気ままに

大船での気ままな生活日誌

横須賀しょうぶ苑で山百合を

2013-06-24 19:02:49 | Weblog
横須賀しょうぶ苑で山百合を、なんてタイトルでは、花菖蒲さんに失礼ネなんて声が聞こえそう。その理由はネ、以下の通りでやんす。

全国屈指の14万株の花菖蒲を観に行ったんだけど、もう、ほとんど、消え去る直前というステージにまでなっていた。それは、ある程度、予想していたんだけどネ。でも、そこには、紫陽花が相当な株数あり、それもまた見事であることを知っているので、今回は、むしろ紫陽花見物を主な目的にしていたノダ。

紫陽花は予想通りの華やかさで、ワイフも喜んで、紫陽花小道を歩いていたのだけれど、突如、彼女が素っ頓狂な声をあげた。やまゆり、が。えっ!ぼくは聞き返した。山百合好きでは、人後に落ちないオイラのこと。まままさか、ピンクレディーじゃないけど、胸の鼓動がどきどき目先はくらくら。 彼女の指の先には、山中に可憐な山百合が。じぇじぇじぇ

そして、しょうぶ園の端まで歩みを進めると、人の踏み込めない山中に、20株くらいの山百合がどどどどどーんと。 花菖蒲なんてどうでもいい、紫陽花だって鎌倉でたくさんみてるから、どうでもいい。この夏、初めて、山百合をここでみた、これだけで十分過ぎるほどの感激。ここに来た甲斐があったというもの。いつもは花菖蒲の盛りのときに来ているから、咲いていなかったんだろう。人の行く裏に道あり花の山だ。怪我の功名ともいう。

というわけで、こういうタイトルになったわけでがんす。

・・・・・


花菖蒲はおわっていた。こんな感じ。

入口付近


メイン菖蒲田


でも、一部、花盛り。まだまだ老いぼれんぞ、心は青春(汗)。


若い娘さんかな? 実際はネ。熟女デス。


紫陽花はお見事。




ヘメロカルスも真っ盛り




ここのふじ苑も素晴らしいようだ。まだ一度もみていない。今は、大きな実をつけていた。来年は是非にとワイフが。


白い睡蓮も咲いていた。


さあ、今回の主役は山百合さん。

はじめてみつけた株。


紫陽花小道の上に、一株だけ咲いていた。


しょうぶ園の端には、たくさんの山百合が。じぇじぇじぇ。


*****

カルガモ日誌#3

行くときに見つけました。大船駅前の砂押川。子供は7羽いるかどうか、写真にしても。よくわからなかった。次回に確認だ。
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ハマの展覧会巡り ラベンダーとスーパームーン

2013-06-23 22:04:03 | Weblog
ここ数年の海外旅行は、すべて美術館巡りだったが、今回のにはひとつも入っていない。そして、旅行の前後も、何かと用事があったりして、もう半月以上、展覧会に行っていないことになる。禁断症状とまではいかないまでも、とにかく一服したくて(笑)、横浜に出掛けた。

いきなり、本格的美術展に行ったのでは、枯渇状態になった頭が破裂しかねないので、まずは、旅行と関わりのあるマルコポーロ関連の展覧会をみて(横浜ユーラシア文化館で”マルコポーロがみたユーラシア/東方見聞録の世界”)、ついでに、同館で特別公開している”フィリピンの土器”展も覗いてきた。さらに、横浜開港資料館での”上海と横浜/波濤をこえて”で、頭をやわらかくした。

そして、港のみえる丘公園のふたつの文学展を制覇しようと、そちらに向かった。ところが、イギリス館前の庭園のラベンダーをはじめとする花々があまりにもきれいだったもんだから、つい、そちらの方にフラフラと浮気をして、予定の時間をつぶしてしまった。だって、ラベンダーはクロアチアの島でみてきたばかりだし。

結局、大佛次郎記念館での”大佛次郎の巴里探訪展”のみで、今日の本命にしていた、神奈川近代文学館の中原中也の手紙展は、後回しとなってしまった。

大佛次郎は”パリ燃ゆ”執筆の取材に、二度ほど巴里に滞在している(1958年と61年)。そのときの夫人宛ての書簡(絵ハガキ)や、自身が撮影した写真のほか、ぼくも行ったことのある(汗)、クレージー・ホースのプログラム、ムーラン・ルージュのパンフ、カフェ・クーポールのメニューなど、こまごましたものも(笑)。モンマルトルのシャンソニエ・ラパンアジルの写真も。大佛さん、いろいろ取材している(笑)。

外国の小説は、その土地をみなければ、本当の深さや厚みはわからない、と大佛さん。1871年、巴里コミューンで最後のバリケード戦が行われた、ランボノー通りに赴き、未だ残る戦禍の建物を見付ける。

横浜の四つの展覧会をみて、まずは、ホッ。そして、帰宅して、雲間からひょこと顔を出した午後8時前のスーパームーンを確認。ホッ

ラベンダー


アナベルと赤いバラ






スーパームーン 20時直前観察。 すぐに雲隠れした。ありがとう、お月さん。




まどろみの一日だった。

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アドリア海の真珠 ドゥブロヴニク 東欧旅のアルバム#7

2013-06-23 09:02:00 | Weblog
ぼくらの、今回の旅行のきっかけは、今年の2月、たまたま、新宿御苑近くのギャラリーで井上和子写真展”クロアチア/紺碧のアドリア海に煌めく”を観たことカナ。その後、ドゥブロヴニクの写真が載っている展覧会の案内を居間の壁に貼っておいた。毎日、その景色をみているうちに、どうしてもこの眼で直接、みてみたいと思うようになったといわけでございます(汗)。

スルジ山山頂に向かうロープウエーに乗る。次第に眼下のオレンジ色の屋根に統一されたドゥブロヴニクの街がみえてくる。そして、さらに城壁に囲まれた旧市街全体が、紺碧のアドリア海に突き出すような形でみえてくる。山頂に到着する。そして、そこの展望台から見た、あっと驚くその姿。それは、いつもみていた写真以上の輝きで、ぼくの眼の中に入り、胸の中で炸裂した。とうとう思いをとげたという気持ち。

バーナードショーが、”地上の楽園を求める者、ドゥブロヴニクに来たれ”と言ったそうだ。たしかに。この日は空も晴れあがり、アドリア海は紺碧に輝き、まさに”アドリア海の真珠”は最高の輝きをみせてくれた。ありがとう、ドゥブロヴニク。

ロープウエイから、旧市街が見え始めてくる。






山頂の展望台から望む






そして、井上和子さんの写真と同じ構図でトリミングした(汗)。


これが井上和子作品。屋根の色がより赤く、海の色がより青くなっている。撮影時期、日時の関係かな。


ナポレオンの十字架も山頂で輝いていた。


大満足して下山。途中で見下ろす、旧市街。


そうそう、ここは、宮崎駿監督の”紅の豚”の舞台にもなったそうな。みてみたいな。

さて、ぐるりと囲む城壁の上も歩けるようになっていて、1時間ほどかけて一周。そこからの景色も、なかなか。












クロアチアの白い猫 


ついでにクロアチアの黒い猫


ついでにクロアチアの黒い貝


この日の昼食はこれも。リゾット。


素晴らしきクロアチア


ドゥブロヴニクには3連泊したので、まだまだ続きますヨ。

昨日のクラス会、無事終了。飲み放題でふらふらしながら、紫陽花見物。長谷寺は1時間半待ちだったのでパス。御霊神社と成就院の紫陽花見物して、さらに、鎌倉の喫茶店でだべって解散。曽野綾子さんが、老化現象の徴候は話が長くなることダ、と言っていたが、たしかに。ぼくは近況報告を1分で〆たが、10分もかけた人が何人も、とほほのほ。もっと進んだ人もいた。来ることを忘れてた(爆)。

いろんな用事が済んだので、今日はこれから久しぶりに美術館でも。横浜か東京。
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ドゥブロヴニクへの道 東欧旅のアルバム#6

2013-06-22 19:45:37 | Weblog
港町スプリットから、いよいよ、東欧の旅のハイライト、”アドリア海の真珠”と讃えられるドゥブロヴニクに向かう。昼食後出発して、夕方到着という長時間乗車となるが、海岸線を走るので、外の景色は、いつも光り輝くアドリア海。いくつもの島や半島の緑が、一層、海の青さを引き立ててくれる。そして、陸側だって見逃せない、大きな川や湖。飽きることはない、素晴らしい景色。途中、ボスニア・ヘルツェゴビナに入り、すぐ抜けて、クロアチアに再入国。そして、ドゥブロヴニクに。

アドリア海の風景






バシンスカ湖


ボスニア・ヘルツェゴビナとの国境


ボスニア・ヘルツェゴビナのスーパーマーケットから


すぐに、クロアチアに再入国

うつくしい畑地


うつくしい緑とアドリア海の入り江


入り江に架かる橋を渡ると、そこはドブロブニクだった。


次回は、いよいよ”アドリア海の真珠”、ドゥブロヴニクです。

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夏至の紫陽花 長谷寺&成就院

2013-06-21 18:51:59 | Weblog
夏至の紫陽花をみることは、1年に一度しかないこと。この日を逃したら、生涯、後悔すると思い、長谷寺と成就院の紫陽花を鑑賞してきた。雨がしとしと降り、多少蒸して、絶好の紫陽花日和(汗)。

午後2時半頃、長谷寺に到着。境内の紫陽花山はシーズン中は1時間待ちはあたりまえのこと。それが、なななんと、15分待ちで済んだ。その間は紫陽花を下から見上げたり、入口近くの、花菖蒲や蓮の花をみていればいい。

紫陽花、まだまだいけますよ。若干、遠目美人になってきたけどね。だから、ぼくも気を利かせて、接写はしないのです。

山の麓の経蔵から、見上げると、おおっ!なかなかいいゾ。


そして、山に登りはじめる。見事なもんじゃ。もんじゃ焼きは月島、しばらく行ってないナ。来週行ってみよう。


上に登ると、由比ヶ浜がみえる。


頂上のはもう、進みすぎているが、八合目辺りから下は合格。


経蔵がゴール。


明日のクラス会、飲んだあとは、ここにしよう。下見でもあるのじゃ。1時間待ちの場合は、これらを見て帰ろう。





でも、ちょっと足をのばせば、御霊神社の紫陽花の小道、江ノ電小道もあるから安心。




さらに、短足をのばして、裕次郎みたいになれば、成就院が待ってるぜ。俺は待ってるぜ。昨晩のミニクラス会のカラオケで唄ったばかり。

ここも由比ヶ浜がみえる。




由比ヶ浜はサーファーで賑わっていた。

夏至のサーファー


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アドリア海フヴァル島 東欧旅のアルバム#5

2013-06-21 11:40:38 | Weblog
”東欧旅のアルバム”も第5回となった。はじめ、一日5本のペースで書いて、今回の旅行記を数日で終わらせると、大見得をきったが、とんでもないことになっている。一日一本書くのがようやっとという状況なのだ。その理由のひとつは、撮った写真が何であるかを確認するのに時間がかかってしまうことだ。ぼくよりずっと記憶力の良い(汗)ワイフの助言や、ネット調査等で明らかにしていくのだが、その作業が意外と楽しい。もう一度、旅行しているような気分というか(笑)。さて、今日はフヴァル島への再旅行。

港町スプリットからフェリーでアドリア海に浮かぶフヴァル島に向かう。アメリカの旅行雑誌”Conde Nest Traveler”誌で「世界の美しい島トップ10」に選ばれたという島で、現在では、世界的なリゾート地となっている。2時間ほどの船旅であったが、アドリア海に浮かぶ島々を見ながらの航海は、さながら豪華客船でのクルージングのよう。空も海も風もご機嫌な顔をしていた。そうそう、フヴァル島は、年平均で日照時間が2715時間もあり、”ヨーロッパ一日光のあたる場所”だって。

スプリットの港を離れて


フェリーで向かう


豪華客船に負けないゾ。景色だけは(汗)


海風が結構つよい


島の港につくと、バスは、まずラヴェンダーが自生しているという山に向かう。その途中で、まるで棚田のように、傾斜地に石で囲い巡らしている風景に出くわした。驚いたことに、これは、紀元前4世紀、最初に移住したギリシャ人がつくったもので、その貴重な遺構は、世界遺産に登録されているということだ。そして、さらに進み、ラヴェンダーの自生地へ。残念ながら、まだ蕾の状態だった。あと1,2週間後であればと運転手さんが気の毒そうな顔。でも、港の近くでは咲いていたので満足しましたよ。



石組による畑地の分割(世界遺産)


ラベンダーはまだ蕾


港の近くでは、いっぱい咲いていた。昨晩のミニクラス会のメンバーにはラベンダー入り石鹸を一個づつおみやげとしてあげたんじゃ。


そして、フヴァルの街に下りてきた。まず、要塞に登って、街を見下ろしてみよう。この要塞は、16世紀半ばに、ヴェネツィア人(ここはヴェネツィア都市国家の支配下にあった)がオスマントルコの侵略を防ぐために築いたとのこと。

よっこらしょと登る砦


たしかに砦だ。大砲が街を見下ろしている。


人も見下ろしている


こんな景色を








そして、降りてきて、街歩きを。

まず、聖ステバノ大聖堂。




フランシスコ修道院


回廊と中庭


食堂にマティア・ポンチョー二作の”最後の晩餐”


どなたの像だったか


街の風景いろいろ








リュウゼツランの繊維でレースをつくる。ベネディクト会修道院で厄僧たちが作ることで知られる。


クロアチア領海内に100以上もある島々の中で、マルコポーロ伝説の(ここで生まれたのではという)コルチュラ島もその一つ。アドリア海の1番人気は何と言っても、フヴァル島。さようなら、また逢う日まで。




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クロアチアのスプリット 東欧旅のアルバム#4 

2013-06-20 13:40:59 | Weblog

スロベニアのボストイナ鍾乳洞を観てから、ぼくらのバスは国境を越え、クロアチアに入る。目指すは、430キロ先のアドリア海沿いのスプリットという港町。人口20万ほどの、ダルマチア地方、最大の都市。でも、ただの近代都市ではないノダ。ローマ皇帝ディオクレティアヌス(245~313年)が引退後に、彼の故郷に近い、この地に宮殿を建てて住んだ。しかし、彼の死後、廃墟となり、200年後に、ほかの土地を追われたスラブ人がやってきて、宮殿の跡地に住みつき、現在に至るという、あっと驚く新旧入り混じった不思議な光景の町なのである。貴重なローマ遺跡が残る町として、1979年、世界遺産に指定された。

当時の城壁にぐるりと囲われていて、東西南北にそれぞれ門がある。宮殿内には神殿や霊廟があったが、皇帝の死後、迫害されていたキリスト教徒により破壊され、それぞれ、洗礼堂と大聖堂に造り直されている。全体的にどのように変わったか、あるいは、変わらないか、まず、現在と当時の宮殿時代と比較してみよう。

AD305年(カタログの写真より)


そして、現在。


では、この町を訪ねてみよう。ホテルからちょっぴりバスに乗って、まず、青空市場を覗く。


この市場の先に、東門(銀の門)がみえる。


東門。その向こうにに鐘楼がみえる。


正面が皇帝の住居の玄関。南側(海側)の銅の門に続く。左手の列柱が並び、その奥に大聖堂がある。


鐘楼と八角形の大聖堂


大聖堂に近づく


鐘楼に近づくも、登らず、後悔。


スフインクスが何気なく。4匹残っているらしい。


洗礼室にある洗礼者ヨハネの像(イヴァン・メシュトロヴィッチ作)


洗礼室の天井


宮殿前庭の円形広間で男声合唱


天窓から鐘楼がみえた


宮殿の地下室。比較的最近まで、この空間は住民のごみ溜めだったそうだ。天井をみると穴の跡がある。何やら、下に空間があるぞえ、じゃあ、ごみを捨てようと、いうことで、地下室はごみがいっぱい詰まった。しかし、それが幸いして、近年の発掘調査により、ローマ時代の空間が無傷で甦った。


グルグール司教の像。 海側の門を出たとこ


足を撫でると幸せが。撫で司教だった(笑)。


輝くアドリア海が目の前


この城壁内に3000人が住んでいる。










ああ、お腹がすいた。昼食は近くのレストランで。クロアチアはイタリア料理風でおいしかった。この日は、こんなお料理。赤ワインもビールもおいしい。


さようなら、すばらしいスプリットだった。

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ボストイナ鍾乳洞 東欧旅のアルバム#3

2013-06-19 10:37:46 | Weblog
リュブリャーナからバスで一時間も走ると、スロベニア観光のハイライト、ボストイナ鍾乳洞が待っている。全長27キロ、ヨーロッパ最大で、世界三位の規模を誇る鍾乳洞。10万年かけて、ピフカ川が石灰岩の大地を浸食してできた。

全コース、歩くわけではなく、まずトロッコ列車で20分ほど、奥に入る。そこから、約1時間かけて、見学コースを歩く。気温は年間8℃ということで、ジャンバーを着こんで、(高低も結構あるので)、滑らないように、慎重に足を進める。茶色から白色に至る、様々な鍾乳石(上から地面に向かって成長する)や石筍(地面から上に成長する)が立ち並ぶ洞内の世界は、まるで異界。その、あまりのスケールの大きさに度肝を抜かれる。これまで観たことのある日本の鍾乳洞とは比較にならないほどの感動を与えてくれた。

イヤホンガイドが、そろそろラクダがみえてきます、ワニがみえてきます、などと教えてくれる。そのたびに、動物に似ている石筍等に、僕らは感嘆の声を上げる。写真を撮らせてくれないのが残念。でも、東洋の某国人らは無視して撮っている。 ぼくも、こっそり撮ろうかと思ったが、ならぬことはならぬと堪えた(笑)。

石筍の多くは、ぼくには仏像さんにみえた。どれもみな、手を合わせたいくらいに神々しかった。そして、中程まで進むと、洞内で最も白いといわれる、Brilliantと呼ばれる鍾乳石が現れる。ここのシンボルということだけあって、すごい。まっ白な巨大な柱が、大きな空間の中に吊り下がっている。文字通り、光輝いている。

Beautiful cavesと呼ばれるコーナーに入ると、スパゲティと呼ばれる、細くて繊細な中空状の氷柱のような形状の鍾乳管がたくさん屋根から吊り下がっている。たしかに、Beautiful!10万年かけてつくった(いやまだ継続中の)自然がつくる芸術品。

そして、ようやくというか、アッという間にというか、大広間、Concert Hallに到着する。ここが見学コースの終点。ここから、帰りのトロッコ列車に乗って、この世の世界に戻っていくのだ。このホールだけは、写真撮影が可能。コンサート・ホールと呼ばれるように、ここでは、様々なイベントが催されているそうだ。怪談話なんかも最高かもネ(爆)。

ポストイナ鍾乳洞には、たくさんの生物種の生息が確認されているが、Proteus(ホライモリ)という盲目で肌色の両生類も、その一つ。何も食べないでも、1年、生きられるとのこと。この広間の一画に飼育室があり、実物を観ることができる。餌代はいらない(爆)。ボストイナ鍾乳洞のマスコット的存在になっていて、ギフトショップでも人気がある。

こんな素晴らしい鍾乳洞であるのに、世界遺産に登録されていないそうだ。それはトロッコ列車が洞内に入り込んでいるからだという。こうるさい基準だとこと。一方、同国のシュコツイヤン鍾乳洞は全長6キロだが、こちらは人工物が入っていないので、世界遺産に指定されている。ここも、洞内に川などが流れていて、なかなかいいらしい。

素晴らしかった。今回の旅行でも三指に入る、名勝地だった。

東欧旅のアルバム#3

鍾乳洞入口




トロッコで出発。


洞内の景色(絵ハガキより)


スパゲッティー


洞内一の真っ白い、巨大な鍾乳石、Brilliant


”コンサート・ホール”内




人気者Proteus(ホライモリ)




そして、ぼくらはポストイナをあとにして、クロアチアへ向かった。
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明月院紫陽花情報#3 カルガモ日誌#2

2013-06-18 22:37:07 | Weblog
明月院紫陽花情報#3 

10日間ほど旅に出ていたので、もう、明月院の紫陽花も老いぼれているだろうと思っていたが(汗)、とんでもはっぷんだった。まだまだ、”空に向かって挙げた手に若さがいっぱい飛んでいた、紫陽花広場は青春広場”だった(舟木一夫の学園広場風に)。もしかして、週末に鎌倉で開く予定の、高校のクラス会まで大丈夫かも。

明月院通り沿いの、紫陽花(姫紫陽花ではないけれど)の花盛りをみて、まず一安心。この調子なら、境内の姫紫陽花もまだまだのはず。


境内に入ってみると、姫紫陽花、まだまだいける。






ハート型の姫紫陽花も


姫紫陽花以外の紫陽花はまさに盛り


何とか紫陽花


ボイン紫陽花


垂れπ紫陽花


夏椿も


どうぞ、週末までもってください。


カルガモ日誌#2

10日振りに出会ったカルガモ親子。往きも帰りも。残念ながら、子カモが8羽から7羽になっていた。隣りでみていたおばさんに、そのことを話したら、ぼくより、もっと早く発見していて、はじめは9羽だったらしい。2週間ほどの間に2羽がいなくなった。生きるって、大変なんだネ。がんばってネ。

往きにみたカルガモ親子。休息中。


帰りにみたカルガモ親子。食事中。


その他の情報。アド街撮影隊に遭遇。今週、放送とのこと。鎌倉の10か所を巡るらしい。出会った場所はここ。




ついでに、ぼくも撮影隊について歩いた。 紫陽花の小道。ここもまだまだ。




 
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リュブリャーナ 東欧旅のアルバム#2

2013-06-18 18:08:08 | Weblog
ブレッドからバスで1時間も走ると、スロベニアの首都、リュブリャーナに着く。500年近く、ハプスプルク家の支配下にあり、1918年以降はユーゴスラビア王国(戦後は社会主義共和国)に属したが、ラニスカ地方の中心都市であり続けた。1991年にユーゴが分裂し、わずか10日間の戦争でスロベニアがいち早く独立し、リュブリアーナが首都となる。東欧の中でも、最も豊かで、町並みも、ヨーローッパ風である。人口は222000人。旧市街を中心に散策。

リュブリャーナ城の防御壁が残る旧市街の町並み。 丘の上がお城。


三本橋。 プレシェーレン広場と旧市街を結ぶ橋。文字通り、三本の橋が併行している。フランシスコ教会がみえる。


三本橋。反対側から。重厚な建物の向こうの丘の上にリュブリャーナ城が。


竜の橋。リュブリャナがオーストリア=ハンガリー帝国の支配下にあった1900年 - 1901年に造られた。ウィーンで学んだダルマチア人建築家が設計し、オーストリア人の技術者が建てた。世界でも一番古いコンクリート橋とのこと。


聖ニコラオス大聖堂






リュブリャナ市庁舎


市庁舎の内部は公開されている。迎賓館的な使い方もしていて、秋篠宮様ご夫妻も近くお泊りになるとのこと。







人形劇場。6年前、我が国の人形浄瑠璃が上演されたそうだ。


プレシェーレン銅像。 フランツェ・プレシェーレン(1800年1- 1849年)はスロベニアの国民的詩人で、スロベニア国歌は、1844年に書かれた愛国的な詩の第七節が元となっている。



かなわぬ恋があった。市民が銅像の視線に合わせて、ユリアの像をつくってあげたという。永遠の恋に(笑)。


市場では、野菜や果物がいっぱい。さくらんぼも。




そうそう、塩も名産。おみやげに買っていく人もいた。


ここが一番の写真スポットだと、現地の日本人ガイドさんが教えてくれた。三本橋とフランシスコ教会がみえる。


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