気ままに

大船での気ままな生活日誌

初春・黒田清輝記念館

2023-01-03 22:11:02 | Weblog

こんばんわ。

お正月には上野の東博に初詣するのが習慣になっているが、今年もいそいそ出掛けた。そして東博付設の黒田清輝記念館にも初春のご挨拶をする。何故かというと、黒田清輝の代表作、重文3点を含む4点が展示されている特別室が公開されるから。お正月のほかに春と秋に各2週間だけというめったにない機会なのだ。

博物館に初もうで展を見たあと、東博正門を出て、塀沿いに芸大方面に歩き、曲がり角の対面にあるのが黒田清輝記念館。黒田清輝(1866-1924)の遺言により、その遺産によって建てられ、昭和3年(1928)に竣工、同5年に帝国美術院附属美術研究所として開所した。現在は東博の所属。ここに黒田清輝の油彩画約130点、デッサン約170点、写生帖などを所蔵。

二階に上がり、左側が特別室。いつもは閉まっているが、今日はドアが開いていて、裸婦3人が丸見えだ。

特別室正面に重要文化財「智・感・情」の三部作(1893)。床にも写る。床紅葉ならぬ床裸婦(笑)。

三部作、右側から智・感・情の順。金地背景に日本女性らしからぬ理想的な体形の女性が意味ありげに三者三様のポーズ。人体による寓意表現をこころみたものとされるが、それぞれのポーズの意味についてはいろいろ議論がある。

この絵は、明治33年パリ万博に出品され、日本人としては最高の銀賞を受けた。日本人をモデルにした初めての油彩画による裸婦像。この時期、裸体画論争の真っただ中で、世論に対し、挑戦的に描いた作品だという。

この絵の向こうの壁にはこれらの絵が。

ひとつは、重要文化財・舞妓(1893)。フランスより帰国した年、最初に仕上げた作品。鴨川の明るい水面を背景に、出窓に座って話す舞妓を逆光でとらえる。

もう一つは、読書(1891)。黒田は明治17年から26年までフランスに留学したが、パリの郊外、グレー・シュル・ロワンに滞在しながら制作したもの。フランス画壇へのデビューを果たした記念碑的作品とのこと。窓辺で本を読む女性の全身を、よろい戸から差し込む光が優しく包み込む。モデルは村の農家の娘で、黒田と恋仲だったそうだ。

対面の壁にあるのが、重要文化財・湖畔(1897年)。昭和42(1967)年に記念切手のデザインに採用された有名な絵。モデルは、のちに妻になる照子さん。明治30年夏、箱根の芦ノ湖畔で描かれたもの。また、この絵は、白洲正子の実家(樺山家)の客間に飾られていた。祖父が黒田と同郷の鹿児島で、懇意な仲だった。黒田の遺言も樺山に託されたほど。前述の”読書”も樺山家の食堂に飾られていた。

特別室の向いに常設展示室。黒田清輝の像が迎えてくれる。真正面に奥さんの肖像画がみえる。

”婦人肖像”(1912)。奥さんがモデル。そういえば、”湖畔”とよく似ている。

自画像(1915)もある。50歳のときの自画像。

上野駅への道。国立西洋美術館のロダンの”考える人”の頭上に白い月。

だいぶ膨らんできた。

あっ!飛行機と衝突すると思ったが、だいぶ上で一安心。

帰宅したら、今度は火星と衝突しそうになっていた。月の左下に火星。

七草の日に満月。あと4日。

では、おやすみなさい。

いい夢を。


(染付水葵に兎図大皿)

コメント (4)
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