仁和寺には、数年前に、衣笠山の中腹にある原谷の枝垂れ桜の花見とセットで、ここの御室桜を観にきている。遅咲きということで、そのときは五分咲きくらいだった。背が低く、花(鼻)も低いから、”お多福桜”とのあだ名もあるそうだ(笑)。この日は、前回みられなかった御殿の見学が主な目的。
仁和寺というと、つい徒然草の仁和寺の和尚を思い出して、ふふふと笑ってしまう。52,53,54段と三段にもわたって登場してくる。いずれも、和尚がへまをして、兼好さんにおちょくられている場面ばかりである。とくに53段が有名だ。お祝いの席で、和尚が調子に乗って、鼎(かなえ)をすっぽり被って踊り出し、皆の喝采を浴びたが、いざ、鼎を取ろうとしたら、どうしても抜けない、京の医者に行っても、こんな症状みたことない、医学書にも書いてないとつっぱねられる。結局、周囲のものが、このままでは死んでしまうと、強引に引っ張り出した。もちろん、顔もめちゃくちゃ、しばらく、とほほと床に伏せていたという、世俗話だ。ここでは、おチョコチョイの和尚だけではなく、勿体ぶって、融通のきかない医者も皮肉っている。
54段でも御所(今回、訪ねた御殿のこと;門跡の法親王がおられる)の美貌の稚児を誘い出し、遊ぼうとするのだが、失敗する。ここでも、美童にうつつをぬかす、当時の堕落した僧をわらっている。徒然草にはこうした世俗話がいくつも散りばめられているが、それらが、本当の話なのかどうかはわからない。でも、仁和寺の和尚の三話は、兼好がこの辺りに住んでいたこともあるので、実話の可能性が高いだろう。
徒然草は人気が高く、兼好さんの言葉を人生の指針にしている人も多い。中野孝次さん(すらすら読める徒然草)は、雑用の多くなってきた大学教授を定年前に辞める決意をしたのは、第112段だった。いつまでも組織の中にいると、つまらないことに時間をとられ、何もやらない間に一生を終えてしまう。”一生は、雑事の小節にさへられて、空しく暮れなん”諸縁を切り捨て、今、飛び出さなければ、たとえ誰に何と言われようと。”吾が生既に蹉蛇たり。諸縁を放下すべき時なり。信をも守らじ。礼儀をも思はじ”。そして飛び出したのだ。
最近、図書館で借りて読んでいる、清川妙さん(兼好さんの遺言)も、人生の節目節目で、兼好さんの言葉に励まされながら、90歳を越える今日まで生きてこられたようだ。
ぼくも、その時々に兼好さんの言葉に耳を傾けた。雑用が極端に多くなった年代には、112段が頭にちらついたが、生活のこともあるし、職場を辞められなかった(汗)。今は、155段かな。
四季は、なほ、定まれる序(ついで)あり。死期は序を待たず。死は、前よりしも来らず。かねて後に迫れり。人皆死ある事を知りて、待つことしかも急ならざるに、覚えずして来る 四季は順序通りやってくるが、人の死は予告なくやってくる。
だから、第93段。
されば、人、死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや。
存命の喜び、日々に樂しまざらんや。
そのためには兼好だけではなく健康も大事ですね。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/body_walk.gif)
。。。。。
仁和寺御殿
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/88/a998ee0b602d12d080d4d7f0880eda07.jpg)
御殿庭園
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0a/03/bddd2b63a7ea553334cd63960d919612.jpg)
御室桜
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/3e/7c9f666eeeb9356525074f9fed45a0d3.jpg)
2008年4月の御室桜 ”存命の喜び、日々に樂しまざらんや”まだつづいています、御室桜さん。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/panda_1.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/86/abef86be8be3e7a957d0a1a64ae1830b.jpg)
仁和寺というと、つい徒然草の仁和寺の和尚を思い出して、ふふふと笑ってしまう。52,53,54段と三段にもわたって登場してくる。いずれも、和尚がへまをして、兼好さんにおちょくられている場面ばかりである。とくに53段が有名だ。お祝いの席で、和尚が調子に乗って、鼎(かなえ)をすっぽり被って踊り出し、皆の喝采を浴びたが、いざ、鼎を取ろうとしたら、どうしても抜けない、京の医者に行っても、こんな症状みたことない、医学書にも書いてないとつっぱねられる。結局、周囲のものが、このままでは死んでしまうと、強引に引っ張り出した。もちろん、顔もめちゃくちゃ、しばらく、とほほと床に伏せていたという、世俗話だ。ここでは、おチョコチョイの和尚だけではなく、勿体ぶって、融通のきかない医者も皮肉っている。
54段でも御所(今回、訪ねた御殿のこと;門跡の法親王がおられる)の美貌の稚児を誘い出し、遊ぼうとするのだが、失敗する。ここでも、美童にうつつをぬかす、当時の堕落した僧をわらっている。徒然草にはこうした世俗話がいくつも散りばめられているが、それらが、本当の話なのかどうかはわからない。でも、仁和寺の和尚の三話は、兼好がこの辺りに住んでいたこともあるので、実話の可能性が高いだろう。
徒然草は人気が高く、兼好さんの言葉を人生の指針にしている人も多い。中野孝次さん(すらすら読める徒然草)は、雑用の多くなってきた大学教授を定年前に辞める決意をしたのは、第112段だった。いつまでも組織の中にいると、つまらないことに時間をとられ、何もやらない間に一生を終えてしまう。”一生は、雑事の小節にさへられて、空しく暮れなん”諸縁を切り捨て、今、飛び出さなければ、たとえ誰に何と言われようと。”吾が生既に蹉蛇たり。諸縁を放下すべき時なり。信をも守らじ。礼儀をも思はじ”。そして飛び出したのだ。
最近、図書館で借りて読んでいる、清川妙さん(兼好さんの遺言)も、人生の節目節目で、兼好さんの言葉に励まされながら、90歳を越える今日まで生きてこられたようだ。
ぼくも、その時々に兼好さんの言葉に耳を傾けた。雑用が極端に多くなった年代には、112段が頭にちらついたが、生活のこともあるし、職場を辞められなかった(汗)。今は、155段かな。
四季は、なほ、定まれる序(ついで)あり。死期は序を待たず。死は、前よりしも来らず。かねて後に迫れり。人皆死ある事を知りて、待つことしかも急ならざるに、覚えずして来る 四季は順序通りやってくるが、人の死は予告なくやってくる。
だから、第93段。
されば、人、死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや。
存命の喜び、日々に樂しまざらんや。
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仁和寺御殿
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御殿庭園
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御室桜
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/36/3e/7c9f666eeeb9356525074f9fed45a0d3.jpg)
2008年4月の御室桜 ”存命の喜び、日々に樂しまざらんや”まだつづいています、御室桜さん。
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