おはようございます。
世界の歌姫、マリアカラス(1923-1977)のドキュメント伝記映画、”私はマリアカラス”を見てきました。彼女の未完の自叙伝や封印された手紙、私的な映像などをもとにつくられたという。
わがままな天才歌手で、あのギリシャの大富豪オナシスの愛人くらいのことは知っていたが、映画では幼少の頃から亡くなるまで、さまざまなエピソードが紹介される。アテネ音楽院を卒業して、オペラ歌手として頭角を現わし、そして全盛期に入る。1956年には、代表作の一つである”ノルマ”のニューヨーク公演では拍手が鳴りやまず、パリ公演でも大観衆を魅了させる。
これらの公演での生歌唱が聞けるのがうれしい。素晴らしい歌唱。まるで、歌声が竜のように天に昇ってゆくような感じ。映画の始めに、蝶々夫人に扮したカラスの”なんて美しい空”が聞ける。そのあとも名曲が次々と。”清らかな女神よ(ノルマ)”、”歌に生き、恋に生き(トスカ)”、さようなら、過ぎ去った日々よ(椿姫)、恋は野の鳥(カルメン)、母が死に(アンドレア・シェニエ)、私のお父さん(ジャンニ・スキッキ)などなど。
1958年、ローマ歌劇場の”ノルマ”の舞台で一幕だけで降板する。体調不良のためだったが、その公演には大統領や著名人が臨席していた大事な公演だったため、そのあとマスコミから大パッシングを受ける。わがままな、傲慢な女と非難される。2ヶ月後、リスボン公演での”椿姫”の中で歌う”さようなら、過ぎ去った日々よ”の歌詞はカラスの当時の心情と重なっていた。
さらに、追い打ちが。メトロポリタン歌劇場の支配人に、意見具申をしたときに、生意気だと、いきなり、もう、お前は呼ばないと宣告される。
その頃、夫とも不仲となり、オナシスと出会い、恋におちる。オナシスの魅力について、”強烈な個性を持ち、誰でも夢中にさせる人たらし”と綴る。ところが、ある日突然、オナシスはジャクリーン・ケネディと再婚したのだ。”9年も共に過ごしたのに、新聞で知りたくなかった”という手紙が紹介される。寝耳に水だったのだ。
そして、1969年、歌を休んでいたマリア・カラスが映画にデビューする。”王女メディア”の撮影が進む中、オナシスからの復縁の願いが。それを受け入れるカラス。1973年のロンドンを皮切りに、カラスの“復帰コンサートツアー”が始まる。ヨーロッパ、アメリカ、アジアを回り、最後は日本で。歌う喜びを取り戻すカラスだった。しかし、1975年、病に倒れたオナシスが死を迎える。その2年後、カラスもパリの自宅で心臓発作で、53年の生涯を終える。
マリアとして生きるには、カラスの名が重すぎると語った、マリアカラスの生涯を知ることができ、また、なによりも素晴らしい歌声をたくさん聞け、楽しめた映画であった。
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マリアカラス(バラ)
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それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!