最近、レオナルド・ダ・ヴィンチづいている。昨秋、レオナルドの真作が9点も集まり、奇跡の展覧会といわれた”レオナルド・ダ・ヴィンチ展”をロンドンナショナルギャラリーで観て、この春、渋谷のBUNKAMURAザ・ミュージアムで”レオナルド・ダ・ヴィンチ/美の理想”を観た。そして、今回のルーブル美術館での”レオナルド・ダ・ヴィンチ特別展”(聖アンナ/レオナルド・ダ・ヴィンチの究極の傑作展)である。レオナルド崇拝者としては、短期間にこれだけ見させてもらえれば、もういつ死んでもいいです(爆)。
今回の展覧会は、ルーブル所蔵の”聖アンナと聖母子”が数年間の修復作業を終えたので、そのお披露目を目的としたものである。この作品はレオナルドの晩年期に描かれたもので、自身が何度も手を入れた未完の大作だそうだが(ぼくには完成品にみえるけど、背景などが十分でないらしい)、非常に高い評価を受けている。さて、リニューワルされた作品の評価はどうか。鮮やかになりすぎて、違和感をもった人も多いと、ガイドさんが言っていた。たしかに修復前の薄汚れた感じの、マリアの青いマントは眩しいくらいのブルーになっていた。実際はどうだったのか、レオナルドに聞いてみるしかないだろう。修復に関わった専門家、20人のうち、2人が途中で、”ゆきすぎる修復”を理由にメンバーから抜けたということだ。ぼくは素直に、きれいになった”聖アンナと聖母子”に感嘆した。
この主役の横に、ロンドンナショナルギャラリーからの”聖母子と聖アンナと聖ヨハネ”が控えていた。ロンドンのレオナルド展ではルーブルから、岩窟の聖母とミラノ宮廷婦人の二点が来れれていたから、そのお返しということもあるのだろう(笑)。この絵も、下絵とはいえ、鑑賞者を十分意識した作品で、素晴らしい”完成品”といえる。ぼくはこの絵が大好きだ。アンナとマリアの微笑がとても魅力的だ。この絵も二年半の修復作業を受けたことがある。ばか者によって、マリアさまの左胸にライフルの銃弾を浴びさせられたのだ。”聖アンナと聖母子”の10年前の作というから、その下絵のつもりで描かれたものだろう、こうして、ふたつ並べて鑑賞できる機会はめったにあるものではない。
会場では、この二点のほか、レオナルド作のルーブル所蔵の岩窟の聖母と洗礼者聖ヨハネが展示されていた。さらに、レオナルド自身も描いたことが知られているが、その真作はみつからず、レオナルド工房による”レダと白鳥”も飾られている。モナリザとミラノ宮廷婦人は常設展でみられる。従って、ルーブルで5点ものレオナルド真作をみることができるのだ。
そのほかの展示としては、レオナルドの卓越したデッサン力が、みてとれる作品の数々、そして、ラファエロの美しき女庭師(聖母子と幼児聖ヨハネ)など、ほかの画家による、聖母子やモナリザの模写や変型などの諸作品を楽しめることができる。後代の画家にも影響を与えた例として、ドガやルドンの珍しい作品も出展されていたのも嬉しい。
図録を繰り返しみているが、レオナルドほど、うつくしく気高い女性の顔を描く画家はいないと、再認識する。
。。。。。
聖アンナと聖母子 (みためはもっと青が鮮やか)
聖母子と聖アンナと聖ヨハネ
岩窟の聖母
洗礼者聖ヨハネ
レダと白鳥(真作は見つからない。これはレオナルド工房による摸写)
レオナルドのデッサン
ドガ
ルドン
今回のパリ旅行では10近くの美術館を巡った。その中で、一番、見学時間が長かったのが、ルーブル美術館で、まる二日間、居たことになる。ルーブルの記事は、前回で締めようと思ったが、やっぱり、あれも出しておきたい、これもと、次々と頭に浮かんできて、結局、ルーブル第3報の記事を書くことになってしまった(汗)。
まず、頭に浮かんだのは、ルーベンスの部屋。24点からなる連作”マリー・メディシスの一生”は素晴らしかった。フランス国王アンリ4世にイタリアから嫁いできたマリー。夫の死後、幼い息子ルイ13世の摂政となる。実権を離さず、子供との争いとなる。幽閉され、ようやく和解。その年、当時の国際的大画家ルーベンスに自分の一生を描いてもらう。昨年のオランダ旅行で、ルーベンスとかブリューゲルが好きになっている。



大英博物館でもみたような。



宮殿時代の面影が。 ”はとさぶれ”みたいな模様も



彫刻の数々




すりも多いらしい トイレの標識ではありません
女すりが多いのかな。

まず、頭に浮かんだのは、ルーベンスの部屋。24点からなる連作”マリー・メディシスの一生”は素晴らしかった。フランス国王アンリ4世にイタリアから嫁いできたマリー。夫の死後、幼い息子ルイ13世の摂政となる。実権を離さず、子供との争いとなる。幽閉され、ようやく和解。その年、当時の国際的大画家ルーベンスに自分の一生を描いてもらう。昨年のオランダ旅行で、ルーベンスとかブリューゲルが好きになっている。



大英博物館でもみたような。



宮殿時代の面影が。 ”はとさぶれ”みたいな模様も



彫刻の数々




すりも多いらしい トイレの標識ではありません


ルーブルの二大美女、ミロのビーナスとレオナルドダビンチのモナリザにご登場願ったあとも、彼女らにひけをとらない美女軍団が”ルーブル城内”に控えている。ちなみにルーブル美術館の前身は、1190年頃、この地にフィリップ・オーギャスとトが建てた城塞である。その後、14世紀末にシャルル5世によって王宮に改築され、16世紀にフランソワ一世、さらに17世紀にはルイ14世により拡張されてきたが、ルイ14世がベルサイユ宮殿に移ってからは荒廃した。その後、美術の殿堂として復活するのは1793年のフランス革命後のことだという。200年前のことである。王族や貴族の所蔵品が一般に展示されるようなった。さらに、ナポレオン一世の時代にイタリアやエジプト遠征の戦利品がコレクションに加わり、新石器時代から始まり、古代オリエント、古代エジプト、古代ギリシャ等、そして、中世、近代までの美術品を擁する、大美術館となった。なお、1986年に開設したオルセー美術館に1848年以降の美術品を移している。従って、今回、紹介する美女軍団は、いろいろな時代に生まれたものである。女性には歳を聞かないのが礼儀ですが、ここでは、生まれ年を記しておきます(笑)。
サマトラケのニケ 船首に立ち、翼を拡げた勝利の女神像。 BC190年 (スポーツ用品のNIKEはここからきている)

まどろむヘルマフロディトス BC200年

風景の中のビーナス (ルーカス・クラナッハ父)ドイツ1529年 ルターの肖像画家、クラナッハはこの絵のようなタイプの女性像の創始者。無邪気さと淫らさが混じるゴシック時代のビーナス

ミラノ宮廷婦人の肖像 レオナルドダビンチ

ガブリエル・デストレとその妹 フォンテーヌブロー派 フランス1594年頃

レースを編む女 フェルメール オランダ1665~1670

バテシバの水浴 レンブラント オランダ1654

オダリスク アングル フランス1814年

1830年7月26日民衆を導く自由の女神 ドラクロワ フランス1831年

ポンパドウール侯爵夫人の肖像 ドラトウール フランス 1755年

青いドレスの婦人 コロー フランス1874

真珠の女 コロー

いかさま師 トウール フランス1635

ジプシー女 ハルス オランダ1628頃

勉強する人々



美女ではないけど、ルーブルの〆はハムラビ法典



サマトラケのニケ 船首に立ち、翼を拡げた勝利の女神像。 BC190年 (スポーツ用品のNIKEはここからきている)

まどろむヘルマフロディトス BC200年

風景の中のビーナス (ルーカス・クラナッハ父)ドイツ1529年 ルターの肖像画家、クラナッハはこの絵のようなタイプの女性像の創始者。無邪気さと淫らさが混じるゴシック時代のビーナス

ミラノ宮廷婦人の肖像 レオナルドダビンチ

ガブリエル・デストレとその妹 フォンテーヌブロー派 フランス1594年頃

レースを編む女 フェルメール オランダ1665~1670

バテシバの水浴 レンブラント オランダ1654

オダリスク アングル フランス1814年

1830年7月26日民衆を導く自由の女神 ドラクロワ フランス1831年

ポンパドウール侯爵夫人の肖像 ドラトウール フランス 1755年

青いドレスの婦人 コロー フランス1874

真珠の女 コロー

いかさま師 トウール フランス1635

ジプシー女 ハルス オランダ1628頃

勉強する人々



美女ではないけど、ルーブルの〆はハムラビ法典



パリ外遊後、初の国内視察に行ってまいりました(笑)。視察目的は海蔵寺の海棠の咲き具合を調査するためでごわす。おいどんは西郷どんとかつ丼と海棠が大好きでごわす。外遊前に、鎌倉三大海棠のうち、光則寺の賢治カイドウと妙本寺の秀雄・中也カイドウ(それぞれ、ぼくがつけたあだ名。宮沢賢治の雨にも負けずの詩碑の前にある海棠、そして秀雄と中也がはらはらと散る海棠の花びらをみながら再会したので)の二本は調査済みでごわしたので、今日はぜひとも海蔵寺視察と出掛けたのでごわす。
海蔵寺の海棠は、はらはらとピンク色の花びらが散り始めてはいたが、まだまだ十分、見頃だった。


海棠だけではなく
雪柳も

山吹も

シャクナゲとつつじも

春モミジは赤々と

苔は青々と

海蔵寺は春爛漫だった。
。。。。。
八幡さまも春爛漫だった

ついでに、ふたつの展覧会もみてきた。感想文はパリ編が終わってからになるだろう。


こんなに遊び廻っていいのだろうか。でも英勝寺のお言葉に勇気づけられた。
海蔵寺の海棠は、はらはらとピンク色の花びらが散り始めてはいたが、まだまだ十分、見頃だった。


海棠だけではなく
雪柳も

山吹も

シャクナゲとつつじも

春モミジは赤々と

苔は青々と

海蔵寺は春爛漫だった。
。。。。。
八幡さまも春爛漫だった

ついでに、ふたつの展覧会もみてきた。感想文はパリ編が終わってからになるだろう。



こんなに遊び廻っていいのだろうか。でも英勝寺のお言葉に勇気づけられた。


さて、パリの美術館探訪記事の皮きりは、この二人の美女にご登場いただきましょう。ルーブル美術館でも大人気のお二人です。
ミロのビーナスをミロで、大変な人だかり。

おおっ、さすが

ミロをミタ人は、ここへ。すごい人だかり。

おおっ、さすが モナリザ。永遠の、謎の微笑。

今日はこれだけです。次回はルーブルの至宝をたっぷりおみせします。
ミロのビーナスをミロで、大変な人だかり。

おおっ、さすが

ミロをミタ人は、ここへ。すごい人だかり。

おおっ、さすが モナリザ。永遠の、謎の微笑。

今日はこれだけです。次回はルーブルの至宝をたっぷりおみせします。
10日間のご無沙汰でした(笑)。花の巴里から無事、帰ってきました。こちらを出るときは、桜が満開でしたが、さすが、”三日みぬまの桜かな”です。十日もみぬと、すっかり葉桜になっていました。その代わり、出るときは、ほころび始めていた砂押川沿いの八重桜が満開で迎えてくれました。
10日間の花のパリ。夢のような毎日で、何から書き出してよいやら、迷いますが、”花の巴里”の花の話から始めようと思います。
はじめに八重桜の話が出ましたが、パリにも八重桜があるんですよ、ほとんど満開になっていました。ということは、東京周辺より10日は早いということですね。写真はパリ郊外のゴッホ終焉の地、オーヴェル・シュル・オワーズで撮ったものです。

今朝の散歩で、ハナズオウ(花蘇芳)が咲き始めているのをみましたが、パリでは10日前に満開。帰る頃は落花し始めていました。ルーブル博物館前からコンコルド広場まで続く、チュイルリー公園のハナズオウの大木(こんな大きなハナズオウ、見たことありませんでした。違う種類なのかな?)。お見事としか言えませんでした。ホテルもすぐ近くなので、毎朝、散歩で花見をしていました。



チュイルリー公園といえばですね、彫刻やオブジェが一杯。さすが芸術の街、パリ。これを発見したときは、おどろきました。草間弥生風だなと思って、近づくと、なななんと、草間弥生作の花でした。

横浜公園のチューリップも見頃を迎えたようですが、リュクサンブール公園のチューリップも見頃でした。22年前、ここをよく散歩しました。秋でしたので、マロニエの落ち葉が一杯でした。枯れ葉よ♪だった。

パリといえば、マロニエの並木。おおシャンゼリゼ♪でも、チュイルリー公園でも、どこもかしこもマロニエでいっぱい。それにマロニエの花が満開。最高の季節どす。でも、ぼくらが来てから急に花冷えになってしもうた。おおシャムイゼだった。有楽町のマロニエは咲いたかいな。



マロニエの花の咲く頃は、”リラの花咲く頃♪”でした。シャンソンの名曲でやんす。

夜の花もよかったなあ。ムーランルージュ。赤い風車。フレンチカンカン。おっぱいがいっぱい(汗)。女性客もいっぱい。もちろんワイフも一緒。撮影禁止なので、表だけ。

ムーランルージュで深夜帰宅し、朝遅く、目覚めると、窓の下にはランナーがいっぱい。パリマラソンだった。ジャンヌダルクが指揮していた。

そうそう、パリ郊外でよくみかけた菜の花畑。バイオ燃料に使用するらしい。帰りの飛行機からみえた黄色い畑は菜の花だと思う。

次回は、美術館巡りでも。
10日間の花のパリ。夢のような毎日で、何から書き出してよいやら、迷いますが、”花の巴里”の花の話から始めようと思います。
はじめに八重桜の話が出ましたが、パリにも八重桜があるんですよ、ほとんど満開になっていました。ということは、東京周辺より10日は早いということですね。写真はパリ郊外のゴッホ終焉の地、オーヴェル・シュル・オワーズで撮ったものです。

今朝の散歩で、ハナズオウ(花蘇芳)が咲き始めているのをみましたが、パリでは10日前に満開。帰る頃は落花し始めていました。ルーブル博物館前からコンコルド広場まで続く、チュイルリー公園のハナズオウの大木(こんな大きなハナズオウ、見たことありませんでした。違う種類なのかな?)。お見事としか言えませんでした。ホテルもすぐ近くなので、毎朝、散歩で花見をしていました。



チュイルリー公園といえばですね、彫刻やオブジェが一杯。さすが芸術の街、パリ。これを発見したときは、おどろきました。草間弥生風だなと思って、近づくと、なななんと、草間弥生作の花でした。

横浜公園のチューリップも見頃を迎えたようですが、リュクサンブール公園のチューリップも見頃でした。22年前、ここをよく散歩しました。秋でしたので、マロニエの落ち葉が一杯でした。枯れ葉よ♪だった。

パリといえば、マロニエの並木。おおシャンゼリゼ♪でも、チュイルリー公園でも、どこもかしこもマロニエでいっぱい。それにマロニエの花が満開。最高の季節どす。でも、ぼくらが来てから急に花冷えになってしもうた。おおシャムイゼだった。有楽町のマロニエは咲いたかいな。



マロニエの花の咲く頃は、”リラの花咲く頃♪”でした。シャンソンの名曲でやんす。

夜の花もよかったなあ。ムーランルージュ。赤い風車。フレンチカンカン。おっぱいがいっぱい(汗)。女性客もいっぱい。もちろんワイフも一緒。撮影禁止なので、表だけ。

ムーランルージュで深夜帰宅し、朝遅く、目覚めると、窓の下にはランナーがいっぱい。パリマラソンだった。ジャンヌダルクが指揮していた。

そうそう、パリ郊外でよくみかけた菜の花畑。バイオ燃料に使用するらしい。帰りの飛行機からみえた黄色い畑は菜の花だと思う。

次回は、美術館巡りでも。
地元の桜も満開になりました。これからの、”散る桜 残る桜も 散る桜”の風情も楽しみたいのですが、絶頂のときに巴里に向かいます。帰国する10日後は、もう葉桜でしょうか。
春の巴里ははじめてです。どんな花が咲いているか、楽しみです。そして、ミロのビーナス、モナリザらの美女軍団に会えるのも楽しみです。帰ってから報告します。
地元の満開桜



土筆と踊子草も満開

では、いざ巴里へ。
春の巴里ははじめてです。どんな花が咲いているか、楽しみです。そして、ミロのビーナス、モナリザらの美女軍団に会えるのも楽しみです。帰ってから報告します。
地元の満開桜



土筆と踊子草も満開

では、いざ巴里へ。
セザンヌ/パリとプロバンス (国立新美術館)
レオナルドダビンチ/美の理想 (BUNKAMURA ザ・ミュージアム)
ザ・タワー/都市と塔の物語 (江戸東京博物館)
ユベール・ロベール/時間の庭 (国立西洋美術館)
これらの美術展は、最近、観てきたものばかりです。それぞれ、感想文を書くつもりでしたが、桜週間に入ってからは、ブログ記事は、桜情報優先となり、感想文は後回しになっていました。そして、もうひとつ、締切日が近づいてきたのです。えっ?ブログにも締切りなんてあるの、知らなかった。いえいえ、ぼくの自発的締切日なんでやんす。明日からパリに行くンです。10日間ほどですが、帰ってくれば、パリの美術館巡りの記事をしばらく続けなければならないし、そうすると、永遠に、これらの美術展は闇に葬られてしまうことになりかねないのです。で、まとめて、締切日に、それぞれの感想サマリーを載せようと思ったわけ。
四つ並べてみて、はっと思いました。共通語がひらめいたのです。なななんと、明日から行く、”パリ”。多少、無理なこじつけもありますが(汗)
まず、セザンヌ展。これはサブタイトルに、”パリ”があるように、問題なくパリ関連です。生まれ故郷のプロバンスとパリとの間を20回以上も行き来していたそうだ。展覧会では、展示作品がどちらで描かれたものかわかるようにしている。こんなにたくさんのセザンヌ作品を観たのははじめてかもしれない。モデルだった夫人をまるでりんごのようだ(我慢強く、動かずにモデルになってくれたので)、と言ったセザンヌの言葉が紹介されていた。風景、肖像、身体、静物と、それぞれ楽しめた。また、パリでもたくさんの作品にお目にかかれることだろう。
そして、レオナルドダビンチ展。パリとの関係は?もちろん、レオナルドダビンチの最高傑作、”モナリザ”がパリのルーブルにあること。この展覧会でもモナリザが大活躍。本物ではないが、レオナルド周辺の画家による、モナリザの模写や変型、またヌードにしたモナリザなど多数。でも、この展覧会の目玉は、レオナルド真筆の”ほつれ髪の女”。未完成の下絵だけど、うつむいた美女の表情がすばらしい。パルマの宝石と賞されている。ロンドンナショナルギャラリーの”聖母子と聖アンナと聖ヨハネ”の聖母を思い出した。これも下絵ながらロンドンの宝物になっている。今、ルーブルに来ているらしい。修復を終えたルーブルの所蔵”聖母子と聖アンナ”と並べて展示されるとのこと、楽しみだ。
ザ・タワー展は、文句なくパリ。エッフェル塔が、近代の都市の塔の魁として紹介されていた。現在ではパリのシンボルと讃えられている塔も、開設当初は、当時の文化人たちに、こんな醜悪な塔はないと、酷評されていたそうだ。評価なんていうのものは、変わるものだ。その後、パリ万博も終わって、しばらくして取り壊しの計画もあったそうだが、よく生き延びてくれた。久しぶりの再会、楽しみだな。
ユベール・ロベール展。ロベールは、11年に及ぶイタリア滞在を終えて、帰国し、パリで暮らし始めた。この時代が、彼の絶頂期だったとのことだ。”廃墟のロベール”の異名があったらしい。廃墟といっても、ローマやボンベーの古代遺跡のことで、モチーフによく使われている。よく知らない画家だったが、ロベールをパリの美術館で探してみよう。
10日間ほどの、パリ滞在ですが、帰ってからまた、これらの展覧会を含めた、感想を書いてみたいと思います。
セザンヌ/パリとプロバンス


レオナルドダビンチ/美の理想


ザ・タワー/都市と塔の物語


ユベール・ロベール/時間の庭


桜の花咲く頃は、実は、すみれの花咲く頃でもある。天に桜、地にすみれといってもよい。一気に、あちらこちらで可憐な紫色の花が”満開”になってきた。”すみれの花咲く頃”といえば、宝塚歌劇団のテーマソングでもある。いってみれば、タカラジェンヌの同窓会歌である。
ぼくらの高校ミニ同窓会も、すみれの花咲く頃に鎌倉で開催された。由比ヶ浜のレストランで昼食をとり、近くの鎌倉文学館で遊び、旧川端康成邸近くの甘縄神社で、たまたま鎌倉まつりに出陣し、帰ってきたお神輿に遭遇した。長谷の裏道を抜けて、光則寺へ。山門前のソメイヨシノも枝垂れ桜も見頃になっていて、7名のクラスメートは喜んだ。境内の、鎌倉一の海棠は前日より、さらに花の数を増やし、いよいよ”海棠の花咲く頃”になってきた。境内の庭園には、もちろん、すみれの花も咲いていた。
長谷寺では、桜のほか、赤紫色の三葉つつじが咲きそろっていた。すみれもタチツボスミレのほか、珍しい、白い花を咲かせる肥後すみれもあった。うちの奥さんは熊本だよ、と言ったら、紅一点が、このすみれのように清楚なんでしょうね、と応じた。すると、隣りの男が火の国の女が清楚であるはずがないと茶々をいれた。たしかに・・・
江ノ電はまるで、通勤電車並みの混雑だった。鎌倉駅から八幡宮の段蔓へ。鎌倉花見会の締めとなった。段蔓の花は、まだ満開ではなく、あと数日間はもちそうだった。八幡さま境内で夕方、解散。半日のミニ同窓会は好天に恵まれ、思い出に残るものとなった。ぼくは、帰り道、自然と(数日前、越路吹雪の番組をみたこともあり)”すみれの花咲く頃”をハミングしていたが、♪すみれの花咲く頃・・♪のところばかりで、全体のメロディーや歌詞を知らないことが判明した。知っていたようで、全然知らなかった。こんな歌詞だったノダ。
すみれの花 咲くころ
はじめて君を 知りぬ
君を想い 日ごと夜ごと
悩みし あの日のころ
すみれの花 咲くころ
今も 心ふるう
忘れな君 われらの恋
すみれの花 咲くころ


肥後すみれ (タカラジェンヌみたいな名前だな)

三葉つつじ (おまえも)

ぼくらの高校ミニ同窓会も、すみれの花咲く頃に鎌倉で開催された。由比ヶ浜のレストランで昼食をとり、近くの鎌倉文学館で遊び、旧川端康成邸近くの甘縄神社で、たまたま鎌倉まつりに出陣し、帰ってきたお神輿に遭遇した。長谷の裏道を抜けて、光則寺へ。山門前のソメイヨシノも枝垂れ桜も見頃になっていて、7名のクラスメートは喜んだ。境内の、鎌倉一の海棠は前日より、さらに花の数を増やし、いよいよ”海棠の花咲く頃”になってきた。境内の庭園には、もちろん、すみれの花も咲いていた。
長谷寺では、桜のほか、赤紫色の三葉つつじが咲きそろっていた。すみれもタチツボスミレのほか、珍しい、白い花を咲かせる肥後すみれもあった。うちの奥さんは熊本だよ、と言ったら、紅一点が、このすみれのように清楚なんでしょうね、と応じた。すると、隣りの男が火の国の女が清楚であるはずがないと茶々をいれた。たしかに・・・

江ノ電はまるで、通勤電車並みの混雑だった。鎌倉駅から八幡宮の段蔓へ。鎌倉花見会の締めとなった。段蔓の花は、まだ満開ではなく、あと数日間はもちそうだった。八幡さま境内で夕方、解散。半日のミニ同窓会は好天に恵まれ、思い出に残るものとなった。ぼくは、帰り道、自然と(数日前、越路吹雪の番組をみたこともあり)”すみれの花咲く頃”をハミングしていたが、♪すみれの花咲く頃・・♪のところばかりで、全体のメロディーや歌詞を知らないことが判明した。知っていたようで、全然知らなかった。こんな歌詞だったノダ。
すみれの花 咲くころ
はじめて君を 知りぬ
君を想い 日ごと夜ごと
悩みし あの日のころ
すみれの花 咲くころ
今も 心ふるう
忘れな君 われらの恋
すみれの花 咲くころ


肥後すみれ (タカラジェンヌみたいな名前だな)

三葉つつじ (おまえも)

何故、こんなへんてこなタイトルをつけたか、わけがある。この一週間、あるページのアクセスが群を抜いて多く、日を追って、その数が増している。そのページとは、”鎌倉 桜開花状況”である。ところが、そのページは昨年、4月初めに書いた記事で、現状の桜開花状況を示しているわけではない。検索ワードで、たまたま、このページに辿りついた方は、なんだ、これは去年の記事か、詐欺にひっかかったようなものだ、とお怒りになられていることだろう。それで、おわびのしるしに、トップページに来ていただければ、今年の鎌倉・桜開花状況がわかるようにしておきたいと、思ったわけです。で、今日、調査に行ってまいりました。で、タイトルも”新 鎌倉・桜開花状況”にしたんでありんす。
先に結論をいいます。4月7日(土)の鎌倉の桜は、都内の満開桜より若干、遅れています。7,8分咲きといったところでしょうか。明日、日曜日は満開になると思います。ぼくのミニクラス会も明日、鎌倉で。絶好の花見日和になりそうです。では、スナップ写真を。
鎌倉駅構内の”桜開花状況”(これは4月6日付け)

八幡宮・段蔓


妙本寺 明日、花祭り

妙本寺 枝垂れ

本覚寺 枝垂れ 見頃過ぎ

長谷寺

光則寺

円覚寺

ついでに海棠。
光則寺 咲き始め、蕾もきれい


妙本寺

先に結論をいいます。4月7日(土)の鎌倉の桜は、都内の満開桜より若干、遅れています。7,8分咲きといったところでしょうか。明日、日曜日は満開になると思います。ぼくのミニクラス会も明日、鎌倉で。絶好の花見日和になりそうです。では、スナップ写真を。
鎌倉駅構内の”桜開花状況”(これは4月6日付け)

八幡宮・段蔓


妙本寺 明日、花祭り

妙本寺 枝垂れ

本覚寺 枝垂れ 見頃過ぎ

長谷寺

光則寺

円覚寺

ついでに海棠。
光則寺 咲き始め、蕾もきれい


妙本寺
