中日新聞の日曜版「おじさん図鑑」に「他人の痛み」というタイトルで、飛島圭介さんがエッセイを書かれていました。
他人の「痛み」は分からない。
察することがせいぜいだろう。
おじさんの妻は長年、リウマチで苦しんでいる。
「どこそこが痛いの」と毎日のようにおじさんに訴える。
「ここがこんなに腫れているでしょ」と足を見せたりもする。
医師から処方された薬を律儀に服用しているのに一向に改善しない。
ある日、おじさんはとんでもない暴言を吐いてしまった。
「毎日、ここが痛いとか、どこが痛いというけど、ワシにはどうにもできない。痛みは共有できないから、言わないでくれ」
何という夫だろうか! ”共有”はできないにしても、苦しいことは口に出して、少しでも”共感”してもらえば、ほんのちょっと荷が軽くなる事がある。
「ああ、さぞ痛くてつらいんだろうな」と想像し、優しい言葉をかけるのが連れ合いの務めだろうに。
その後、おじさん自身がある治療薬の副作用で足指が痛くてたまらず、歩行も困難になったことがあった。
毎日のように妻に「ここが潰瘍状態で痛くてたまらないんだ」と訴えた。
妻はその都度心配そうにおじさんを気遣った。
ああいう暴言は吐くものではないと、おじさん、心底から反省している。
以上です。
私も新婚の頃の暴言で、今もかみさんに恨まれている事があります。
朝 出かけの際、かみさんが風邪を引いてしまって「熱があるので、今日休んで」と言いました。
私は今日講師をしなければいけない予定があり、休む事が出来ません。
「なんでいつも家にいるのに、風邪を引くんだ」という暴言をかみさんに吐いてしまいました。
今でも時々思い出したように「あの時 私が苦しんでいたのに『なんでいつも家にいるのに、風邪を引くんだ』と言った、本当に酷い人。
皆んなからは「優しそうな人」と言われるけど、見掛け倒し。
「顔で得している」と恨めしそうに言います。
言い訳出来ないです、でもあの日は仕方なかったと思っています。
椎間板ヘルニアで2度入院し、それも3ヶ月と半年。
毎日お見舞いに来てくれました。
そう考えると、かみさんには頭が上がらないですね。
忘れていいの ー愛の幕切れー / 小川知子 谷村新司【Official Music Video】