気ままに

大船での気ままな生活日誌

徒然なるままに仁和寺

2012-02-02 13:46:44 | Weblog
仁和寺には、数年前に、衣笠山の中腹にある原谷の枝垂れ桜の花見とセットで、ここの御室桜を観にきている。遅咲きということで、そのときは五分咲きくらいだった。背が低く、花(鼻)も低いから、”お多福桜”とのあだ名もあるそうだ(笑)。この日は、前回みられなかった御殿の見学が主な目的。

仁和寺というと、つい徒然草の仁和寺の和尚を思い出して、ふふふと笑ってしまう。52,53,54段と三段にもわたって登場してくる。いずれも、和尚がへまをして、兼好さんにおちょくられている場面ばかりである。とくに53段が有名だ。お祝いの席で、和尚が調子に乗って、鼎(かなえ)をすっぽり被って踊り出し、皆の喝采を浴びたが、いざ、鼎を取ろうとしたら、どうしても抜けない、京の医者に行っても、こんな症状みたことない、医学書にも書いてないとつっぱねられる。結局、周囲のものが、このままでは死んでしまうと、強引に引っ張り出した。もちろん、顔もめちゃくちゃ、しばらく、とほほと床に伏せていたという、世俗話だ。ここでは、おチョコチョイの和尚だけではなく、勿体ぶって、融通のきかない医者も皮肉っている。

54段でも御所(今回、訪ねた御殿のこと;門跡の法親王がおられる)の美貌の稚児を誘い出し、遊ぼうとするのだが、失敗する。ここでも、美童にうつつをぬかす、当時の堕落した僧をわらっている。徒然草にはこうした世俗話がいくつも散りばめられているが、それらが、本当の話なのかどうかはわからない。でも、仁和寺の和尚の三話は、兼好がこの辺りに住んでいたこともあるので、実話の可能性が高いだろう。

徒然草は人気が高く、兼好さんの言葉を人生の指針にしている人も多い。中野孝次さん(すらすら読める徒然草)は、雑用の多くなってきた大学教授を定年前に辞める決意をしたのは、第112段だった。いつまでも組織の中にいると、つまらないことに時間をとられ、何もやらない間に一生を終えてしまう。”一生は、雑事の小節にさへられて、空しく暮れなん”諸縁を切り捨て、今、飛び出さなければ、たとえ誰に何と言われようと。”吾が生既に蹉蛇たり。諸縁を放下すべき時なり。信をも守らじ。礼儀をも思はじ”。そして飛び出したのだ。

最近、図書館で借りて読んでいる、清川妙さん(兼好さんの遺言)も、人生の節目節目で、兼好さんの言葉に励まされながら、90歳を越える今日まで生きてこられたようだ。

ぼくも、その時々に兼好さんの言葉に耳を傾けた。雑用が極端に多くなった年代には、112段が頭にちらついたが、生活のこともあるし、職場を辞められなかった(汗)。今は、155段かな。

四季は、なほ、定まれる序(ついで)あり。死期は序を待たず。死は、前よりしも来らず。かねて後に迫れり。人皆死ある事を知りて、待つことしかも急ならざるに、覚えずして来る 四季は順序通りやってくるが、人の死は予告なくやってくる。

だから、第93段。
されば、人、死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや。

存命の喜び、日々に樂しまざらんやそのためには兼好だけではなく健康も大事ですね。

。。。。。
  
仁和寺御殿 

御殿庭園


御室桜


2008年4月の御室桜 ”存命の喜び、日々に樂しまざらんや”まだつづいています、御室桜さん。

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