気ままに

大船での気ままな生活日誌

東慶寺 イワタバコ 咲き始める

2013-06-01 18:50:12 | Weblog
六月に入って、最初の花散歩は、もちろん東慶寺。昨日、長谷寺でイワタバコがだいぶ咲いていたので、東慶寺のはどうかと調査に行ったノダ(汗)。結論を先に言います。長谷寺よりは遅れていますが、咲き始めました。もう数日で見頃になるでしょう。

メインステージの大岸壁。遠くでみると、はてな、咲いているのカナ?


近寄ると、こんな感じ。一株、一株、観れば、十分、鑑賞に耐える、うつくしさデアル。


石段を登り、覚山尼、(後醍醐天皇の皇女の)用堂尼のお墓の方に行くと、こんなに咲いている株をみつけた。こちらの方が早いみたい。


イワタバコだけじゃないよ、ここの、八重ドクダミは質量共にすばらしい。




山紫陽花と花菖蒲も咲き始めている。


イワタバコと並んで有名なのが、本堂裏の岩がらみ。今日から公開(土日は1日1回1時間だけ)。午後の部はなかったので、初日入場の栄誉は受けられズ。
もちろん、今週中に行く予定。そのときは、見頃になるはずのイワタバコ。楽しみだネ。


円覚寺にも寄った。仏日庵でみた、昭和8年魯迅寄贈のタイサンボクの大きな白い花。


今日一日も小さな一生涯。 なるほど。


いい生涯でござった。








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雨過天青 ある連想

2013-06-01 10:18:59 | Weblog
明月院の姫紫陽花が色づきはじめ、あるものは、雨上がりの青空に負けない”雨過天青”の色に染まっていた。”雨過天青”といえば、ぼくには、北宋汝窯の青磁の色と相場が決まっていたが、その言葉を意外なところで聞いた。

先週のNHKプロフェショナル。人間国宝でもある、染織家志村ふくみは88歳の今も、幻の藍染の色といわれる、”雨過天青”色を追っているという。藍染めの染料は藍の葉を発酵させて作るので、まるで生き物のように、ぶくぶくと泡を出しながら、甕の中で育ち、そして死ぬ。通常は染料が元気なときに藍色に染めるが、その死ぬ直前の染料で染めると、ごくまれに、”雨過天青”のうつくしい”死に花”を咲かせるときがあるという。番組のラストシーンで、志村の挑戦が撮られていたが、それは、かなわなかった。それぞれの甕(染料)に個性があるので、これはこういう色の個性なのね、と志村は言う。さらに、”まだ手に触れていないような、目に見えて無いような色があるかなと思っています。導きの書はないけど、導きの色はある。それを追い求めているんです”と。

番組にも紹介されていたが、志村ふくみには夭折した5歳上の兄がいた。画家の小野元衛である。1919年に大阪に生まれ、近江八幡で育った。18才のとき京都で陶芸を学び、21歳で東京へ。御茶ノ水の文化学院では美術を学ぶ。そして、戦争の時代に入り、1942年に近江八幡に戻る。しかし、生来、身体が弱く、心身ともに疲れ果て、1947年、27歳の若さでこの世を去る。

昨年10月に神奈川近代美術館の鎌倉別館で、小野元衛初の回顧展が開催され、それをぼくは観ている。ブログ記事にもしているので、ここでは簡単に述べる。18才の頃の、貝殻の写生図から始まり、微笑ましい”童顔如来”、木喰上人を主題とした童仏、朱の仏、如意仏などがつづく。そして”晩年”では建物に主題が。ニコライ堂、法華堂金堂、民家の屋根、市役所など。さらに、元衛の描いた模様の巻紙の上に、志村ふくみ自筆の少年と少女の童話を綴った、兄妹合作の”野の果て”もあり、胸をあつくした。

さらに昔になるが、ぼくは草柳大蔵著”織りびと染めびと”で、はじめて志村ふくみを知る。そのシリーズのトップバッターだった。昭和49年の初版だから、もう40年近くも前。志村ふくみもまだ40代の若さ。民芸運動にかかわっていた母のすすめで、河井寛次郎に、これから染織をやりたいのですがと、相談に行ったとき、”織物なんかできっこない、いろんな人がやりたいといってくるが、みなうぬぼれだ、実につまらぬ”と辛辣な言葉を浴びせられた。見よう見まねで民芸に手を出してくる素人芸に怒りのようなものを感じていたようだ。しかし、志村は兄、元衛を通じ、造形芸術の厳しさを知っていたので、ひるまなかった。黒田辰秋の暖かい指導で、ぐんぐん力をつけ、さらに化学染料から草木染に入る。そして、現在に至るのだ。

明月院の紫陽花の”雨過天青”の色から、時空を超えて(笑)、いろいろ連想してしまった。



兄、元衛の絵


ふくみ40代の頃

ふくみ88歳の今






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