'12.10.23 『チキンとプラム あるバイオリン弾き、最後の夢』(試写会)@よみうりホール
2011年TIFF(東京国際映画祭)出品作品。去年の時点で見たかったんだけど、予定が合わず・・・ 試写会応募しまくった! ハガキに記載がなかったので、正直どこで当選したのか不明だけど、タイミング的にはyapolgかなぁ・・・ いつもありがとうございます! お友達たちも当選したので、総勢4人で行ってきたー♪
*ネタバレありです! そして、長文・・・(o´ェ`o)ゞエヘヘ
「聴く者が涙する天才ヴァイオリニスト ナセル・アリ。彼は死ぬことにした。最期の8日間に彼の胸によみがえるのは・・・」という話。多分、当blogの、見たかった理由 → ネタバレありの断り書き → あらすじと簡単な感想 → そして熱弁 という形が定着してから、最短のあらすじかも(笑) でも、本当にこの8日間と、その間に彼が思い出したこと、考えたことなどを描いている作品なので・・・ その見せ方もアニメ的なので、合わない人もいるかも? 個人的には美しい絵本のような、お伽的作品で好きだった。
ほとんど予備知識なしで見た。てっきりフランスが舞台だと思っていたら、テヘランが舞台でビックリした。ナセル・アリって名前が気になってはいたけど・・・(笑) イヤ、最近『アルゴ』と『ペルシャ猫を誰も知らない』を見たばかりだったので、イランが続くなと思っただけ。まぁ、『ペルシャ・・・』は勝手にこのタイミングで見ただけだけど(笑) この映画自体はフランス・ドイツ・ベルギーの合作で、主演もフランス人俳優のマチュー・アマルリックだし、全編フランス語で撮られている。何故イラン?と思ったら、監督で原作者でもあるマルジャン・サトラピはイランのラシュト出身の方だった。上流家庭に育ったけれど、少女時代にイラン革命、イラン・イラク戦争を体験、テヘランのフランス人向けリセに通っていたが、後にパリに移られたのだそう。監督の前作『ペルセポリス』(未見)は、イランでの幼少期・ヨーロッパでの少女時代を描いた自伝的コミックの映画化で、2007年カンヌ国際映画祭審査員賞を受賞したとのこと。気になる! 今作も同じくご自身のコミック「鶏のプラム煮」(未読)の映画化♪
男性のナレーションで舞台がイランのテヘランであることが語られる。このナレーションは時々差し込まれ、後に誰なのか分かる仕掛け。遠景で見せる街の映像は、初めから作りモノ感タップリ。街の路地もナセル・アリの家も全て作りモノ感。ナレーションやこの作りモノ感が、お伽話的な雰囲気をかもし出している。そしてちょっとアニメっぽい。監督ご自身のマンガが原作なわけだし、もしかしたら実写でアニメを撮りたいのかも? まぁ、勝手な想像だけど・・・ この感じがダメな人もいるかもしれないけど、個人的には好きだった。ナセル・アリが死ぬことを決めてからの8日間を描く作品だけど、何故死ぬことにしたのかは後から分かる。なので、そこまではナセル・アリの行動はちょっと不思議。だから、ちょっとコミカルにマンガ的に見せられた方が、彼の不思議キャラぶりに違和感がないというか・・・ うーん。これはとっても美しいラブストーリーでもあり、1人の芸術家の話であり、彼の芸術ごと愛しつつも、理解しきれなかった夫婦の悲劇でもあり・・・ 本来はドロドロしてる部分をも、作りモノっぽく見せていたのは良かったと思う。
冒頭ナセル・アリは楽器店でヴァイオリンを買う。店主オススメの品。期待を込めて弾いてみる。納得できない・・・ 弟の情報でストラディバリウスを売る店があることを知り、買いに行くことを妻に申し出る。長時間バスに揺られる旅。家計を支える妻は仕事、幼い息子の面倒は誰が見るのか? 息子を連れてのバス道中。大きな声で歌を歌い続ける息子をどうすることもできないナセル・アリ。彼が夫にも父親にもむいていないことが分かる。怪しい古道具屋でヴァイオリンを買うナセル・アリ。テヘランに戻った彼は街角で1人の女性に声をかける。「僕を覚えていますか?」「実のところ、全く・・・」 ヒゲを整え、一番良い服に着替えてストラディバリウスを弾くナセル・アリ。・・・。壊れたヴァイオリンを取り出し、涙を流す・・・ そして、彼は死ぬことにする。ほらね何故だか分からない(笑) イヤ、説明不足なだけで、ここまでにも彼の全てが描かれていて、何故死ぬのかも描かれている。でも、漠然と分かってはいるけど、これで納得できる人は少ないと思う。
死を決意したナセル・アリは、死に方を考える。列車に轢かれる? ピストル自殺? どちらも痛そうで美しくない。で、彼のとった行動はパジャマに着替えてベッドに潜り込むこと。このまま何も口にせずベッドの中で死のうということらしい。元々、病気なわけではないので、この方法で8日間で死ねるのか?と思うけど、もしかしたら宗教的に8日間って意味がありそうな気が・・・ でも、調べてる時間がないからいいか(笑) ここまではコミカルに描かれている。ただ、前述したとおり何故ナセル・アリが死ぬことにしたのか、納得のいく説明は後のシーンで出てくるので、この時点ではナセル・アリが子守もできない、家庭人としては問題ありで、しかも自分勝手な理由で死んでしまうダメな人のように描いてる。イヤ、真相を知っても見方が変わるだけで、彼のそういう部分は別に変わっていないのだけど(笑) でも、初めにダメさを見せておいて、彼には彼なりの死の理由があるのだという見せ方は良かったと思う。ただ、ここまでで合わないと感じてしまう人もいるかも? 事実、後ろの席のおば様は眠ってしまったらしいので・・・(笑)
ここから毎日ナセル・アリの生い立ちや人となりの紹介となる。父親としては失格だが、彼なりに努力していることなどがナレーションで語られる。幼い子供たちが庭で雪にハシャグ姿がカワイイ 彼らはそれぞれの人生を歩むことになるけど、無邪気に父を慕っていた弟、冷静に父を見ていた娘リリも、彼らなりに父を理解し、愛していたことが分かる。このマンガ的な紹介も良かった。コミカルな弟に対して、ノワール感の漂うリリがカッコイイ! このリリはキアラ・マストロヤンニ。3日目ベッドから一歩も出ない、食事も取らない夫のために、妻は鶏のプラム煮を作る。夫の大好物で、ほとんど会話のない夫が、この料理だけは褒めてくれるから。彼女はドアをノックする前、鏡をのぞきアップにしていた髪をおろす。やつれてしまった顔、こわばってしまった顔。鏡の前で笑顔を作る姿が切ない。でも、ダメ・・・ それは何故か? 収入が安定しない彼に代わり、実質家計を支えているのは妻。でも、ナセル・アリは子守すらできない。加えてこの仕打ち・・・ 妻がかわいそうとは思うけれど、何故か同情し切れなかった。何故だろう・・・ ナセル・アリはおそらく"家庭"を望んではいなかったんじゃないかと思ったから・・・ 芸術家だからという理由でくくってしまうのは乱暴だと思うけれど、天才と呼ばれる人の中には、普通の夫・普通の父親になれないタイプの人がいるんだと思う。もちろん、良き夫・良き父親の芸術家もいると思うし、そもそも"普通"って何って感じだけど(笑)
順番は前後するかもしれないけれど、子供の頃から天才肌で宿題など決められたことが出来ないナセル・アリ。優秀な弟はそんな兄のことを理解していく。この辺り、同じく天才肌のゴッホと彼を見守り続けた弟テオとの関係に似ている気がした。大人になった現在も、弟は兄のナセル・アリを見守っている。若い頃、ナセル・アリはヴァイオリンの修行に出た。心を痛める少女が1人。後に妻となるファランギーヌ。ナセル・アリは母親が決めた結婚だと思い込んでいるけど、実は少女の頃からファランギーヌはナセル・アリに恋していた。ナセル・アリの修行中、結婚話も断り続け、彼の帰りを待っていた。母親としては"普通"の生活には向いていないナセル・アリの将来を気遣い、ファランギーヌに託す思いがあったのでしょう。渋るナセル・アリを結婚すれば愛が生まれると説得、2人は結婚するけど愛は生まれなかった・・・
うーん。何故ファランギーヌを愛せなかったのかはもう少し後で分かるけど、それが分かったとしても、妻を愛せなかった理由にはならない。要するに愛せなかったのだから理屈じゃない。ただし、情って生まれてくるものだと思うけれど、"家庭"を求めていないナセル・アリにとっては、妻を愛するという努力もできなかったのかも・・・ それをいいこととは思わないけど、そういう男性を愛し、彼の思いは関係なく結婚してしまったファランギーヌの不幸とし言い様がない。彼女としてはナセル・アリとの結婚をずっと夢見ていたので、それが目的になってしまっていた部分はあるだろうし、結婚すれば愛してくれると思っていたのかもしれないけれど・・・ 後のシーンで彼女が彼が芸術家なのだと理解しているシーンが出てくるけど、でも彼女の選択は違うものだった。彼女自身ももう後には引けなかったのでしょうけれど、彼女が取った行動がナセル・アリの心に大きな傷を与えたことは間違いない・・・
ナセル・アリが死ぬことにした最大の理由。おそらく致命傷となった出来事は1人の女性が関わっている。修行時代に一目惚れしたイラーヌ。この修行がどの街で行われていたのか不明だけど、レッスン自体は崖の上の塔のようなところで、仙人のような師匠の指導を受けている。こんな所で修行してたら、いくらナセル・アリでも人恋しくなるというもの。ある日街で運命の女性と出会う。アンティーク・ショップの娘イラーヌ。このシーン全部が美しかった! 街並がキレイで、光が溢れていて全体的に黄金色。そこに現れたボブヘアのイラーヌの美しさ この映像は好き。ナセル・アリが恋に落ちた瞬間がハッキリ分かる。この日から彼は、彼女に会いたくてアンティーク・ショップに通いつめる。欲しくもないアンティーク時計を購入。わざと壊して修理してもらったり(笑) この辺りは、ほとんどセリフもなくてまるで無声映画のようでおもしろい。そのかいあってイラーヌと話す機会を得るナセル・アリ。散々、挙動不審だったのに、実はあなたに会いたかったのだと言えちゃう辺り、意外にちゃんとしてる(笑)
思いが通じてお付き合いする2人。もうホントにキラキラしちゃってる そして! 2人が見に行った映画がなんと! ロン・チェイニー版『オペラ座の怪人』! 当blogでは何度か書いているけど、数々作られた『オペラ座の怪人』映画の中では、ミュージカル版(シューマカー版)と、このロン・チェイニー主演版が有名。特にヒロインが怪人のマスクをはずすアンマスクド・シーンが有名で、昨年ロンドン初演25周年を迎えたミュージカル版もほぼ構図が同じ! Σ(o゚ω゚o)ハッ 長々興奮して書いちゃった ミュージカル版大好きなので・・・ ごめんね! で、何が言いたかったかといえば、劇中で映っていたのはまさにこのアンマスクド・シーンだったということ! と、興味のない人にはどうでもいいことなので、話を戻す! そんな幸せな日々を送り、愛を深める2人。一目惚れしたナセル・アリはともかく、イラーヌが彼を生涯かけて愛するようになる描写が少なかった気がしなくもないけど、それはOK。結局この恋は実らない。ナセル・アリのプロポーズはイラーヌには受け入れられるものの、音楽家などという安定感のない職業の男に娘はやれぬと、父親の反対にあってしまう。現代の感覚からすれば、2人は愛し合っているのだから結婚しちゃいなよと思うけれど、ヨーロッパっぽい街並や服装で忘れていたけど、これは1950年代のイランの話。イランについては詳しくないけど、イメージとして女性が父親に背いて結婚するなどあり得なかったのでしょう・・・
イラーヌが最後の別れにやって来たナセル・アリの部屋や、街角のシーンが悲しくも美しい。青っぽい画。雨の中びしょ濡れになってやって来るイラーヌ。2人が身を切られる思いをしていることが伝わってくる。この恋が実っていたらどうだったのか? チラシなどにあるように、実らなかったからこそ2人の胸にずっと美しく残り続けたのだとは思うし、結婚して"生活"が始まれば恋愛中のように美しいことばかりではないでしょう。でも、なんとなく魂が共鳴した2人なら、芸術を生み続けたんじゃないかと思う・・・ ナセル・アリのヴァイオリンは、以前は師匠に技術はあるが空っぽな音だと言われていた。この恋を失ったことで、やっとため息を手に入れたと称されるようになる。この瞬間、芸術家というのは自分の人生の喜びだけではなく、心が壊れてしまいそうな悲しみすら糧とするのかとか、こんな思いをしなければ芸術は生まれないのかとか考えたら泣いてた そういう"芸術とは"みたいな部分に弱い(笑) 前述した2人が結ばれたらってことと矛盾してるようだけど、ナセル・アリのヴァイオリンを聴く者全てが涙するのは、彼の心があれ以来ずっと泣いているからなのでしょう・・・ 幸せならば幸せな音を奏でたのかもしれないと思ったけど、それは違うのかな・・・
そして、何故彼が死ぬことにしたのかが明らかになる。"彼の音"を得たナセル・アリの修行は終わる。師匠は自らも師匠から受け継いだヴァイオリンをナセル・アリに贈る。その後、テヘランに戻った彼は、前述どおりファランギーヌと結婚するわけだけど、そこに愛は生まれなかった。師匠からもらったヴァイオリンを奏でるナセル・アリの音を聴き、涙を流すファランギーヌ。彼女も彼の芸術を愛しているのだと思う、でもそれを生み出しているのは自分ではないことも知っている。彼に"夫"を求めてはいけないことも気づいている。でも、今さらどうすることもできない。そして、彼女は彼のヴァイオリンを叩き壊してしまい、彼を罵ってしまう。彼女にとっては最後の賭けだったのかもしれないし、自分でも止められなかったのだと思うけれど、これは最大の過ちだった・・・ 確かに、彼女はあのヴァイオリンがナセル・アリにとってどういうものか知らなかった。でも、人には誰にも言えず心に秘めた思いがある。彼女はそれを壊してしまった・・・ これは辛い。おそらくナセル・アリの耳には、その後の罵倒など一切聞こえてないと思う。後にナセル・アリはファランギーヌに面と向かって「一度も愛したことはない」って言っちゃうけど、それはこの行為への答えなのでしょう。まぁ、それも言っちゃダメだけど・・・ でも、彼は生きようとした。それが冒頭のヴァイオリン探し。でも、見つからなかった。あのストラディバリウスが本物なのか偽者なのかも関係ない。まぁ、偽者でしょうが・・・ 例え、本物だったとしても、あのヴァイオリンの音ではない以上、彼にとっては意味のないものなのでしょう。
そして・・・ 「僕を覚えている?」と訊ねたあの女性。彼女こそイラーヌだった。彼女は父親の望む男性と結婚し、今では孫もいる。はたから見れば幸せな人生。でも、イラーヌもナセル・アリを忘れることはできなかった。でも、今さらどうなるものでもない。だから、彼女は「全く(覚えていない)」と言ったのでしょう。お互いの為に。でも、その一言がナセル・アリの人としての希望を打ち砕いた。自分にとって最も美しかった日々が、彼女にとっては違ったのだ・・・ 彼は芸術家としても、人としても生きる意味を失ってしまった。夫として、父としてと考えると無責任だと思うけれど、一人の人間として考えれば、そこまで絶望したなら死を選ぶ権利はあるかも・・・ もちろん、自殺をいいこととは思わないし、肯定するつもりもないけれど・・・
そして、ナセル・アリのもとに死神が現れる。今までのナレーションは実はこの死神。となると、ここでナセル・アリが死ぬことは運命だったということか・・・ この黒い顔と黒い翼を持つ死神のデザインは良かった! 美しくて、妖しくて、全然怖くない(笑) こんな風に死ぬなら怖くないかも・・・ とってもお伽的。冒頭で、ナセル・アリは8日目に亡くなったこと、彼の葬儀には彼を愛した人々が参列したことが語られ、埋葬シーンが映った。多いとは言えない参列者は皆、後姿。影絵のようなこのシーン、ナセル・アリが死神の大きな翼に包まれた後、再び映し出される。少しカメラが引くと、参列者とは離れた場所で、ひっそりと佇むシルエットが・・・ これは泣いたー ホントに美しいシーンだった!
キャストは、妻のファランギーヌのマリア・デ・メディロスって見たことあると思ったら『ヘンリー&ジューン』のアナイス・ニンの人だった! ファランギーヌ良かったと思う! 彼女は幼い頃からずっとナセル・アリのことを思い続けていたから、彼のどこを愛しているのか見失ってしまったんだと思う。まぁ、いちいち確認したりしないけど(笑) ずっと片思いだったから、愛し方が分からない。芸術家に限らず、ある分野で天才的に秀でてる人って、絶対凡人と見ている世界が違う。だから、自分の見ている世界の価値観に当てはめて、夫らしくしろと言ってもダメなんだよね。まぁ、それは普通の人でもそうだけど(笑) でも、それこそがファランギーヌの悲しさなのであって、その辺りがとっても伝わってきた。鶏のプラム煮持って行く時の、鏡のシーンは切なかった・・・ 母親役はイザベラ・ロッセリーニ! 厳しいけれどナセル・アリを愛し、心配していることは伝わってくる。しかし、老けた・・・ イヤ、まぁ老けてる役だからだとは思うけど、ナセル・アリのためを思ってさせた結婚が失敗だったのは切ないけれど、あなたのせいじゃないかと言えない存在感がある。何だそれ?(笑)
イラーヌのゴルシフテ・ファラハニが美しい! 実のところ、全く気づいていなかったけど『彼女が消えた浜辺』のセビデーだったんだね!? あの時もキレイな人だと思ったけど、イランのあの服装とスカーフ着用だったせいか、とっても大人っぽかったけど、今作では登場時は20歳くらいの若いお嬢さんだったためか、若く見えた。ナセル・アリが一目惚れするわけだから、文句なく美女じゃなきゃダメだと思うけど、文句なしです!(笑) まぁ、美女だから一目惚れするってものでもないと思うけど、映画なのだからそこは美女じゃないとね! 可憐で、才気があって彼女の事が忘れられない気持ちは分かる。それはゴルシフテ・ファラハニのおかげ。全く覚えていないという時の演技が良かった! そして、ナセル・アリのマチュー・アマルリック! お友達の映画ブロガーさん達にもファンの方が多いのだけど、個人的には彼の出演作を見るのは初めて。目ヂカラがスゴイ! っていうか、まばたきしてないよね?(笑) ナセル・アリという繊細で天才肌の芸術家を、時にコミカルに演じつつ、イライラさせなかったのは見事だと思う。彼が死ぬことにした理由が分かるまでは、ダメ男のように見せているわけで、だけどダメ男が死んでいくところを見せられても・・・って思われたらダメ! その辺りのさじ加減がスゴイ。目ヂカラにしても、ちゃんと使い分けてる。まばたきはしてないけども・・・(笑) 上手く言えないけど、マザコンで大人になり切れていない男とも言えるナセル・アリを、イヤ、彼は繊細な芸術家なのだと思わせたのがスゴイ! まぁ、そういう演出ではあるけれど、その辺りをそんなに表情を変えないのに、目ヂカラで見せるところがスゴイ! どんな褒め方?!(笑)
意識が遠くなってきた頃、巨大な女性の胸に顔をうずめたり、コミカルでアニメ的な表現も多い。死にゆく母のタバコの煙がもくもくと外に漂っていく感じとか・・・ 多分、魂が天に向かって行くってことだと思うんだけど、そういう表現が苦手な人もいるかも? 個人的には好き。母親がなかなか死ねなかったのは、ナセル・アリが死なないでと祈ったから。ナセル・アリが死ねないのは? ここはかわいかった! そしてちょっと感動
画が美しい。前述したけど全て作りモノ感。登場人物達の気持ちや、その人の性格を表すように、色のトーンが変わる。妻はいつも黒っぽい服で、冷たく暗いトーンとか・・・ そういうのも好き。絵本を見ているような感覚。マチューの演技はセリフを喋っているのに、無声映画を見ているみたいな不思議な感覚。上手く表現し切れてないけど褒めてます!
ちょっとお伽っぽい映画好きな方オススメ! マチュー・アマルリック好きな方是非!
『チキンとプラム』Official site
2011年TIFF(東京国際映画祭)出品作品。去年の時点で見たかったんだけど、予定が合わず・・・ 試写会応募しまくった! ハガキに記載がなかったので、正直どこで当選したのか不明だけど、タイミング的にはyapolgかなぁ・・・ いつもありがとうございます! お友達たちも当選したので、総勢4人で行ってきたー♪
*ネタバレありです! そして、長文・・・(o´ェ`o)ゞエヘヘ
「聴く者が涙する天才ヴァイオリニスト ナセル・アリ。彼は死ぬことにした。最期の8日間に彼の胸によみがえるのは・・・」という話。多分、当blogの、見たかった理由 → ネタバレありの断り書き → あらすじと簡単な感想 → そして熱弁 という形が定着してから、最短のあらすじかも(笑) でも、本当にこの8日間と、その間に彼が思い出したこと、考えたことなどを描いている作品なので・・・ その見せ方もアニメ的なので、合わない人もいるかも? 個人的には美しい絵本のような、お伽的作品で好きだった。
ほとんど予備知識なしで見た。てっきりフランスが舞台だと思っていたら、テヘランが舞台でビックリした。ナセル・アリって名前が気になってはいたけど・・・(笑) イヤ、最近『アルゴ』と『ペルシャ猫を誰も知らない』を見たばかりだったので、イランが続くなと思っただけ。まぁ、『ペルシャ・・・』は勝手にこのタイミングで見ただけだけど(笑) この映画自体はフランス・ドイツ・ベルギーの合作で、主演もフランス人俳優のマチュー・アマルリックだし、全編フランス語で撮られている。何故イラン?と思ったら、監督で原作者でもあるマルジャン・サトラピはイランのラシュト出身の方だった。上流家庭に育ったけれど、少女時代にイラン革命、イラン・イラク戦争を体験、テヘランのフランス人向けリセに通っていたが、後にパリに移られたのだそう。監督の前作『ペルセポリス』(未見)は、イランでの幼少期・ヨーロッパでの少女時代を描いた自伝的コミックの映画化で、2007年カンヌ国際映画祭審査員賞を受賞したとのこと。気になる! 今作も同じくご自身のコミック「鶏のプラム煮」(未読)の映画化♪
男性のナレーションで舞台がイランのテヘランであることが語られる。このナレーションは時々差し込まれ、後に誰なのか分かる仕掛け。遠景で見せる街の映像は、初めから作りモノ感タップリ。街の路地もナセル・アリの家も全て作りモノ感。ナレーションやこの作りモノ感が、お伽話的な雰囲気をかもし出している。そしてちょっとアニメっぽい。監督ご自身のマンガが原作なわけだし、もしかしたら実写でアニメを撮りたいのかも? まぁ、勝手な想像だけど・・・ この感じがダメな人もいるかもしれないけど、個人的には好きだった。ナセル・アリが死ぬことを決めてからの8日間を描く作品だけど、何故死ぬことにしたのかは後から分かる。なので、そこまではナセル・アリの行動はちょっと不思議。だから、ちょっとコミカルにマンガ的に見せられた方が、彼の不思議キャラぶりに違和感がないというか・・・ うーん。これはとっても美しいラブストーリーでもあり、1人の芸術家の話であり、彼の芸術ごと愛しつつも、理解しきれなかった夫婦の悲劇でもあり・・・ 本来はドロドロしてる部分をも、作りモノっぽく見せていたのは良かったと思う。
冒頭ナセル・アリは楽器店でヴァイオリンを買う。店主オススメの品。期待を込めて弾いてみる。納得できない・・・ 弟の情報でストラディバリウスを売る店があることを知り、買いに行くことを妻に申し出る。長時間バスに揺られる旅。家計を支える妻は仕事、幼い息子の面倒は誰が見るのか? 息子を連れてのバス道中。大きな声で歌を歌い続ける息子をどうすることもできないナセル・アリ。彼が夫にも父親にもむいていないことが分かる。怪しい古道具屋でヴァイオリンを買うナセル・アリ。テヘランに戻った彼は街角で1人の女性に声をかける。「僕を覚えていますか?」「実のところ、全く・・・」 ヒゲを整え、一番良い服に着替えてストラディバリウスを弾くナセル・アリ。・・・。壊れたヴァイオリンを取り出し、涙を流す・・・ そして、彼は死ぬことにする。ほらね何故だか分からない(笑) イヤ、説明不足なだけで、ここまでにも彼の全てが描かれていて、何故死ぬのかも描かれている。でも、漠然と分かってはいるけど、これで納得できる人は少ないと思う。
死を決意したナセル・アリは、死に方を考える。列車に轢かれる? ピストル自殺? どちらも痛そうで美しくない。で、彼のとった行動はパジャマに着替えてベッドに潜り込むこと。このまま何も口にせずベッドの中で死のうということらしい。元々、病気なわけではないので、この方法で8日間で死ねるのか?と思うけど、もしかしたら宗教的に8日間って意味がありそうな気が・・・ でも、調べてる時間がないからいいか(笑) ここまではコミカルに描かれている。ただ、前述したとおり何故ナセル・アリが死ぬことにしたのか、納得のいく説明は後のシーンで出てくるので、この時点ではナセル・アリが子守もできない、家庭人としては問題ありで、しかも自分勝手な理由で死んでしまうダメな人のように描いてる。イヤ、真相を知っても見方が変わるだけで、彼のそういう部分は別に変わっていないのだけど(笑) でも、初めにダメさを見せておいて、彼には彼なりの死の理由があるのだという見せ方は良かったと思う。ただ、ここまでで合わないと感じてしまう人もいるかも? 事実、後ろの席のおば様は眠ってしまったらしいので・・・(笑)
ここから毎日ナセル・アリの生い立ちや人となりの紹介となる。父親としては失格だが、彼なりに努力していることなどがナレーションで語られる。幼い子供たちが庭で雪にハシャグ姿がカワイイ 彼らはそれぞれの人生を歩むことになるけど、無邪気に父を慕っていた弟、冷静に父を見ていた娘リリも、彼らなりに父を理解し、愛していたことが分かる。このマンガ的な紹介も良かった。コミカルな弟に対して、ノワール感の漂うリリがカッコイイ! このリリはキアラ・マストロヤンニ。3日目ベッドから一歩も出ない、食事も取らない夫のために、妻は鶏のプラム煮を作る。夫の大好物で、ほとんど会話のない夫が、この料理だけは褒めてくれるから。彼女はドアをノックする前、鏡をのぞきアップにしていた髪をおろす。やつれてしまった顔、こわばってしまった顔。鏡の前で笑顔を作る姿が切ない。でも、ダメ・・・ それは何故か? 収入が安定しない彼に代わり、実質家計を支えているのは妻。でも、ナセル・アリは子守すらできない。加えてこの仕打ち・・・ 妻がかわいそうとは思うけれど、何故か同情し切れなかった。何故だろう・・・ ナセル・アリはおそらく"家庭"を望んではいなかったんじゃないかと思ったから・・・ 芸術家だからという理由でくくってしまうのは乱暴だと思うけれど、天才と呼ばれる人の中には、普通の夫・普通の父親になれないタイプの人がいるんだと思う。もちろん、良き夫・良き父親の芸術家もいると思うし、そもそも"普通"って何って感じだけど(笑)
順番は前後するかもしれないけれど、子供の頃から天才肌で宿題など決められたことが出来ないナセル・アリ。優秀な弟はそんな兄のことを理解していく。この辺り、同じく天才肌のゴッホと彼を見守り続けた弟テオとの関係に似ている気がした。大人になった現在も、弟は兄のナセル・アリを見守っている。若い頃、ナセル・アリはヴァイオリンの修行に出た。心を痛める少女が1人。後に妻となるファランギーヌ。ナセル・アリは母親が決めた結婚だと思い込んでいるけど、実は少女の頃からファランギーヌはナセル・アリに恋していた。ナセル・アリの修行中、結婚話も断り続け、彼の帰りを待っていた。母親としては"普通"の生活には向いていないナセル・アリの将来を気遣い、ファランギーヌに託す思いがあったのでしょう。渋るナセル・アリを結婚すれば愛が生まれると説得、2人は結婚するけど愛は生まれなかった・・・
うーん。何故ファランギーヌを愛せなかったのかはもう少し後で分かるけど、それが分かったとしても、妻を愛せなかった理由にはならない。要するに愛せなかったのだから理屈じゃない。ただし、情って生まれてくるものだと思うけれど、"家庭"を求めていないナセル・アリにとっては、妻を愛するという努力もできなかったのかも・・・ それをいいこととは思わないけど、そういう男性を愛し、彼の思いは関係なく結婚してしまったファランギーヌの不幸とし言い様がない。彼女としてはナセル・アリとの結婚をずっと夢見ていたので、それが目的になってしまっていた部分はあるだろうし、結婚すれば愛してくれると思っていたのかもしれないけれど・・・ 後のシーンで彼女が彼が芸術家なのだと理解しているシーンが出てくるけど、でも彼女の選択は違うものだった。彼女自身ももう後には引けなかったのでしょうけれど、彼女が取った行動がナセル・アリの心に大きな傷を与えたことは間違いない・・・
ナセル・アリが死ぬことにした最大の理由。おそらく致命傷となった出来事は1人の女性が関わっている。修行時代に一目惚れしたイラーヌ。この修行がどの街で行われていたのか不明だけど、レッスン自体は崖の上の塔のようなところで、仙人のような師匠の指導を受けている。こんな所で修行してたら、いくらナセル・アリでも人恋しくなるというもの。ある日街で運命の女性と出会う。アンティーク・ショップの娘イラーヌ。このシーン全部が美しかった! 街並がキレイで、光が溢れていて全体的に黄金色。そこに現れたボブヘアのイラーヌの美しさ この映像は好き。ナセル・アリが恋に落ちた瞬間がハッキリ分かる。この日から彼は、彼女に会いたくてアンティーク・ショップに通いつめる。欲しくもないアンティーク時計を購入。わざと壊して修理してもらったり(笑) この辺りは、ほとんどセリフもなくてまるで無声映画のようでおもしろい。そのかいあってイラーヌと話す機会を得るナセル・アリ。散々、挙動不審だったのに、実はあなたに会いたかったのだと言えちゃう辺り、意外にちゃんとしてる(笑)
思いが通じてお付き合いする2人。もうホントにキラキラしちゃってる そして! 2人が見に行った映画がなんと! ロン・チェイニー版『オペラ座の怪人』! 当blogでは何度か書いているけど、数々作られた『オペラ座の怪人』映画の中では、ミュージカル版(シューマカー版)と、このロン・チェイニー主演版が有名。特にヒロインが怪人のマスクをはずすアンマスクド・シーンが有名で、昨年ロンドン初演25周年を迎えたミュージカル版もほぼ構図が同じ! Σ(o゚ω゚o)ハッ 長々興奮して書いちゃった ミュージカル版大好きなので・・・ ごめんね! で、何が言いたかったかといえば、劇中で映っていたのはまさにこのアンマスクド・シーンだったということ! と、興味のない人にはどうでもいいことなので、話を戻す! そんな幸せな日々を送り、愛を深める2人。一目惚れしたナセル・アリはともかく、イラーヌが彼を生涯かけて愛するようになる描写が少なかった気がしなくもないけど、それはOK。結局この恋は実らない。ナセル・アリのプロポーズはイラーヌには受け入れられるものの、音楽家などという安定感のない職業の男に娘はやれぬと、父親の反対にあってしまう。現代の感覚からすれば、2人は愛し合っているのだから結婚しちゃいなよと思うけれど、ヨーロッパっぽい街並や服装で忘れていたけど、これは1950年代のイランの話。イランについては詳しくないけど、イメージとして女性が父親に背いて結婚するなどあり得なかったのでしょう・・・
イラーヌが最後の別れにやって来たナセル・アリの部屋や、街角のシーンが悲しくも美しい。青っぽい画。雨の中びしょ濡れになってやって来るイラーヌ。2人が身を切られる思いをしていることが伝わってくる。この恋が実っていたらどうだったのか? チラシなどにあるように、実らなかったからこそ2人の胸にずっと美しく残り続けたのだとは思うし、結婚して"生活"が始まれば恋愛中のように美しいことばかりではないでしょう。でも、なんとなく魂が共鳴した2人なら、芸術を生み続けたんじゃないかと思う・・・ ナセル・アリのヴァイオリンは、以前は師匠に技術はあるが空っぽな音だと言われていた。この恋を失ったことで、やっとため息を手に入れたと称されるようになる。この瞬間、芸術家というのは自分の人生の喜びだけではなく、心が壊れてしまいそうな悲しみすら糧とするのかとか、こんな思いをしなければ芸術は生まれないのかとか考えたら泣いてた そういう"芸術とは"みたいな部分に弱い(笑) 前述した2人が結ばれたらってことと矛盾してるようだけど、ナセル・アリのヴァイオリンを聴く者全てが涙するのは、彼の心があれ以来ずっと泣いているからなのでしょう・・・ 幸せならば幸せな音を奏でたのかもしれないと思ったけど、それは違うのかな・・・
そして、何故彼が死ぬことにしたのかが明らかになる。"彼の音"を得たナセル・アリの修行は終わる。師匠は自らも師匠から受け継いだヴァイオリンをナセル・アリに贈る。その後、テヘランに戻った彼は、前述どおりファランギーヌと結婚するわけだけど、そこに愛は生まれなかった。師匠からもらったヴァイオリンを奏でるナセル・アリの音を聴き、涙を流すファランギーヌ。彼女も彼の芸術を愛しているのだと思う、でもそれを生み出しているのは自分ではないことも知っている。彼に"夫"を求めてはいけないことも気づいている。でも、今さらどうすることもできない。そして、彼女は彼のヴァイオリンを叩き壊してしまい、彼を罵ってしまう。彼女にとっては最後の賭けだったのかもしれないし、自分でも止められなかったのだと思うけれど、これは最大の過ちだった・・・ 確かに、彼女はあのヴァイオリンがナセル・アリにとってどういうものか知らなかった。でも、人には誰にも言えず心に秘めた思いがある。彼女はそれを壊してしまった・・・ これは辛い。おそらくナセル・アリの耳には、その後の罵倒など一切聞こえてないと思う。後にナセル・アリはファランギーヌに面と向かって「一度も愛したことはない」って言っちゃうけど、それはこの行為への答えなのでしょう。まぁ、それも言っちゃダメだけど・・・ でも、彼は生きようとした。それが冒頭のヴァイオリン探し。でも、見つからなかった。あのストラディバリウスが本物なのか偽者なのかも関係ない。まぁ、偽者でしょうが・・・ 例え、本物だったとしても、あのヴァイオリンの音ではない以上、彼にとっては意味のないものなのでしょう。
そして・・・ 「僕を覚えている?」と訊ねたあの女性。彼女こそイラーヌだった。彼女は父親の望む男性と結婚し、今では孫もいる。はたから見れば幸せな人生。でも、イラーヌもナセル・アリを忘れることはできなかった。でも、今さらどうなるものでもない。だから、彼女は「全く(覚えていない)」と言ったのでしょう。お互いの為に。でも、その一言がナセル・アリの人としての希望を打ち砕いた。自分にとって最も美しかった日々が、彼女にとっては違ったのだ・・・ 彼は芸術家としても、人としても生きる意味を失ってしまった。夫として、父としてと考えると無責任だと思うけれど、一人の人間として考えれば、そこまで絶望したなら死を選ぶ権利はあるかも・・・ もちろん、自殺をいいこととは思わないし、肯定するつもりもないけれど・・・
そして、ナセル・アリのもとに死神が現れる。今までのナレーションは実はこの死神。となると、ここでナセル・アリが死ぬことは運命だったということか・・・ この黒い顔と黒い翼を持つ死神のデザインは良かった! 美しくて、妖しくて、全然怖くない(笑) こんな風に死ぬなら怖くないかも・・・ とってもお伽的。冒頭で、ナセル・アリは8日目に亡くなったこと、彼の葬儀には彼を愛した人々が参列したことが語られ、埋葬シーンが映った。多いとは言えない参列者は皆、後姿。影絵のようなこのシーン、ナセル・アリが死神の大きな翼に包まれた後、再び映し出される。少しカメラが引くと、参列者とは離れた場所で、ひっそりと佇むシルエットが・・・ これは泣いたー ホントに美しいシーンだった!
キャストは、妻のファランギーヌのマリア・デ・メディロスって見たことあると思ったら『ヘンリー&ジューン』のアナイス・ニンの人だった! ファランギーヌ良かったと思う! 彼女は幼い頃からずっとナセル・アリのことを思い続けていたから、彼のどこを愛しているのか見失ってしまったんだと思う。まぁ、いちいち確認したりしないけど(笑) ずっと片思いだったから、愛し方が分からない。芸術家に限らず、ある分野で天才的に秀でてる人って、絶対凡人と見ている世界が違う。だから、自分の見ている世界の価値観に当てはめて、夫らしくしろと言ってもダメなんだよね。まぁ、それは普通の人でもそうだけど(笑) でも、それこそがファランギーヌの悲しさなのであって、その辺りがとっても伝わってきた。鶏のプラム煮持って行く時の、鏡のシーンは切なかった・・・ 母親役はイザベラ・ロッセリーニ! 厳しいけれどナセル・アリを愛し、心配していることは伝わってくる。しかし、老けた・・・ イヤ、まぁ老けてる役だからだとは思うけど、ナセル・アリのためを思ってさせた結婚が失敗だったのは切ないけれど、あなたのせいじゃないかと言えない存在感がある。何だそれ?(笑)
イラーヌのゴルシフテ・ファラハニが美しい! 実のところ、全く気づいていなかったけど『彼女が消えた浜辺』のセビデーだったんだね!? あの時もキレイな人だと思ったけど、イランのあの服装とスカーフ着用だったせいか、とっても大人っぽかったけど、今作では登場時は20歳くらいの若いお嬢さんだったためか、若く見えた。ナセル・アリが一目惚れするわけだから、文句なく美女じゃなきゃダメだと思うけど、文句なしです!(笑) まぁ、美女だから一目惚れするってものでもないと思うけど、映画なのだからそこは美女じゃないとね! 可憐で、才気があって彼女の事が忘れられない気持ちは分かる。それはゴルシフテ・ファラハニのおかげ。全く覚えていないという時の演技が良かった! そして、ナセル・アリのマチュー・アマルリック! お友達の映画ブロガーさん達にもファンの方が多いのだけど、個人的には彼の出演作を見るのは初めて。目ヂカラがスゴイ! っていうか、まばたきしてないよね?(笑) ナセル・アリという繊細で天才肌の芸術家を、時にコミカルに演じつつ、イライラさせなかったのは見事だと思う。彼が死ぬことにした理由が分かるまでは、ダメ男のように見せているわけで、だけどダメ男が死んでいくところを見せられても・・・って思われたらダメ! その辺りのさじ加減がスゴイ。目ヂカラにしても、ちゃんと使い分けてる。まばたきはしてないけども・・・(笑) 上手く言えないけど、マザコンで大人になり切れていない男とも言えるナセル・アリを、イヤ、彼は繊細な芸術家なのだと思わせたのがスゴイ! まぁ、そういう演出ではあるけれど、その辺りをそんなに表情を変えないのに、目ヂカラで見せるところがスゴイ! どんな褒め方?!(笑)
意識が遠くなってきた頃、巨大な女性の胸に顔をうずめたり、コミカルでアニメ的な表現も多い。死にゆく母のタバコの煙がもくもくと外に漂っていく感じとか・・・ 多分、魂が天に向かって行くってことだと思うんだけど、そういう表現が苦手な人もいるかも? 個人的には好き。母親がなかなか死ねなかったのは、ナセル・アリが死なないでと祈ったから。ナセル・アリが死ねないのは? ここはかわいかった! そしてちょっと感動
画が美しい。前述したけど全て作りモノ感。登場人物達の気持ちや、その人の性格を表すように、色のトーンが変わる。妻はいつも黒っぽい服で、冷たく暗いトーンとか・・・ そういうのも好き。絵本を見ているような感覚。マチューの演技はセリフを喋っているのに、無声映画を見ているみたいな不思議な感覚。上手く表現し切れてないけど褒めてます!
ちょっとお伽っぽい映画好きな方オススメ! マチュー・アマルリック好きな方是非!
『チキンとプラム』Official site