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【Googleのロゴ】こどもの日 2017

2017-05-05 01:02:08 | Google's logo

毎度のGoogleのロゴがこんなことに!



こどもの日 2017

もちろん知ってるけど、毎度のWikipediaが・・・ ない

去年もなかったっけ? あれ?(o゚ェ゚o)


内閣府の国民の祝日についてというページによりますと・・・


こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する。

とのこと。

なるほど母に感謝する日でもあるんだね!

なるほど~


検索画面のロゴはこんな感じ


よいこどもの日を~

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【art】「ミュシャ展」

2017-05-05 00:59:40 | art

🎨【art】「ミュシャ展」🎨

 

 

ミュシャは大好きで企画展があると必ず行っている。そんなミュシャの作品の中でいつか見たいと思っていた「スラヴ叙事詩」 その作品の大きさから日本で見るのは無理だと思っていた。それがなんと!世界で初めて全20点一挙展示されるとのことで、大喜びで前売り購入。早く見たいと思う反面、じっくり見たいので行く時期を迷ってた。平日だけどGW期間ということで20時まで開館している5月2日、会社帰りに行ってきた!

 

「スラヴ叙事詩」以外にも素晴らしい展示があったのだけど、やっぱりメインは「スラヴ叙事詩」しかも5点のみ撮影も可能だったので、その辺りも含めて感想Tweetしておいた。なので、それに沿って「スラヴ叙事詩」を中心に書いていきたいと思う。その他の作品については特に気になった数点について書いておく。

  

 

 

 

 

 

1895年のクリスマス・シーズン。女優サラ・ベルナールが主演舞台のポスターを発注しようとしたところ、主だった画家が休暇中だったため、印刷所で働いていたアルフォンス・ミュシャ(Wikipedia)に制作を依頼し出来上がったのが「ジスモンダ」。このポスターがパリの街に貼り出されると大人気となり、アール・ヌーヴォーの代名詞の1人となったことはあまりに有名。

 

そんなミュシャが晩年16年の歳月をかけて制作したのが「スラヴ叙事詩」(Wikipedia) 会場内で上映されていた動画によると、1900年のパリ万博でボスニア・ヘルツェゴビナ館の内装を依頼されたことがミュシャの転機となったのだそう。取材のためボスニア・ヘルツェゴビナを訪れたミュシャは、そこでスラヴ民族の苦難を知り、残りの人生をスラヴ民族のために捧げると誓ったのだそう。それから16年をかけて「スラヴ叙事詩」を描いたわけなのだけど、これがナチスの知るところとなり愛国心を煽るとして逮捕されてしまう。激しい尋問にあい、釈放されたものの体調を崩し4か月後亡くなってしまう。そうこれはミュシャ渾身の作品。でも、長い間日の目を見なかった作品でもある。

 

会場入るといきなり「スラヴ叙事詩」の展示。もっともったいぶって展示しているのかと思ったら、その大胆さにビックリ! 会場の都合でミュシャの意図した順番どおりの展示ではなかったようだけれど、全20点一気に見れる圧巻の展示。ホントに圧巻だった! とにかくまずはその大きさにビックリ。イヤ大きいのは知ってたけど、ホントに大きい。これは実際見ないと分からない。

 

スラヴ民族の歩みを描いた作品なので、中には戦争などの悲劇も描かれている。凄惨な場面もあるけれど、テンペラ画の淡い色調と、その美しい筆致で重くなり過ぎずに見ることが出来る。でも、美しいからこそ心に響くものがある。全て紹介したいところだけど、さすがに無理なので気になった数点について感想を書く。

 

スラヴ叙事詩

 

「原故郷のスラヴ民族」

 

今回一番好きだった作品。どこに惹かれたのか説明するの難しいのだけど、会場入って最初の作品でインパクトがあったせいかもしれない。一度全展示を見てから戻って来て再度20点見直したけどやっぱりこの作品に惹かれた。多分、紫がかった空の色と星の美しさ、構図の大胆さ、そしてこちらを見つめている2人の人物に惹きつけられたのかも。ちなみにこの2人の人物はスラヴの祖先を表しているそうで、右上で両腕を広げているのは多神教の神で戦争の終結を祈っているのだそう、神の左の男性は戦い、左の女性は平和を表しているとのこと。

 

「ルヤーナ島でのスヴァントヴィート祭」

 

スラヴ民族はルヤーナ島に神殿を築き収穫を祝ったそうで、スヴァントヴィートというのは古代スラヴの神だそう。この作品自体というよりは、中央でこちらを見つめている赤ちゃんを抱いた女性が印象的で、次にあげる作品と呼応しているように感じたから。どちらも赤ちゃんを抱いた女性なのだけれど、その印象が対照的だった。それは赤ちゃんの存在で、今作の赤ちゃんは生きていると感じた。で・・・

 

「ヴォドニャヌイ近郊のペトル・ヘルチツキー」

 

ペトル・ヘルチツキーというのは宗教改革に影響を与えた思想家だそう。これはフス派によって攻撃されたヴォドニャヌイの様子を描いた作品とのこと。中央のおそらくペトル・ヘルチツキーとみられる人物の足元に座る女性が、「ルヤーナ島でのスヴァントヴィート祭」の女性と対照的に感じた人物。この赤ちゃんは亡くなっているのだと思った。女性の表情や赤ちゃんの体の力の入り具合などで、それを感じさせるのがスゴイ。って勝手にそう思ってるだけかもしれないけれど・・・(o´ェ`o)ゞ

 

「スラヴ式典礼の導入」

 

キリスト教の聖書はラテン語で書かれていたため、先王のロスチラスがスラヴ語への翻訳を導入したのだそう。これには反対も多かったそうで、ローマへ行き教皇の許可が必要だったため、勅書が読み上げられているところが描かれている。中央上に描かれているのが先王ロスチラスなのだけど、これカンヴァスからはみ出して描かれているため、画像では顔が切れちゃってる💦 右上の4人は皇帝たち、左下で輪を持つ人物は団結を表しているのだそう。

 

 

 

 

「イヴァンチツェの兄弟団学校」 

 

 

 

 

今回5点が撮影可能という夢のような企画! 何故この5点が選ばれたのかは不明なのだけど、こうしてイメージに残せるのはうれしい😍 ただまぁ、人が多いので誰も入れずに撮るのが大変なうえに、作品が大きいので全体を入れるのはかなり難しい💦 

 

1457年に設立されたチェコ兄弟団は、イヴァンチツェに学校を創設し、聖書をチェコ語に翻訳したのだそう。このイヴァンチツェはミュシャの故郷でもある。左下に描かれている青年と老人は、老人のために青年が聖書を読んでいるところなのだそう。

 

 

「ロシアの農奴制廃止」 

 

 

 

 

1861年皇帝アレクサンドル2世は農奴解放令を布告。中央の人物が布告を読み上げる役人だそう。これバックには聖ワシリー教会が描かれているし、チラリとクレムリンも描かれているので赤の広場なんだね。赤の広場は行ったことあるけどホントに広かった!

 

 

「聖アトス山」 

 

 

アトス山は正教会の聖地で、南スラヴ人にとっても重要な場所なのだそう。ミュシャは今作を描くにあたり教会を再訪したとのこと。 

 

 

「スラヴ菩提樹の下でおこなわれるオムラジナ会の誓い」 

 

モデルはミュシャの娘ヤロスラヴァ 

 

 スラヴの女神スラヴィア

 

モデルはミュシャの息子イージー 

 

近代に入るとヨーロッパ諸国で民族運動が盛り上がり、チェコでもまた1890年代にオムラディーナと呼ばれる若者たちによる民族運動団体が結成された。作中では若者たちが輪になってスラヴの女神スラヴィアに誓いを立てる場面が描かれている。とのことで、画像下に注釈入れたけど、娘ヤロスラヴァと息子イージーが描かれている。ヤロスラヴァのこの構図は花冠や靴などを変えて、1928年ヴェレトゥルジュニー宮殿で開かれた「スラヴ叙事詩」展のポスターになっている。このポスターのポストカード買ってきた

 

 

「スラヴ民族の賛歌」 

 

 

 

 

「スラヴ叙事詩」最後の作品で、スラヴ民族の独立を祝う作品。テーマごとに色分けがされており、右下青の部分は神話時代、上方赤は中世、暗い影の部分は敵対勢力、中央黄色はスラヴ民族の新しい時代の始まりを表しているとのこと。両腕を広げた青年はスラヴの自由と独立を表しており、後ろにイエス・キリストを描いたことで、神が見守っていることを表しているとのこと。なるほど希望に満ちたエネルギッシュな作品だった。


5月5日放送の「ぶらぶら美術・博物館」によると、ミュシャは1908年アメリカでボストン交響楽団のコンサートでスメタナの「わが祖国」を聴き、大変感銘を受けたのだそう。やっぱり!だから見ている間脳内で自動再生されてたんだ! 

 

 その他の作品

 

「ウミロフ・ミラー」

 

ミュシャのパトロンでもあったロスチャイルド男爵夫人の音楽教師だったボザ・ウミロフの自宅の暖炉の装飾だそう。この真ん中の部分がミラーになっている。これ270×338cmとかなり大きい。どんな状態の暖炉なのかサッパリ想像できない💦 アール・ヌーヴォーで素敵な内装だったのでしょう。

 

「スラヴの連帯」

 

プラハ市民会館の装飾を担当。その習作と思われる作品が12点。これは天井画かな? スラヴ民族の連帯を表しているとのこと。

 

「ボスニア・ヘルツェゴビナ館 壁画の下絵」

 

前述したとおり1900年に開かれたパリ万博でこの仕事を受けたことが転機となり、「スラヴ叙事詩」を描き、それがもとで命を落とすことになった。そう考えると世に出るきっかけとなった「ジスモンダ」と共に重要な作品。そしてこれは素敵✨

 

とにかく「スラヴ叙事詩」を見るという長年の夢がかなった素敵な瞬間だった。全20作品を一挙に展示するという圧巻の展示で、その後のミュシャの流れも分かる素晴らしい展覧会だった。「スラヴ叙事詩」をもう一度見たい人のために、近道で戻れる構造になっているのも有難かった!

 

ちょこっとアドバイス

 

 

「スラヴ叙事詩」は大きいものは8m超! とにかく大きいので上の方とか細かい部分を見るのは無理。なので、しっかり見たい方は単眼鏡や双眼鏡の持参がオススメ。自身はこの情報を得ていたので単眼鏡を購入した(記事はコチラ)けど、これはホントに正解だった。あとTweetでは管内ってなっちゃってるけど、館内は作品保護のため寒い。自身は足が冷えてしまって辛かったので、女性は防寒に注意!

 

5月2日はGWだけど平日だったためか18時頃着いたけどそんなに混んでなかった。どの作品も少し並べば見れる感じ。一通り見てから「スラヴ叙事詩」に戻ったのが19時頃。その頃にはほぼ人がいない状態でじっくり見れた。GW中は20時まで開館しているし、毎週金曜日も20時まで。いつもこんな感じなのかは不明だけど、夜行くのはオススメかも。ただし、物品購入にも並ぶので、最低でも2時間の余裕は持ちたいかも。

 

とにかく素晴らしいので是非是非見て! 何でもそうだけれど、見れる機会があるなら本物を見るべき!!

 

🎨ミュシャ展:2017年3月8日~6月5日 国立新美術館

ミュシャ展

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