毎度のGoogleのロゴがこんなことに!
ゲルダ・タロー生誕106周年
知ってる! 写真家で、ロバート・キャパのパートナーだった人だよね?
というか、むしろキャパをプロデュースした人だったはず・・・
一応、毎度のWikipediaから引用しておく!
ゲルダ・タロー(Gerda Taro、1910年8月1日 – 1937年7月26日)は、
本名はゲルタ・ポホリレ(Gerta Pohorylle)。
ロバート・キャパの公私に渡るパートナーであった。
キャパの名は当初は架空の写真家名だったが、ゲルダはその作品の共同撮影者だった。
1910年、ゲルダはシュトゥットガルトのユダヤ系ポーランド人の中流家庭に生まれた。
1929年、ナチスの台頭に先立ち、一家はライプツィヒに引っ越した。
彼女はナチスに反対して左翼組織に参加し、
1933年には弟たちが反ナチスのビラを撒いた事で逮捕拘留された。
ゲルダは釈放されたものの、結局一家はドイツを去ることを強いられた。
彼女はその後二度と家族に会うことはなかった。
1935年、彼女はハンガリー出身で同じくユダヤ系の写真家、
アンドレ・フリードマンに出会い、彼の個人的な助手となり撮影技術を学んだ。
彼女は、Alliance Photo社で写真編集者として働き始めた。
彼らは恋に落ち、公私にわたるパートナーとなる。
1936年、彼女は初めて報道写真家の資格を得た。
そこで彼女とフリードマンは計画を練った。
彼らはニュース写真を撮影したが、
それは架空の裕福な出身のアメリカ人写真家ロバート・キャパ
(名前はフランク・キャプラにちなんだとされる)の作品として売られた。
これは、当時のヨーロッパで強まっていた政治的狭量を乗り越えるには便利で、
アメリカ市場で良い収入を得るにはふさわしい名前であったためである。
この画策の秘匿は長くは続かなかったが、
アンドレは自分の名前として「ロバート・キャパ」を使い続けた。
ゲルダは、仕事用の名前として、
アンドレと親交のあった岡本太郎にちなんで、ゲルダ・タローを名乗った。
彼らは、1930年代のフランス人民戦線政権成立の出来事を共に取材した。
彼らの初期のスペイン内戦の写真は、タローは正方形に写るローライを、
キャパは長方形に写るライカを使用したことでどちらが撮影者が判別できた。
しかし、1937年には時々キャパ&タローの名でゲルダも135フィルムで撮影したため、
長年にわたってどれが彼女の作品であるかの特定が困難な状況が続いた。
ゲルダはキャパのプロポーズを断り、独立し始めた。
また、ヨーロッパの知識人(アーネスト・ヘミングウェイ、ジョージ・オーウェル)の
フランスの左派系新聞「ス・ソワール(Ce Soir)」は、彼女の作品のみで契約した。
そして彼女は撮影した写真をタローの名で送り出すようになった。
1937年7月25日、タローは国際旅団の政治委員であったカナダの作家、
テッド・アランと共にスペイン内戦のブルネテの戦いの取材に向かったが、
ナショナリスト軍の攻勢が激しくなり、撤退する共和国軍の混乱に巻き込まれてしまった。
後退する道の途中で、負傷兵を運ぶ将官用のオープンカーを見つけ、
同乗しようとステップに足をかけた際に、暴走した共和国軍の戦車が衝突し、
タローは轢かれ重傷を負った。
直ちに共和国軍の野戦病院に担ぎ込まれ、緊急手術を受けたものの、翌7月26日に死亡した。
26歳没。
最後にタローが撮影していた写真や8ミリフィルムは失われてしまったため、
どのような取材をしたかは分かっていない。
キャパは彼女の死を知るとショックを受け、何日も自宅で泣き伏せたという。
とのことで😌
以前、NHKの番組でゲルダのことを知り、カッコいい女性だと感動した。
なので、ちょっと引用多め😀
検索画面のロゴはこんな感じ
Alles Gute zum Geburtstag!