気ままに

大船での気ままな生活日誌

熱海富士、2敗に 高安、貴景勝、追走 長谷寺の彼岸花

2023-09-21 22:42:49 | Weblog

こんばんわ。

秋場所も12日目になると好取組ばかり。とくに午後5時過ぎの後半戦は見逃せない。午後、長谷寺の彼岸花は咲いたかな、と出掛けていたが、何とか後半戦に間に合った。一敗の熱海富士がトップで二差で三力士が追う展開。幕内前半戦で剣翔が負け、4敗に後退。さて後半戦どうなるか。新鋭21歳、熱海富士に千秋楽まで突っ走ってもらいたい気持ちと、一方、高安の悲願の初優勝、貴景勝の久しぶりの優勝も見て見たい。複雑な心境だが、これは相撲の神様にお任せするしかない。

早速、高安が錦木と対戦。足を痛めているはずだから、苦しいかなと思っていたが、土俵際しのいで白星をもぎ取った。負けを覚悟していたので、うれしさ十倍。奇跡の逆転初優勝へノコッタノコッタ。

そして、朝乃山・翔猿戦をはさんで、熱海富士と大栄翔が土俵に上がる。関脇は5連勝と好調だし、突きをまともに受ければ、さすがの熱海富士もかなわないだろう。いや、今場所の熱海の勢いは誰も止められないだろう。6-4で大栄翔と予想したが、その通りになってしまった。熱海富士、2敗となり、高安に一差に。

そして、貴景勝には琴ノ若。いつも琴ノ若を応援しているが、ここは貴景勝に勝ってもらって、明日の熱海富士戦に挑ませたい。そうなれば、優勝争いは面白くなる。相撲の神様もそう思われたのか。軍配は貴景勝に上がった。

これで、優勝争いは俄然面白くなった。2敗熱海富士に一差で貴景勝と高安が追撃。もし明日、貴景勝が勝てば、三者タイとなることもある。そうなると・・・。うふふの最終盤だ。

優勝戦線から離れてしまったが、朝乃山の相撲も目が離せない。今日の翔猿戦で三役すべての対戦がおわる。じっくり攻めて、無事7勝目を挙げた。残り三つをすべてとり、二桁勝利としたい。

長谷寺の彼岸花

いよいよ咲き始めました。

白萩、秋明菊も咲き始めました。

百日紅はそろそろ

では、おやすみなさい。

いい夢を。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

モーリス・ユトリロ展 パリを愛した孤独な画家の物語

2023-09-21 10:38:24 | Weblog

おはようございます。

横浜高島屋でモーリス・ユトリロ展/パリを愛した孤独な画家の物語が始まったので覗いてきた。会場内をモンマーニの時代、白の時代、色彩の時代と順番に見て、そろそろ終わろうするときアナウンスがあった。新潟市新津美術館の館長さんのギャラリートークがはじまりますので”白の時代”の辺りにお集まりください、と。シメシメ、ラッキーと参加した。

このユトリロ展は巡回展で、初回が新津美術館で、ここが二回目なのだそうだ。館長さん、話がお上手で、つい引き込まれてしまった。ユトリロのお母さんは大変な美人でルノアールのこの絵のモデルですよと、その絵のコピーを高々と上げた。どこかで見た絵だと思ったら、ルノアールの”都会のダンス”だった。これは田舎のダンスとセットの名画で、国立新美術館のルノアール展で見ている。たしか所蔵先のオルセー美術館でも見たが、田舎の方が貸し出し中だったっけ。下の絵、左が田舎のダンスで、右が都会のダンスである。

ルノアール 田舎のダンス、都会のダンス(参考)

右の都会の女のモデルが画家のヴァラドン。絵で見ても美人であることはよくわかる。当時18歳で、このとき、のちに画家ユトリロになる赤ちゃんを身籠っていた。父親はルノアールという説が有力と館長さんは明かした。もしルノアールの血を引いていれば、名画家になるはずだ。ルノアールはヴァラドンと結婚せずに、田舎のダンスのモデルさんと一緒になったようだ。

ヴァラドンは当時の多くの画家のモデルとなり華やかな恋愛遍歴を重ね、ドガ、ロートレック等とも愛人関係にあったようだから本当の父親は誰だかわからない(笑)。ユトリロは私生児として育ち、長じて画家になり、3歳下の画家ユッテルと友人となるが、彼が母親と結婚し、なんとユトリロの義父となる。そういう複雑な人間関係図が展示されていて、写真に撮りたかったが、撮影禁止。

ユトリロは生誕140年になるが、日本でいえば、高村光太郎、魯山人と同時代だそうだ。さて、ユトリロは奔放な母から祖母に預けられて育ち、孤独な少年時代を過ごし、ワイン好きな祖母の影響でお酒も飲むようになり、10代でアルコール依存症になってしまう。その治療法として絵を描くようになったそうだ。たちまち実力を発揮し、最初はやや暗い色調の風景画を描いており、この頃の絵を”モンマーニの時代”と呼び、本展でも数点、展示されている。

そして、1908年頃からユトリロといえば白い絵、”白の時代”が始まる。ずらりと白い建物の風景画が並ぶが、”この中に、ユトリロの代表作と呼ばれる数点のうちの一つがあります”と館長さんがその絵の前に皆を連れてきた。日本のコレクターがこれを手に入れ、こうして日本で見られるは幸せなことです、と付け加えた。ギャラリートークがなければ気づかなかった。

〈可愛い聖体拝受者〉、トルシー=アン=ヴァロワの協会(エヌ県(1912頃)ていねいに塗り重ねられた壁の色、どんよりした雲を背景に浮かび上がるような教会。

敬虔なキリスト教徒であったユトリロは教会をよく描いた。

パリのサン=セヴラン教会 1910-12年頃

もちろんモンマルトルの街角も。同じ場所を何度も描いている。

ラパン・アジル、モンマルトルのサン=ヴァンサン通り 1910-12年頃 ”ラバン・アジル”(はね兎)は、ユトリロのお気に入りで、何と400点も描いているそうだ。

現在も残っているシャンソン酒場、ラパン・アジル。(2012)

モンマルトルのノルヴァン通り (1910)ノルヴァン通りは、モンマルトルの丘の上に立つサクレ=クール寺院へと続く小路で、ユトリロはしばしばこの付近を描いた。人影もまばらな狭い道の両側には白い壁が続き、その先にはサクレ=クール寺院の白亜の円蓋がそびえている。

サクレクール寺院(2012)

1910年代の前半の傑作を量産した白の時代と呼ばれる。1919年、35才のときの個展が大好評で、華々しい脚光を浴びる。1920年代以降は、色彩の時代に入っていく。この頃は注文者も多く、さっと仕上げた感じの作品が多い。モチーフは白の時代と変わらなかったが、白の時代では閉まっていた建物の窓が色彩の時代では開いているのが多いそうだ。気持ちも明るくなったのだろう。国に認められ、勲章まで授与される。

1955年、71歳の生涯を終える。その2日前に描かれた最後の絵もやっぱりモンマルトルの街角であった。シャンソン酒場、ラバン・アジルの前の墓地で眠る。

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする