・*・ etoile ・*・

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【動画】YKK AP CM お留守番篇

2016-06-10 23:24:02 | 【動画】cats

🐈【動画】YKK AP CM  お留守番篇🐈

 

 

このシリーズ大好き 窓と猫の物語編。いくつかあるけど、この猫たちのパーティ編すごくカワイイ カーテンよじ登ってる子とか、ターンテーブルで回転してる子とか! 猫あるあるいっぱい動画。でも、ちゃんとショートストーリーになってて、しかもちょっとファンタジー。留守中に猫たちがこんなパーティーしてたらカワイイな

 

ってことで、動画をドゥゾ♪(っ'ω')っ))

 

YKK AP CM お留守番篇

癒される~

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【Googleのロゴ】フィービ・スネツィンジャー生誕85周年

2016-06-09 00:04:43 | Google's logo

毎度のGoogleのロゴがこんなことに!


 

フィービ・スネツィンジャー生誕85周年

 

すみません どなたでしょう?

毎度のWikipediaが・・・

またまたない

 

検索すると、2番目に「Biring on Borrowed Time」という本の、

Amazonのカスタマーレビュー

そちらを参考にさせていただくと・・・

 

フィービ・スネツィンジャーは、

世界に1万種いると言われている鳥のうち8,000種類を見た女性とのこと。

30代半ばに隣家の女性に見せてもらったアメリカムシクイで鳥を見る楽しさに目覚め、

徐々に熱心なバードウォッチャーになったそうなのだけど・・・

 

40代終わりに悪性腫瘍で余命1年の宣告を受け、

残りの時間もこれまでどおり鳥を見ることを決心したそうで、

なんとそれから17年生きたのだそう!( ゜д゜)ホゥ

 

本のレビューなので、それ以上のことは不明

アメリカムシクイを見たってことは、アメリカ人なのかな? (´ェ`)ン-・・

 

このロゴかわいい

 

検索画面のロゴはこんな感じ

 

 

 

Happy Birthday

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【diary】『64 ロクヨン 前編』鑑賞(感想は後日)

2016-06-08 23:31:22 | dairy

【diary】『64 ロクヨン 前編』鑑賞(感想は後日)

見ます🎵

 

 

ずっと見たかったけど、後編公開ギリギリに見ようと思っていた。いよいよ6月11日から公開ってことで、レディースデイに見に行ってきた!

 

『64 ロクヨン 前編』おもしろかった!さすが横山秀夫原作。冒頭の事件の部分は引き込まれた。事件自体は動かないけど、豪華キャストの演技は見応えあり!14年間とらわれていた人達が辛い。早く続き見たい!!

 

『64 ロクヨン 前編』NHKのドラマ版は瀧だったみたいだけど、多分この役は佐藤浩市じゃイケメン過ぎなんだろうねw でも、佐藤浩市良かった!

 

ザックリした感想はtweetどおり。感想は後日UPする予定だけど、今『世界から猫が消えたなら』の感想書いてるのでその後。間違いなく後編公開までには間に合わない

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【interior】北欧風インテリア_番外編 ギャッベ

2016-06-04 01:09:16 | interior

【interior】北欧風インテリア_番外編 ギャッベ

ギャッベ届いた🎵 こうやって使う〜 かわいい

 

 

 

楽天お買物マラソンで購入してた。宝物の北海道民芸家具のライティングデスクでパソコン作業している。その椅子にクッション(?)として置きたかった! ギャッベというのはイラン南西部、シラーズ地方の遊牧民であるカシュガイ族が織りあげた手織りの絨毯の事を言うのだそう。なので、全然北欧じゃないです


買ったのはペルシャンギャラリー青山本店。RoomClipというアプリで、紹介されてた画像を見て、あまりのかわいさに欲しくなり、添付されてアイテム情報で知った。インド産の安いギャッベもあるけれど、ペルシャンギャラリー青山本店の商品は、全てイランからの現地直接仕入れ。目も細かく織られているため、ボリュームがあり柄もハッキリと出ているとのこと。


サイトには120点の商品がありぞれぞれ柄が違う1点モノ。微妙に大きさも違う。希望としては50×40くらいのサイズで、地が赤か緑、山羊?羊?柄のもの。若干サイズは小さかったけれど、コチラの柄をチョイス。


思っていたよりもズッシリと重く、密度濃く織られている。ちょっと素足で踏んでみたけど肌触りもイイ。これは一生モノだと思う! ヽ(・∀・)ノ

 

白地もカワイイな~

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【Googleのロゴ】ロッテ・ライニガー生誕117周年

2016-06-02 01:10:17 | Google's logo

毎度のGoogleのロゴがこんなことに!

 

 

ロッテ・ライニガー生誕117周年

 

すみません どなたでしょう?

毎度のWikipediaがない

 

はてなワードによりますと・・・

ロッテ・ライニガーは、1899年ベルリン生まれ。

影絵アニメーション作家。

 

とのこと。

って、これしか情報がない

 

このロゴYouTubeの動画になっている

全部は無理なので、適当に画像を取っておいた

 

再生ボタンをクリックすると

 

女性が紙を切って花を作って、歩き出すと・・・

 

王子と姫?

 

曲がった鳥かごを直してあげると鳥が戻って来る

 

少女に人形を作ってあげる

 

時計の針を直す

 

倒れそうな花を必死で真っ直ぐにすると、妖精?が現れる

 

 

再び少女のもとに戻ると、みんなが花を持ってお礼に?

 

画面切り替わって、最後にEが加わって終了

 

もっといろいろあるので、YouTubeの動画をドゥゾ♪(っ'ω')っ))

 

 

検索画面のロゴはこんな感じ

 

 

Alles Gute zum Geburtstag!

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【cinema】『アイヒマン・ショー 歴史を映した男たち』

2016-06-02 00:21:27 | cinema

2016.05.06 『アイヒマン・ショー 歴史を映した男たち』鑑賞@ヒューマントラストシネマ有楽町

 

試写会応募したけどハズレ 題材的にも興味あったけど、マーティン・フリーマン枠ってことで見たかった。テアトル系会員入会キャンペーンで貰ったタダ券があったので、会員は1,000円で見れる金曜日なのにタダ券使って見に行ってきたー

 

 

ネタバレありです! 結末にも触れています!

 

「元ナチス親衛隊の大物アドルフ・アイヒマンの身柄がアルゼンチンで拘束され、イスラエルで裁判が行われることになった。この裁判の様子をテレビ中継しようという企画が持ち上がる。ディレクターにレオ・フルヴィッツを迎え、プロデューサーのミルトン・フルックマンは、実現に向けて奔走するが・・・」という話で、これはホントにそれだけ。実際の映像を多用した手法はドキュメンタリーのようでもある。 かなり辛い映像もあって、ずっしり重い気持ちになったけど、語り口自体はテンポがあって見やすかった。マーティン目当てで見たけど、これは見て良かったと思う。

 

『アンコール!』のポール・アンドリュー・ウィリアムズ監督作品。『アンコール!』は未見で、監督のことも存じ上げなかった。毎度のWikipedeiaはページはあったものの、情報がほとんどない 公式サイトにもあまり情報がないので、製作過程の裏話的なものとか、興行成績とか、受賞履歴などは不明。まぁ、こじんまりとした作品ではあるのだけど、ちょっぴりさびしい。

 

代わりと言ってはなんだけれど、今作の主題の1つである、アドルフ・アイヒマンについて記載しておこうかな。とはいえ、悪役ながらさすがのナチス親衛隊の大物だけあって、毎度のWikipediaの情報量も膨大。ということで、映画の内容に沿う部分と、自分が気になった部分を抜粋しておく。アドルフ・オットー・アイヒマンが、ドイツの親衛隊(SS)の隊員。最終階級は親衛隊中佐。ドイツのナチス政権による「ユダヤ人の最終的解決」(ホロコースト)に関与し、数百万の人々を強制収容所へ移送するにあたって指揮的役割を担った。戦後はアルゼンチンで逃亡生活を送ったが、1960年にイスラエルの諜報特務庁(モサド)によってイスラエルに連行された。1961年4月より人道に対する罪や戦争犯罪の責任などを問われて裁判にかけられ、同年12月に有罪・死刑判決が下された結果、翌年5月に絞首刑に処せられた。

 

アイヒマンは学校の成績が悪く、リンツのカイザー・フランツ・ヨーゼフ国立実科学校を卒業することができなかった。全くの偶然だけどアドルフ・ヒトラーも同校に通ったことがあり、同じく卒業できずに退学しているらしい。退学後、機械工学を学ぶため工業専門学校に通ったが、ここも中退している。父親のザルツブルグの鉱山工場で働いていたが、直ぐに辞めるなど仕事も長続きしていない。1932年4月1日にオーストリア・ナチ党に入党のうえ、親衛隊に入隊している(オーストリアナチ党員889,895、オーストリアSS隊員番号45,326)。しかし、イデオロギーには興味がなかったらしい。1934年9月、当時親衛隊伍長であったアイヒマンは、SDに応募し採用される。数か月後112課(ユダヤ人担当課)へ異動。以降一貫してユダヤ人問題に携わることになる。テオドール・ヘルツル著「ユダヤ人と国家」に影響を受け、ドイツ在住のユダヤ人をパレスチナへ移住させる計画に関心を示すようになった。

 

1938年3月、親衛隊少将だったアイヒマンはユダヤ人問題の専門家としてウィーンへ派遣された。アイヒマンはユダヤ人移民局を起こし、オーストリアのユダヤ人の移住に取り組んだ。ユダヤ人たちの亡命の代償は全財産であり、その所有物は全て没収された。移住者は提示金として不可欠な外国為替を滅茶苦茶なレートで購入させられた。アイヒマンは移住政策を巨額のビジネスに仕立て上げた。後に彼はユダヤ人移住の権威として知られるようになり、マイスターと呼ばれるようになった。1940年6月の時点でドイツの支配領域にユダヤ人は325万人生活しており、彼らの追放先を探すことがドイツ政府の急務となった。アイヒマンは彼らをポーランドのゲットーへ集中させていく。本人の証言によると、1941年8月から9月頃にラインハルト・ハイドリヒから総統アドルフ・ヒトラーの命令により、ヨーロッパのユダヤ人が絶滅させられることになったのを知ったという。1941年11月に親衛隊中佐に昇進。1942年1月20日にヴァンセー会議に議事録作成担当として出席し、ユダヤ人を絶滅収容所に移送し絶滅する「ユダヤ人問題の最終解決」(=虐殺)政策の決定に関与した。

 

この会議の後、アイヒマンはゲシュタポ・ユダヤ人課長としてヨーロッパ各地から移送してきたユダヤ人をポーランドの絶滅収容所へ列車輸送する最高責任者となる。1942年3月から絶滅収容所への移送が始まったが、プロジェクトの中枢にいたのがアイヒマンである。アイヒマンの実績は注目され、1944年3月には計画の捗らないハンガリーへ派遣され、40万人ものユダヤ系ハンガリー人をアウシュビッツのガス室へ送った。1945年ドイツの敗戦色が濃くなると、親衛隊全国指導者ハインリッヒ・ヒムラーはユダヤ人虐殺の停止を命令したが、アイヒマンは従わずハンガリーで任務を続けた。

 

第二次世界大戦後、アイヒマンは進駐してきたアメリカ軍によって拘束されたが、偽名を用いて正体を隠すことに成功すると、捕虜収容所から脱出。リカルド・クレメント(Ricardo Klement)名義で国際赤十字委員会から渡航証(難民に対して人道上発行されるパスポートに変わる文書)の発給を受け、1950年7月15日、当時親ナチスのホアン・ペロン政権の下、元ナチス党員を中心としたドイツ人の主な逃亡先となっていたアルゼンチンのブエノスアイレスに船で上陸した。1957年、西ドイツのユダヤ人検事フリッツ・バウアーは、イスラエル諜報特務庁(モサド)にアイヒマンがアルゼンチンに潜伏しているという情報を提供した。アイヒマンの消息をつかむのは容易ではなかったが、アイヒマンの息子がアルゼンチン女性と交際しており、彼女に度々父親の素性を話しており、2年に渡る入念な作業のすえ、モサドはついにリカルド・クレメントを見つけ出した。クレメントがアイヒマンであるという決め手になったのは、彼が結婚記念日に妻への花束を買ったことであった。1960年5月11日、クレメントがバス停から自宅へ帰る途中身柄を拘束した。当初アイヒマンであることを否定したけれど、少し経つとあっさり認めたのだそう。1960年5月25日ダヴィド・ベングリオン首相がアイヒマンの身柄拘束を発表し世界的なニュースになった。

 

獄中のアイヒマンは神経質で、部屋やトイレをまめに掃除したりするなどいたって普通の生活を送っていた。獄中のアイヒマンを知る人物は普通のどこにでもいる人物と評した。裁判は1961年4月11日エルサレムで始まった。「人道に対する罪」、「ユダヤ人に対する犯罪」および「違法組織に所属していた犯罪」」などの15の犯罪で起訴され、275時間に渡って予備審問が行われた。ホロコーストの現実など、ナチス支配の弊害を直視することを全世界に強いたが、一方で自分の不利な証言を聞いている人物が小役人的な凡人であったことが、ふてぶてしい大悪人を予想していた視聴者を戸惑わせた。アイヒマンはドイツ政府によるユダヤ人虐殺を「大変遺憾である」と述べたが、自身の行為については「命令に従っただけだ」と主張した。アイヒマンは死刑判決を受けてもなお無罪であると抗議しており、その様子は記録映像にも残されている。1961年12月15日、すべての訴因で有罪が認められた結果、アイヒマンに対して死刑判決が下された。翌1962年6月1日未明にラムラ刑務所で絞首刑が執行された。最期の言葉は「ドイツ万歳、オーストリア万歳、そしてアルゼンチン万歳」であったと伝えらている。


と、簡単にまとめようと思ったのに意外に長くなってしまった でも、やっぱりどうしても書いておきたかった部分でもある。特に、全世界が彼が小役人的な凡人であることに戸惑ったという部分については、今作の主題である記録映像によるものであって、それがこの映像を撮ったフルヴィッツの狙いでもあったので。 

 

前述したとおり裁判のテレビ中継に関わることを描く作品なので、当然裁判部分がメイン。 ミルトン・フルックマン(マーティン・フリーマン)と、ディレクターのレオ・フルヴィッツ(アンソニー・ラパーリア)の家族のことなどについては、必要最低限出てくるけれど、それもナチス親衛隊の裁判を報道することのリスクを伝えるための手段という感じ。アイヒマンについても役者が演じている部分はあるものの、セリフはほぼなく裁判部分については実際の映像を使っているため、舞台裏的な部分について演じているだけ。似ている役者を使っている気はするけれど、当然別人なので、映像とのつなぎが不自然にならないように、横顔や後ろ姿がメインであまり映らない。証言者の部分や、傍聴席も実際の映像を使っていたりする。ドキュメンタリー的ではあるものの、それでもやっぱり映画であったのは、時折交えるユーモアが知的な感じがしたからかも?

 

ということで、裁判が始まってしまえば、ほぼ撮影シーンのみ。それぞれを事細かく覚えてもいないし、それをツラツラ書いてもあまり面白くはないかなと思う。なので、自分が印象に残った部分については記載するかもしれないけれど、いつものようにシーンごとに詳細を書いて、感想を交える形にはならないと思う。どうでもいいと思うけれど、一応断り書きを入れておく

 

アドルフ・アイヒマンがアルゼンチンで逮捕され、エルサレムで裁判が行われることになった。これをテレビ中継しようということで、アメリカ人プロデューサーのミルトンが許可をもらいに行くところから始まる。彼がディレクターに選んだのはレオ・フルヴィッツ。著名なドキュメンタリー監督だが、赤狩りで目をつけられて、10年近く作品を撮ることができないでいる状態だった。彼らが撮影交渉に行くと、あまり芳しくない反応。カメラがアイヒマンや証人たちに見えてしまうことが問題らしい。カメラを意識してしまうからってことだったかな? それには壁にカメラを埋め込んで撮影することで対応することとし、現地スタッフの招集など3日間で準備できればOKということになる。現在の感覚だと、何がそんなに問題なのか?という感じだけれど、当時としては大変な問題だったのかも。たしかまだ生中継は出来なかったんだよね? 衛星生中継での世界初の映像が図らずもケネディ大統領暗殺になってしまったんじゃなかったっけ? 今作でも、撮影したフィルムを随時輸送している様子が描かれていた。

 

フルヴィッツとしてはアイヒマン自身を悪魔とするのではなく、あくまで平凡な男が悪魔的な行為をしたととらえており、その視点から報道することにより、誰もがアイヒマンになりうるということを伝えたいということらしい。そのことを集まったユダヤ人スタッフたちに伝える。若いスタッフは納得はできないまでも、反論はしなかったけれど、収容所体験者の初老のカメラマンは断固としてこれに反対する。自分はアイヒマンとは違うと言うのだった。その気持ちはとっても分かる。だけど、皆がアイヒマンと同じ穴のムジナだと言っているのではなくて、無自覚な悪というものを理解しないと、第2のアイヒマンが現れてしまうということを伝えたいのだってことなんだと思うのだけど・・・ でも、自分がそう思えるのは、やっぱりこの問題を第三者として見ているからなのかな? でも、スタッフたちや、時にはミルトンと対立しつつも貫いたこのフルヴィッツの視点が、ハンナ・アーレント(Wikipedia)の「イエルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告」につながったのかと思うと感慨深い。

 

もう少しハンナ・アーレントのことを書きたい。以前、『ハンナ・アーレント』(感想はコチラ 書きかけ)を見た時、アイヒマン裁判を見たハンナが、アイヒマンを凡庸な男だと評したこと、そしてそれが大きな批判を浴びたことについて、自分なりに思ったことを感想に書きたいと思って張り切っていたのに、いざ書こうとすると形にならず、結局途中で投げ出したような形になってしまった。ハンナ・アーレントのように頭が良くないので、彼女の言っていることをどこまで理解できていたのかも謎。ただアイヒマンは怪物ではなかったと言う意図は理解できたし、だからこそ誰もがアイヒマンになりうるわけで、そこを理解しないと第2のアイヒマンやヒトラーが現れてしまうということを言いたいのかもしれないと思っていた。多分、その部分は間違っていないのではないかと思う。それがハンナ・アーレントの思いなのか、監督はじめとした製作者の思いなのかは謎だけれど・・・

 

何故、ハンナ・アーレントのことを持ち出したのかと言えば、ハンナがエルサレムで裁判を傍聴していた際、たしかフルヴィッツが撮影した映像を見ていたと思ったので・・・ たしか全部を実際に傍聴したわけではなく、別室で映像を見ていたシーンがあったはず。で、前述したとおりフルヴィッツがスタッフに最初に語ったのが誰もがアイヒマンになりうるということで、彼が一貫して撮ろうとしていたのは、アイヒマンの人間としての姿だったから。その彼の視点が、カメラを通してハンナ・アーレントに伝わり、そしてあの著書が生まれたのかなと思ったので。その著書はユダヤ系の人々を中心に反発を招いてしまうけれど、未読で少なくとも『ハンナ・アーレント』を見た自分は、ごく一部ではあっても本質部分は理解できたのではないかと思う。なので、むしろこれは全くの第三者が読んだ場合の方が、冷静に受け止めることが出来るのではないかと思った。

 

裁判には112人の証人がそれぞれの体験談やホロコーストの現実を証言した。映画では役者の演技と実際の映像と交えて見せる。聞いているだけで辛い内容に加えて、実際の収容所などの映像も映し出される。これは辛い。この状態でどうして生きていられるのかと思うほど痩せたユダヤ人たちの姿に涙が止まらない。証言を撮影していたユダヤ人カメラマンは気分を悪くして倒れてしまうし、実際の証言者の中にも失神してしまう人も・・・ 証言者よりもアイヒマンの表情を撮ることにこだわっていたフルヴィッツが、証言者の失神シーンを撮り損ねてしまったのではないかと、ミルトンと口論になるシーンがある。実はこの時、世界初の有人飛行士ガガーリンや、キューバ危機などで視聴者が奪われていたのだそう。あの証人たちの証言を視聴者争いに利用するのかと思うと複雑だけど、これはテレビマンの話でもあるので、その辺りのバランスは良かったなと思う。

 

そういう意味では、ミルトンが家族を殺すと脅迫を受けたり、あわや部屋に手榴弾を投げ込まれそうになったりとサスペンスタッチな部分があったり、脅迫には屈しないと強い面を見せる妻との愛情など、エンターテイメント的な部分も適度に交えて、緩急をつけていたのも良かったと思う。そもそもが90分と短めなこともあるけど、テンポよくコンパクトにまとめた印象。これ以上長くても間延びしてしまうし、貴重とはいえ辛い映像をこれ以上見せられても疲弊してしまう。前述したとおり、公式サイトやWikipediaの情報が少ないので、手榴弾のエピソードが実際にあったことなのかは不明。脅迫はあったのでしょうねきっと・・・ ただ、ミルトンが一家でエルサレムに住んでいるのは、裁判を撮影するためだけなのか、そもそもユダヤ人でエルサレムに在住なのか分からなかったのが、残念な気はした。まぁ、別にどちらでもいいのだけど、フルヴィッツがユダヤ人であることは言及していた気がするけど、ミルトンもそうだったかはハッキリしていなかったような? 彼もユダヤ人だとすると、前述したフルヴィッツとの口論などについても、感慨深いものがあったりする。

 

ミルトンとフルヴィッツが製作した映像は、アメリカの3大ネットワークで放送され、全世界37ヵ国で放映された。ドイツの人口の約80%が見たと言われているのだそう。この数字だけでもスゴイことだけれど、今でもこうして見ることが出来るという意味でも、とっても重要な仕事だったと思う。よくぞこれを記録してくれたと思う。フルヴィッツの名前を間違えてばかりいたホテルの女主人ミセス・ランド(レベッカ・フロント)が、悩んでいたフルヴィッツに声をかける。ミセス・ランドも収容所体験者だった。今までユダヤ人たちがホロコーストのことを語っても誰も信じてくれなかった。やっと世界の人々に知ってもらうことが出来た。あなたのおかげだという主旨のことを言うのだけど、この裁判以前はホロコーストについて知られていなかったという事実に驚愕。普通のOLちゃんが当然のように知っていることであって、戦後70年以上経った現在より、戦後間もない頃の方が生々しい情報として知っている人が多いのかと思っていた。そういう意味では、ホロコーストの事実が明らかになったことこそが、この放送の最大の功績かもしれない。

 

フルヴィッツがこだわったアイヒマンの表情。自分にはやっぱり"悪魔"ではなく、平凡な男に見えた。それはフルヴィッツのフィルターを通して見ているからかもしれないけれど・・・ フルヴィッツが証人たちの悲惨な証言が続く中、表情を変えないアイヒマンに対して、何故平静でいられる?と憤るシーンがある。自分には必死で平静を保とうとしているように見えた。取り乱しては不利だということはさすがに分かっていたのでしょう。ただ、反省している様子は全く感じられなかった。本当に自分は命令に従っただけと思っていたのだと思う。そして、そう思っていなければ平静ではいられなかったのだと思う。誰かのせいにできれば楽だよね(*`д´) でも、そういう視点を持てたのも、実際のフルヴィッツやミルトンたちのおかげなのだと思う。ただ、一方で作り手の意思が加わることによって、真実以外の物が見えてしまう危険性があることも念頭に置いておかないといけないとも思った。

 

キャストは全員良かった。ユダヤ人の初老のカメラマン役の人良かったんだけど、公式サイトにもお名前なし 宿の女主人ミセス・ランドのレベッカ・フロントが良かった。何度訂正してもフルヴィッツの名前を間違えるとぼけたおばさんとして登場。後に辛い過去を持つ女性だということが分かるのは、脚本や演出によるものだけど、レベッカ・フロントの演技のおかげで感動した。フルヴィッツのアンソニー・ラパリアが素晴らしかった。赤狩りにより約10年まともな仕事ができなかったフルヴィッツ。その溜まっていた仕事への熱意が、アイヒマンという被写体に向かって行き、時に熱くなり過ぎてしまう、でも基本的には冷静な感じを好演。とっても良かった お目当てのマーティン・フリーマンも良かった。全ては彼から始まったわけで、その熱意がとても感じられる。時にはフルヴィッツと口論したり、感情をあらわにすることもあるけれど、基本にじみ出てしまうかわいらしさ。実際のミルトンがどういう人なのか不明なので、もしかしたらかわいらしさがにじんでしまうのは違うのかもしれないけれど、もうこれはマーティンの個性だからOK

 

レオ・フルヴィッツは、後にニューヨーク大学の映画の教授と映画とテレビの卒業者の機関の議長となったそうで、1991年に死去。ミルトン・フルックマンは健在で、現在もプロデューサーとしてアメリカで活躍されているのだそう。

 

裁判を記録した裏話的なことを期待するとちょっと違う。あの裁判をどう撮ったかということがメインであって、むしろ映像としては実際の記録映像の方が多いかもしれない。まぁ、さすがにそれはないと思うけれど、そう感じてしまうほど実際の映像の迫力がスゴイ! 映画としてはそれじゃダメなのかもしれないけれど、やっぱり貴重な体験だったと思うし、それらを上手くまとめていたと思う。セットや衣装なども素敵だった。

 

ホロコーストやアイヒマン裁判に興味のある方オススメ! マーティン・フリーマン好きな方も是非!!

 

『アイヒマン・ショー』Official site 

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【interior】北欧風インテリア_6 b2cコットンロープバスケットSサイズ

2016-06-01 21:26:10 | interior

【interior】北欧風インテリア_6 b2cコットンロープバスケットSサイズ

sarasa design storeからこんな感じで届いた🎵 鉢カバーとして使う。かわいい

 

 

6月1日1:59まで開催されていた楽天お買物マラソン。期間限定ポイントがあったので、以前から狙っていたsarasa design store さんの収納カゴを購入。なんと手書きのメッセージ入りで届いた。こういうのウレシイ

 

 

ずっと気になってたベンジャミンの鉢カバー。適当な植木鉢に植えてしまったのだけど、すっかり根がはってしまっていて植え替えが難しい状態。すっぽり鉢カバーに入れてしまうのはどうだろう?と考えて、いろいろ探してこちらに決定! 素敵ブロガーさんのレビューも良かったので期待大だったけれど、とっても素敵 気に入ったヽ(・∀・)ノ♪


ホワイトグレーもカワイイ

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