ここ数年の海外旅行は、すべて美術館巡りだったが、今回のにはひとつも入っていない。そして、旅行の前後も、何かと用事があったりして、もう半月以上、展覧会に行っていないことになる。禁断症状とまではいかないまでも、とにかく一服したくて(笑)、横浜に出掛けた。
いきなり、本格的美術展に行ったのでは、枯渇状態になった頭が破裂しかねないので、まずは、旅行と関わりのあるマルコポーロ関連の展覧会をみて(横浜ユーラシア文化館で”マルコポーロがみたユーラシア/東方見聞録の世界”)、ついでに、同館で特別公開している”フィリピンの土器”展も覗いてきた。さらに、横浜開港資料館での”上海と横浜/波濤をこえて”で、頭をやわらかくした。
そして、港のみえる丘公園のふたつの文学展を制覇しようと、そちらに向かった。ところが、イギリス館前の庭園のラベンダーをはじめとする花々があまりにもきれいだったもんだから、つい、そちらの方にフラフラと浮気をして、予定の時間をつぶしてしまった。だって、ラベンダーはクロアチアの島でみてきたばかりだし。
結局、大佛次郎記念館での”大佛次郎の巴里探訪展”のみで、今日の本命にしていた、神奈川近代文学館の中原中也の手紙展は、後回しとなってしまった。
大佛次郎は”パリ燃ゆ”執筆の取材に、二度ほど巴里に滞在している(1958年と61年)。そのときの夫人宛ての書簡(絵ハガキ)や、自身が撮影した写真のほか、ぼくも行ったことのある(汗)、クレージー・ホースのプログラム、ムーラン・ルージュのパンフ、カフェ・クーポールのメニューなど、こまごましたものも(笑)。モンマルトルのシャンソニエ・ラパンアジルの写真も。大佛さん、いろいろ取材している(笑)。
外国の小説は、その土地をみなければ、本当の深さや厚みはわからない、と大佛さん。1871年、巴里コミューンで最後のバリケード戦が行われた、ランボノー通りに赴き、未だ残る戦禍の建物を見付ける。
横浜の四つの展覧会をみて、まずは、ホッ。そして、帰宅して、雲間からひょこと顔を出した午後8時前のスーパームーンを確認。ホッ
ラベンダー

アナベルと赤いバラ



スーパームーン 20時直前観察。 すぐに雲隠れした。ありがとう、お月さん。


まどろみの一日だった。

いきなり、本格的美術展に行ったのでは、枯渇状態になった頭が破裂しかねないので、まずは、旅行と関わりのあるマルコポーロ関連の展覧会をみて(横浜ユーラシア文化館で”マルコポーロがみたユーラシア/東方見聞録の世界”)、ついでに、同館で特別公開している”フィリピンの土器”展も覗いてきた。さらに、横浜開港資料館での”上海と横浜/波濤をこえて”で、頭をやわらかくした。
そして、港のみえる丘公園のふたつの文学展を制覇しようと、そちらに向かった。ところが、イギリス館前の庭園のラベンダーをはじめとする花々があまりにもきれいだったもんだから、つい、そちらの方にフラフラと浮気をして、予定の時間をつぶしてしまった。だって、ラベンダーはクロアチアの島でみてきたばかりだし。
結局、大佛次郎記念館での”大佛次郎の巴里探訪展”のみで、今日の本命にしていた、神奈川近代文学館の中原中也の手紙展は、後回しとなってしまった。
大佛次郎は”パリ燃ゆ”執筆の取材に、二度ほど巴里に滞在している(1958年と61年)。そのときの夫人宛ての書簡(絵ハガキ)や、自身が撮影した写真のほか、ぼくも行ったことのある(汗)、クレージー・ホースのプログラム、ムーラン・ルージュのパンフ、カフェ・クーポールのメニューなど、こまごましたものも(笑)。モンマルトルのシャンソニエ・ラパンアジルの写真も。大佛さん、いろいろ取材している(笑)。
外国の小説は、その土地をみなければ、本当の深さや厚みはわからない、と大佛さん。1871年、巴里コミューンで最後のバリケード戦が行われた、ランボノー通りに赴き、未だ残る戦禍の建物を見付ける。
横浜の四つの展覧会をみて、まずは、ホッ。そして、帰宅して、雲間からひょこと顔を出した午後8時前のスーパームーンを確認。ホッ

ラベンダー

アナベルと赤いバラ



スーパームーン 20時直前観察。 すぐに雲隠れした。ありがとう、お月さん。


まどろみの一日だった。
