内田百センセイは、文部省から芸術院会員の推挙を受けたが、いやだからいやだと言って断ったことは先日紹介した。クンショウなんかいらない、そういう人を昨日、また見つけた。
夕方散歩の途中、開店前日の、でも買い取りだけは始めているブックオフに入り、本棚の城山三郎さんの”そうか、もう君はいないのか”の隣りにあった、彼の日記スタイルの本を手にとった。何気なく拡げたページが、”クンショウなんかいらない”というタイトルだった。
○月○日 妻があなたにシジュホウショウを、という電話があったわよ、と嬉しそうな顔で語りかけてきた。そんなものいらない、断ってくれ、なぜかと尋ねられたので、物書きの勲章は野垂れ死にだ、とよく言うだろう、とだけ答えた。加えて、おれが死んだあとに、国から何かクンショウを与えると言っても、絶対受けてはならぬ、とも言った。そんな意味の内容だった。
百センセイみたいだな、と思いながら、そういえば、あの魯山人も人間国宝の推挙をすげなく断っている。表に出なくても、まだまだ、たくさん、そういう方はいるのだろうな、と思う。
人の業績に勲一等、二等、三等となど、ランクをつけるのはけしからん、という世論が強くなり、名前だけ変えて、相変わらず、それに相当する勲章が続いている。ぼくの大学時代の先生の叙勲祝い会のとき、この勲章は、昔の勲2等の○○章に当たると挨拶していたのには苦笑してしまった。
この勲章は、おそらく文部(科学)省の係が、ほとんど機械的に決めているのだと思う。大学の学長クラスなら旧勲二等、教授や研究所長なら旧勲三等、それも70歳になった時点で、というふうに。それ以下の勲章も、それぞれの団体や職業等での役職等、それなりのランクを決めている感じだ。まったくケシカランことだ。
こんなものが残るのも、もらいたい人が多いということだろう。その筆頭が、政治家や官僚だろう。だから、やめられないのだ。まあ、新政権になっても、それほど変わらない”人種”が仕切っているのだから、変わるはずがない。
ぼくの大学時代に指導を受けた先生は、りっぱな方だったが、70歳になっても勲章はもらっていなかった。きっとお断りしたのだろう。一方、普段の言動から、話があっても断るだろうな、と思っていた人が、平気な顔してもらっているのはみっともない。
ぼくも、城山センセイのまねをして、おれが亡くなったあとに、はなしがあっても断ってくれよ、とワイフに言ったら、あんたにくるはずがないでしょ、と一蹴された。
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9年連続200本安打にあと4本と迫った、イチローの試合、9時からの予定でしたが、雨でまだ始まっていません。そいうえば、イチロー選手は、大リーグ初年に新人王、MVP、首位打者、盗塁王をとり、その年に政府から国民栄誉賞の推挙がありましたが、断りましたね。たぶん、引退したあとももらわないでしょう。
百センセイはにゃんこ好きでしたが、イチロー選手はわんこ好きです。名前は一弓です。一郎さんと奥さんの弓子さんの名前をとったのでしょう。柴犬です。