おはようございます。旅行中の名古屋からの投稿です。溜めてあった展覧会記事です。
雨の日に図書館で芸術新潮の最新号をみていたら、熊谷守一が出てきた。”超老力”という特集号であったが、その中の”巨匠たちの労作をみよ”の中で、若冲(83歳)、北斎(88歳)、遊亀(105歳)、球子(99歳)らと共に取り上げられていたのだ。熊谷守一(97歳)はこう紹介されていた。
70代をすぎると池袋の自宅からはほとんど出ず、毎日、庭の石ころや蟻などを観察して過ごした。浮世離れした生活と風貌、そして素朴な画風から”画壇の仙人”というイメージがある。しかしながら、メモなどからの創作過程の最近の研究によると、色彩学を探求し、するどい観察眼で対象を捉え、科学的に色と形に還元していた。科学者のような一面をもつ。
97歳まで生きたのに、”もっと生きたい、みなさんに、さよならするのは、まだ御免こうむりたい”と常々言っていたらしい。りっぱな仕事をされたので、文化勲章という話もあったが、これ以上、人が来てくれては困ると断ったという。
熊谷守一/生きる喜び展が3月21日まで、竹橋の東近美で開催されていた。3月6日、東御苑の満開の椿寒桜を見たあと訪ねた。東京では久々の回顧展ということで、200点もの作品が、年代順に並ぶ。黒田清輝門下で青木繁と同級生だという。音楽好きでチェロも弾き、作曲もしてたという。そんな熊谷の初期の作品は裸婦などの人物画や風景画が多いが、全体的に暗い。ぼくが知っている明るい熊谷作品とはぜんぜん違う。解説によると、実はこの間、暗闇でのものの見え方を探ったり、同じ図柄を何度も使うための手順を編み出したりと、実にさまざまな探究を行っていたことがわかります、とある。そういえば、なるほどなるほど、と思えないこともない。
”陽の死んだ日”という大原美術館蔵の作品があった。熊谷は48歳のとき息を引き取ったばかりの4歳の陽を描いた絵だ。貧乏をしていて病院にも連れて行けず、自分の出来ることは息子の死に顔を描いてあげることだけだと一気に仕上げた。5人の子供のうち、3人をなくしている。つらい人生をおくっていたのだ。
それが、晩年、一転して、明るい色彩とはっきりしたかたちを特徴とする作風になった。これが、多くの人々の心を惹きつけ、人気作家となった。
猫
鬼百合に揚羽蝶
ヤキバノカエリ 息子の白いお骨、目鼻のない顔
稚魚 敬愛するマチスの”ダンス”を参考にしたという作品
朝の日輪
ハルシャ菊
熊谷守一 志賀直哉のような風貌
それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!
名古屋城の桜は、昨日、満開になりました!