気ままに

大船での気ままな生活日誌

クロアチアのスプリット 東欧旅のアルバム#4 

2013-06-20 13:40:59 | Weblog

スロベニアのボストイナ鍾乳洞を観てから、ぼくらのバスは国境を越え、クロアチアに入る。目指すは、430キロ先のアドリア海沿いのスプリットという港町。人口20万ほどの、ダルマチア地方、最大の都市。でも、ただの近代都市ではないノダ。ローマ皇帝ディオクレティアヌス(245~313年)が引退後に、彼の故郷に近い、この地に宮殿を建てて住んだ。しかし、彼の死後、廃墟となり、200年後に、ほかの土地を追われたスラブ人がやってきて、宮殿の跡地に住みつき、現在に至るという、あっと驚く新旧入り混じった不思議な光景の町なのである。貴重なローマ遺跡が残る町として、1979年、世界遺産に指定された。

当時の城壁にぐるりと囲われていて、東西南北にそれぞれ門がある。宮殿内には神殿や霊廟があったが、皇帝の死後、迫害されていたキリスト教徒により破壊され、それぞれ、洗礼堂と大聖堂に造り直されている。全体的にどのように変わったか、あるいは、変わらないか、まず、現在と当時の宮殿時代と比較してみよう。

AD305年(カタログの写真より)


そして、現在。


では、この町を訪ねてみよう。ホテルからちょっぴりバスに乗って、まず、青空市場を覗く。


この市場の先に、東門(銀の門)がみえる。


東門。その向こうにに鐘楼がみえる。


正面が皇帝の住居の玄関。南側(海側)の銅の門に続く。左手の列柱が並び、その奥に大聖堂がある。


鐘楼と八角形の大聖堂


大聖堂に近づく


鐘楼に近づくも、登らず、後悔。


スフインクスが何気なく。4匹残っているらしい。


洗礼室にある洗礼者ヨハネの像(イヴァン・メシュトロヴィッチ作)


洗礼室の天井


宮殿前庭の円形広間で男声合唱


天窓から鐘楼がみえた


宮殿の地下室。比較的最近まで、この空間は住民のごみ溜めだったそうだ。天井をみると穴の跡がある。何やら、下に空間があるぞえ、じゃあ、ごみを捨てようと、いうことで、地下室はごみがいっぱい詰まった。しかし、それが幸いして、近年の発掘調査により、ローマ時代の空間が無傷で甦った。


グルグール司教の像。 海側の門を出たとこ


足を撫でると幸せが。撫で司教だった(笑)。


輝くアドリア海が目の前


この城壁内に3000人が住んでいる。










ああ、お腹がすいた。昼食は近くのレストランで。クロアチアはイタリア料理風でおいしかった。この日は、こんなお料理。赤ワインもビールもおいしい。


さようなら、すばらしいスプリットだった。

コメント
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