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気ままに

大船での気ままな生活日誌

支倉常長像と南蛮美術

2014-02-24 16:05:18 | Weblog

”支倉常長像と南蛮美術”展。トーハク本館の第7室が会場で、展示品は支倉常長像と南蛮美術2点、計3点だけの、山椒は小粒でもぴりりと辛いというような展覧会だった。

まず、アルキータ・リッチ作の”支倉常長像”。大きさにびっくり。196x146の大画面。それも、椅子に座ってというのではなく、立ち姿で描かれている。だからほぼ等身大の姿を目の当たりにできる。400年前、慶長遣欧使節団の代表として、初めてヨーロッパに渡った武士、歴史的な人物と実際、向き合っているような感じ。実物大の肖像画というと、めったにみられませんね。トーハクでのクリーブランド美術館展でみた、熊本藩お抱え力士”大空武左衛門像 (渡辺崋山)”を思い出すくらいですかね。

ローマ教皇パウロ5世に謁見するためローマを訪れたときの姿で、ローマでの支倉の世話役でもあったボルゲーゼ枢機卿が描かせたものだそうだ。展示室でりっぱなリーフレットがもらえ、それに詳しい解説が載っている。なるほどとうなずく。たとえば、以下のごとくです。

このとき支倉は45歳だったが、髪の生え際には白髪がみえる(笑)。口はやや開き気味なのは、画家の前でポーズをとらされ、はにかんでいるせいか。背後の窓から、海を渡る支倉らの船が聖霊たちに祝福されている様子が見える。黒い犬のつぶらな瞳にも注目、西洋絵画では、犬は忠誠、忠義を表しますとのこと。装束の絵柄にも注目。鹿とススキ。ローマ入りは秋だったので、それに合わせたのではないかと。左上のカーテンには支倉家の紋章、”逆卍に違い矢”が描かれている。

加えて、 重文・”南蛮人渡来図屏風”(安土桃山時代・16世紀、個人蔵 ) これは日本の絵師によるもの。信長伝来のものではないかという説も。


そして、重文”世界及日本図屏風のうち 世界図屏風”(安土桃山~江戸時代・16-17世紀 個人蔵)。地図内の朱線は支倉常長の航路と一致するそうだ。

1613年10月、宮城県石巻の月浦を出港。太平洋を渡り、メキシコを経て、大西洋を進み、約1年後、スペインのマドリッドに到着する。ここでスペイン国王フェリベ三世に謁見。さらに、ローマで教皇にも謁見。約3年間ヨーロッパに滞在。帰路はメキシコ、フィリッピン、長崎を経由し、伊達正宗の待つ仙台へ。元和6年(1620)9月のことだった。

すばらしき伊達男だった、支倉常長。

 

 


 

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