2020.05.04 『ルース・エドガー』オンライン試写
新型コロナウィルスによる緊急事態宣言を受け映画館は閉館。試写会も軒並み中止で当然ながら募集も行っていなかった。そんな中、映画サイトcocoでオンライン試写会の募集が! そして当選✨
ネタバレありです! 結末にも触れています!
「スポーツ万能で頭脳明晰、スピーチも得意な優等生ルース・エドガー。ある日、養母のエイミーは歴史教師のハリエットから呼び出される。ルースが提出した課題のレポートに危険思想が含まれているというのだった。ルースには壮絶な過去があり・・・」という感じの話。予備知識を全く入れずに鑑賞したので、ルースという名前から女性は主人公だと思っていたので、ポスターからオクタビア・スペンサーもしくはナオミ・ワッツが主役だと思っていた。実はルースというのはアフリカ系男子高校生の名前であり、その由来やそう名付けられた経緯も重要な意味があった。人種問題、性差別、社会問題など様々な問題を扱っていて、見ている側にも問いかけて来る社会派作品でありながら、サスペンスでもあり見ていてズッシリ重くなり過ぎず、飽きずに見ることが出来る。とても考えさせられる良い作品だった。
ナイジェリアにルーツを持つジュリアス・オナーが監督・製作・脚本を務めた。スパイクリー総指揮のスリラー作品で長編デビューしたそうだけれど、まだ監督作品としては多くないのかな? Netfilxの『クローバーフィールド・パラドックス』が代表作っぽいけど、Neflix入れてないから見れていない😢
作品についてWikipediaから引用しておく😌 『ルース・エドガー』(原題:Luce)は2019年にアメリカ合衆国で公開されたドラマ映画である。監督はジュリアス・オナー、主演はケルヴィン・ハリソン・Jrが務めた。本作はJ・C・リーの戯曲『Luce』を原作ととしている。
2017年11月9日、ナオミ・ワッツ、オクタヴィア・スペンサー、ケルヴィン・ハリソン・Jr、ティム・ロスがジュリアス・オナー監督の新作映画に出演するとの報道があった。12月12日、ブライアン・ブラッドリーがキャスト入りした。
2019年1月27日、本作はサンダンス映画祭でプレミア上映された。30日、ネオンとトピック・スタジオズが本作の全米配給権を獲得したと報じられた。6月4日、本作のオフィシャル・トレイラーが公開された。2019年8月2日、本作は全米5館で限定公開され、公開初週末に13万2987ドル(1館当たり2万6597ドル)を稼ぎ出し、週末興行収入ランキング初登場20位となった。
本作は批評家から絶賛されている。映画批評集積サイトのRotten Tomatoesには76件のレビューがあり、批評家支持率は92%、平均点は10点満点で7.95点となっている。また、Metacriticには27件のレビューがあり、加重平均値は73/100となっている。とのこと😌
アフリカ系の青年ルース・エドガー(ケルヴィン・ハリソン.Jr)が壇上でスピーチしている。内容自体は真面目なものだけれど、時々笑いも交えて人を引き込むスピーチ。養父母のピーター(ティム・ロス)とエイミー(ナオミ・ワッツ)はうれしさを隠せない。しかしアフリカ系の歴史教師ハリエット・ウィルソン(オクタヴィア・スペンサー)は複雑な表情。
アフターパーティーでも養父母に対してルースをホメる発言をするものの、何故か表情は渋めで心からの賛辞とは言えない感じ。冒頭から何かあると思わせる。ハリエットの態度に不信感を覚えるけど、ルースの絵にかいたような優等生ぶりにもあざとさを感じる。そして、おそらくそれは狙い。
帰りの車の中で、ルースはハリエットの悪口を言う。具体的なセリフは忘れてしまったけれど、ピーターも同調して中年女性を揶揄するような内容に発展。さすがにエイミーは同意することはないし、どちらかと言えばふざけてエスカレートしていく2人を諫めるような部分はあるけれど、ハッキリと否定する感じでもなく、女性としては見ていて嫌な気持ちになる。おそらくこれも狙い。
文章だと分かりにくいけど、ナオミ・ワッツとティム・ロスが演じているのだから養父母は白人。ルースの出自については後にある程度説明があるけど、このシーンで両親であると紹介された時点で、彼らとルースの関係が養子縁組であることが分かる。そして、おそらくこの人種間のことを描きたいのだなと思いながら見ている。
順番が入り繰るけど先にまとめて書いておく。ピーターとエイミーは再婚らしい。エイミーに結婚歴があったのか不明だけど、ピーターには前妻がいる。前妻も再婚したらしく出産し、ピーターとエイミーがお祝いパーティーに出席するシーンがある。2人が車に乗るシーンで何度か赤ちゃん用のベビーシート?が映されたので、2人は子供を亡くしたか流産してしまったのかもしれない。その辺り語られたかもしれないけれど覚えていない。
子どもを望んでいたのにできなかった、もしくは失ってしまったのだとしたら前妻の出産パーティーへの招待は無神経だし、エイミーを連れて出席するピーターもどうかと思う。この辺りの夫婦の感じも描きたい部分だったりするのかも🤔
ちなみにエイミーは小児科医。この設定が特別生かされていたようにも思わなかったけれど、エイミーのみハッキリわかる形で職業を提示したことは何かしらの意図があるのでしょう。事実、エドガー家は比較的余裕のある暮らしをしている様子。
ルースにつていも触れておく。アフリカのエリトリア(Wikipedia)出身。紛争が続きルースも少年兵として戦っていた。壮絶な体験からなかなか心を開かなかったとエイミーが語るシーンがある。エイミーの語り口にはルースを心配するものであり、特に自分たちの苦労自慢をしているようではないし、今はこんなに立派になったという前振りであるとは思うけれど、本人の前で言うのはどうなのだろう。
おそらく、この会話はルースについて聞かれるたびに繰り返されてきたのだと思う。なんとなく会話のパターンのようなものを感じた。このシーンを見ている時には何か引っかかるものがを感じたくらいだったのだけど、最後まで見終わって作品を通して言いたいことが分かると、この会話自体がとても示唆的であったことが分かる。
さて、それぞれ順番が入り繰るけれど、エドガー一家とハリエット以外に重要な人物が3人いるのでまとめて書いておく😌 1人はクラスメイトのアフリカ系の男子高生デショーン(アストロ)で、ハリエットに勝手にロッカーを開けれてマリファナを見つけられたことにより、スポーツ奨学金を失い部活を止めてしまった。その事が原因なのかもともとそうなのかは不明だけど、授業などもなげやりな態度でハリエットにも反抗的。本人が悪いとはいえハリエットのやり方も正しいと言い切れないのは事実で、その辺り不満に思う気持ちも分からなくもない。
もう1人はハリエットの妹ローズマリー(マーシャ・ステファニー・ブレイク)で、精神的に問題を抱えているらしく、普段は施設のような所にいるのかな? ハリエットが迎えに行っていたので、そう思ったのだけど違ったかな? この人物は後にちょっとした騒動を起こす。この騒動がなくてもローズマリーがハリエットにとって、微妙な存在なのは分かるけれど、それによりハリエットの立場が悪くなるという効果はあったのかな🤔
最後の1人がとても重要な役割を果たす。こちらもクラスメイトのステファニー・キム(アンドレア・バング)で、名前からも分かる通りアジア系。どうやらルースの元恋人らしく、ルースの方はそれほどでもないようだけれど、ステファニーの方はルースに未練たっぷりの様子。後にエイミーは彼女から衝撃的な話を聞き、さらにルースとの衝撃的な場面を目撃することになる。そして、ある出来事に重要な役割を果たす。
さて、話を戻す。スピーチの翌日、エイミーはハリエットに呼び出される。歴史上の人物になり切ってレポートを書くという課題を出したところ、ルースが選んだのはフランツ・ファノンという人物だった。この人物について知らなかったので、Wikipediaで調べてみたところ、植民地主義を批判し、アルジェリア独立運動で指導的役割を果たした思想家・精神科医・革命家。とのこと。Wikipediaでは特に危険人物ようには書かれていないけれど、コトバンクによると、植民地支配という暴力に対して、暴力のみが人間を解放する手段であることを主張したらしい。なるほど。とにかく、ハリエットとしてはファノンを取り上げたことは危険思想であると考えているらしい。
エイミーはルースの生い立ちは辛いものだったけれど、現在は危険な兆候はないと言うが、ハリエットはルースのロッカーを調べたところ、中から危険な花火が見つかったと言う。この花火はこの後、エドガー家に大きな影を落とす存在となり、後に事件を起こす。ただ、この時点では見ている側としては花火が何故そんなに問題なのかピンとこない。勝手にロッカーを開けたことを抗議するも、ハリエットは家庭でよく話し合うようにと花火の入った紙袋と、ルースのレポートを手渡す。
家に帰りピーターに事情を説明すると、ピーターはそんなに重く捉えていないようで、ルースに聞いてみようと言う。でも、ようやくルースとの関係が築けたと考えているエイミーは波風立てたくないからと、レポートをキッチンの棚に、花火をリビングの棚に隠してしまう。このエイミーの対応が正しいとは思わないけど、ルースとのこれまでの道のりがそれほど大変だったのだろうとは思った。
ピーターの反応も見ている側をイラっとさせるものがあり、おそらくこれはいわゆる子育ての大部分をエイミーが担ったという描写なのかなと思った。ピーターも全く関わっていないわけではないと思うけど、物理的にも精神的にも比重が圧倒的に違うのかなと思う。ピーターはどこか他人事というか無責任な感じがした。そして、それはたぶん狙い。
タイミングやきっかけは忘れてしまったけれど、ピーターとルースがキッチンで話をして、その流れでルースが棚を開けてレポートを見つけてしまう。ピーターがどんな対応をしたのか全く覚えていないのだけど、レポートが返却されたこと、そしてその理由についてルースは理解していた。その後、自室に戻ったルースはSNSでハリエットについて調べ、ローズマリーの存在を知る。ちょっと不気味😱
こちらも、どのタイミングで差し込まれたのか忘れてしまったけれど、ルースがエイミーが隠した花火を見つけるシーンがある。これはピーターとエイミーと3人で話している流れで、エイミーが何かを隠す時はいつもここだと言いながら見つけるため、3人にとっては笑える場面という感じになっている。でも、見ている側には何か不審なものが残る。
翌日の放課後、ルースはハリエットに呼び出される。レポートの件の意図についてハリエットがたずねると、あれはファノンの思想だと言う。確かに課題はテーマとなる人物になり切ってレポートを書くというものだから、ファノンのレポートとして書かれた内容はルースが理解したファノンの思想ということになる。そして見ている側としてはハリエットがルースのレポートの"何に"危険思想を感じたのか分からない。ファノンを選んだこと自体が危険だと思ったのか、レポートがファノンの思想だとして、それを"理解"できたことが危険なのか。おそらく"理解出来たもの"として書いてしまう感覚が危険なのかなと思うのだけど違うかな?🤔
ルースの口調はふざけているようでもあるし、軽くハリエットをからかっているようにも見えるけれど、どこか本心を隠しているような、ファノンを選んだことから危険思想の持ち主であると思われることまで計算しているようにも見える。そういう部分を感じているのか、ハリエットはルースに恐怖を感じたらしく、ピーターに連絡する。
ピーターはエイミーにハリエットから連絡があったことを話す。エイミーはハリエットに不信感を持ち、真実を言わないことは嘘とは違うと言う。ピーターはそれに同意せずルースを呼び出す。ルースはハリエットを脅したつもりはないし、花火はロッカーを共有している友人の物だと主張。ピーターはルースの言葉に納得できないものを感じ語気を強める。エイミーが取りなすと、ルースは努力はしているが皆が求めるような完璧な人間にはなれないと言う。この時点で、見ている側にはルースの本質は分かっていないけれど、この言葉は真実なのかなと思う。そして、それが彼を苦しめているのであろうことも分かる。
ハリエットはローズマリーを連れてスーパーに買い物に行く。ふと目を離すとローズマリーがいなくなっており、慌てて探すとルースと立ち話していた。偶然なのか意図的なのか見ている側も少し恐怖を感じる😱 ルースはローズマリーの心をつかんだようで、今度スピーチの公開練習をするから見に来ないかと誘う。ローズマリーは喜び、ハリエットは不審に思いながらも認める。ルースの狙いは何なのか? 見ている側も得体の知れなさをじんわりと感じる。
一方、エイミーはステファニーと会っていた。これ、エイミーが呼び出したんだっけ? ルースがエイミーにステファニーが何か酷い目に遭った的なことを話していたような気がするので、それで彼女に話を聞くことにしたような?🤔 とにかく、このステファニーからデショーンの件と、ステファニー本人について衝撃的な話を聞く。あるパーティーで皆でドラッグをやっており、最初はふざけてステファニーが男子生徒たちの膝の上に座らされていた。そのうちエスカレートして行き、彼女は男子生徒たちから体を触られたというのだった。ハッキリと集団でレイプされたと言っていなかったように思うけれど、いわゆる性行為を強要されていなくても、女性にとって十分辛く恐怖体験であることは間違いない。
ルースはその行為には加わっていなかったと思う。この件がどの程度学校に広まったのか言及していたか忘れてしまったし、ハリエットがそのことを知っていたのかも曖昧になってしまったけれど、とにかくハリエットがステファニーについて自分を押し殺すところがあり、それがアジア人女性のステレオタイプ的なものにしてしまっていると皆の前で言うシーがあった。ルースはこのことと、デショーンのことでハリエットに恨みのような感情を持っているらしい。
翌日、ルースは校長やハリエットを含む教師や生徒たちの前でスピーチの練習をする。ローズマリーの姿もありとても感銘を受けた様子。校長もご満悦だけどハリエットは渋い表情。ルースはハリエットに意見を求めると、ホメながらもアドバイスをする。教えを乞うという下手に出ながら、どこかハリエットのボロを出そうとしているように感じる態度。あざとい。
別の日だったのかな? 授業中ハリエットは校長から緊急に呼び出される。向かったのは学校の入り口で、ローズマリーがハリエットに対する暴言を吐きながら泣き叫んでいた。その様子は明らかに情緒不安定で、ハリエットが必死になだめようとすると興奮して全裸になってしまう。生徒たちはスマホでその様子を撮影している。ルースもその場にいる。駆けつけた警官は、乱暴に扱わないで欲しいというハリエットの願いも聞かず、スタンガンを使ってローズマリーを失神させ運んで行く。体を隠してほしいという言葉もむなしく届かない。
警官のローズマリーの扱いは、彼女が白人女性だったらもう少し違ったのだろうか? 個人的にはとても事務的な対応に感じて、そこに心がないとは思ったけれど、それが黒人女性だったからかは分からない。ただ、ハリエットの願いは全く届かなかったのは事実で、おそらくハリエットはそれが黒人だからだろうと思っているのだと思う。映画の中でハリエットが特に厳しく対応していたのがルース、デショーン、そしてステファニーで、それぞれ非白人というのがそこにつながって来る。
この騒動は生徒たちによりネット上にアップされてしまう。ルースがその動画をエイミーとピーターに見せて、ハリエットに対して同情的なことを言うけれど、見ている側はなんとなく心がこもっていないように感じてしまう。ルースはやはり優等生を演じているのではないか。
この騒動はハリエットにとって辛いことだっただろうし、立場を悪くはしたと思うけれど、それで職を失うなどの直接的な打撃を与えたわけではない。でも、ハリエットの抱えている問題を描くことで、彼女の思考を際立たせているということなのかな🤔 ルースがローズマリーに何かを吹き込んで騒動を起こしたという線も考えられるけれど、この件に関してはそこまでの示唆はなかったように思う。でも、見ている側としては少しよぎる。その辺りが絶妙だった。
そんな中、ハリエットの家に彼女を侮辱する落書きがされてしまう。この件は結局誰が犯人だったのか不明なまま終わる。デショーンかもしれないし、ローズマリーかもしれないし、ハリエットが疑ったようにルースかもしれない。もしかしたら全く別の誰かかも? 結構、こういう放りっぱなしというか、あえて解明しないまま終わるエピソードが多い。そういうのがダメと感じる人もいるかも? 個人的にはイヤではなかったけど、もう少し明らかにしてくれても良かったのではと思う部分もあった。
そんな中、ステファニーがハリエットの家を訪ねて来る。ルースの事で話がしたいとのこと。ここで場面が切り替わってしまうので、ステファニーがハリエットに具体的にどんな話をしたのかは見ている側には明かされない。後にハリエットが話すシーンがあるけれど、その内容の真偽だけでなく、本当にステファニーが話したのかどうかも謎のまま。これはあえてしていることで、見ている側に問題を投げかけているのかなと思う。個人的にはハリエットは嘘をついていないように感じた。
翌日、ハリエットは校長にルースに家に落書きされたこと、問題行動が多いことを訴える。校長は優等生のルースがそんなことをするわけがないと取り合わない。すると、ハリエットはルースに暴力を受けたという証言があると言う。校長は渋々ながらピーターに連絡し学校に来てくれるように言う。ピーターは学校側の態度に激怒するけれど、仕方なく従う。
学校にやって来たピーターとエイミーを校長が迎えるけれど、かなり腰が低い。ピーターとエイミーは大口寄付とかしているのかな? この校長は悪い人ではないと思うけれど、ハリエットとは逆の意味で人にレッテル貼りをする人として登場しているのかなと思う。ルースには学校と自分のために優等生であって欲しいというような。
応接室のような場所で対峙するピーター、エイミー、校長、そしてハリエット。気まずい空気が流れる中、ルースが入って来る。明るく対応するルースの態度はまさに非の打ち所がなく、逆に見ている側には演技に見えたりもする。ちょっとあざとい。この辺りの脚本、演出、そしてケルヴィン・ハリソン.Jrの演技が素晴らしい。
ハリエットがルースとの間に気まずい空気が流れているため、問題を解決したいという主旨のことを語り出す。ルースは今はいろいろ忙しくて余裕をなくしているため、ハリエットに対して失礼な態度を取ったならば謝ると言う。するとハリエットは家に落書きされたことを話し、昨夜どこにいたのかルースに質問する。息子を犯人呼ばわりするならば弁護士を同席させると激怒するピーター。
面倒を避けたい校長はルースに話してくれるよう促すと、最初は躊躇していたルースが友人の家で数人の友人たちとタバコ? マリファナ? を吸っている動画を見せる。そこにはステファニーも映っており、ハリエットの顔色が変わる。校長に大目に見るように言われたハリエットは慌てて席を立つ。証言を約束したステファニーは姿を消していた。
この動画ってハッキリと証拠になるような時間って入ってたっけ? これじゃ証拠にならないんじゃと思った気がするのだけど?🤔
話を戻す! 席に戻ったハリエットは動揺を隠せない。ルースは違法な花火を所持していたと言い立てるも、あれはロッカーをシェアしていた友人のもので、以後はロッカーをシェアしないようにすると言う。この時のルースの態度も絶妙で、見ている側もルースを信じ派、疑う派と別れるのかなと思う。個人的には疑う派だった。
校長が花火がどこにあるのかたずねると、ハリエットはエイミーに渡したと言う。するとエイミーはそんは花火は知らないと言う。驚いてエイミーを見るピーター。見ている側もビックリ!😲 しかし、なんとピーターもエイミーに同調してしまう。そして、エイミーが嘘をついていることを知っているのに何も言わないルース。養父母の気持ちを汲んだという見方も出来るけれど、間違っていることを正さないのは優等生とは言えないのでは?
当然ながらハリエットは反論するけれど、面倒なことはさっさと終わらせたい校長は聞く耳を持たない。強引に会合を終わらせてしまう。出て行く際にハリエットに優等生的に挨拶するルース。うーん🤔
その後、ハリエットの机の上で花火が爆発、あわや火事というような状況となり、翌日には警察もやって来る。ハリエットは校長に呼び出され解雇を告げられてしまう。ハリエットは花火はルースの仕業だと言うけれど、校長は聞く耳を持たない。この校長もハリエットの自作自演とまでは思っていなかったようだけれど、要するに面倒なことは避けたいということなのかなと思った。
見ている側としては、エイミーが隠した花火をルースが見つけたことを知っているわけだし、ステファニーの件と考え合わせるとハリエットは嵌められたのだと思うのだけれど、おそらくこの校長はその辺り分かっていてもハリエットをクビにしてしまったのではないかと思う。ハリエットは仕事熱心であったのだとは思うけれど、やり過ぎだと感じる人もいる。間違っていないからといって、全てが正しいわけでもない。とはいえ、校長を擁護しているわけでは全くない。
ピーターは花火はルースがやったのではないかと疑う。エイミーが嘘をついてルースを庇ったことも良く思ってはいない。でも、エイミーに家族の側に立って欲しいと言われ従ってしまう。家族の側に立つってどういうことだろう? 偽証することなのだろうか?🤔 あの時、咄嗟に嘘をついたということは、ルースにとって不利であると思ったからで、突き詰めて考えればルースを疑っているということになるのでは?
ルースは花束を持ってハリエット宅を訪ねて来る。ハリエットは追い返そうとするけれど、ルースは勝手に家に入って来る。出て行くように声を荒げるハリエットに、ルースは彼女がデショーンの将来を奪ったと言い、自分たちを型にはめようとしていると責める。この時、確か優等生であるルースを守るためデショーンを切った的なことを言っていたような?🤔 憤るルースにハリエットは、それがアメリカなのだと言う。優等生な黒人でなければアメリカ社会は受け入れないという。だから不良分子であるデショーンを切ったということ。
うーん。黒人差別に関しては非常に長く複雑な歴史があって、それこそ奴隷だった時代から、公民権運動を経てもまだまだ根深いものがあるのは理解している。だからこそハリエットが模範的な黒人を世に送り出し、黒人の立場を高めようと考えるのも分かる。そして、マリファナを所持していたことはデショーンに否があるし、線引きが必要な時もある。ただ、その線引きが個人の主観であったり、その選から漏れた者を切り捨ててしまう行為は、教師がしてはいけないのではないかと思う。
エイミーはハリエットの家から出て来たルースを尾行する。ルースは森の中の小屋に向かう。エイミーが窓から覗くとルースはステファニーとセックスしていた。ステファニーと目が合い、エイミーはショックを受ける。この時のエイミーの心情を説明するようなセリフはない。エイミーは2人が共謀してハリエットを追い出したのだということに気づいたのだとは思う。
家に戻ったエイミーはリビングの棚を探すが花火は見つからない。そこへルースが帰って来て紙袋を差し出す。中には金魚が入っていた。この金魚は何かを象徴していたのかな? 涙を流すルースをエイミーは抱きしめる。エイミーも共犯になったということなのかな。
シーン変わってステージでスピーチをするルース。エイミーがどうしても発音できなかったため、ピーターが新しい名前を考えた。ルースというのは光という意味だ。アメリカで暮らせて幸せだ。という主旨の内容。聴衆は拍手喝采。エイミーは泣いていたんじゃなかったかな? エイミーとピーターは喜んでいたとは思うけれど、冒頭のように手放しで喜んでいたわけではないと思う。
シーン変わってジョギングして来ると家を出るルース。見送るエイミー。幸せな家族に見える。しかし、徐々に速度を上げるルースの表情は険しいものになる。映画はここで終わる。
スピーチの内容については、練習を含めて3回くらい出て来たと思うけれど、最後まで話したのは本番の時だけ。これを何度も繰り返したことと、最後に持って来たことには意味があるのだと思う。ルースの名前を発音できなかったエイミーにも、ならば新しい名前をと提案したピーターにも悪気はない。ただ、実の両親と祖国を失ったルースにとって名前は唯一のアイデンティティ。その名前を正しく発音してもらえないことは、自分を認めてもらえないような気がしただろうし、ましてや変えられてしまったことは、自分を否定されてしまったように感じたのではないか。
繰り返すけれどエイミーとピーターに悪気はないし、当然違法なことをしたわけでもない。2人にしてみれば自分たちで決めたこととはいえ、見ず知らずの子どもの"親"になるわけで、まして相手は紛争地域の兵士だった少年で、手探りのスタートだったと思う。一方のルースは故郷を遠く離れてアメリカに連れてこられ、白人夫婦を両親と思えと言われるのは、やはり大きな戸惑いがあったはず。その時点で、最初に呼びかけるべき名前が発音できなかったこと、その解決方法として名前を変えてしまったことは、本人たちが考えている以上に大きな溝を生んでしまっていたのかもしれない。たとえ本人たちが意識していなかったとしても。
大人は子供が複雑なことは理解できていないと考えがちで、たしかに知識や経験不足からくる理解の浅さはあると思う。でも、だからこそストレートに物事を受けてしまう部分もあるかもしれない。ルースがその時点で自分を否定されたとハッキリ認識したわけではないと思うけれど、名前をきちんと呼ばれず、それを理由に変えられてしまったことは少なからず傷ついたはずで、それがずっと澱のようにわだかまっていたのではないかと思う。
名前のことに拘ってツラツラ書いて来たけど、要するにエイミーとピーターとのルースの関係の根底には、こういう行き違いのようなものがあったのかなと。白人が黒人に対して文化の押しつけなどをすることを指す言い回しがあったと思うのだけど忘れてしまった😣 エイミーとピーターはルースに対して愛情をもって接していたと思うし、幸せになって欲しいと思っていたと思う。ただ、それはやっぱりある程度生活に余裕のある白人の価値観であって、2人の期待に応えるためにはルースは優等生を演じざるを得なかったという部分があったのかもしれない。
ハリエットは黒人全体の地位向上のために、模範的黒人生徒を世に送り出す必要があると考えていた。それも価値観の押しつけで、その考えに反発したルースは爆発してしまい、今まで抱えていた養父母への澱のようなものに気づいてしまったということなのかなと思う。それがラストの表情なのかなと思った。
キャストは豪華。良い人を演じることが多い気がするオクタヴィア・スペンサーが、見方によっては危険人物とも取れるハリエットを好演。ハリエットが問題提起したことから話が展開するので、そういう意味でも憎むべき相手なのか、陥れられた被害者なのか、その辺りの見ている側の視点が変わっていく感じを引っ張ったと思う。ピーターのティム・ロスは悪い人ではないし、家族のこともちゃんと考えているけれど、元妻の出産パーティーにエイミーを連れて行ったり、ところどころ無神経さが感じられる役どころを的確に演じていて、イラッとさせてくれた。ホメてます!
ルースのためというよりも、これまで築き上げて来た"家族"を守ることに必死で、嘘をついて結果ルースの陰謀に加担してしまうエイミー役のナオミ・ワッツが素晴らしい。エイミーは決して悪い人なわけではないし、彼女なりに必死で物事に対処しようとしている。ハリエットに呼び出されたことをきちんと話さなかったことなど、後から考えると判断ミスをしたのではないかと思えることもあるけど、それも彼女が必死であったから。その延長線上に花火の件の嘘がある。エイミーが必死で守っていたものは虚構だった。その事に彼女は無意識下で気づいているかもしれないけれど、そのことを封印してしまった。その感じも含めてとても良かった。
ルースのケルヴィン・ハリソン.Jrは初めて見たけど、とても良かったと思う。よく彼を見つけたなと思うくらい、爽やかな好青年のイケメン。ちょっと少年兵だったという辛い過去が感じられない気もするけれど、ルース自身がそれを封印して優等生を演じているのだと考えると、この演技は素晴らしい。友人の復讐、自分に対する価値観の押しつけへの反発がハリエットを追い落とすという形になり、それを達成したものの虚しさが残り、養父母に対して抱いていた澱があからさまになった。そのラストの表情が良かった。
クドクドとまとまらず長文になってしまったけれど、とても考えさせられる作品だった。こうして書いたルース、エイミー、ピーター、そしてハリエットについても、本来製作側が意図した人物像ではなく、自分が勝手に解釈した人物像であって、そう考えると見ている側にも価値観の押しつけがあり、人を型にはめてしまっているのだと思う。
ただ、人間は生きるために人とコミュニケーションを取らなければならず、その上で相手の人となりを踏まえて対処する必要がある。しかも、その人物が自分の本当の姿をさらけ出しているとは限らない。そういう中で判断を誤ってしまうことは避けられないのも事実。だからこそ印象を良くしたいと思えば優等生を演じることも必要になるし、その演じられた優等生の姿に騙されることもある。逆もしかり。とても難しい。とにかく、自分が「こういう人に違いない」と勝手に判断した姿を、差別したり糾弾してしまうことはしてはいけないと改めて思った。
最近起きた誹謗中傷による悲劇や、黒人差別に対する抗議デモなど、リテラシーや価値観の押しつけについてなど考える機会があった。そういう問題について関心のある方は是非。
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