若いときは、いたずら程度にギターをやっていたから、名曲”アルハンブラの思い出”も試みたことがある。そのアルハンブラ宮殿にこの年齢になって、はじめて訪れることができ、夢のようだ。あの日から半月以上たつから、ぼくの中でも、もう”アルハンブラの思い出”になっている。思い出せないものも多くなっているが(汗)、何とか旅日誌を書きはじめてみよう。
ホテル(パラドール)は宮殿敷地内にあるから、はじめから歩いて、見学がはじまる。こんな道を歩く。

グラダナは、アンダルシア地方にあり、スペイン最後のイスラム王朝(ナスル王国)があったところ。1492年にキリスト教徒に滅ぼされるまで約300年、繁栄した。その王様が居住したのが、ここ、アルハンブラ宮殿だ。イスラム芸術の最高傑作といわれる建造物である。
歩きはじめに、この建造物が現れる。カルロス5世宮殿だ。これはイスラムではなく、キリスト教徒によって、16世紀になってから建設されたもの。建設中に皇帝は亡くなり、宮殿に入ることがなかったそうだ。
カルロス5世宮の外壁

カルロス5世宮の内側。円形の、石畳の中庭になっている。現在はコンサートなどの会場に利用されている。

さて、さらに、宮殿の砦を見ながら進むと

門が見えてくる

中に入ると糸杉の生垣がみえ、

宮殿に入る前に、まず平面図をみておこう。増田義朗監修”スペイン”(新潮社)より。

まず、メスアールの間に入場。ここは、王様のオフィイス(政庁)。たまたま、この部屋で、モデルさんの撮影が行われていた。モデルに目を奪われないで、部屋の壁模様をみなくてはならない(笑)。壁面はアラベスク模様、腰壁には彩釉タイルが張りつめられている。イスラム装飾技法だが、後年、キリスト教徒の改修を受ける。

柱頭にもアラベスク模様

木組みの天井

窓からみえるグラナダの街


部屋の全体像の写真は、前述の本”スペイン”よりお借りする。

メスアールの中庭に出る。

そして、”水鏡”で有名なアラヤネスの中庭に。まず、南側の列柱をみる。

その向かいは、中庭の水鏡(池)にうつるコマーレス塔。その中に、王様の謁見の間がある。

中に入ってみよう。王様の謁見の間(大使の間)。イサベル女王やコロンブスもここで謁見したという。
部屋のイスラム文様に目を奪われる。


ここ出ると、今度は王様のプライベート空間となる”ライオン宮”となる。
まずは、ライオンの中庭から。12頭のライオンが守り神。


ライオンの口から水が流れ、ライオン宮の各部屋に水を送る。

二姉妹の間、アベンセラヘスの間、諸王の間などがこの建物の中にある。
まず、アベンセラヘスの間に入る。
おっ!と皆、首を上げる。
視線の先は、この天井。モカラベスと呼ばれる、星型の鍾乳石飾りが施されている。

この部屋で、権勢を誇っていたアベンセラへス家の騎士36人が、対抗勢力の讒言によりだまされた、王の命令で首を切られた。多量の血は部屋のこの井戸を通じ、ライオンの水源まで真っ赤に染めたという。

そして、二姉妹の部屋へ。宮殿の中でも一番人気のうつくしい部屋。
天井の鍾乳石飾り



リンダハラのバルコニー

そして、隣りの部屋は、アメリカ人作家のワシントン・アーヴィングが、”アルハンブラ物語(1932)”の稿を書いたとされる。これが機となり、アルハンブラ宮殿が世に知られるようになった。ぼくらの世代では、”アルハンブラの思い出”かな。

”恩人”ワシントン・アーヴィングが滞在したことを示す標識

部屋を出て、

うるわしい石畳を踏んで、

そこから、アルハンブラの思い出をハミングしながら、歩いて20分ほど離れたヘネラリフェ庭園に向かう。