2014年12月20日に東京駅は開業100周年を迎えた。この日に、東京ステーションギャラリーで開催されている”東京駅100年の記憶”に行くつもりであった。しかし、都合がつかず、翌日の21日になってしまった。でも、100年1日後の訪問というのも、また、意義あることだと思うのデアル。
いきなり、辰野金吾の肖像画が迎えてくれる。言わずと知れた東京駅舎の設計者である。プロローグは辰野金吾と東京駅。辰野のお弟子さんが還暦祝いに送ったという絵がすごい。東京駅のほか、日本銀行、東大工学部などの、辰野が手掛けた名建造物がいくつも描かれている。さすが、当代一の建築家だ。
第2章は、東京駅の100年。建設時の図面や建築装飾、工事に使われた機材などの展示があり、創建当時を偲ばれるようになっている。そして、1914年(創建時)、1964年(50年後)、2014年(100年後)の東京駅を中心とした丸の内のジオラマが展示されている。創建時には、駅以外は何もない。あとに出てくる虚子の文章(文学者の東京駅に関する文章があちこちの壁に紹介されている)。今の三菱村がまだ原であった時分、その原の一隅に、今の東京駅ができた。ジオラマをみれば一目瞭然。50年前と現在の比較も面白い。ここだけは撮影可能だったので、以下に示す。
第3章、記憶の中の東京駅では、画家、写真家による駅舎を対象にした作品や、原敬暗殺などの新聞記事、文学者の作品の一部が紹介される。
絵画では松本俊介の作品が三つほど、川上澄夫の”丸の内曇日”、恩地孝四郎の”東京駅”、山川秀峰の”東京駅と美人”とつづき、伊藤善の東京駅(爆撃後)。やはり爆撃を受けたものと思ったが、元田文治のリトグラフは、建物はなんでも廃虚風にしてしまう変わった画家だと気付いた(笑)。
前述の虚子のほか、”阿房列車”の内田百、”東京着は八時三十分だった”一言の(笑)川端康成、北杜夫は”ドクトルマンボウ途中下車”の一節。志賀直哉は”灰色の日”の一節。久しぶりに小説の神様の文章をみたら、どこからか、ぼくの若い頃の空気が入ってきたヨ。あの頃は志賀とか武者とか、よく読んだ。
エピローグはこれからの東京。今、丸の内側の駅前広場は工事中だが、2017年春に完成の予定らしい。そのときの完成予想模型が、この展覧会の大トリを飾った。
恩地孝四郎”東京駅”〈新東京百景〉より,1931年.
山川秀峰”東京駅と美人”1942年
。。。。。
たしか、オアゾの前に、駅舎を望む辰野金吾の像があったはず、と探しに行ったが、みつからなかった。撤去されたようだ。面白い作品だったのに。
在りし日(2012年9月)の辰野金吾
その代り、ミッキーマウスがみんなに囲まれていた。