毎度のGoogleのロゴがこんなことに!
ファン・マヌエル・ファンジオ生誕105周年
すみません どなたでしょう?
毎度のWikipediaによりますと・・・
ファン・マヌエル・ファンジオ・デラモ(Juan Manuel Fangio Déramo)は、
アルゼンチンのレーシングカー・ドライバーである。
F1において5回のワールドチャンピオンに輝いているが、
これは2003年にミハエル・シューマッハに破られるまで、
46年間も史上最多記録を誇っていた。
ニックネームはエル・チュエコ(スペイン語で「がに股」の意味)。
とのことで・・・
1952年はシーズン前のモンツァのレースでクラッシュし、頸部を骨折し1年間欠場する。
一時は心臓も停止し再起不能とも言われたが、1953年にはマセラティから復帰を果たす。
最終戦イタリアグランプリでは、2年間無敗を続けたフェラーリを止める復活勝利を挙げた。
などということがありつつ・・・
1955年のル・マン24時間レースでの大事故を受けて
メルセデスがわずか2シーズンで撤退するまでの12レース中、
ファンジオは8勝を獲得し、2年連続ワールドチャンピオンとなった。
となりつつ・・・
1958年はマセラティがワークス活動を休止し、ファンジオは2戦のみに出場。
フランスグランプリを終えた後、47歳でF1からの引退を表明した。
とのことで、
その紳士的な人柄でライバルや後輩から尊敬を集めていた。
偉大な記録が更新されても、ドライバーの規範としてファンジオは根強く支持されており、
F1の歴代ベストドライバーという評価もなされている。
そしてなんと!
1958年2月、ファンジオはノンタイトル戦のキューバグランプリに出場するため
フィデル・カストロ指揮下の「7月26日運動」のメンバーにより、
宿泊先のホテルでピストルを突きつけられ、車で連れ去られた。
誘拐されてしまったそうなのだけど・・・
隠れ家での滞在中、実行犯たちはファンジオの人柄に魅了され、
ファンジオの方もストックホルム症候群のような連帯感を抱くことになった。
キューバ革命の樹立を経て、ファンジオが亡くなるまで両者の親交は続いたという。
( ゚д゚)ホゥ
そして・・・
「アルゼンチンの英雄」として多大なる敬愛を受けていたファンジオは、
国葬という形で手厚く葬られた。
とのこと
このロゴ、アメコミみたいでカワイイ
検索画面のロゴはこんな感じ
¡Feliz cumpleaños!