで七日が過ぎた。一向に、宿賃を払ってくれないので主人が尋ねると、金の代わりに、自分は狩野派の絵師だからと、衝立に墨で雀の絵を描いた。江戸へ行くが、帰りに寄って金を払うから、それまでこの絵を売ってはならぬと言い残して旅立つ。
翌日、主人が雨戸を開けると、絵の中の雀が飛び出して外で餌を啄み、また戻って、元の絵の中にピタリと収まった。これが評判になって、連日、客が訪れ宿は大繁盛。小田原の殿様の耳に入り、絵を千両で買い取るとの話を、絵師との約束があるのでと断った。その後、歳の頃なら六十を越したという感じの上品なお方が一晩泊まりたいとやってくる。この絵をみて、止り木がないので雀はいずれ落ちて死ぬからと、雀が抜け出た隙に、止まり木と鳥籠を描いた。戻って来た雀は鳥籠の中にピタッと収まった。絵の値打ちも二千両になった。江戸から戻って来た絵師に事情を話すと、絵を一目見て、描いたのは自分の父親だ、(勘当されていた自分に)帰ってこいということだ。なんという親不幸をしてしまったかと嘆く。”なぜ?””親をカゴカキにしてしまった”

さて、この狩野派の絵師は誰か。知恩院七不思議のひとつに、抜け雀の襖絵がある。大方丈の菊の間の襖絵は狩野信政が描いたものです。紅白の菊の上に数羽の雀が描かれていたのですが、あまり上手に描かれたので雀が生命を受けて飛び去ったといわれています。現存する大方丈の襖絵には飛び去った跡しか残っていませんが、狩野信政の絵の巧みさをあらわした話といえるでしょう。 
落語の主人公は、この狩野信政の可能性が強いと思います。狩野信政といえば、去年、岸和田のだんじり祭りを観にいったときに寄った、堺の南宗寺の”八方睨みの龍”を描いた画家です。

おあとがよろしいようで。




お菊塚 (紅谷町公園内)花にらが咲きそろっていました。



色っぽい街には色っぽい石(爆)



狩野信政作 南宗寺の”八方睨みの龍”
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