・*・ etoile ・*・

🎬映画 🎨美術展 ⛸フィギュアスケート 🎵ミュージカル 🐈猫

【cinema】『アンナ・カレーニナ』(GAGAオンライン試写)

2013-04-03 01:19:51 | cinema
'13.03.22 『アンナ・カレーニナ』GAGAオンライン試写

これは見たかった! 試写会いろいろ応募したけど、GAGAオンライン試写に当選! 配信時から24時間以内なら何度でも視聴可能というもの。というわけで、ワイン飲みながら見たー♪

*ネタバレありです!

「政府高官の妻アンナ・カレーニナは、社交界の花。モスクワへ向かう列車の中で、若く美しいヴロンスキー伯爵と出会う。ヴロンスキー伯爵の激しい求愛を初めは拒んでいたアンナだったが・・・」という話で、これはあまりに有名なロシアの文豪トルストイの同名小説が原作。ドストエフスキーに"芸術品として完璧"、トーマス・マンには"一点の非の打ちどころもない"と称された原作は未読。映画はグレタ・ガルボ版とヴィヴィアン・リー版を見たけど、ぼんやりとしか覚えていない。でも、とってもロマンティックで悲劇的だった印象。結末は一緒だから悲劇ではあるんだけど、ロマンティックというよりは少し突き放した感じというか、アンナをあまり美化していない。その辺りと、演劇的演出がダメな人もいるかもしれないけど、個人的には嫌いじゃなかった。

演劇的演出っていうのは、例えばミュージカルみたいに、大勢が一斉に同じ動きをするとか、まるで舞台に立っているかのようなシーンがあったりするけど、俳優たちの演技が芝居がかっているということではない。公式サイトによると、監督のジョー・ライトは、英国の歴史家オーランド・ファイジズの「19世紀のサンクトペテルブルクの貴族は、人生を舞台の上で演じているかのようだった」という言葉に、自分独自のアンナを撮りたいと考えたのだそう。ロシアは東洋なのか、西洋なのかというアイデンティティに悩み、アンナ・カレーニナの時代に西洋であることを決定! フランスを真似ていたそうで、要するに西洋を演じていた。アンナも良妻を演じていたってことで、舞台劇型にしたのだそう。前述したとおり、俳優たちの演技は舞台劇型なわけではないし、全編が舞台的演出ってわけではない。舞台的なのもそうだけど、時々登場人物たちが絵画の一部になったような画がある。モネの"日傘をさす女"とか。それが文字通り絵のように美しかった。この辺りはジョー・ライト監督っぽい気がする。と言っても、『プライドと偏見』と『つぐない』しか見てないけど。

見たいと思ったのはジョー・ライト監督だから。『プライドと偏見』と『つぐない』は大好き。この2作に続きキーラ・ナイトレイが主演。キーラは特別ファンってことはないけど、コスチューム・プレイ似合うし、監督との息も合っている気がしたので楽しみではあった。ただ、個人的には前述したとおり、グレタ・ガルボ版とヴィヴィアン・リー版を見ていたので、若干不安もあった。キーラが大女優たちに見劣りするとかってことじゃなくて、自分が見た時にはガルボやヴィヴィアン、そしてアンナ・カレーニナより年下だったので・・・ 今回はアンナやキーラよりも年上になって見ることになるので、その辺りどう感じるのだろうかと思っていた。やっぱり自分より年上の女性に関しては、憧れの目で見てしまう部分はある。しかもあのお2人だし・・・ で、長々何が言いたいのかといえば、こちらも前述したとおりアンナを美化していないことと、演劇的演出により客観的に見れたことで、全く別モノとして見ることが出来た。キーラ・ナイトレイも出演するにあたり原作を読み直し、それまでロマンティックなものだと思っていたけど、もっと暗い闇を持つ物語であることに気づき、アンナを出来すぎた人にしないように心がけたそうで、それは成功していたと思う。単純な意味ではなく。その感じがダメと思う人はいるかもしれないけれど、美化しなかったとこで、あるセリフがスッと心に落ちてきたので、個人的には良かったと思う。

映画はアンナ&ヴロンスキー&カレーニンの三角関係を中心とした上流階級と、そのしがらみから逃れた青年リョーヴィン&キティを平行して描くことにより、それぞれを対比させている。アンナたちのいる世界は、英国のシェパートン・スタジオ内に窓のない巨大セットを作り撮影した。ヴロンスキーが落馬する競馬場のパドックや、スケートリンク、グランドホテル、カレーニン邸などもここに作られた。例えば、カレーニン邸では部屋から廊下、そして息子の部屋へと途切れなく繋がっていて、場面転換なしで撮影できるように作られていたのだそう。なるほど、そうの辺りも演劇的なのかもしれない。ただし、アンナとヴロンスキーが初めて会うモスクワ駅は、『シャーロック・ホームズ』でも使用された、オックスフォードシャーのディドコット・レイルウェイセンターで、2人のピクニック・シーンは英国南部ソールズベリー平野で撮影されたのだそう。一方、社交界を離れ田舎で暮らすリョーヴィンのポロフスク領地は南イングランドの田舎で撮影されたのだそう。つらつら何が言いたいかといえば、アンナ達の世界は撮影時においても閉鎖的であって、そういう息の詰まる感じが画から感じられたということ。

ストーリーについては今更説明の必要はないかもしれないけど、一応書いとく(笑) 兄の浮気が発覚し、義姉をなだめるためにモスクワを訪れる列車内で、ヴロンスキー伯爵夫人と同席になったアンナは、母を迎えに来たヴロンスキー伯爵と運命的な出会いをする。義姉はサンクトペテルブルグ社交界の花であるアンナを舞踏会に誘う。舞踏会では義姉の妹キティに思いを寄せるリョーヴィンが彼女にプロポーズするが、ヴロンスキーからのプロポーズを待つキティは断ってしまう。でも、ヴロンスキーはアンナにアプローチを開始する。この舞踏会のシーンは『つぐない』『プライドと偏見』でも音楽を担当したダリオ・マリアネッリが演舞曲とマズルカを作曲、シディ・ラルビ・シェルカウイによる振付。ストップモーションを多様したり、アンナとヴロンスキー以外は静止したりとミュージカル的な演出。拒みつつも彼に惹かれている様子を表しているんだと思うし、美しいシーンではあるけれど、いわゆるコスチューム・プレイの優雅なダンスシーンではなく挑戦的というか刺激的。このシーンでキーラが身に着けている花モチーフのネックレスは、CHANELから貸し出されたもので1億8千万∑(*゚ェ゚*)

サンクトペテルブルグに戻ってからも、アンナの行く先々に現れるヴロンスキー。その情熱は噂になるほど。今なら立派なストーカーだけど、時代から違うと情熱的な恋ってことに(笑) でも、噂している人々は若干眉をひそめがちだったので、やっぱり不倫をよいこととは思っていない様子。もっとも、あんなにあからさまじゃなければ、ゴシップネタとして歓迎したのかもしれないけれど(笑) 当然アンナは落ちちゃうわけで、そうじゃないと話が進まない。18歳で恋も知らずカレーニンに嫁いだアンナ。それぞれの年齢が不明なのだけど、息子ちゃんの年齢からすると、結婚して10年近くにはなるのかな・・・ カレーニンは確かに面白みのある男性ではないけど、彼だって若かっただろうに恋が芽生えなかったのは残念な限りだし、ヴロンスキーから激しく求められて「これが愛ね」と幸せ絶頂に水を差すわけじゃないけど、毎度思うんだけどそれは欲情なのじゃないかと・・・ イヤ、もちろんそれを含めて恋愛なので「これが愛ね」も間違いではないと思うんだけど、夫に激しい思いを持ったことがなかったとしても、優しい気持ちを持ったことがあったなら、それも愛だと思うんだけどな。激情型だけが愛ではないぞ! まぁ、多分「これが(私が求めていた)愛ね」という括弧書きがあるのだろうし、激情型の方が生きている実感があるのは確か。

つらつら書いているのは、寝室で世間話をしながら事務的に避妊具を用意するような無神経というか、ちょっと気持ちの悪い部分も含めてカレーニンを演じたジュード・ロウがとっても良かったのと、これが愛だと突き進み、その"愛"を求め続けたがゆえに悲劇に向かったのかなと思ったので。前述のガルボ版、ヴィヴィアン版でのカレーニンの記憶が全くないので、今作は割りと焦点を当てて描いているように思うし、公式サイトによるとカレーニンは嫌な人に描かれることが多いらしい。今作では真面目で感情をほとんど表に出さないため、男性としての魅力に乏しいものの、心の中では妻を思っている少し哀しい男として描かれている。ジュードのほとんど無表情ながら、きちんと心情が伝わってくる演技が素晴らしくて、カレーニンのことがとってもかわいそうになった。ただし、鳥かごを思わせるコルセットが、プライベートな部屋の中でさえ羽根で飾った美しい生き物で、閉じ込められた存在であることを表現しているとジョー・ライト監督が語っているように、カレーニンが意識していようがいまいが、アンナが自由がなく窮屈な思いをしていたことも事実。

2人の仲を知ったカレーニンは対面を重んじて離婚には応じない。アンナは既にヴロンスキーの子供を身ごもっていた。ヴロンスキーが騎乗する競馬を観戦するアンナとカレーニン。落馬してしまったヴロンスキーに我を忘れて取り乱し、公の場で醜態を晒してしまう。このシーンは予告編やCMでも使われていたけど、やっぱり衝撃的。ブロンスキーは無事だけど馬は銃殺されてしまう アンナは女の子を出産するけど、産後の肥立ちが悪く寝込んでしまい、一時は命も危ない状態に。カレーニンはそんなアンナに優しく接するけど、全快したアンナはヴロンスキーの元へ去ってしまう。当然ながらアンナとの仲をよく思わない母親のヴロンスキー伯爵夫人は、他の女性との仲をとりもとうとするし、自身の離婚問題は進捗しない。さすがに世間の風当たりも冷たいってことで、どんどんヒステリックになっていくアンナ。オペラ観劇に誘われるとヴロンスキーに一緒に行こうと言い出す。この時期に公の場に2人で出るのは避けた方がいいと言う彼に、自分は世間体など気にしないと言い張り出席するも、世間は冷たく隣席の女性からは犯罪者かのような扱いを受ける。この皆の蔑んだ目線がキビシイ。このシーンも演劇的。ヴロンスキーは劇場に駆けつけるけど時既に遅し。ここでアンナを見捨てなかったのは彼の株が上がったけれど、直後にアンナは「何故自分をもっとしっかり止めてくれなかったのか」と食って掛かる。ちょっと・・・ 気持ちは分かるし、本気で言ってるつもりはないのだろうけれど、つい口に出てしまったということは、そういう気持ちはあるってこと。「私は悪くない」と思っている。認識が甘い。ホントに政府高官の妻なのか? いかにカレーニンが彼女を守っていたかが分かる。恋愛を罪に問うことはできない。夫のある身で恋に落ちることもあるとは思う。でもねぇ・・・ 身の処し方ってある。そして、精神のバランスを崩した彼女は列車に・・・

よく考えると認識の甘い女性が不倫した果てに、嫉妬や世間の冷たさに耐えかねて自殺するという、あまり同情しにくいお話。それをロマンティックな悲恋モノにすることは出来ると思うし、前述の2作はそうなっていたと思う。今作はそうはしていない。前2作では全く覚えていないリョーヴィンとキティ。実はアンナのどろどろの恋愛と同時進行で、2人の姿も描かれている。共に失恋の辛さを知った2人が結ばれるのはうれしい。あまりにも露骨で攻撃的だったアンナたちと違い、言葉遊びでお互いの気持ちを伝え合う2人が素敵。リョーヴィンは田舎の領地に移り、農民たちとともに畑仕事をする。そうすることで生きている実感を得る。何かの記事にも書いたけれど、都会はストレスだらけで田舎暮らしこそ理想という考え方はあまり好きではないけど、同じ"生きている実感"を得るには、不倫の恋に突っ走るよりこちらの方が誰にとっても幸せであるのは確か。人を不幸にしては幸せにはなれない。病に倒れた義兄の恋人は差別されていた。そんな恋人にも優しく接することができるようになったキティ。もともとの彼女の資質もあるのでしょうが、辛い体験から人を思いやる気持ちが芽生えたのかも。そして、心に響いたセリフ。正確な言葉や状況は忘れてしまったけれど、リョーヴィンの問いに農民の男性が答えたセリフ。何故愛するのか、何故その人なのか的なことを話した流れで、男性は「理屈じゃない」と答える。なるほど理屈じゃないなと思ったら、今まで見ていたことがスッと腑に落ちてしまった。言葉ってスゴイ! 人の感情とか自然にわき上がってくる気持ちは理屈じゃないけど、それをどう自分の中で処理するかによって違ってくるということなのかな。

でも、なんとなくこの映画がというよりも、そもそもの根底に特権階級批判、労働奨励の社会主義的なプロパガンダがあるように思ってしまうのは舞台がロシアだから? とか思って調べてみたらトルストイは貴族の出身だった(笑) どうやら広大な領地を相続し、農地経営に乗り出して挫折していた なるほど自身の果たせなかった夢をリョーヴィンに託したってことなのか。トルストイについて詳しくはWikipediaで!

キャストは意外にイギリス人俳優多し? ヴロンスキー伯爵夫人役で「ケース・センシティブ ~静かなる殺人」のオリヴィア・ウィリアムズが! エミリー・ワトソンも出てたけどそんなに重要な役じゃなかったような?(o゚ェ゚o) アンナがヴロンスキーの心変わりを疑うソロキナ嬢のカーラ・デルヴィーニュは最近人気のモデルだそうだけど、美人というよりは個性的な顔立ち。キティのアリシア・ヴィキャンデルが良かった。最初は世間知らずな少女だったのに、慈愛に満ちた女性になる。ヴロンスキーのアーロン・テイラー=ジョンソンは『キック・アス』ではイケてない青年を演じていたけど、見事な化けっぷり。むしろあっちが化けてたのか(笑) とはいえ、個人的には西洋人の考えるコスチューム・プレイの"美しい男"の好みが全然合わない・・・ アーロンがってことではなくて、トロンとした目の白っぽい顔を美しいと思えない。大事なことなので2回言いますがアーロンがダメってことではないです!(笑) 演技はとっても良かったと思う。特にアンナを見つめる目線! 手にキスしながら見上げてる画はぞくぞくする。


これね゚+。(*'ェ'*)。+゚

ジュード・ロウが良かった! すでにホメてるので詳細は割愛。若い頃なら間違いなくヴロンスキーだっただろうに、ハゲ割増+大量のヒゲでイケメンぶりを半減させての熱演。といってもカレーニンはあまり感情を表さないので、熱く演じてるってことではなく、ちょっとキモイ部分も含めてカレーニンの哀しさを表現していたと思う。妻の不倫のおかげで失脚しても、そのことで責めることもなく、他の男性との間に生まれた娘を引き取る。それは間違いなく妻への愛だし、人として立派だと思う。その辺りを押し付けがましくなく、少し気弱な感じで演じていた。ジョー・ライト監督が小説に書かれていないカレーニンの人格の奥深さまで演じたと称したのも納得の演技。

『プライドと偏見』『つぐない』に続き、ジョー・ライト監督と組んだキーラ・ナイトレイ。コスチューム・プレイが似合う。現代モノは『ベッカムに恋して』と『ロンドン・ブルバード』しか見てない。『つぐない』はほぼ現代か(笑) キリッと男らしい顔立ちだから、女性に自由がなかった時代に自立を求めるような役が似合う。アンナは自立を求めていたわけじゃないけど、自由ではなかった。でも、自由って制約があるから自由なのであって、何でも好き勝手にすることじゃないけど・・・ カレーニンのもとで自由にやってた印象なんだけどな(笑) とにかく本当に美化して演じていないので、わがままとは思わないまでも共感はしにくい。でも、恋に落ちた直後は、あんな若者に情熱的に思われたいという女性の願望を体現していたと思し、恋愛初期の"2人だけの世界"感や、後半の思い通りにならなくてヒステリックになってしまう部分まで"女"であることがきちんと伝わってきた。アンナが死を選ぶことすら美化しないのは、この映画の核となる部分だと思うので、その辺りも良かったと思う。

家の小さな画面の古いVAIOちゃんでは、風景やセット、衣装などの美しさをきちんと映し出せていないと思うけれど、それでも美しいと思うシーンがたくさんあった。カレーニン邸の重厚な内装や暗い感じ、一転して明るい太陽の下のピクニック。前述したけどモネの"日傘をさす女"など絵画モチーフや、ミュージカル風なシーンも満載。アカデミー賞衣装デザイン賞を受賞した衣装も素敵。バレンシアガやディオールのデザイン画や写真を参考にしたそうで、1870年代のラインのスカートに、ボディスには1950年代のテイストを取り入れたのだそう。衣装を担当したのは『プライドと偏見』『つぐない』のジャクリーン・デュラン。ロシアが舞台だけど撮影のほとんどは前述したとおり英国内のスタジオで、ロケもほぼ英国内で行われているらしい。ヴロンスキーのアパートメントはテムズ川沿いの17世紀の邸宅ハム・ハウス。カレーニンのサマーハウスはハートフォードシャーのハットフィールド・ハウス。ニコライ邸はイーストロンドンのミラーズ・ハウスなど。そのまま撮影に使えちゃう邸宅がゴロゴロしているイギリス。いいなぁ、行きたいな・・・ とにかく画にはこだわったようで、プリンセス・ベッツィのヘアスタイルとドレスは芸者からヒントを得ているとか(笑)

いわゆる悲恋モノに酔いしれたいと思って見るとダメかも でも、これも文芸大作の解釈の一つであることは間違いないわけで・・・ お芝居とかミュージカルとか好きな人は好きだと思う。個人的には好き!

『アンナ・カレーニナ』Official site


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする